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2024年4月17日今日は何の日か世界ヘモフィリアデー(世界血友病の日)世界血友病連盟が1998年に制定。世界血友病連盟を設立したフランク・シュネーベルの誕生日。血友病およびその他の血液の病気についての啓発デー。職安記念日(ハローワークの日)1947年のこの日、それまでの職業紹介所が「公共職業安定所」と名前を改めた。現在は「ハローワーク」という愛称で呼ばれている。公共職業安定所は、職業紹介・職業指導・失業保険等、「職業安定法」の目的を達するため
🟡中卒『自分は中卒です』、母子家庭『自分は母子家庭育ちです』、資格『自分は資格が一つもありません』、愛着障害、虐待サバイバーの方⇨✉️は、kxwc5616@yahoo.co.jpです。最初のkは小文字です。質問も気軽に下さいね。同じ気持ちの方、共感は嬉しいです。大人、私は大人ですが、他人に言われるのが過去の親の事は忘れた方が良いとか、子供時代の虐待の話は暗いとか、自分だけ可哀想って思わない方が良いとか言われましたね、就労支援で。就労支援は虐待の話をしたらモラハラにあいやめました。生保だけで生活し
永山則夫と神武君(nagayama1.jpg)(jinmu3.png)すんまへん。。。デンマンさんがまたオイラを呼び出したのです。なんと、永山則夫と並べてオイラを呼び出したのです。永山則夫は4人を殺して死刑になった罪人です。オイラはセクハラ、誹謗中傷、名誉毀損、罵詈雑言、嫌がらせのコメントを書きまわってますが、まだ有罪にはなってません。どういうわけで死刑にされた罪人とオイラを並べて呼び出したのでしょうか?オイラには全く理解できません。とにか
図書館に行って借りてた本を返して来ました札幌の中央図書館ってできて何年くらいになるのかな古い訳じゃないけど新しい訳でもない函館の中央図書館よりは古いだろうな函館の中央図書館は新しくてその図書館に慣れていたからどうしても見劣りしてしまうまぁ当分札幌の中央図書館には行く事はないと思いますが図書館行ってそのまま帰るのもつまらないから今日から始まった雪まつりを少し見てきました割合天気に恵まれていたからか初日だからか混んでました。ほんの一部だけ見てきました
<永山則夫、スタンダール>1364「無知の涙」金の卵たる中卒者諸君に捧ぐ永山則夫解説:井上光晴角川文庫目次序Ⅰ憑かれた若者が旅に出たⅡ言葉と水の異なった中の自分Ⅲ善人面したてめえらへの呪いⅣ檻よなあ!Ⅴ一番明るい所が、一番暗くなるⅥ社会主義の日本だったら……Ⅶ私はマルクスを理解できるⅧ独りぼっちの革命家Ⅸ嘆く前に憎め!憎み殺せ!Ⅹとうとう脳髄まっ……終章あとがき昭和43年秋に突発した”108号事件”、その犯人
東京赤羽にある本屋さんへ初めて訪れましたHOME|青猫書房(aoneko-shobou.jp)学生時代にアルバイトしていた写真屋さんの近くなので迷子にならず到着第8回永山則夫がのこしたもの「なぜかアバシリ」展を観に行きました。永山則夫の直筆原稿や、当時の写真などなどetc..のめりこんで見ていたらノドがカラカラになってしまい、、珈琲をいただきました。美味しかったー!!永山則夫の育った家庭環境は、いまだったら機能不全家族と呼ばれいろんな福祉サービスが受
『略称・連続射殺魔』1975,足立正生シネマハウス大塚にて朝から4本立て続けに足立正生作品を鑑賞。その4本のうち『幽閉者テロリスト』は別途論じたいと思う。兎に角今回は『略称・連続射殺魔』を。===正式なタイトルを『去年の秋四つの都市で同じ拳銃を使った四つの殺人事件があった今年の春十九歳の少年が逮捕された彼は連続射殺魔とよばれた』という。永山則夫が生きてきた風景。不在の主役が見てきたであろう風景の追体験という意味では青山真治の『路地へ』を連想させる。===人物は全く
東京写真美術館都民の日に。無料です(*´∀`)ノふだん入場料が¥700と、お高いのでこの時ばかりと利用しました展示している内容も知らず中に入った次第です(;゚∇゚)“風景論以後””何が見える?“地下一階“風景論以後”1960~1970死刑囚、永山則夫彼の生い立ちから事件後までの彼が目にしたであろう原風景的な映画上映大島渚、岩松孝二非常にレアな作品を展示している1960年代昭和の時代の中で良きにつけ悪しきにつけパワフルな時代だったあらためて人によって見える風景は全
小説としては処女作で、受賞作品らしい。三冊目もどのページも刹那い、、13歳になっても貧しく、過酷。友達もなく、映画を見ることが救いで、後に集団就職で東京に出ても訛っていなかったー子供は自分の事でいっぱいだとしても、母親の愛が全くない、、文庫が出る時に「なぜか、アバシリ」が追加されていて、網走への思い、ただ一人優しかった人への思い、収監後の成熟した思いに少しホッと出来ました。木橋(河出文庫)Amazon(アマゾン)
「なぜか、海」の前に出版されたもので、うーん、刹那さが深くなります。貧しさと、虐待。4歳の子供に何が出来るのか、、冬の網走、子供だけ4人で暮す生活。姉は中学生、兄ふたりは小学生。母は他の子供を連れて実家に逃げる。父、長男は行方不明。人間形成は家族や地域、学校が育む。時代もあるとしても、余りにも酷い。フィクションなら救われるけど、ほぼ実話?4歳の記憶はないなー特に不満もなく、平和に暮らしていたから?庭で三輪車に乗っていた写真があるけど、その頃だろうか?少年Nは、不幸ばか
刹那い。自伝的小説?後半に乱射事件があったという場面が意味するのは?発行ページに書かれていた住所は、収監されていた所?1989年初版。1997年に刑の執行、48歳。なぜか、海Amazon(アマゾン)
心的状態を記述する方法として、今日はたまたま意識の流れと風景映像という対照的な方法に触れた。米田の補題のように対象を理解するのは、対象とその動きを知るのと、対象と他との関わりを知るのと同じ、ということなんだろう。意識の流れは、川上未映子「夏物語」によく転換されている。ライフログを私小説に埋め込んだかのように、一人称で微細な想念の動きと膨大な会話で表現していく。例えば、「コートを着たまま誰もいない脱衣所の真ん中に立っていると、わたしは肉と皮も削げ落ちて風化した、大きな生き物のなかに取り残され
皆さん、こんばんは🌛いかがお過ごしでしょうか?なかまなです(・∀・)茉奈は今から5年前のオウムの幹部らの死刑執行により日本の司法(特に死刑制度)について関心を強く抱くようになりました。その日から戦後死刑囚について調べました。茉奈が気になるのは極悪な罪を犯してしまう犯罪者の生い立ちです。当時は死刑制度の新聞記事をスクラップしていました。死刑囚や罪を犯した人に共通していることは劣等感に苛まれていることです。あるいは自殺願望があります。オウムの幹部達は高学歴のエリート集団で社会に出た時や大
皆さんは、〝永山基準〟ってご存知でしょうが?これは刑法裁判で被告に死刑判決の可能性がある場合、よく引き合いに出される判断基準とされてきたもの。この基準が1968年10~11月にかけて起きた、ピストルで連続4人を殺害した永山則夫の裁判で示されたのが、今からちょうど40年前の今日のことでした。1949年に北海道網走市で8人兄弟の7番目として生まれた永山は、リンゴの剪定師だった父親が博打にのめり込んで家庭が崩壊したため、極貧の幼少時代を過ごします。16歳で集団就職で上京
これからソファーで少し横になりたいんですがミミちゃんが邪魔するのでなかなか寝れません。高田渡ミミズの歌ベストライヴAmazon(アマゾン)5,700〜898,789円${SHOP_LINKS}ベストライヴAmazon(アマゾン)5,940〜8,116円${SHOP_LINKS}
10代から50代くらいまでの、殺人・傷害・性的加害などのニュースが増えてきたように感じる。怒りから、誰かを傷つけたくなる行動化への過程に何があったのだろうかと、悲しく苦しくなる。生まれ落ちたときは、自分では何もできず完全に他者からの援助を必要とする存在である。命を与えられこの世に生まれ、家庭や地域社会の中で生きる力を身につけていく。いつ、どこで何があり、それがどのように関連しあい、その心が成長していくのだろう。あの渥美清さえ、家族への暴力があったというから、不当な扱いを受けて生まれる怒り
先日久しぶりに市民図書室へ行ったので棚を巡ってこの本を借りてきました。木橋(河出文庫)Amazon(アマゾン)644円作者は1968年(昭和43年)に都道府県において4件の連続ピストル射殺事件を起こし1997年に死刑が執行された永山則夫。彼については随分前にテレビで観た精神科医による分析の番組がとてもショックでした。その時テレビ番組を観た感想の記事はコチラ→『生い立ち』。彼に接した精神科医の石川さんがカウンセリングという手法で精神鑑定書を作っていく過程が放送さ
永山則夫と出会ったのは通信大学で心理学を学んだ時でした犯罪心理学が何故だかとにかく好きでして少年犯罪を勉強しようと色んな本を読みましたケーキの切れない非行少年やら少年Aやらどれも面白くでもどこか歯切れの悪い感じそして犯罪心理学を学ぶにつれ永山基準と言う言葉が何度も出てくるこれは少年犯罪に対する死刑適用基準←その永山基準を作ったとされる元死刑囚が永山則夫でした簡単に言うと永山は米軍基地で盗んだ銃で無差別的に4人もの人を射殺して死刑になった人物です永山則夫が育った場所がな
ひとつ前の当ブログで書いたように、永山則夫さんが逮捕された1969年10月のすぐ後に、永山さんの見た風景を辿った映画を撮った足立正生さんは、今年7月のアベ晋ゾー銃撃事件の直後には山上徹也さんを描く映画に着手しました。事件後に何と3日で脚本を書き上げ、9月27日に強行された「国葬」に合わせて公開するため驚異のスピードで撮影されたのです。「国葬」の日に上映されたのは50分の「特別版」で、「完成版」は年末に公開されるとのことですが、その編集は10月半ばに終わったということを足立監督がおっしゃっていま
ひとつ前の当ブログで、アベ晋ゾー銃撃事件を起こした山上徹也さんのそこに至るまでの半生が明らかになるにつれ、僕は永山則夫さんを連想したという話を書きました。永山則夫さんについては、僕は以前から関心があり、『略称連続射殺魔』(1969公開は1975足立正生監督)も観ています。今、『略称連続射殺魔』と書きましたが、実はこの映画にはタイトルはなく、冒頭に「去年の秋、四つの都市で同じ拳銃を使った四つの殺人事件があった今年の春、十九才の少年が逮捕された彼は連続射殺魔と呼ばれた」とテロップが出ます。
このところの当ブログで、瀬戸内寂聴さんが永山則夫さんに送った手紙のことを書いています。昨日11月7日(月)に赤羽「青猫書房」で開かれていた『永山則夫が残したもの』に展示されていました。この手紙は永山さんが書いた本を読んで送られたもので、「あなたの詩にはあなたの心のきらめきがうかがえて感動します。あなたが哲学者であるよりも、思想家であるよりも、文学者であるよりも、まず人間であることが詩の中には無防備にあらわれていると思う」と書いてあります。「あなたの不幸のまわりで私などは何の役にも立たないと思
ひとつ前の当ブログで、赤羽の「青猫書房」で行われていた『永山則夫が残したもの』で展示されていた、瀬戸内寂聴さんからの手紙に感銘を受けたことを書きました。「……ただ、あなたが一日でも長く生きて、自分も含めた人間の秘密を見つめてほしいと希うだけです」という一節を紹介しましたが、この「人間の秘密」ということは、前段の部分を引かないと分からないかもしれませんね。その前に、こんなことが書いてあるのです。「理屈や理論で何もかも説明できるのなら、何と楽でしょうか。そうではないからこそ、人は小説を書いたり、
今日は「赤羽」まで行ってきました。駅から10分ほど歩いたところにある「青猫書房」という絵本専門の書店で『永山則夫が残したもの』という展示が開かれていて、観に行ったのです。この展示、今年で「第7回」ということで、毎年この時期にやっていたそうなんですが、僕はまったく知りませんでした。友人がこの催しを教えてくれて、今日の最終日に何とかすべり込んだのです。今回は『永山則夫と「知識人」交信の断片』と題され、「書簡」が展示テーマでした。永山則夫さんの『無知の涙』の最初の単行本の表紙を描いた赤瀬川原平さ
「エイジの読書室/第3回」★『誰が永山則夫を殺したのか/死刑執行命令書の真実』(下)【ワーカーズ十一月一日号より転載】著者・坂本敏夫(幻冬舎アウトロー文庫。2014年12月5日初版発行)ワーカーズ634号で述べたように、1997年の「サカキバラ事件」を契機として検察は永山則夫の死刑執行に激しい意欲を燃やすのである。死刑の当日の様子は読むのがつらくなるほど酷いものである。坂本さんの本から引用すると。「8月1日午前8時55分に刑務官が迎えに来る。その時は、『永山、面会
いつだったか、死刑囚、永山則夫(あえて敬称略)のドキュメンタリーを観た。1949年、北海道の網走生まれ。貧困・虐待の中で育ち、教育も満足に受けられなかった。19歳のとき(当時は少年)、4件の連続射殺事件を起こして、翌年、逮捕。それから獄中で本を貪り読み、創作活動を開始。1983年には、『木橋』で新日本文学賞受賞。その14年後の1997年、死刑執行。現在でも死刑の適用基準となる「永山基準」。詳しくなくても、彼の名前を聞いたことがある方は多いと思う。私が読んだ『無知の涙』は、196
昭和58年に決められた、死刑選択の基準。永山基準。19歳の、永山則夫。その生い立ち。そして、永山則夫の母親の生い立ち。死刑執行前の則夫が、母親が書いた母親の生い立ちの手記を読んで、母親の生い立ちを知っていたら、事件は起こさなかった。と、話したそう。愛されること、生きてきた環境、人との関わり方、改めて、人格形成に大きく影響するのだと思いました。どうして自分はこう思うのか?どうして自分は、こういう反応をするのか?深く深く自分を知ることは、とても大切だと思う。ワタナベ
僕の中で、寺山修司って、永山則夫とダブります。何故だろう。
ヒューライツ大阪のホームページに掲載されている、国際人権から見た日本の試験制度(弁護士・田鎖麻衣子)に、最も重大な犯罪、についての説明が書いてあります。引用しますと・・・、「最も重大な犯罪」は,経済犯罪や薬物犯罪等,人の死の結果を含まない犯罪を除外するものとして解されているが,同時に委員会は、一般的意見6(16)において「『最も重大な犯罪』の表現は死刑が全く例外的な措置であることを意味するように厳格に解釈されなければならない」としている。日本において,死刑が全く例外的な措
募集なんかしてませんよ募っただけです。安倍ちゃんはこういうレベルだったから、コクソーじゃなくてコクソーギだって聞いた時には、岸田さんあんた皮肉の天才やったんかーと大笑いしたものだ。撤退ではない転進である。これは東條英機。こんな苦しまぎれの言葉の遊びで開き直る場合は、そいつはすでに冷静なヒステリー状態になってるってことだ。そこに論理的正当性はないことを、聞く者はみな感じとる。それでもごめん間違ってましたと言えないまま走り続けた先には、たいていの場合アッチョンブリケ
「エイジの読書室/第2回」★『誰が永山則夫を殺したのか/死刑執行命令書の真実』(中)著者・坂本俊夫(幻冬舎アウトロー文庫。2014年12月5日初版発行)前号では、1990年(永山が41歳)4月17日最高裁第3小法廷で安岡満彦裁判長が「本件上告をする」と主文を宣言して直ちに閉廷した事を書きました。著者の坂本敏夫氏は、「1990年のこの最高裁第3小法廷での上告棄却は、日本文芸家協会入会騒動が最高裁の判断を急がせたのでないかという懸念を私は持っている。判決を導く膨大になるはずの理