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そういえば7月31日は私が4年前退職の辞令を受け取った日でした。すっかり忘れていました。もう4年経ったのかと思います。よくある定年退職の風景は退職の辞令を受け取った後、職場に戻り花束を受け取ってスピーチをして記念撮影をして荷物をまとめて去っていくといったものでしょうか。私は当時金沢放送局勤務、そうしたセレモニーはしないで、普段のまま、普通に帰るように去らせて、と言っていました。その通り、辞令を受け取るとみんなに「じゃぁ」と言って職場をあとにしました。もっとも最近はどこの職場でも退
このところ名字の読みについて書きました。これは放送に限ったことではありません。式典や会議、結婚式など名前を紹介することがどなたでもあることです。間違いのないように心がけて欲しい事です。例えば結婚式の司会をするときに打ち合わせでフルネームの読み方を何度も確認します。進行表にふりがながふってあるので「これで間違いありませんね?」とよくよく聞いてみると「これ以外、読み方がないと思ったので」名字はまだしも下の名前は予想で書いていることがあるのです。公の場で名前を間違えるわけにはい
きのうは高校野球の実況の際の「一鍬田」さんのエピソードを書きました。同様のことは東北大会でもありました。「東海林」選手です。多くの方は「しょうじ」とお読みになるでしょう。これが山形では「とうかいりん」なのです。むしろ漢字の読み方としては「とうかいりん」が漢字そのままです。しかし昭和の有名歌手「東海林太郎しょうじたろう」さんの影響で「しょうじ」が定着したのではないかと思っています。山形県内向けの放送では疑問の声は上がらないでしょうが、東北大会の放送なので東北6県に放送は流れます。や
きょうは8月1日ですが「八月一日」と書く名字があります。「ほづみ」と読むそうです。旧暦8月1日に実る稲の穂を摘む風習があってこれが語源といわれます。ただいつ原稿として出てくるか分からないので知ってはいました。私も長くニュースを読んで様々な名前が出てきましたがついにお目にかかることはありませんでした。高校野球の放送に携わっていると多くの名字に出会います。千葉放送局の実況の際に登場したのが「一鍬田」さん。この名字の読み方ですが「いちくわた」と「ひとくわた」と2通り読み方があります。お
今年も台東薪能の司会をつとめました。去年はゲリラ豪雨の予想が出ていた為、浅草公会堂に会場を移して実施しました。実際、浅草公会堂で開演した途端、外は土砂降り、雷が鳴り響いていました。今年はその心配もないので2年ぶりに屋外での開催となりました。舞台のすぐ後ろにはそびえたつイチョウの木があり、さらにその後ろには浅草寺本堂。舞台に向かって左手を見上げればスカイツリー。時折、ライトアップの色が変わります。さらにその上空を飛行機が飛んでいきます。周辺からはせみ時雨の音が聞こえてきたり、時
名古屋場所の千秋楽は平幕琴勝峰が安青錦を破って優勝が決まりました。千秋楽で興奮が最高潮に達した瞬間でした。千秋楽はその後も4番ありました。結びは横綱大の里と大関琴櫻の一番でしたがなんとなく物足りなく感じました。状況は微妙に違いますがふと思い出したのが昭和14年1月場所4日目。横綱双葉山は連勝を前日69に伸ばし、いよいよ70連勝をかけての一番。相手は新鋭安芸ノ海。その安芸ノ海の外掛けに敗れて70連勝ならず。館内は異様な興奮状態に包まれました。その中で双葉山は悔しい表情などは一
名古屋場所が終わりました。また前頭の優勝で新たな有望力士誕生は嬉しいもののやはり上位陣に奮起を促したいところです。福島での初任地時代、7月の名古屋場所に出張した時のことです。10日間の出張を終えて福島のアパートに帰ってきてドアを開けました。10日間、空気の入れ替えはなかったのでモワッとする空気が流れてきました。それから部屋の中を見渡しました。するとキッチンの向こうにある6畳間の畳の表面にまだら模様が見えます。「畳にこんな柄があったっけ?」と思いながらそばに行ってみてみました。
私が福島で新人時代を過ごした当時「甲子園に最も近い分校」と言われた学校がありました。富岡高校川内分校です。福島県川内村をあげて応援、強化につとめていました。記録を見ると昭和61年62年と2年連続で福島大会BEST8まで進んでいます。昭和62年の夏、新人の私は富岡高校川内分校の試合の担当になりました。甲子園を意識した実況とともに、もう一つ新人アナウンサーの私にとって非常に難しいポイントがありました。それは先発9人のうち5人の名字が秋元だったのです。「ピッチャー秋元投げた、打ちまし
ラジオの野球の実況における基礎中の基礎、もう一つは「得点回数」です。どの高校とどの高校の試合が行われていて、今何回の表か裏でどちらの攻撃なのか、そして得点は何対何でどちらがリードしているのか。これをとにかく頻繁に入れていくのが基礎中の基礎です。ちょっとでも間が空いたら「得点回数」を入れるのです。何十回言っても全然邪魔にはなりません。マイクの前の目立つところに「得点回数」と紙に書いて貼っておいたものです。実況していて得点回数が少ないとサイドにいるアナウンサーがその紙を指さして得点回
野球の実況には基礎の基礎、原則があります。まず一つラジオでは「ピッチャー投げました」は絶対に遅れないこと。ピッチャーが球を投げた時点でプレーがスタートしますのでそこで遅れては何がなんだか分からなくなってしまいます。「ピッチャー投げました。打ちました。ショートゴロ。ショート取って一塁に送球。アウト。1アウト!」これで実況が成立します。遅れないようにするのは簡単なようでこれが難しい。実況では直前のプレーを詳しく振り返ります。例えば上の実況のあとに「三球目の変化球を打ちました。ショ
きのう巨人対中日の試合が行われた福島県営あづま球場。中継映像を見て懐かしく思いました。1987年にNHKに入って最初に赴任したのが福島放送局。5月に着任して、もう7月下旬には夏の高校野球福島大会の実況をしなければなりませんでした。NHKの新人アナウンサーにとって着任してすぐの夏の高校野球地方大会の実況はいわば「必須項目」です。現在は分かりませんが。新人の私は県営あづま球場に時間のある限り通ってラジオ実況の練習をしたものです。県営あづま球場は前年に完成したばかりでまだ新築の匂
真打ち競演で6月28日に放送になった演目のひとつが「岸柳島(がんりゅうじま)」です。「がんりゅうじま」なら「巌流島」ではないかと感じた方もいらっしゃったかもしれません。落語では「岸柳島」と表記することがあります。何かの解説で読んだことがありますが、ある師匠が「落語なんだから岸の柳のほうが粋じゃねぇか」と言ったとか。本当かどうかは分かりませんが、さもありなんと感じます。これまで買った落語の本やCDやレコードの全集に付録として付いていた解説などを見てみました。ほとんど巌流島だったので
きょう6月28日、NHKラジオ第一で午後1時5分から放送の「真打ち競演」で司会をしています。出演は立川小春志さん「岸柳島」、ねづっちさんの漫談、そして三遊亭小遊三さんの「野ざらし」。6月5日にNHKのスタジオで収録しました。この日、小遊三師匠がおいでになったタイミングでご挨拶をしましたら「お久しぶりですね」と声をかけていただきました。こちらは大感激です。実は以前Eテレの「落語をもったたのしもう」という番組があり小遊三師匠が解説、私が司会だったのです。とはいえこの番組が放送された
月曜から金曜までの番組を担当することを「げつきんのキャスター」と言いました。地域局では夕方6時台のニュース番組のキャスターがこれにあたります。ほとんどのアナウンサーは地域局勤務時代にこれを経験します。アナウンサー人生のほとんどをこの「げつきんのキャスター」で過ごしているアナウンサーもいます。私はこの「げつきんのキャスター」は名古屋放送局勤務時代の2年しか担当したことがありません。ただ6時台のニュースではなく5時台の生活情報番組でした。「げつきんのニュースキャスター」とはついに縁があり
明日「第54回NHK講談大会」の放送があります。6月22日(日)午後2時30分からEテレです。人間国宝・神田松鯉さん「秋色桜」一龍斎貞花さん「髪結新三永代橋の場」田辺鶴遊さん「高野長英水沢村の別れ」神田伯山さん「荒大名の茶の湯」一龍斎貞鏡さん「紺屋高尾」新真打宝井琴凌さんも登場します。私は2003年から司会をしています。途中転勤やコロナで何回か担当していない年もありますがほぼ20年以上関わってきました。年に1回の司会ですが楽屋で出演の皆さんを出迎える瞬間が好きです
増位山太志郎さんが亡くなりました。まず現役時代の相撲を思い出します。私はテレビで見ていました。ふわっと手を出して相手の勢いを止める独特の立ち合いでした。業師という印象で内掛けや投げが実に鮮やかでした。当時の相撲では横綱輪島との対戦が記憶に残っています。四つに組んでいたらいきなりそのまま外掛け。普通外掛けは投げを打たれたり、吊られたりしたときに足を掛けます。つまりまず相手が技をかけてきて、それに対抗する形でかける技です。ところがこの時はいきなり真正面から強引に足をかけて、その
先日、結婚披露宴に出てきました。コロナ禍もあって結婚披露宴に出たのは実に久しぶりのことでした。私はアナウンサーという商売柄、結婚披露宴に出るとなるとほとんどの場合が司会、そうでなければスピーチあるいは乾杯の発声でした。今回は身内ということもあり、何も登場する場面はなくゆっくり食事を楽しみました。披露宴の進行は今どきなのでしょう、非常にすっきりしていました。開宴してまず新郎新婦があいさつ、つづいて、乾杯、そして親友二人がスピーチ。スピーチはこのお二人だけでした。新郎新婦が本当にスピー
長嶋茂雄さんが亡くなりました。「我が巨人軍は永久に不滅です」の引退挨拶。昭和49年10月14日のことでした。この挨拶の全編を追悼番組で初めて見ました。合間に後楽園球場のスタンドの様子も映っています。フィルムの映像を見ているうちになんとなく小学生の自分が甦ってきました。当時、私は10歳、小学4年生。東京で野球帽をかぶっている子どもの9割以上が巨人の帽子だった気がします。ちなみに私はかぶっていませんでしたが。この年の3月フィリピンルバング島で小野田寛郎元中尉発見。戦争中
橘ノ圓満師匠から声をかけていただき先日「夫唱婦随の圓満会」の司会をつとめました。冒頭、圓満師匠と師匠のおかみさんの吉住小紀花さんと三人で鼎談をしました。圓満師匠は実は台東区立黒門小学校の1つ上の先輩です。そんなご縁で鼎談をすることになりました。上野のご近所同士なので話題の中心は上野の思い出でした。例えば黒門小学校というくらいですから黒門町がすぐ浮かびます。落語ファンにとって「黒門町」といえば落語協会は八代目文楽、芸術協会は五代目今輔のことを言います。八代目文楽といえば五代目志ん生と
神田祭、三社祭が終わりました。今年も大にぎわいでした。コロナの後に祭りが再開して年々人が増えているように感じます。台東区生まれなので浅草にも神田にも友人が多くいるので10代から担ぎに行ってます。かれこれもう50年近く担ぎに行っているわけです。還暦おじさんの繰り言ではありますが、最近気になることがあります。祭りはあくまで地元町会の氏子の皆さんのもので担ぎに来た人たちは「担がせていただきます」「お世話になります」の気持ちを忘れてはならないと思うのです。それが我が物顔で担いで自分たちだけ
先日あるレストランに行った時のメニューにこんなフレーズがありました。「料理長おすすめのお酒に合うお料理三品をご用意しました」料理長がおすすめなのは「お酒」?それとも「料理三品」?料理長おすすめというフレーズはお酒にもかかるし、料理三品にもかかるのです。もちろん料理三品のことなのでしょうが一瞬考えてしまいました。となるとどう書けばいいかついつい考えてしまいました。「お酒に合う料理は、、、料理長おすすめはこの三品です」「料理長おすすめの三品是非お酒とご一緒に」どう書いたら分かりやす
五月夏祭りの季節が到来しました。まずは神田祭に行ってきました。私は神田祭に行き、下谷神社の知人宅にも顔を出しました。以前は鶯谷駅近くにある元三島神社にも行っていました。つまり二日間で3カ所です。あちこちに友人がいるためあちらで担ぎ、こちらで担いでいました。しかもガンガン担いでいたのですから若かったなぁと自分でも呆れるほどです。一年に一度、祭りの時にだけ会う人がいます。祭りの格好をして一緒に神輿を担いで「お疲れ様でした」と乾杯、それだけです。お互いの名前も知りませんしどんな職
祭りは見るだけではもったいないと思います。やはり参加してこその祭りです。ですから祭りを見てみたいという人がいると祭りの格好をしてもらって神輿を担いでもらいます。アナウンサーや職場の後輩もよく担がせたものです。まず上野の我が家に来てもらうのですがまさに昭和の草履屋のたたずまいなのでまずそこから皆驚きます。そして玄関から入るのでなく店から上がってもらうのでそこでも驚かれます。映画やドラマで見るような昭和の世界が目の前に広がっているのですから。そもそも出迎えた私はもう六尺褌をしめてダ
祭り好き、神輿好きにとっていよいよ季節到来。ここから1年が始まると言ってもいいくらいです。私は5月の土日は絶対に休むと決めていました。もちろん祭りに行くためです。そのために独身時代「連休は全部出勤でも構いません」と言っていました。「その代わりその後の土曜日曜は絶対に休みますから」と。5月になると祭りの話ばかりするのでそのうち職場でも祭り好きとして有名になりました。祭りを見てみたいという先輩後輩がいれば喜んで案内しました。例えば浅草雷門で待ち合わせていると私が半纏姿で現れるので
3階席まで満員の歌舞伎座の花道に立って司会をしました。とにかく朝から、いや歌舞伎座での司会が決まってからずっと緊張していました。(なんとパンフレットに私の名前が!)「アナウンサーは人前で話すときに緊張なんてしないんでしょう」と言われますが時と場合によります。今回はなにしろ八代目尾上菊五郎襲名披露興行に関する催しですから重圧はかなりのものでした。特に顔寄せの前の司会は緞帳の前でしゃべっていましたがその緞帳の向こうには百人以上の歌舞伎俳優が座って待っているのです。緞帳の向こうからも客
フジテレビのアナウンス室の独立が発表されました。何気ないことの様ですが実は非常に、非常に重要なことなのです。アナウンサーは番組が割り当てられるのを待っているという側面があります。報道でもバラエティーでも番組を制作する部署が、アナウンサーの組織の上にあるとその部署からの仕事が「下りてくる」のを待つことになるわけです。レギュラー番組の担当になれば1年間はその番組の仕事ができます。場合によっては2年、3年と続けられます。起用の権限を制作現場のプロデューサーが持っていればそこに上下関係が
自分が歌舞伎座の舞台に!4月29日、なんと歌舞伎座の舞台に立ちました。尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎、尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露興行を前にした「古式顔寄せ手打ち式」の司会です。ここのところNHKホールや浅草公会堂、イイノホールなどの舞台に立ってきましたがいずれも十回以上その舞台に立っています。しかし歌舞伎座は今回が初めてです。柄にもなく朝から緊張して家の中でも落ち着きがありませんでした。開演してすぐに舞台に出たのですが目の前は3階席まで満員。自分が立つ場所は舞台から
新番組のラジオ番組「蔵出し名人会」が始まりました。NHKに数多ある録音の中から時代を彩った語り芸の数々を放送します。第1回は桂枝雀さんの「貧乏神」でした。私は小学校の頃から演芸が大好きでラジオの演芸番組をいろいろ録音していました。まだビデオは無かったのでテレビの演芸番組ではイヤホン用のジャックからカセットレコーダーの入力端子につないでテレビの演芸番組の音声だけ録音していました。なんともマニアックな変わった小学生でした。ただ東京の下町生まれ下町育ちなので上方落語にはなかなか馴染めな
若手の頃はアナウンスの勉強会で放送現場の見学に行ったものです。NHKの人気公開番組「のど自慢」の見学にも行きました。当時は宮川泰夫アナウンサーが司会でした。放送が始まる前にまずフロアディレクターが登場し番組の説明や拍手の練習などをして本番の数分前に宮川アナウンサーをステージに呼び込みます。観客の皆さんは拍手の練習では普通に拍手をするだけですが宮川アナウンサーが登場すると「テレビに出ているいつものアナウンサーだ!」という熱気が加わります。その後の軽妙なトークでさらに盛り上がってそのまま本
私も様々な場で司会や講師をする時にまず自己紹介をすることになります。顔の知られた有名アナウンサーなら自己紹介をしなくてもいいでしょうが私はまず自分がアナウンサーであること、元NHKアナウンサーであることを伝えます。私が赴任したことのある青森県や石川県なら「あぁ見たことある」という反応がありますがそのほかの所ですと「見たことないなぁ」という微妙な反応になることがあります。それはさておき自己紹介のために自分を紹介する材料を整理しておくことをおすすめします。まずはとにかく思いつくままに書いてみ