ブログ記事3件
静岡県浜松市水窪については9年前、当ブログ(ビバ!水窪(MISAKUBO))に書きましたが、関連する記事を見つけましたので引用掲載します。https://youtu.be/uvNnX0WgvMA9,061回視聴2024/07/06この石は水窪石と呼ばれ展示されているのは、静岡県天龍区水窪町の伝承の里奥山郷水窪民族資料館です。紀元前600年頃の縄文遺跡から出土したこの石は、古代フェニキア文字が刻まれていました。解読する
「日本人シュメール起源説」の謎Quote(Clickhereここforthefulltext.)【AseriesofshockingdiscoverieshavebeenmadeintheJapanesearchipelago.】First,aseriesofstonesengravedwithstrangepatterns,or"petrographs,"werediscoveredonHikoshimaIsl
(・`ω・´)💡⬇️こちらの記事から続きます弥生文化を受容するか否かは、縄文人が決めた❗稲作文化は浜名湖でピタリ止まっていた(・`ω・´)💡水田稲作はBC1050頃に北九州に到達。日本書紀の神武東遷の時期にあたるBC650頃に近畿に到達。BC500頃に愛知県東部まで伝播しましたが、刻目突帯文土器【きざみめとったいもんどき】、遠賀川式土器【おんががわしきどき】と共に、愛知県と静岡県境付近で東進が止まってしまいます。関東を飛び越え、BC300頃、おそらく日本海側の交易ネットワークを
水窪民俗資料館に展示されている「水窪石」水窪石は昭和35年に水窪町の水窪遺跡(縄文時代の遺跡)から出土している。石には記号とも文字とも判別が付かない模様が刻まれている。同年に静岡県立天竜林業高校の池本教諭が水窪石に関する調査を発表したらしいが、神代文字の刻まれた縄文時代のペトログリフとして多くの研究者が解読を試みたが結論は未だ出ていないようだ。最近では「古代フェニキア文字」が刻まれているという説が有力のようで、「バルーツ(女神)ガシヤン(男神)に奉る」と書かれてい
山王峡OLYMPUSOM-DE-M5M-systemG,ZUIKO55mmF1.22015年撮影山王峡温泉しらかば荘しらかば荘付近で水窪川の支流白倉川に合流する戸中川を水窪ダムまで遡っていくと、そこは天下の秘境、山王峡立ち入り禁止のその奥には絶景が…長野県境に近い浜松市最奥の秘境、山王峡昭和36年に廃線となった水窪森林鉄道の路盤を利用して整備された山王峡遊歩道。落石の危険があり、現在通常はゲートでふさがれ通行禁止になっている。そこにあるはず