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.ブロ友さんの記事を見て、今日は子供の日だと思い出しました^^こちらは水戸駅南口。千波湖沿いに歩いてくると、ここに出ますオサレなBICCAMERAですねこっちが水戸駅北口。4月14日でしたが既に鯉のぼりが泳いでましたバスロータリーがあるのも北口。梅の花のスペマバスですね水戸光圀御一行様ホテルで散策の疲れを取って、夕食の買い出しに再び駅へ夜になり、鯉のぼりの色が一層鮮やかに見えました黄門様も立ちっぱなしで大変そうお月様が出ていました夕食をGETしてホ
水戸に行きました。歴史のある街で池にはハクチョウがいました。常盤公園にいないのが寂しいな、と思いながらの散策でした。納豆ふりかけがありましたが、予想通り家族から却下、といわれたので買いませんでした(^-^;典型的な西日本人です。
こんばんは、天宮ですと、とりあえず!3月16日の日記を終わらせるぞ〜!!舞台は東白川郡矢祭町小さな踏切の向こうにそれはある踏切を越えて階段を降りておっと!吊り橋だけじゃなくて滝もある!久慈川にかかる、あまり高さのない橋風がある日で揺れました矢祭山駅、ホームが見える私はとりあえず、橋の突き当たりまでもうすぐ夕暮れという時あの木の歩道の先に滝があるが…今回も滝を見に行きませんでした吊り橋の突き当たりになんと!あの有名人が詠んだ句が!!「見ぬ人に何を語らんみちのく
英雄たちの選択「水戸光圀」を見ました。徳川家康の子・徳川頼房の水戸藩。その子の徳川光圀、またの名を水戸光圀の話。家康の末っ子に近い頼房の末っ子の光圀。周りは家康のひ孫の時代だが、一人家康の孫がいる。光圀は自由奔放に海外の作物を育てたり、巨大帆船を造ったりしても、幕府は見て見ぬふり。そんな自由奔放に振る舞えた光圀の人生を賭けた一大事業、国史の編纂を行った。一般的に年表形式の歴史書は編年体と言われるが、光圀は人の歴史を追った紀伝体。その国の軸となる人物の歴史である紀とその人物の周
今日の天気のち横浜の気温は17.9/14.4℃。一転肌寒い。UNIQLOフリースを羽織って過ごしました。これじゃ薄手の冬物を仕舞えないわね…。今日はお休みです。キッズ登校時間帯は雨が降っていましたが、止んだ隙に2週間分のプラゴミを持って行きました生ゴミはある程度減らせても、プラゴミはどうにもなりません。8:44本当は整形外科に行く予定だったのですがイマイチ天気も不安定なので明日にします。引き籠もって大人しく
ナンジャモンジャの白い花は、ほのかに良い香りが漂い、蜂も蜜を吸いにやってきてる。水戸光圀が諸国を巡ってる際に見かけ、この大木はナンじゃ?と問うたことから通称「なんじゃもんじゃ」と呼ばれるヒトツバタゴの木は大きく育つらしいが、20年ほど前に苗木を買って鉢植えにし5年ほど経ってから地植えにしたからか、ウチのはいじけちゃって大きくならない。同じ頃に鉢から植え替えた「めぐすりの木」は傘をさしたような新芽を伸ばしてこれの樹皮や枝葉を煎じて乾燥させたものが目薬になる
瞑想がもたらす大きな変化本日の誘導瞑想の”分かち合い”は42分45秒くらいから空で繋がる万倍瞑想水戸(徳川)光圀公の晩年のお住い「西山荘」のすぐそば一面満開の桜の西山公園展望台にご参加の173名の皆様ありがとうございました!!~展望台から眺望する辺り一面に広がる綺麗な満開の桜のように〜先ずは!日本中に「自身の純粋な願いそのままに、人生が溢れ拡がる人々」がみなさまのように「気持ちの良い朝の空の瞑想習慣を幸せにもってる方々」がたくさんたくさん生まれ溢れ拡がって欲しいなあと
常磐自動車道と北関東自動車道をひた走り、茨城県は大洗磯前神社(いそさき)にやって参りました。県道173号をまたぐのはでっかい一の鳥居。300mくらい歩くと二の鳥居ですが、反対側の海の方へ。狭い通り抜けると、磯に建つのが、、、神磯の鳥居です。こよなく海を愛する方がいるようですが、御祭神が降臨した神聖な岩礁です。足を踏み入れちゃあいけません。1,168年前、ここに大己貴命(*1)と少彦名命(*2)が降臨し「昔この国を造り終えて去ったが、民を救うため戻って
もう桜の季節ですが、少し時計を戻させてください・・・水戸は偕楽園やってきました梅の季節の偕楽園日本三名園の一つですね日本三名園(大名庭園)/ホームメイト(touken-world.jp)水戸と云えば水戸光圀・・・黄門様ですネ水戸光圀と云えば「大日本史」編纂で有名ですね。その藩を挙げての大事業大勢の藩士が全国に出張して調査をしたそうです・・・ただ水戸光圀(黄門様)は江戸と水戸の往復しかしなかったそうです・・・ともあれ、偕楽園は「梅」🌸訪れた2月、早咲きの紅梅が
昨日のblogの続きで〜す✨「偕楽園」でお弁当を食べてから、「徳川ミュージアム」まで歩いて移動🏃♀️またまた黄門さまとパシャリ📸お隣は、「徳川家康公」入館料が¥2500とちょっとお高めでした😅「偕楽園」内にある「好文亭」にも入館〜✨斉昭公が設計し、文人墨客や家臣、領内の人々を招き、詩歌や茶会を楽しんだそうです♡「水戸漫遊1日フリーきっぷ」の割引き入館〜👍「羽衣の松」「奥御殿」の2人の画伯による襖絵が素晴らしいです✨✨「桃の間」「つつじの間」「紅葉の間」「
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%BE%8C%E6%A5%BD%E5%9C%92小石川後楽園-Wikipediaja.m.wikipedia.org逆さ富士ならぬ逆さドーム以上、日曜ブラタロウ水戸黄門編の追加写真です300円で体験できる都心の江戸時代🌸が咲いたら是非!https://www.tokyo-park.or.jp/park/koishikawakorakuen/小石川後楽園|
https://youtu.be/LIzoRsCd_HA?si=uCWEiuv-k-BvHA0x遠き日の少年~唄堀内孝雄(アリスのメンバー)MusicalEntertainment/娯楽youtu.beTv東京系正月時代劇スペシャル「天下の副将軍、水戸光圀徳川御三家の激闘」主題歌https://www.uta-net.com/song/3231/「遠き日の少年/堀内孝雄」の歌詞って「イイネ!」「夏草の青き匂いに寝そべれば遠き日の少…」勇気をもらったり、泣けたり、癒されたり
最近続く地震から、茨城県の『鹿島神宮』が気になり、3/7奈良の大和国鹿島香取本宮に参拝してきました。↓最寄り駅は、近鉄奈良線学園前駅です。翌日、Y子も大和国鹿島香取本宮に参拝していました。Y子のお店のスタッフと一緒に行ったそうなのですが、なんとそのスタッフは、学園前在住だそう。学園前に住みながら、大和国鹿島香取本宮のことを知らなかったそうです。完全に呼ばれる流れになっていましたし、全て仕組まれています。ワタシがY子にバトンを渡すことも、学園前在住のスタッフを連れて行くことも。
偕楽園、県立歴史館から北へ向かって30分ほど歩いたところにあります。保和苑のご案内(公園緑地課)-水戸市ホームページ(mito.lg.jp)水戸光圀公が愛したという庭園。お寺の境内とつながっています。入ってすぐのところに金子兜太の句碑がありました。「白梅や老子無心の旅に住む」現在の水戸一高に通っていた金子氏が作った句だそうです。和風の庭園を過ぎると谷に下りて行く道がありました。斜面にはたくさんのアジサイが植えられています。保和苑はアジサイの
【整備済み品】【MicrosoftOffice2019&Win11搭載】超軽量PanasonicLet'snoteCF-SZ6■第7世代Corei5-7200U@2.5GHz/メモリ8GB/SSD512GB/Intel12.1インチ(FHD)(SSD512GB)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}おはようございます。気になっていた大谷翔平選手の結婚相手は、元女子バスケット選手の田中真美子さんでほぼ確定ですね?田中さんにそっく
日帰り旅行で水戸に行きました。まずは、臨時駅の偕楽園駅に着いて、偕楽園を散策。「江南所無」という遅咲きの梅。明から亡命してきた学者の朱舜水がもたらしたと言われています。朱舜水を招聘したのは水戸光圀(水戸黄門)です。梅で有名な偕楽園ですが、杉木立も美しいです。杉の足元の地面は熊笹で覆われています。弓材として植えられたと言われる孟宗竹の竹林もまた美しい。良学舎/豊四季駅前学習塾小学・中学・高校柏流山おおたかの森野田(goodstudy.jp)
今日は、水戸に行きました(^o^)千波湖畔の水戸光圀像ウメが満開ですこちらは、徳川斉昭と慶喜梅林偕楽園の斜面大日本史完成の地の碑梅まつりお祭りなので屋台がいっぱい出ています入園券を買うのにチョッと並びました9時35分帰りには、長蛇の列でした(*_*)入園料300円byXperia1Ⅲ
【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】常陸太田市西山御殿跡・西山荘水戸光圀の大日本史編纂の地今回は、「西山御殿跡・西山荘」を紹介します。西山荘は、水戸の御老公である、水戸藩2代藩主・徳川光圀の隠居所跡です。国の史跡及び名勝に指定されています。元禄3年(1690年)に建設され、隠居した光圀が元禄13年(1700年)に亡くなるまで、この地で過ごしました。光圀は、ここで歴史書『大日本史』の編纂に尽力しました。当時の建物は、野火によって焼失
今日は2024年2月27日(火)です。僕は旅番組が好きです。今朝は関西テレビの情報番組「よーいドン」を見ました。その中の「いきなり日帰りツアー」を見ました。今回は麒麟の田村さんが街で知り合った女性2人を誘って香川県の高松市を訪れました。高松城屋島などを廻りました。うどん県です。美味しい料理を食べました。===========僕は昔高松市に住んでいたことが有ります。会社は高松の中心街家は屋島に住んでいました。・・・なのでとても懐
デザインマンホールみとちゃん水戸市に前乗りで行ったときに遅めの夕飯を探しに水戸駅までホテルから向かう途中に見つけた水戸市のデザインマンホールみとちゃんご隠居‼️こと水戸光圀公の衣装に納豆を包んでいる藁を頭に被り梅の飾りをつけています。マンホールカードは水戸観光案内所で駅のすぐ側だったのね😅残念…今回気付かずゲットできませんでしたが、また水戸市に行った時はマンホールカードをいただいて帰りたいと思います。😊#デザインマンホール#みとちゃん#水戸市#水戸光圀#水戸観光案
願はくは花の下にて春しなむみなさん、おはようございます大切な人が亡くなりました願はくは花の下にて春しなむその如月の望月のころ(西行)西行のように2月の満月の日梅の花を観ながら旅立たれたのです最も美しい日に人間の生死を考えられたのかもしれませんアリガトウ「2月27日」の國史です「徳川光圀、大日本史編纂開始」明暦3年(1657年)徳川光圀は日本の歴史書大日本史の編纂を開始します水戸藩の事業として受け継がれ明治39年(1906年)に完
ラーメンの起源は正確には定かではありませんが、20世紀初頭に中国から日本に伝わったとされています。当初は「支那そば」として知られていましたが、時を経て「ラーメン」という名前が一般的になりました。ラーメンの起源についての一つの説は、横浜の中華街で中国人が日本人に対して初めて提供したというものです。第二次世界大戦後、ラーメンは日本国内で急速に人気を博しました。多様な地域ごとのバリエーションが生まれ、それぞれ独自の風味と特徴を持つようになりました。ラーメンの種類は大きく分
シンディです♥茨城のお土産をもらいました〜♥なっとう味スナック。梅味とからしマヨネーズ味の2種類。職場のみんなにもおすそ分け。さて、ここで問題です。みんなに好きな方を選んでもらったのですが、圧倒的に片方の味に人気が集中しました!人気だったのはどちらの味でしょう?そして、私は両方食べてみましたが、どちらの味が好きだったでしょうか?
水戸光圀山岡荘八著歴史小説実は徳川家康の孫である水戸黄門こと水戸光圀徳川家光の従兄弟であるが、舞台はお犬様で有名な五代将軍綱吉の時代徳川御三家の中で御意見番である水戸藩の苦悩を描く歴史小説の面白さは政治の駆け引きにある
1月30日その2出来事1810年(文化6年12月25日)-『大日本史』が江戸幕府に献上される。水戸光圀により開始され、完成は明治になってからぢゃの〜。1972年-パキスタンがイギリス連邦から独立1988年-漫画家コンビ・藤子不二雄がコンビ解消を発表。
「奥の細道」謎解き紀行最終回童謡『とおりゃんせ(通りゃんせ)』は、恨みの中で亡くなった道真の怨霊封じの唄ではなく、「天界へと続く細い道=カッバーラの奥義を理解できぬ者は通さない」と「八咫烏」が告げている唄であった。そう、奥(義)にたどり着く道は細くて長いのだと理解せよと烏が鳴いているのである。実際、江戸時代までは、中途半端な知識で奥義を知ろうとした者には容赦なく、八咫烏は目を潰す、耳を切り落とす、口が聞けぬようにする、ということをやっていたらしい。これが八咫烏の「見ざる言わざる
「奥の細道」謎解き紀行その25日本人が日本の最高神・天照大神へと回帰する道が、『奥の細道』の正体だった。水戸光圀(河合曾良)に同行したのは、表向きは「俳諧師」だったが、正体は秦氏系忍者だった松尾芭蕉である。「俳」の字には「さまよう(あてもなく歩きまわる)」、「ぶらつく」という意味があり、同意語は「徘」、つまり「徘徊」(はいかい)ということだ。全国を徘徊して、各地の情報を収集していたのである。◆「松尾芭蕉」という暗号江戸時代には表向き忍者は存在しない。「虚無僧」(こむそう)
「奥の細道」謎解き紀行その24『奥の細道』の本当の終着点は伊勢神宮だった。タイトルの”奥の細道”とは「至福千年」へとつながる細い道で、そこに至るにはカッバーラの奥義たる「生命の樹」を昇らないとたどり着けないという意味が込められていたが、それは「神道=原始キリスト教」の奥義であり、神道の宗廟こそが伊勢神宮なのだという暗号だったのである。だからこそ松尾芭蕉と河合曾良(水戸光圀)は、伊勢遷宮の真っ只中に伊勢を訪れたのである。江戸時代、「一生に一度は伊勢参り」と言われるほど、庶民にとっ
「奥の細道」謎解き紀行その23「奥の細道」とは「至福千年」へとつながる細い道であり、そこに至るにはカッバーラの奥義たる「生命の樹を昇れ」というメッセージが隠されていた。まさに「和」の暗号でえあった。「奥義への道」それが「奥の細道」の正体なのだ。その「細道」の終点は、岐阜の大垣とされてきたが、本当の終着点は伊勢神宮だったのである!松尾芭蕉と河合曾良(水戸光圀)は、表向きの終着点「大垣」で、八咫烏の遣いである「八十村露通」という忌部氏の男に約束のもの、「ヨハネの黙示録」を含む『新約