ブログ記事29件
「喉に貼るパッチ」が開発!?友人がこんな記事を送ってくださいました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の生物工学助教を務めるJunChen氏が咽喉がんの手術や声帯ポリープなどの影響で声帯が使えなくなってしまった人でも話せるようになる「喉に貼るパッチ」を開発!!https://gigazine.net/news/20240313-throat-patch-speak-without-vocal-cords/声帯を使わなくても話せるようにする方法!!何でもシリコンにマイク
昨日は定期検診でした。1年に1回のCT検査もしました。結果は無事に異常なしでしたこれで6年経過しました!次は7年目スタート再発もなにもなく10年クリアできるといいなぁ
6年前の気管がん切除手術から9月12日で丸6年を迎えます。「気管孔」と言うのは、喉頭がんや私のように気管がんの手術で呼吸をするために喉や胸に制作した息をするための穴です。私の場合は気管の大部分を切除し残せた気管がわずか5cmしかなく喉まで届かないため、鎖骨、第一第二肋骨、胸骨を切除して、胸に気管孔を作っています。「気管癌」自体珍しく、骨を取って胸に気管孔を作る手術も出来る医師が少ないと聞きます。千葉県鴨川市の亀田総合病院で岸本医師、野守医師によるこの手術を受けてから間もなく6年
がん宣告から今日までのまとめ(14)【永久気管孔について】私が受けた手術は、「腺様嚢胞癌」に侵された気管切除、呼吸をするための「永久気管孔制作」、癌浸潤による「喉頭部全摘出(甲状腺・声帯を含む)」、癌が浸潤している「周辺リンパ節摘出」というものでした。「気管癌」というのもあまり聞かないし、「腺様嚢胞癌」なんて癌は初めて聞きました。そして、その唯一の治療法が「永久気管孔制作」。これも初めて聞きました。しかも、喉ではなく、胸骨、鎖骨、肋骨を切除して胸のど真ん中に作るというのです。術後5年が経過し
がん宣告から今日までのまとめ(6)『私が受けた手術』「I’mback!!手術成功の報告!!」(2017年09月15日のブログより)I’mback!!生きていました!!術後、ICU、HCUを経て一般病棟に戻り、チューブだらけの体ですが、やっと何とかスマホを操れるようになりました。そんな体で、術後10数時間でチューブだらけの体で早くもリハビリが始まりICU内を歩かされました。今は回復を早め、合併症をふせぐためにそうするとは聞いていましたが、これには流石にびっくりしましたが頑張っ
2017年10月に手術して5年経過しました。今日定期検診の日で無事に5年目クリアしました子宮頸がんの検査のほうは軽度異形成だったので、経過観察で大丈夫とのことでした。何度も検査してるうちになくなることも全然あるそうなので、ひとまずよかった
今日は半年に1回の定期検診でした手術してから丸4年経過しました。久々に造影CTもしました結果は以上なし。再発もなし。よかったーこれで無事に何事もなく5年目を迎えることができました今はやりたいことがいっぱいあり、恋愛も楽しんでいるのでこれから先もなにもないといいなー
これは、お互いの癌罹患宣告から現在までの経験、知識からの考えです。あくまで患者である二人の独断と偏見ですが誰かの参考になることもあるかもしれません。【BIGTOEの考え】《治療法について》○3年半色々な方の治療法、情報を見聞きしてきたが、こと腺様嚢胞癌に関しては西洋医学での有効な抗がん剤がない、放射線も効果は限定的ということから、もしかすると化学治療はしないほうが長生き出来るのかもしれない。○重粒子線治療、抗がん剤治療、分子標的薬治療などの化学治療は、治療の副作用によるダメージが
★希少な気管腺様嚢胞癌への対応を患者の立場で語りあう★1◎この病気は医者には治せない。ならば自分で何とかするしかない。(I氏)◎治療法がないなら時間を稼ぎ、運動と食事で免疫力を高めよう。(BIGTOE)◎俺たちは決して「完解」を諦めない。これは、個人の見解、自分自身が今後どのように癌に対峙するかの指針をまとめるものです。《希少な気管腺様嚢胞癌》「腺様嚢胞癌」自体数十万人に一人と言う「希少癌」なのですが、発症部位が気管である「気管腺様嚢胞癌」となるとさらに希少で、私が癌宣告を受けて
今回の手術で知ったこと。3年前の「気管癌」の手術後、主治医から今後、転移の可能性が高いこと。一番可能性が高いのは「肺転移」と聞いていました。腺様嚢胞癌患者会「TEAMACC」の仲間の状況を見ても最も多いのが肺転移です。今回の肺転移発覚で主治医と交わした会話の中で知ったことですが、肺は胸膜という膜で覆われその周囲は肋骨で守られています。(私の場合、鎖骨、第一肋骨、第二肋骨が無いので咳をするとカエルの喉のように大きく胸の上部が膨らむのですが、肺が膨らんでいるのですね!!)肺は、胃や肝臓
ここ数日で一気に過去に遡ってブログを書きましたが、抗がん剤治療は7/28日に入院してから3クールが終わっています。明後日最後となる4クール目が始まり入院するので何とか追いつきました。4クールで終わるのは少ない方なんじゃないかな?まさか血痰に気付いてから抗がん剤治療までやるなんて思ってなくて、早期発見で手術したら終わりだと思っていたのに、今こんなに体がだるいとは。抗がん剤治療の後遺症がどのような感じなのか今度は細かく更新していこうと思います。書いていない内容は多々あります
7月10日(金)手術して切除したがん組織の結果を聞きに行きました。手術後に何もしない可能性は低いと言われていたのに、すっかりそんなこと忘れていてもう仕事復帰するつもりでいました。受付をして診察の予定を見ると予定のなかった内科が追加されていました。入院中、もし追加治療がある場合は外科から内科にバトンタッチすると言われていたので放射線をやるんだなぁと悟りました。何だかショックー。切除した気管の断面に癌細胞があったということでした。顕微鏡レベルでまだ細胞が残っているだろうという判
6月20日(土)退院しました。限度額適用認定証のおかげで入院費の支払いも57600円と食事代だけで済みました。意外と食事代が高くつき、一食460円もするので一日1380円もかかります。自腹はレンタルパジャマ、テレビや冷蔵庫のカード代くらい。入院中は看護師さんに感謝しきれないほどお世話になって幸せでした。呼吸器外科で何年も働く看護師さんにこんなに大変な手術をした人は初めてと言われ、私が入院する前から、皆で枕をどうしようかとか考えてくれていたようです。確かに立派な枕を使わせて
6月18日(木)切除した気管がくっついているか気管支鏡検査して確認できれば退院です。人生3回目の気管支鏡検査。今回も意識のないまま無事終わりました。結果はちゃんとくっついてました!よかったー。それにしても、今回の、気管支鏡検査は終わった後眠くて眠くて。終わった後に出された夕飯も口の中に含んだまま寝てしまって、看護師さんに何度か起こされては食べての繰り返しでした。
6月11日(木)入院してから初めてシャワーを浴びる事ができました。頭の固定を外して髪の毛を洗う事ができて生き返りました。この固定をすると首が痛くなって自由に動けなくなるから歩くときはもう外してました。先生の許可を得た訳でもないけれど・・・。気管がくっつくまでは首を後ろに倒さないようには気を付けてました。この後、18日までの数日間は変わったことも無く過ごしてました。お見舞いもコロナの関係で制限されてるし、入院中の不便もないから家族にはなるべく来てもらわないように。それでもやっぱり
6月10日(水)今朝撮ったレントゲンの結果が良くて、午後みぞおち辺りに挿入されたドレーンと、背中に刺された痛み止めのチューブを抜くよって先生が来てくれました。ドレーンが抜かれる様子をじっと見ていたら麻酔の注射針がかなり奥の方まで入っていったので、思わず「うわぁっ」と声が。麻酔ってすぐかかるね。痛みなく抜けて一安心。その後に縫ってもらうのも見ていたら、先生が「見ない方がいいよ。あんまり気持ちいいもんじゃないから」と。見たかったけど目をそらすことに。興味あるけど見てたらきっと声が出てただろう
6月9日(火)手術後初の洗髪。1週間お風呂にも入らずねっとりした髪の毛、洗ってもらいました。頭を後退できない中での洗髪は看護師さんも初めてだそうです。頭の固定が外され久しぶりの開放感。これを機に自分で固定を緩めたりできるようになりました。首を伸ばさないように下を向く体制は守りながらね。嬉しいことに、右手の点滴が外されまた少し自由に。今日は右の胸が痛い。なぜだろう?それをラインで姉と話してたら、どうやら手術中に右肺の上の方に何かは分からないけど固いものがあったから切り取ったそう
6月6日(土)手術後麻酔のチューブで擦れたのか口内炎ができていたけどもう治ってました。こんな感じで傷も治っているんだと思うと人間の治癒力って大したもんです。とは言っても胸の真ん中切っているので自由に動くことができず、頭を後退しないようにサポーターで固定されてるから首が痛くて辛い。幸い痛み止めのおかげで術後の激痛は免れてます。痛くなったら自分で1プッシュすると背中から痛み止めが注入されるという優れものがあり。これがあるから痛くて眠れなくてもナースコールしなくてもすみます。胸骨を
6月5日(木)ICUからお昼前に病室へ戻りました。お昼ご飯は気持ち悪くて食べられず。「食べないと回復が遅くなるよ」と先生に言われて夕飯は頑張って食べました。この日は歩くのが目標だったけど無理そうなので立つだけになりました。ICUにいる時も一瞬だったけど立ってみたんでした。術後に動くことで回復が早くなるんだそうです。体の真ん中と右脇の2か所にドレーンのチューブが入っていていましたが、右脇のチューブは午後から抜いてもらえました。手術の間どうだったのか家族に聞いたところ、
5月26日呼吸器内科に続き呼吸器外科で手術についてのお話を聞く。診察室に入ると先生が、「ちょっとびっくりしたねぇ。気管に癌ができるって珍しくて滅多にないよ」と。でもそんなに大きくないし、気管の下の方に腫瘍ができていて範囲も狭いから手術で採れそうな気がする。右開胸でいけるんじゃないかと。気管を切除するから麻酔方法は難しく、普段やらない操作を麻酔科の先生に特殊な方法でやってもらう事になる。あと気管はたくさん切れなくて切る長さが限られてくるから、それ以上無理と言う場合には
今日は朝から絶食してPET造影検査を受けてきました。がんを罹患した人、家族にがん患者がいる人では当たり前のこの検査ですが、そうでない人にすれば「PETって何?犬・猫・昆虫?」となるでしょう。私はそうでしたから(笑)。核医学検査の一種であるPETとは、「PositronEmissionTomography(陽電子放出断層撮影)」の略で、放射能を含む薬剤を血管から注入して、約1時間の安静後に全身のCT撮影を20分行ない画像化するというものです。PET検査は、がんや炎症を起
3年前の今頃は手術を終えて集中治療室で痛みと戦っていました。手術自体の痛みは数種類の痛み止め効果で思ったほどではなかったのですが、チューブだらけで身動きできない為の背中、腰の痛みには効かないようで、その痛みは想像以上でした。そして、今日で賢人に生まれ変わって丸3年。賢人3歳の誕生日を迎えることが出来ました。これも亀田総合病院の頭頸部外科岸本誠司先生、呼吸器外科野守裕明先生、ツォン先生、ハーパーさん、看護師さんなど治療に関わってくださった人たち、足しげく千葉県鴨川市まで通い来てくれ
八方塞がりの現実に向き合って声をあげる!!今朝の朝日新聞の「声」への親友か~ささんの投稿です。私が亀田総合病院に入院し、手術、放射線治療を受けていた一番苦しかった頃に私のブログを読んで連絡をくれたのがか~ささんでした。彼女も私と同じ「腺様嚢胞癌」という希少癌が「気管」に発症し、治療を受けていました。癌を宣告されて手術を受けてからもうすぐ3年を迎えますが、腺様嚢胞癌が気管に出来た方には5名しか出っていません。「気管腺様嚢胞癌」・・・希少中の希少ということです。それぞれの治
今日は定期検診で8ヵ月ぶりにCTを撮ってきました。結果は異常なしでした病院はコロナの影響なのか、すごい空いてました。次回の診察は、4ヵ月後です。4ヵ月後は、手術後ちょうど3年ですたぶん大丈夫だろうと信じてます
ブログを始めてから、私の癌の種類がACCと呼ばれていることを知りました一度ACCカフェに誘われたことがありましたが、みんなの話を聞くのが怖くて、勇気がなくて行くことができませんでした…いつか行ってみんなの話しを聞いてみたいな
医療センターは、手術後すぐに退院しました。そして、はじめに入院していたK総合病院で病理検査の結果を聞くことになりました。私の中では、たぶん癌だろうなと思っていました。病理検査の結果は2週間後に聞くことになっていて、その期間は癌だったら子供達はどうしよう…私が死んだらこの子達が可哀想。この子達には私しかいないのに…子供が辛い時とか私が支えてあげたいのにそれができないかも…と思うと、悲しくてたまらなかったですもう、鬱状態になってました。夜も寝れない。うたた寝もできない。ほん
■2016年4月15日(金)運命の日。まさかこんなことを聞かされるとは思ってもみませんでした。当日、病理の結果を聞きに病院へ訪れました。しばらくすると、担当の先生から呼び出せれ、妻と2人で説明を聞きに行きます。診察室に入ると、たくさんの人がいてビックリしました。呼吸器科と耳鼻咽喉科の先生、看護師等。とても重苦しい空気だったことを今でも覚えています。やばい、と直感で悟りました。妻も同じ気持ちだったと思います。すると耳鼻咽喉科の先生から、「落ち着いて聞いて