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毒親って、「愛し方が下手な女」なだけだよな(・∀・)笑。愛し方下手すぎてwww子供にうっとしがられてる(´;Д;`)笑。毒親って「毒」言うから、笑。悪いものなイメージあるけど。毒親にインタビューしたら、たぶんわかるだろうけど。笑。ナリ「毒親さん、こんにちは。」毒親「ブンブン!ハローYouTube♪♪毒親です!」ナリ「毒親さ
彼氏ᒼᑋªⁿ♥︎にブログのこと伝えてしまっているわたし(*ˊ˘ˋ*)母には絶対に言えないけれどね🤣結構、なんでも打ち明けるタイプのわたしですσ(・ω・`)自信がとにかくないので、「これで大丈夫かな❓」「これっておかしい❓」「これって普通なの❓」「これって変❓」聞いちゃうわたし...💦そう聞いてしまうことについて普通に嫌がらずにこたえてくれていつも正論言ってくれる彼✋ありがたいな😭って思います。
まず何から書き出そうかと思った時に18歳で家を出ようと決心し家に残された妹たちが順にその「対象」「ターゲット」となるまで母が「毒親」であり私が肉体的暴力、精神的暴力を受けてることなんて誰にも気づいてもらえず、18歳未満の私が逃げ出したところで母親の元へ連れ戻される可能性が高く結局は我慢するしかなく(1度、一か八かのチャレンジはしてみたものの失敗し余計にひどい目にあった)周りへは「私が言う事を聞かない悪い子」「家のことを一切やらない悪い子」だと吹聴し、精神的にも逃げ場
毒親ブログからの卒業毒親についてブログに少しつづっていましたが、思っていたよりもネタが少なめでした。笑何かのきっかけにいろいろ思い出すことはありますが、わざわざ昔の傷を塩ぬらんでもというわけで、イやなことよりもこれからのこと書きたいので、かってに卒業・・・卒業といいつつも、つい最近ホットなネタが入ってきたので、ここで書き終えてから卒業しますッ!先日、毒親からの手紙が届きました。もちろん借金のお願い・・・(おかねのことのみ)届いた日は、子が入院することになってバタバタ
(2021年3月掲載の記事を一部修正しました)まず、起こった事を時系列で書き出そうと思う。2週間~1ヶ月前だったと記憶しているが、妹から「チビ(末弟:現役JW)から連絡あってさ。久々に話したいから長男弟(排斥)の連絡先教えてって言われたんだよね。一応長男弟にも許可取って教えたけど、なんだろうね」と報告があった。その時は「へー、そうなんだ。母親の指示でお金せびられたりしないといいけどね」程度に思っていた。そんなことがあった事すら忘れそうになっていた頃「末弟の件で相談が」と妹か
イエスの言葉だった記憶があるが、ブログタイトルのような聖句があった記憶がある。多くの宗教で説かれている『してほしくないことは他人にはしない』に通じる言葉だ。人の傾向として、人を裁く・断罪する考え方や行いがある。私も決して例外ではないと思っている。一昔前、『世の人』を『ヤギ』『羊』と決めつける風潮がエホバの証人内であった。ヤギは滅びの側にいる人、羊は救われる側の人を表す比喩だ。例えば奉仕活動の際、断ったり反対する家の門から出たときに「今の人は『ヤギ』だ」という会話をするなど、要は
わたしの友人の母も毒親なようで、うちの毒とやっぱり考え方が似ている気が毒は大体同じなんだと思う、思考が子どものうちに散々しておいて、いざ逃げようとしたら、逃げられないようにする(金銭的な制約などで)結婚などで、離れていかないように暗示をかけておくもし結婚したら、自分の手の届く距離に住むように言う離れていこうもんなら、今まで育ててやった恩を忘れて男に狂いやがって、この恩知らずがと罵る近くに置いてどうするかと言えば、自分の駒いいように使おうと置いておくために。わ
うちの毒母は、電話で連絡が取れなくなってから手紙やハガキなどで、連絡を取ろうとしています。(ちなみに今も)数年前に届いた手紙には、差出人のところに知らない名前がただ住所地が毒関連かと思い、中身を確認しました。内容としては、母の友人であるその人は、母にお金を貸したがいっこうに返ってこない。だから娘のあなたが返してください。それから、体の不自由なお母さんがあなたは心配ではないのですか?お母さんの携帯番号を書いておくから連絡しなさい。というような内容でした。
よくあるあるです。続いたことないもんな・・・先日、市役所に行って戸籍の閲覧制限を延長してもらいに行きました。フルタイム勤務の時は、すぐに一年が過ぎ最初の一年の時は市役所のほうから延長するかわざわざ担当の人から連絡が来ました。今年は余裕あったのに結局、何日か遅れ・・・それでも市役所の担当の人は、ちゃんと来てくれてありがとうございますと言ってくれていやいやむしろこちらこそいつも遅れてすみませんでしたという気持ちでいっぱいでした。そしてついでに、最近「本人通知制度」
今はそんなにきらいじゃないけどかといってすきでもないおしゃれしている人を見てかわいいなー、わたしもあんなかっこしたいなーと思っても、似合わないしとなんか理由をつける背が高いと似合わない色が黒いと似合わないなど、自分ではどうしようもないことなのに似合わないとか変だとかさんざん言われましたほしいものでも、ほしいって言えなくなりましたどうせって思ってしまって。自分の子どもには子ども自身をすきになってほしいなーと思っていますまあ、わたしの場合毒親だ
精神病って書いてもいいのか・・・?それとも別名があるのかわからないので精神病って書いてますけども、他に呼び名があるようでしたら教えてください・・・さて、うちの毒母はあんたたちのせいで病気(精神の)になったとよく言っています。(多分今も)わたしの夫はバツイチで、子どもがいましたそれをネタに、ずっと結婚を反対(面倒なので勝手に籍入れました笑)わたしの心配をしているようですが(表面上は)よくよく聞いていると、お前だけ幸せになるなど許せぬという感じの発言になってきます
先日は雛人形(7段飾り)が突如送られてきたブログを書きましたお金がないからお金くれくれ言ってくるのに7段飾りの雛人形は宅急便で送ってきましたその費用は一体どこから・・・その費用をどこかに回せばいいのでは・・・?と不思議に思って仕方がありませんさて、今回その2です角2号?の封筒が届きました。(A4サイズが折らずに入る封筒)宛名がね、もうわかるんです。汚い字(これも本人曰くは病気のせいらしいのですが)見た瞬間、あぁ~また届いたと思わせるイやな送りものです
毒親から送られてきたものでびっくりしたもの・・・それは・・・雛人形(7段飾り)雛人形が届く前に、手紙が来ていましただけど、その頃はすでに来た手紙はポイ捨て読んだら気持ちは下降するし、やっぱり手は震えるし・・・そのポイ捨てした手紙に送ると書いていたようです。内容は確認していないし雛人形が贈られた時にも何も書かれていなかったのでただの憶測ではありますが・・・しかしね、この雛人形・・・処分させていただきました!厳密にいうと、処分してもらいましたw知り合
子どものころのわたしは母に好かれようとしていましたというか、子どもはみんなそうですよねそれを逆手にとって操ってきます子どもを洗脳するのなんかチョロいまんまと術中にかかり、苦しむ周りの人に無心されることを相談するとムシしたらいいとよく言われていました実際には、それしかないんだけど・・・わかっていますとも!だけど、お金がなくてツライ思いしているんじゃないかとか親が子どもにする心配を、親に対してしていましたたぶん、そういうふうに育てられたからムシできる
今までササっとうちの毒親について書いてきましたがなんというか、わたしも漏れなく人のせいにしているな・・・という感じがヒシヒシと伝わってくる毒親の特質?なのか悪いことは全部人のせいだと思っているなといつも思っていましたが・・・まことに残念ながらわたしにもそういう部分が垣間見えるどう抗ってもDNAには太刀打ちできぬものでしょうか(この文章だけでも人のせいになってるなw何かのせいにして生きるのは楽だなと思います本人は自分の意志とは関係なくそうなったのだ
平成ノブシコブシの吉村さんよりもよっぽど破天荒な母以前に、ふとしたことで大金を手に入れることになりそれはそれはえらそうなオバさんになりました(お金持ってる私はすごい!的思考でしょうか)今まで泥水をすするような生活(笑)が一変買いたいものは何でも買えるようになりました(だからエラそくなったのかも)だけど、そのお金も無限じゃない湯水のように使い全部使い果たしました、2~3年ほどでその偉そうになった辺りでわたしにお金を渡してきましたありがたく頂戴しお金は、
母が2度目の離婚をしたので、自分が頑張らないとという気持ちもあってかお小遣いは特にもらわずわたしのバイト代で生活していました途中、急に猫(血統書付き・・・)をかったり(しかも2匹)いろいろ波乱含みでしたが、2年くらい経ちバイトにも慣れ、生活も少し落ち着いてきたころアルバイト辞めて、正社員で働くか学校へ行けと急に言い出しました、母がアルバイトだとボーナスがないから、という理由なんで今言うのかな・・・やっと慣れたのに・・・何もしてこなかったのに、正社員
20歳になったくらいの時銀行のクレジットカードを作りました作ったというよりも、うまく言いくるめられて作らされた?という感覚23・4歳のころ、ずっと務めていたバイトを辞め(させられ)転職に失敗し、無職でした(3か月ほど)母と暮らし始めてから、わたしの給料は生活費にすべて持っていかれていました。母もパートにでていましたが、給料がいくらとか給料日がいつなのかさえ、教えてくれていませんでしたその無職のころ、生活費がないのですがなぜか暮らせていました。なぜでしょう・・・
先週は体調不良により、まったく開くこともなく・・・毒親の話を思い出して書いていると何をしているでもない、身体がだる~っとなりますデトックスによる好転反応・・・と思いたいさてわたしが結婚を決めたとき、母とは絶縁中でした。ただ、お世話になっていた叔母が急に亡くなりそれがきっかけで、絶縁がなかったことになりました・・・結婚する話をしたとき、なんと母も結婚を考えている相手がいるとのこと(3度目)ただ・・・この相手の人・・・詐欺の人で・・・お金のない母からわずかばかりのお
まだ母と行き来があったころ母の家から帰ると、ほっとしていました母の家に居ても、落ち着かずイやなことは聞かされるし(昔の話捻じ曲げて話してくるのとか鬱でした)でもそれは、いつも当たり前のことで特に何も感じていなかったのですさんざんお手伝いしていたからかもしれません家事をやれとは言われませんが、やらないといけない空気に持っていくのがうまい(ある意味役者)そしていつものように、高速バスに乗って自宅へ帰る途中窓の外の景色に目をやると、いつも以上にほっとしていまし
昨日は、初めて警察に相談したときの話をUPしました。今日はその後、の話を・・・母は、連絡が取れなくなってから(それ以前からかもしれませんが)わたしの戸籍謄本を定期的に取り寄せているようです。なので、戸籍謄本に閲覧制限がかかっていることを知るのも時間の問題だから、知ったときに”どこかの機関に相談した”ということがわかればいいなと思っていました。わたしは本当に無精者で、何でも面倒だからと逃げているようなやつです・・・母は、わたしの性格は何でもわかっている(つもり)し、
子どもが産まれて間もなくして1通の手紙が届きましたきったない字で書かれた宛名にはわたしと夫と知らないはずの子どもの名前がまた戸籍取り寄せたな・・・と思いつつ、封を開けましたそしてやっぱり手足は震え、心臓バクバク勝手に子どもまで産んでどういうつもりだ縁を切るなら、学生時代のわたしにかかった塾代やら携帯代、被服費など合計720万振り込め(新手の詐欺か)という内容の手紙でした。(ちゃんと内訳まで書いていました・・・)720万を闇金でわたし名義の借金とか
二の腕のぷよぷよですが母の二の腕がそれはそれはぽよぽよしており子どものころのわたしは、ときどき触っていましためっちゃぽよぽよ~と悪気なく言うわたし・・・そして母は・・・あんたのせいでこうなったあんた抱っこしたせいだと怒ったことがありました。毒親というものは、すぐ人に責任転嫁しませんか?あんたのせいでが鉄板。毒親持ちの人の体験談読んでもたいてい↑のセリフは言われていますねうちももれなく、そう言われる家庭でした若いうちに離
小学生のころ、靴下を買いに行った時のこともちろんそこには、母も余談ですが、わたしの洋服は基本おさがり・・・(いとこがいたのでそして母の手作りフリフリのついたワンピースなどなど母が作ってくれた洋服は、わざとか?!と言いたくなるくらい似合わない色とデザイン・・・おそらく、自分の腕前を見せびらかしたいだけだったのかもというかんじで、普段は自分の服など選ぶことがありませんでしたなので靴下を選べることが、とても楽しかったのですわたしが選んだ靴下の色は、むらさき
こちらから一方的に連絡を絶って母は、わたしの知り合いに連絡取りまくっていましたすごい粘着質で、執着がハンパない金づるのためならエンヤコ~ラと頑張っていたのでしょう①住所しか知らない相手の家に電話(104を使って調べたようです)②いつもお世話になっている人に電話③かかりつけの病院に電話して病状を聞いてきた(看護師さんが阻止)④昔お世話になっていたバイト先への訪問(毒家から近い)ほかにもあるかもしれません。わたしが直接報告を受けた分です電話連
わたしが、母と決別(一方的に)してからその話をすると、毒親という存在を知らない?人に”親なんだから(面倒見て当たり前)”と言われたことが2度ほどあります誰に言われたか、はっきり覚えています今となってはこんなこと言われたくらい全然気にしませんが当時は胸をえぐられていました。(心が弱いのかな・・・)わたしも一緒にいる頃は、それが当たり前と刷り込まれていましたし絶縁なんて考えてもいませんでしたよ・・・だけど、わたしの人生はわたしのものだ!と思えるようになりようやく絶
わたしが連絡を絶ってから、手紙やら荷物やら送られてくることがしばしば最近はあまりにも無反応なのでよっぽどな時にアクションがあります去年来た手紙が最後で、1年くらいは何もなく平和(とか言ってたら突然来る手紙・・・見てるんか?!)その去年来た手紙のことを今日は書こうかと思います------------まず、ポストに封筒が・・・また手紙キタ-------で心臓が飛びはねます(未だに心臓ドキドキ手足ブルブル)宛名のところの筆跡が違うなーと違和感を覚えとり
わたしの母は、自分の友人に会うときしょっちゅうわたしを引き連れていましたわたしも特に何も考えずついて行っていました----------------たまたま母が友人と約束をしていた日にわたしがひどい生理痛で、動けずにいました。”今日わたしは留守番してる”と告げると、急に機嫌が悪くなり・・・めっためた怒っていました。たぶん、生理痛くらいで!とか友人と約束しているのに!とかそういう感じで。こっちは腹痛で悶えているのにお構いなしです。支度しろ!と言
1度目の絶縁は失敗に終わり現在2度目の絶縁中です(1度目の話もまたの機会に)当時のわたしは安い給料でしたが、自分のものを我慢をしながら母に毎月仕送りをしていました。少ない仕送りにイライラしていたと思いますが仕送りとは別に、お金何とかならんかと言われましたがどうにもできないときがあり、このような内容のメールを送りました。”病気が見つかった今は自分のことしか考えられない。落ち着いたらまた連絡する。”返信はありましたが、ショックすぎたのか一言一句覚えてお
まず、時系列で書き残そうかと。2週間~1ヶ月前だったと記憶しているが、妹から「チビ(末弟:現役JW)から連絡あってさ。久々に話ししたいから長男弟(排斥)の連絡先教えてって言われたんだよね。一応長男弟にも許可取って教えたけど、なんだろうね」と報告が。その時は「へー、そうなんだ。母親の指示でお金せびられたりしないといいけどね」くらいに思っていた。そんなことがあった事すら忘れそうになっていた今日この頃「末弟の件で相談が」と妹から連絡あって話を聞いた。すると長男弟から「突然〇〇(昔同じ会衆