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今日はコノ国の母の日です。今年の日本はそれどころじゃない!という雰囲気ですが、少し前「母」というキーワードから見つけて久し振りにこんな本を読みました。毒親サバイバル1,188円Amazon『毒親』という言葉は元祖というか発祥期から知っていて、その関連の著書は散々読み、今だに読み続けている私ですが、マンガという表現ゆえか今回は私でも「こんな家族もあったんだ!」…という新たに強烈な印象を与えてくれまし
「それくらい」のことで、言葉で、そこまで考えるの!?…そう考える人も多いと思う。でも、私自身が何度も似たような対応を受け、また、そうなった場合の『その後』はどういうことが起こるか、ということを(深刻度は違うと言われても)多少なりとも『経験値』として持っているからだと思う。私が一番嫌だった思い出は、体調不良で行って「内科」から「精神神経科」に回され、そこでの診療後「詳しい症状をお話したいので、次は家族の方といらして
因みに、やはり泣きながら帰宅した「タオ」からその話を聞いた私は、その夜一気に『校長』と『学年主任』宛にそれに対する抗議の手紙を書いた。実はその「事件」があったのは学年末という時期で、その10日程あとに学年最後の『三者面談』が入っていた。それまで学校で会っても「モト」に対してはニコヤカ且つ艶やかな『営業スマイル』で対応するものの、私は横目で見るだけで無視し続けていた「担任」。(もちろん「モト」は自分がモテたと思えさえすれば嬉しい人間なので気にもしない)
何度も言うことだけれども、『親の愛』というもの、特に『母親神話』の罪は深い。これも今回の事件報道の中で誰かが言っていた話。母親から虐待を受けていた小学生の女の子。勇気を出して一人児童相談所に行った時、話を聞いた職員がこう言ったそうだ。「ママとおいで」……(;▼へ▼メ)…いや、でも結構居るんだ、こういう「アンタ、ナニ考えているんだ!?」…と
今回のような事件が起こると必ず問題になるのが周囲の対応だけれども、今回ほど『行政の対応の不甲斐なさ』…を露呈したことは今まで無かったような気がする。逆に言えばそれこそが今回の最大の教訓、まさに心愛ちゃんがその命を張って社会に訴えてくれたことじゃないだろうか?教育委員会や児童施設の人達の対応に対して、ある番組のコメンテーターが「『子育て』をしたことが無いんじゃないか?」…と言っていたことに、
心愛ちゃんの母親に関するニュースの中で(特に)母子家庭においての『経済問題』…の話があった。確かに日本では小さな子供を抱えたシングルマザーに対する『現実的な』経済的援助、更には『母子シェルター』のように飛びこめる施設も十分に無い。ただ、「似たような環境」に居た私の視点から言わせてもらえば『それだけ』じゃない…と確信出来る。自分も含め、当人達もなかなか自覚出来ないこ
「(心愛ちゃんが)虐待されていれば、自分に被害は来ないと思えた」『母親』のこのコメントが発表された時、私は「ああ、こういうヒトは『やっぱり』同じことを考えているんだ」…と思っていた。私が虐待を受けたのは主に母の方だった訳だけれども、母の目の前で父が私達に虐待と言えるようなことをしている時の母は、時にヒステリックな態度でちょっと言い返すことはあっても具体的な手段で止めに入るような事はしなかった。
この事件が伝わった時から何とも言えない気持ちでいる。私が両親から受けたのは主に「パワハラ」と「モラハラ」、あと少々の「セクハラ」だったが、それでも日々聞くだけでも苦しい程の残酷な肉体的虐待を受け続けていた、心愛ちゃんの様子が映画のように目の前に浮かぶから。『アノ父親』に関しては「父親」とも思わない。彼は「単なる虐待マニア」…本人は『躾』とのたまっているそうだが、この段階になってもそうやって自分に言い訳出来る「冷