ブログ記事44件
本日もご訪問誠にありがとうございます。「楓坂四駒堂」耄碌妄想日記日曜版No.95でおます!当ブログは日・木曜日午前0時週2回更新で~す。♪だらだら坂のてっぺんのあの下宿屋のおもいでは泣いて帰ったあのひととあとに残った白い花白い花※詞・阿久悠おそらく「陽のあたる坂道」「石坂洋次郎」の1957年発表の小説。何度か映画化、ドラマ化されたそのイメージが鮮烈に残っているんでしょうね…いいなあ…「坂道」それが以前、「青春の坂道ソ
本日もご訪問誠にありがとうございます。「楓坂四駒堂」耄碌妄想日記日曜版No.85でおます!当ブログは日・木曜日日付変更と共に更新で~す。追悼山本陽子あの頃…60年代の「日活映画」をこよなく愛した世代にとっては忘れられない女優さん…「81才」だったと聞くと「えっ!」って思ったりしますがそうですね…我が「吉永小百合」よりもやや年長ですが後輩…社会人を経て女優になった人でした。「浅丘ルリ子」「吉永小百合」「和泉雅子」「松原
本日もご訪問誠にありがとうございます。「楓坂四駒堂」耄碌妄想日記日曜版No.84でおます!当ブログは日・木曜日日付変更と共に更新で~す♪いまでもあなたを待ってるといとしいおまえの呼ぶ声が俺の背中で潮風(かぜ)になる~※詞・山口洋子「昭和」の「ダンディズム」を代表する?1曲。「石原裕次郎」1987年(昭和52年)の夏亡くなって一月後に「追悼盤」としてリリースされた楽曲。♪北の旅人病に倒れた「裕次郎」への想いを込め
フーテンとは無気力な若者であり仕事もせずにブラブラし哲学を語るプータローのことである。
しぎの「中三の時、朝日ソノラマから出ていた永島慎二の漫画家残酷物語を読んで感動しました」「こんな素晴らしい漫画があったのか!」みやこ「漫画少年だったのね」R3「叫びながら去っていった」みやこ「雪だけが残っている」しぎの「わ~~」
るそんべえです。私が学生時代に作った曲「金次郎」。永島慎二の漫画「フーテン」にちょっとだけ出てくる孤児の青年をイメージして作った曲です。この曲作った当時は、キーのコードで終わる普通の終わり方にしていました。その曲を還暦間近になった時に再度Youtubeでお披露目するにあたり、聴かせたところ、ドラムを担当しているTakai-hashi氏が、この曲は綺麗に終わるよりも不安定な終わり方をした方が、浮遊感があっていいと思うと言われました。言われてみると、なるほどと感じ、不安定な終わり方に変
BSマンガ夜話第28弾(2003年11月24日~27日放送分)第03夜「漫画家残酷物語」永島慎二古本屋で永島慎二の「フーテン」を買ったら、永島慎二についてよく知りたくなり、見つけた動画。1967年当時、ウチにはCOMという雑誌があってそこに載っていたのを見たが、当時は小学生だったので内容はよくわからなかった。しかし、絵のタッチが面白いなと子供心に思っていた。柔道一直線の単行本は小学生の頃、数冊持っていた。57年ぶりに内容を知って、ちょっ
●【読んだ本】子どもたちの戦争(漫画家たちの戦争)読みました。自分が読んだ本を忘れてしまう僕の記録として、ブログに残しておきます。自分が読んだ本、覚えてられないんですよね、僕。気になった本は、読んでみるタイプです。タイトルで選ぶことが多いが、今回の本は違いました。子どもたちの戦争(漫画家たちの戦争)[ちばてつや]楽天市場楽天ブックスさんのページの商品説明のところの、目次より。↓「屋根うらの絵本かき」
今日は気温が高い。風のないし歩けば汗ばむ。セットが面倒なので、帽子を被って出かけると暑い(。・д・。)=зそう帽子って暑いんだ。。。寒い日にはバッチリ!だけど。HDさんが京都の漫画ミュージアムに行ってきた。京都国際マンガミュージアム(きょうとこくさいマンガミュージアム、KyotoInternationalMangaMuseum)とは京都市中京区の旧・龍池小学校跡地にある日本最大の漫画博物館である。国内外の漫画に関す
ブームとは恐ろしい。筍のごとく次から次に生えて来る。フラフープブームは2か月で終わってしまいダッコちゃんがやってきた。膝まで落ちたフラフープを再浮上させるのは至難の業だった。ダッコちゃんブームの前にポッピングもあった。可愛い黒人キャラが差別になるしい。殺し屋人別張・永島慎二1960新宿の街にダッコちゃんのアドバルーンがある。
「若者たち」は永島慎二のマンガ。永島慎二は、青年向けのマンガの第一人者であった。「若者たち」は、マンガ家や小説家、画家、歌手、詩人などをめざし極貧の中で生活する若者のエピソード11話で構成されている。1968年10月に、主人公である青年漫画家が、すでに3人で住んでいる三畳部屋に新たに2人のメンバーを迎えたところから始まる。何人かの入れ替わりがあったが、共同生活は1970年の春まで続く。漫画アクションに不定期連載された。単行本は1973年初版とのこと。1974年にNHKの「銀河テ
ご訪問お待ち申しておりました。「楓坂四駒堂」耄碌妄想日記日曜版No.61でおます。当ブログは日・木週2回更新です。さて…「バスケットボール・ワールドカップ」順位戦での…「日本」のパリ五輪出場決定バスケ経験者としては長い暗黒の時代を知っているだけに…喜びもひとしお、感慨深いものがあるのですが…。ベスト4の対決「セルビア」〇vs「カナダ」×「アメリカ」×vs「ドイツ」〇そしていよいよ決勝!「ドイツ」vs「セルビア」「日本」の五輪出
腹が減っていたんだな
(記事中尊称略です)漫画家『永島慎二』という名前を聞いても、知っている人は少ないでしょうね。主として1960年から1970年代にかけて漫画誌『COM』や『ガロ』などで活躍。漫画家志望の若者たちにとって憧れの存在でした。(実際には1953年〜1980年まで執筆)作風は時代によって大きく変わりましたね。漫画界の巨匠『手塚治虫』に「マンガの詩人で、カリスマ(教祖)的存在」と、いわしめた。漫画家目指す若者の教祖といわれた、レジェンドの漫画家です。太宰治の影響と言われる大志
永島慎二(ながしましんじ、1937年7月8日-2005年6月10日)6月10日は漫画家・永島慎二の命日です。(よく少年野球漫画家・水島新司と混同されますが全くの別人)私が最初にその作品に触れたのは1966年、月刊少年画報に連載されていた「挑戦者AAA(トリプルエース)」(梶原一騎原作)でしたが、意識して読み始めたのは翌年から手塚治虫の虫プロがガロに対抗して刊行した漫画雑誌COMに掲載された「フーテン」からでした。その後漫画アクション連載の「若者たち」、ガロ、プレイコミック
♪や~けた肌にふれてくる踊り方が気になるのこ~のまま~だと恋をしそう夏の~せいかしら痴漢かも知れんのに…ご訪問ありがとうございます。「楓坂四駒堂」耄碌妄想日記日曜版No.47でおます。えー…最近、目立つ「夏木マリ」出演の「UberEats」のCM。そんな折、(お名前を出して恐縮ですが…)いつもお邪魔するブログ(春夏秋冬♯浪漫百景)そこでたまたま目にしたのが、冒頭の一節…♪夏のせいかしら(1974)1973年の再デビュー曲♪絹の靴下から数え
私はテレビと本がもうほとんど見れないし読めません。40歳を過ぎた辺りから「映像」と「文章」がだんだんと頭に入らなくなったんです。当然、映画もゲームも漫画もほぼ頭に入りません。普通の人よりも「老化」が速いのかもしれません。50代になった時に、書籍やDVD、CDを一斉に処分しました。狭い部屋がとてもスッキリと綺麗になりました。これからも、どんどん「娯楽」が頭に入らなくなって行くのでしょう。ちょっと早目の「終活」をしてると実感します。今回の断捨離で手元に残した物をちょっとブログの記録に
(記事中尊称略です)漫画大好きな少年は成人してからも漫画に夢中だった。少年誌から青年誌まで手当たり次第に読んでいた。中でも『月刊漫画ガロ』は私の心を捉えて長らく愛読していました。『月刊漫画ガロ』は確か1964年頃漫画家『白土三平』と青林堂社長の『長井勝一』が発刊した大人向け漫画誌で1968年〜1970年の大学紛争時全共闘の学生たちの愛読書だった。私が購入したきっかけは白土三平の『カムイ伝』でその後永島慎二の『フーテン』や『漫画家残酷物語』水木しげるの『
ご訪問ありがとうございます。「楓坂四駒堂」「耄碌妄想日記」日曜版No.45です。当ブログは毎週日・木曜午前0時更新でおます。で、「ロードショーー」開演します!う~ん…「オーソン・ウェルズ」に敬意を表し…いいのかなあ…こんなんでで…「全力漫画少年」ややマニアック…です。「くちづけソング」は「Ado」あどぉ?第2章「豊饒の海へ」Chapter3青年誌は荒野をめざす2「COM」…こみっきすと列
前回のVol.52【漫画永島慎二の「漫画家残酷物語」①】では、私が、永島慎二さんの青春漫画である「若者たち」と出会ったところまでお話ししました。その後、確か青林堂(「ガロ」の出版元)から出版されていた「フーテン」という作品を買いました。私の記憶によれば、この作品は、「長暇貧二(通称「ダンさん」)」という漫画家を狂言回しにして、新宿でフーテン(「フーテン」については説明を省略します)暮らしをする若者たちを描いた群像劇だったと思います(検索しても資料となるものが見つからないので、間違っていた
そういえば最近、漫画を読んでないなと気がついた。映画はよく見る。アニメも気になったものは見たりする。本もたまに読む。でも最近漫画を読んでないとふと気がついた。漫画ってとてもいいのだ。映画もアニメも向こうが決めた速度で進むけど、漫画は自分の速度で楽しめる。引き返すこともできるし、ひとつのコマをじっくり楽しむことだってできる。本ももちろんいいけど、漫画のコマ割りや見開きでしか出せない味があるよね。まあ言ってしまえば映画もアニメも本も漫画もどれも面白いんだけど。結局のところ内容次第ではある。
ご訪問ありがとうございます。当ブログ「楓坂四駒堂」は日・木曜、週2回更新でおます。で、今回は日曜版そのNo.37です。初見の方は何のこっちゃ!でしょうし…未だキャラは落ち着いてはいませんがこれは一応続きものです。そのうちおもしろくなるのかな…?続きます…いいのかなあ…?こんな連続4コマなお、次回4コマは第5週…「3G」です。第2章「豊饒の海へ」Chapter3青年誌は荒野をめざす2.「ぐら・こん
阿佐ヶ谷には敬愛する漫画家の永島慎二さんが住んでいた。その永島さんがよく行かれたという中華屋さんに行ったが、満席だったので、近くで評判がいい町中華でラーメンを。シンプル!昔の駅前の屋台のラーメンの味を思い出した。
ご訪問ありがとうございます。当ブログ「楓坂四駒堂」は日・木曜、週2回更新でおます。で、今回は日曜版そのNo.35です。今回は「何のこれしき!大江戸篇」です。おい!おい!季節外れも甚だしい!春もまだまだ浅いと言うのに怪談ですと…あははは。蔵出しではなく昨日描きました。只の発作的な気まぐれです…。第2章「豊饒の海へ」Chapter3青年誌は荒野をめざす序2♪愛してるってひとこといえ
ご訪問ありがとうございます。いつしか春も立ち…どういう言い方じゃ!ようやく寒さも少し緩んだような…?ま、寒の戻りもそこそこは…どうぞ!みなさん、引き続きご自愛を今回朝ドラ「舞いあがれ」その他ドラマを取り上げる予定でしたが一週先繰りにします。で…また古い雑誌のお噂「雑誌といた時間」もう1回続けます。ちょっとレアな雑誌を…ちょっとね…せっかくなんで…大河の「どうする家康」に寄せてみました。私…何故か「浅井長政」にシンパシーがあるんで
海辺の恋こぼれ松葉をかきあつめをとめのごとき君なりき、こぼれ松葉に火をはなちわらべのごときわれなりき。わらべとをとめよりそひぬただたまゆらの火をかこみ、うれしくふたり手をとりぬかひなきことをただ夢み、入り日のなかに立つけぶりありやなしやとただほのか海べのこひのはかなさはこぼれ松葉の火なりけむ。(佐藤春夫)ボクが高校生だった時代ですからもう20年以上も前です。あ、ちゃんと調べたら、74年11月25日から12
ご訪問ありがとうございます。「楓坂四駒堂」日曜版です。で、今回は「3G」最終5週の4コマ「3G」の10回目です。繰り返しになりますが登場人物のモデルは「名古屋市立某K里高校」の私の元同級生たち。爺ィたちのコスチュームなど描く気がしないので着ぐるみでお茶を濁しております…。友情のしるしとは言え内容はすべて私の妄想…でっち上げ完全なるフィクションです。初めてのみなさんどうぞよろしく哀愁!第2章「豊饒の
ああ!ありがたや!何かとご多忙の年末わざわざのご訪問心より感謝申し上げます。このところアイデア無理筋の「歌謡サスペンス劇場」ですが今回も案の定…?そろそろそれなりに決めていかないと…いつのもコンビですがキレが今いち?如何なもんでっしゃろ?♪この胸のときめきをもちろん歌謡曲ではなく「エルヴィス・プレスリー」もカバーしたカンツォーネの名曲この際「尾崎紀世彦」のカバーで…。訳詞はやはり「岩谷時子」ちなみに…「山口百恵」もカバーしていることをご存じ
ご案内そう言えば昔、♪ご案内という曲がありました。福岡の姉妹デュオ「ウィッシュ」の1972年のデビューシングル。♪今日お葬式をします~ドキリとする唄い出しの失恋ソングです。…と、そんなことを発作的に想い出しましたが当ブログの4コマラインナップです。で、今回は日曜版第2週ということで「何のこれしき大江戸篇」です。武家言葉かなり怪しいです…。はい…。~♪背中の夢に浮かぶ小舟に~第8集…ラストです。この「坂道」をモチー
襟巻やモンペ、草履に下駄で時代が読み取れるようにロングマフラーが漫画少年の定番だった。フーテン漫画のカリスマだった永島慎二こと長暇貧治のダンさんはロングマフラーの少年を好んで描かれた。新宿東口界隈にたむろするフーテン、ヒッピーの全てが漫画オタクではなかったけどね。ペァールック同様仲良しカップルのイメージでしたバイ。17歳の多感な夢見る漫画少年がパックって描いた投稿作品。53年前の原画です。保存癖があったのか今の今まで大切に