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選択肢のなかった進学こんな家庭の中早く、大人になりたい早く、家を出たいそんな気持ちがどんどん大きくなっていきました。しかしながら進学に関して親は「大学へ行け」の一点張りで私の自由はありませんでした。「大学に行きたくない」といえば、「家を出て行け」と言われ「ここまで育ててやったのに」と恩着せがましい言葉を山ほど投げつけられました。当時、弱かった私にとって「大学へ行く」という選択肢を選ぶ事しかできなかったの
家に帰りたくなかった高校時代高校生になると私は友達や彼氏の家をはしごして数日間、家に帰らないこともしばしばでした。規則に厳しいはずの父はやはり私に興味がないのか外泊に関して一切、触れられる事もなく怒られることもありませんでした。母親は心配したり、怒ったりするものの所在地を知っていても一度も迎えに来ることもありませんでした。なぜ迎えにこなかったのか?と大人になってから聞いた理由は「言うことを聞かないのだから、仕方ない」でした。(今思えば、子供が
私たち兄妹は目の前の問題から逃げることしかできなかった私たち兄弟3人はそんな中で育ったからか長兄はひきこもりがちになり、不登校に。長兄は幼稚園の頃から、不登校気味で小さな頃から、まともに学校に通えませんでした。次兄は学校で度々問題を起こしておりクラスメイトをいじめたり学校内のガラスを割ったりと母はいつも学校に呼び出されていました。私はできるだけ家族と過ごさないように隣の叔母の家へよく逃げていました。幸か不幸か
しつけという名のDV我が家の家庭環境は常に「怒られる、殴られる、卑下される」という恐怖で押さえつけられた家庭でした。今考えると、まさにDVですよね。私たち兄妹は食事中食べ方・箸の使い方・会話において本当に注意深くまさに恐怖に怯えながら、食事をしたものです。食事中のマナーは大切なもので箸の持ち方や食べ方など注意される家庭は少なくないと思うのですが我が家がおかしいところは昨日は怒られなかった事が今日は父の
家族みんなアダルトチルドレン父からの攻撃が多かった二人の兄はまさに絵に描いたような「アダルトチルドレン」二人とも、いまだ乗り越えることができていません。長兄(現在40歳)は、学生時代は登校拒否期間が長くなかなか就職できず今現在も無職。もちろん未婚。自分がAC(アダルトチルドレン)であることすら目を背けています。次兄(現在38歳)は学生時代はかなり荒れていて学校でよく問題を起こしていました。今は、
私の親は毒親だった。私が毒親という言葉を知ったのは5年ほど前のことです。それまでは両親に違和感を感じてはいたもののまさか自分の親が「毒親」とは思っていませんでした。「毒親診断」をしたときに初めて自分の親が「毒親」ということに気づきました。そう考えて、幼少期のことを思い出すといろいろ思い当たる事ばかり・・思い出しながら自分の体験と乗り越えることができた経緯を少しずつ書いていこうとおもいます。私の幼少期幼少期はそれな
私が今まで毒親に関することを調べた内容や書籍「毒になる親」から引用し「毒親診断」の設問を記載させていただいています。以下の質問は毒親を持つ皆さんにとって辛いことかもしれません。気持ちが落ち着いている時に行っていただくことをオススメいたします。では、早速始めていきましょう。ーーーーーーーーーーーーーーーーー前回の続きです・・④あなたは大人になってからよく、次のように感じることがある1.完全主義で、いつも何かに追いかけられているよう
私が今まで毒親に関することを調べた内容や書籍「毒になる親」から引用し「毒親診断」の設問を記載させていただいています。以下の質問は毒親を持つ皆さんにとって辛いことかもしれません。気持ちが落ち着いている時に行っていただくことをオススメいたします。では、早速始めていきましょう。①あなたが子どもの時1.親の言うことに疑問を投げかけたり同意しないことは許されなかった。2.親から過剰な期待をかけられたり自分には達成できないようなことを強いられ、強