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北日本地区では初雪のニュース関東地区は良いお天気の本日東京山手線内の中心部の後楽園若い頃、東京メトロ丸の内線の後楽園駅を利用していたが、『小石川後楽園』には今回初散策小石後楽園江戸時代初期の寛永6年(1629年)に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房(よりふさ)が江戸の中屋敷(明暦の大火後に上屋敷となる)に築造2代藩主・光圀の修治により完成した江戸の大名庭園として現存する最古の庭園小石川台地の南端に位置する起伏に富んだ地形と自然林を活かし、日本各地の景勝を模した創設者頼房の庭造りを受け継ぎ
ぐるっとパスで小石川後楽園元は水戸徳川家の屋敷があったところさすが徳川御三家❣️素晴らしい庭園何年も前に園内の飲食店で持ち込みの食事会を企画したことがありましたがその店は今日は貸切ランチしたかったのですが残念!またの機会に紅葉にはまだ早かった四季折々に訪れたい庭園です♪
こんにちは11月に入り、クリスマスや年末に向けての季節になってきた感じです。また、気温も朝晩はぐっ~と下がり涼しさから寒さが身に染みる季節になりました。紅葉も見ごろかな~。機会があればドライブに行きたいな~と思うこのごろです。今回の城紹介は「水戸城」です。千葉の佐倉城からは、国道296号を約47km走行し、東関東自動車道の佐倉ICから潮来ICまで高速を走り県道、国道で水戸城(茨城県)へ・・・▼水戸城周辺マップ(ネット上のマップ抜粋
皆さんは薬を使う時って罪悪感ありますか?薬を、使用することなったらせっかくならいいイメージでやりたいとおもってぶわーって効いてるみたいな私は自分の嫌だと思ってる薬を使う時はそれがイメージできなかったりします💦そういえば薬のことを調べたら水戸黄門の印籠ってピルケース薬箱だったんですね💊水戸徳川家の藩主、黄門様こと光圀公(みつくにこう)は、藩医に命じて『救民妙薬』というくすりの本を作らせたそう私の幼稚園の時の好きなテレビ番組は水戸黄門でした!いつも同じパターン
先日、小石川後楽園へ行ってきました!東門内庭唐門大泉水天気が良く水面に反射する景色も素敵でした✨ヒガンバナとカモ一つ松円月橋通天橋時期的に見頃の植物はあまりなかったですが庭園ならではのゆったりとした時間、メインの大泉水の景観など素晴らしかったです👍
台東区松が谷の広大寺から西浅草の清光寺へ移動します🏃🏃🏃清光寺の山門長谷川一夫さんの碑が有ります長谷川一夫さんて言えば、私は銭形平次演じた俳優さんしか分かりません勿論、リアルタイムでは存じ上げません😅清光寺と長谷川一夫さんの関係って!?本堂浄土宗寺院の清光寺は、田中山徳生院清光寺と号します清光寺は、文禄3年(1594年)信誉了公が駿河国田中に乗願寺として創建しました寛文5年(1655年)頓誉により清光寺と改め、江戸馬喰町に移転この時の開基は、水戸藩主徳川光圀でしたその後
本日、久々にお水取りに行って参りました。方角は北東。教えて頂いていたのになかなか伺えなかった松戸神社、やっとご縁を頂きました。(*^-^*)水戸徳川家の崇拝を受けていたというこの神社、地元の方達にもずっと愛され続けてきたのでしょう。誰をも受け入れて下さる懐の深さを感じました。手水舎の脇にもこんなにきれいなお水が‥‥でもお水を頂いたのはもっと大きな龍のお口から‥‥柔らかでとてもおいしいお水でした。お水を頂いた後、暫くそばのベンチで休ませて
曜変天目と称することが出来る天目茶碗は日本に3碗で、これらは福建省の建窯で焼成されたと言われています。中国は無論、世界中にこれら3碗しかないと言うスーパーレアで国宝です。これら3碗とは、誠嘉堂文庫美術館所蔵:徳川将軍家所有から家光が春日局、淀藩主の稲葉家へ、その後、三井財閥から三菱財閥へ伝世された。藤田美術館所蔵:徳川家康から水戸藩の徳川頼房へ、その後、藤田財閥へ伝世。大徳寺塔頭龍光院:堺豪商、津田宗及からその子で大徳寺の住侍江月宗玩へ、以来現在に至る。黒田長政の伝世の説があるが不
武田信玄を敬愛した家康。武田家が滅んだ後、遺臣千名を家臣に召し抱えます。武田家を再興するため、信玄の娘、信松尼を側室にしようとしています。身代り的に穴山信邦の妻を差し出しています。信玄の娘と信じられていたようです。下山殿を側室にして生まれたのが5男信吉です。後に武田七郎信吉と名乗りますが、21歳で亡くなります。水戸25万石は末弟頼房が継承し、後に、水戸徳川家となります。
AKI*HANAです牛嶋神社うしじまじんじゃ【うしのごぜん社】御祭神須佐之男命すさのおのみこと天之穂日命あめのほひのみこと貞辰親王命さだときしんのうのみこと「徳川御三家」水戸徳川家の江戸下屋敷小梅邸があった場所らしい三輪鳥居をみてあらまぁ…さらには境内の鳥居の位置にあらまぁ…ここ墨田の向島にはいろんな面で特徴的な牛嶋神社が鎮座しています境内にアートが🤭LOVEアート💕社紋も素敵✨下町の雰囲気バリバリ出ています🎵続く(*´艸`)『202
前略、常陸太田市瑞龍地区瑞龍山へ行くのは小学生時代以来到着しましたが閉門状態ここは、水戸徳川家代々の墓徳川光圀公(水戸黄門)も祀られていますWikipedia引用現在は一般公開されていないようですそれは、東日本大震災の時に墓石倒壊甚大な被害を受けて10年以上経つ今も復旧に努めている模様です主人公の水戸黄門はテレビで有名ですが徳川光圀公日本史においては、存在が薄い感ご覧のとおり本来は一番右の頼房の下に名前が入るはずですが割愛されていますよねー門から内部を覗くも雑草
※和意谷池田家墓所「五のお山」案内標柱※和意谷池田家墓所「五のお山」池田茂政公、正室万寿子の墓所・・・向かって左(奥)が茂政公、右(手前)が万寿子の墓です池田茂政公、万寿子の墓戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)
徳川頼房は、家康の十一男で末子です。1603年8月10日〜1661年7月29日、享年59才頼房は御三家水戸徳川家初代です。ちゃっかり頼房は、父の家康や十人の兄よりも多くの子供(11男15女)を作りました。水戸徳川家を継いだ光圀、高松藩頼重、守山藩頼元、府中藩頼隆、宍戸藩頼雄は、父の頼房より長生きして還暦を超えています。長男松平頼重(1622〜1695年、享年74才)讃岐国高松松平家(12万石)初代光圀の同母兄次男亀丸(夭折)三男徳川光圀(1628〜1701年、享年7
徳川頼房は、家康の十一男で末子です。1603年8月10日〜1661年7月29日、享年59才頼房は御三家水戸徳川家の初代です。家康三男の二代将軍秀忠より24才も年下であり、三代将軍家光(秀忠次男)の叔父になりますが、わずか1才上です。家康次男の松平秀康の長男忠直、次男忠昌、三男直政は、頼房の甥になりますが、頼房よりも年上です。頼房は、家康十男の頼宣の同母弟です。当初、家康は、秀忠の将軍家、九男義直の尾張家、頼宣の紀州家を御三家と考えていたようです。徳川頼房か、松平頼房にする
徳川斉昭(水戸藩9代藩主)1800年3月11日〜1860年8月15日享年61才正室は、有栖川織仁親王の末娘の登美宮吉子1804年9月25日〜1893年1月27日、享年90才斉昭は、8代藩主である兄の斉脩のスペア的な存在で、斉脩が亡くなるまで部屋住みだった。吉子も婚約時に27才になっていた。互いに晩婚で、境遇も似ており、仲のいい夫婦だったようですね。水戸藩10代藩主慶篤と15代将軍慶喜は、正室の吉子から生まれている。吉子は、享年90才と長生きしたので、側室腹の子女の面倒も
四月も後半に入り、新緑眩しい季節を迎えました。個人的に公私とも忙しなくてブログ更新も結構いい加減で申し訳なく思います。情熱が、なんて口にする前に疲れまくっておりました、心身ともども。常陸太田市にある「西山荘」を8年ぶりに訪れました。なんだか、数年前の台風の傷跡がまだ生々しく残されており、江戸時代のスローライフを別な意味で感じさせてくれました。それでも、グリーンシャワーの麗しさは時代を超えて現在のわしらの心身とも癒してくれます。パワーを吸収したい、ケミカルなものでなく、ナチュラルな
スターバックス鎌倉御成町店は藤と桜が綺麗ですよ🌸🌸🌸藤は六分咲きぐらいかな〜昨日開花状況🌸を下見に来たのだ近所の桜も満開🌸🌸鶴岡八幡宮へ段葛の桜旗上弁財天社へ白藤が咲いてました!いい香り〜ここの白藤は4月中旬から咲くそうですよぼたん苑の桜は満開でした🌸英勝寺へ鎌倉駅西口より徒歩15分木曜日休み初めて来ました💨徳川家康の側室「お梶の方(1578ー1642)英勝院」の菩提寺です英勝院が58歳の時に徳川家光より賜り建立された尼寺於梶さんは、家康と36歳差‼︎若ーー
皆さまご訪問ありがとうございます🌸『水戸市→偕楽園と好文亭』皆さまご訪問ありがとうございます水戸市偕楽園の好文亭に行きました。【徳川斎昭公は発明家】水戸の偕楽園に在る好文亭は湖や道路を見下ろせる場所に建てられています…ameblo.jp引き続き水戸市・好文亭です。【襖絵】水戸徳川家九代当主・斎昭公別邸偕楽園の中に在る好文亭の襖絵は見事でした。奥方様のお部屋は小ぶりですが、障子を開け放すと廊下までがお部屋の様に成り、広々として絶景だそうです。お殿様のお部屋は六畳位
急に思い出したんで、備忘録として。書かないと忘れちゃうんだよね〜最近😆まず、御三家徳川御三家の藩祖は神君徳川家康公の、九男徳川義直(尾張)十男徳川頼宣(紀伊)十一男徳川頼房(水戸)ちなみにそれぞれの2代目尾張光友紀伊光貞水戸光圀三人とも3代将軍「家光」より元服時に偏諱を賜り「光」の字を使用しています。水戸家は一番下の十一男、頼房の子光圀はあまりにも有名ですね。つまり光圀は家康の孫であり、三代将軍家光の従兄弟(光の字)でもあります。同時代の同じく尾張、紀伊のそれぞれ二
【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】常陸太田市西山御殿跡・西山荘水戸光圀の大日本史編纂の地今回は、「西山御殿跡・西山荘」を紹介します。西山荘は、水戸の御老公である、水戸藩2代藩主・徳川光圀の隠居所跡です。国の史跡及び名勝に指定されています。元禄3年(1690年)に建設され、隠居した光圀が元禄13年(1700年)に亡くなるまで、この地で過ごしました。光圀は、ここで歴史書『大日本史』の編纂に尽力しました。当時の建物は、野火によって焼失
マルです。宍戸藩士小幡友七郎と藩主松平頼徳の主従関係について、まとめてみました。まずは、主君松平頼徳について↓松平頼徳1831―18641846年父頼位の隠居により後を継ぎ、常陸国宍戸国9代藩主となる。1864年9月4日幕命により水戸藩主の名代として水戸藩内乱の平定のため水戸へ向かうも、市川三左衛門らに入城を阻まれ那珂湊にて交戦。同年10月28日幕府追討軍総括田沼意尊により賊魁の汚名を着せられ捕縛される。同年11月4日水戸藩支族松平萬次郎邸にて切腹させられる。享年
小石川後楽園国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた、築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)です。見頃時期には、大泉水の傍の「紅葉林」が水面に映る様子や「丸屋」周辺の紅葉が天井のように空を覆う景色が美しいとの事ですが・・・好天で暖かい日よりでしたが、紅葉の時期に少し遅く名残りの紅葉でした。
尾張徳川家の祖となった徳川義直徳川義直は1600年(慶長5年)徳川家康の9男として誕生。母は側室「於亀の方」です。徳川家康が天下人となって初めての子どもであり徳川家康の寵愛を受けたと言われています。徳川義直は1606年(慶長11年)に元服。翌年1607年(慶長12年)に死去した松平忠吉の死去に伴い尾張国清洲に移封して清洲藩主となります。その後、1616年(元和2年)に徳川家康が亡くなると名古屋城に入国。17歳という若さで尾張藩の初代藩主となり尾張徳川家を率いる立場となっ
BIRTHDAY記念の主人との鎌倉旅行の続きです円覚寺→明月院→東慶寺→イワタコーヒー店でランチの次は英勝寺に移動英勝寺は、壽福寺のお隣にあるお寺です太田道灌邸宅跡の石碑この英勝寺は元、太田道灌の邸宅跡地でした英勝寺の縁起案内板英勝寺の通用門こちらが拝観入口ですあれっ!?壽福寺側に閉まってる総門の写メ撮り忘れました〜😱境内案内図はネットよりお借りしました境内には特に案内図は無かった様に思います書院時折お茶会が開催され、お抹茶🧉が頂ける様です竹林入口報国寺ほどではあり
『女神のスリッパ~パフィオペディルム~』洋ランの中では珍しい着生しない少数派地上に根を下ろす地生蘭のパフィオペディルム「カトレア」「デンドロビウム」「シンビジウム」と並び、世界4大洋ランの1つ…ameblo.jp花調べパフィオペディルムパフィオペディルムen:PaphiopedilumPaphiopedilumミヤ・インディアン・ビューティーという品種とのこと。パフィオペディルム(パフィオペディラムPaphiopedilum)は、袋状の唇
翔んで埼玉か。翔んで茨城、やってくれないかな。茨城は御三家の水戸徳川家が治めた土地だ。水戸黄門は茨城の人だ。悲しんでるだろうな。魅力度ランキングでいつも下位の評価だけど、ちゃんと見てほしいな。茨城県の良さを知ってもらいたいな。ぜひ、翔んで茨城、やってくれないかな。元茨城県民より【人気1位送料無料】(生めん)Sugakiyaラーメン6食セット化粧箱名古屋の味和風とんこつ秘伝の味お店の味生めん寿がきやすがきや楽天市場${EVENT_
先月に行った小石川後楽園。紅葉には早かったが、よく晴れていて綺麗だった。水戸徳川家初代藩主・徳川頼房(よりふさ)が江戸の中屋敷に築造し、2代藩主・光圀の修治により完成した江戸の大名庭園として現存する最古の庭園。屋敷の裏にプライベートな巨大な庭園を作ってしまうという江戸時代ならではのもの。京にたいする憧れがあちこちに見られる素晴らしい庭園。光圀が今の後楽園をみたら、後にある高層ビルと東京ドームに仰天してしまうだろう。
小石川後楽園に行ったときに見た円月橋。水戸徳川家2代藩主光圀により、賓師(客分として待遇される師)として招聘された明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。水面に映る姿が満月のように見えるので、この名がつけられたという。その説明書きを思い出して、水面に映る橋も含めてシャッターを切ってみた。
週末ではないですがどうでも・・・良くない話題を。秋田の知事の発言開いた口が塞がりませんでした↓「じゃこ天は貧乏くさい」「酒もうまくない」と発言、秋田・佐竹知事「四国の方に心からおわび」【読売新聞】秋田県の佐竹敬久知事は、秋田市で開かれた会議の中で四国の料理や酒を「粗末」「貧乏くさい」などと発言し、25日に臨時記者会見を開き、「不穏当で不見識な発言だった。四国の方や県民らに不快な思いをさせ、心からおわびを申し上げwww.yomiuri.co.jp関ヶ原の戦いの後佐
NHK大河ドラマ『どうする家康』を楽しみに観ています91歳の友人宅でその話をすると「この家の家系は水戸徳川家の家臣よ」えっ?「とある戦で貢献したことにより家康様から家紋を賜わったのよ」ご自慢の家紋を見せてもらいました続いて「私の生家は松代藩の家臣で戊辰戦争の功労により俸禄をいただいたみたい」その証文の写真を見せてもらいましたえっ?徳川家と官軍???いや〜歴史は身近それはどのような人にも子孫はいるでも徳川家の味方と敵が時代を越え縁あって家族となっている面白い