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心のアップダウンはいまだ多少ありますが、ここ数か月激しい波が来ておりました。2月頃から、心のもやもやがまた、寄せては返す波のように、浮上してました。何年も前から、手放したかった大きなソファとラグ。2月下旬から家具屋さん巡りを再開し、3月初めに新家具を購入。3月末にようやく新しい家具へと変わりました。発注してから、遅いもので2か月近くかかるかもしれないとのことでしたが、願いが通じたのか、3月下旬には全て完成し、3月中に、模様替えすることができました。新しい部屋は、ラグとサ
人生を好転する、とてもシンプルで、かつ究極の方法は、「自分を愛すること。」これに尽きるようです。回復への道へと入ってから、自分なりに「自愛」に励んでいたつもりでした。しかし、人生が好転したように感じなくて、何度も繰り返す、怒りの問題に直面していました。気づけば、悲嘆、憂い、悲しみ、怒り、恨み、不信感の中に、心が落ちていくのです。思考癖や制限、不健全な思い込みなどが原因であることはわかっていても、そこから抜け出せない自分がいました。軽やかに人生を楽しむ自分の姿は、
私は不本意ながら、不便な田舎へと引っ越してから、新婚生活が始まりました。夫の通勤条件だけで、今の土地に来たわけですが、そこに住んでいる人達も市民性、町の雰囲気なども全て違和感だらけで、「この町は大嫌い!!」という、耐えがたい、強い反発心がありました。それに拍車をかけるかのように、やっと見つけた物件の集合住宅は、築浅にもかかわらず、とても造りが簡素で、音は筒抜け。おまけに階下の住人は、常識知らずで、小さい子ども達は、まるで地震が起こったかと思うほど暴れ、部屋中を走りまくり
スピリチュアルの世界では、「自分が100%現実を創っている」と、よく言われています。もし、それが本当なら、自分の心の中にあるものが、愛や光、調和、平和、喜び、リラックス、楽しい気持ちなどで埋め尽くされているなら、自ずと体験する世界も、そうなっていくはずですよね。今まで、逆引き寄せの達人だった私は、真逆の素晴らしい世界をも、実は、簡単に構築していけるのでは?という、発想の転換に至りました。だったら、それが本当か、実験してみようという気持ちになりました。今までの私の
日頃、生活している中で、皆さんはどの程度、本来の自分とは違う人になりきって「演技」をしている時間がありますか?「演技」と言えば、大げさかもしれませんが、本当の気持ちを隠して人と対峙する事は、私は、「ポーズ」であり、「演技」だと感じています。政治家、役者だけでなく、ふつうに生きている人であっても、母親という役割になっている状態の時、妻や夫という立場、社会的な立場(上司、部下)、子どもであっても、同級生や先生、親と接する時に、あえて「演技」する状況もあるでしょう。仕事上の付
自分の心を見つめ、率直に自分の思いや感情を正確に捉え、ニーズを知り、それを行動に移していく。生まれてから随分長い間、この単純なことができませんでした。まだまだ、回復途中、真っ只中ですが、自分がHSS型HSPであることを知り、その特質について、理解を深めれば、深めるほど、親という、鳥かごの中にいた頃の私は、本来の私とは、全く真逆なことばかりを強制されて、生きてきたことを、痛感する日々でもあります。自分が、ありのままの私として生きられないという事実は、とても重く、辛いものでした。
のんびり散歩をしていて幼稚園のそばを通ったあんなに楽しそうに大きな声を出してその瞬間を思い存分何も気にすることなく遊んでいるそんな様子を見るといつもとても微笑ましく感じるそれと同時にあんな風に無我夢中で自分の「楽しい!」という感情だけに浸れる環境をとても羨ましく感じる私にはそれが一瞬たりともなかったから…当時も夢中で遊ぶ子と自分とは何が違うのだろう?とずっと答えが出ない疑問を考え続け
毎日食事をするたびに使う食器達そのひとつひとつの食器に対する思いが年月とともにワクワクする感じが徐々に薄れて次第に今の自分には合わなくなってきていると感じることがある日々自分の感性も思いも時と共に変化するもの心にフィットしなくなった食器を使うのは精神にはあまり良くないと私はそう感じる無意識下に自分の好まないものを映し出しているからここ数年湯呑に対してその想いが強くなってきたので探して
私が高校生だった時、拒食症だった同級生がいました。その子はどこからみても、とても良い子でした。彼女のことを悪く言うような人は、誰一人いませんでした。「良い子」の代名詞のような子でした。高校三年間、苦しんでいましたが、食に関することを除いては、とても精力的に、青春という名にふさわしい高校生活を送り、部活動のマネージャーもやり、友人も多く、常に人に囲まれていて、明るくて、充実した日々を送っていたように見えた彼女でした。私は内心羨ましく感じていたほどです。自分は全然、楽しくない灰色の
私は、生まれてから、40数年余りも、母の望む通りの娘を、不本意ながら生きていました。自分の意思で全て選択している、と激しい錯覚を起こすほど緻密に、その役割に徹していました。そこまで強化し続けた役割を脱ぐことは、簡単ではありませんでした。でも、小さなことから、自分の意思だけで選択する「練習」、人前でちゃんとしなくちゃと脅迫してくる癖を手放して、他人の目よりも、自分のしたいことを優先する「練習」、恥をかいてもかかなくても、自分の価値は全く変わらないよと、自分を勇気づけ、励まし、ブレ
「毒親を捨てる」という表現が、毒親関連本では多く出てきますが、私の場合は「捨てた」のではなく、辛すぎて、これ以上関わることができない、というのが本音です。無意識の親の言動が、私の心をズタズタに踏み倒すものであり、耐えられないから、一緒にはいられない。ただそれだけです。心を回復させている途上で、またその根源に触れることは、過去のトラウマを呼び起こす、呼び水にしかならないからです。回復度合いが、さらに進んでいくと、ひょっとしたら、親と接しても、痛くもかゆくもならなくなるのか
機能不全家族に育ったACは、ほどほどの限界を教えてもらえなかった為、自分が壊れるまで頑張り続ける癖がついています(※この、「ほどほど」というのが、とても重要な部分です。)かく言う私もその一人です。「もう疲れた」と感じているのに、それを止めることが出来ないのです。(今でも時々、まだやります…)そんな不毛で、不必要な過度な頑張りは、精神と身体を蝕みます。私の母がそうでした。疲れているのに、ずーっと頑張り続けてしまう。周りが察して、手を差し伸べてくれるのを待っています。しかし、救いの
自分の心の容量がぽっかりと減ってしまった時自分の心を癒すツールをあなたはいくつ持っていますか?私は今までは「人に話を聞いてもらう」という一択でしたが自分の悲しみは結局は自分で癒すしかない信頼できる人に話すそういう存在がいることも宝でも人だけだと依存に偏りがちだから今は自然の中に身を置いたり散歩などで身体を動かしたり音楽を聴いたりしている日頃から五感が敏感すぎるゆえストレスを感じるこ
年明け早々から、日本が大変なことになっています。大きな地震を経験した者として、毎日流れるニュースは他人事ではありません。どうか、早く必要な救援物資が届いてほしい。一人でも多くの人が助かってほしい。そう願いながら、過ごしています。人は窮地に立たされた時、本性が出ます。私が経験した震災の際、取材に来られている方の、残念な行動がありました。いくつものビジネスホテルを予約したまま、連絡が取れず、キャンセルなのか、宿泊するつもりなのか不明なまま(結局来館されなかった)泊ま
このタイトルを聞いて、ピンとくる方はいますか?これは、娘が母を殺した事件の実録を綴った本のタイトルです。母から教育、暴力虐待されながら、なりたくもない医師になることを強要され、医学部を9浪した娘が起こした事件です。共感しすぎて、この本を詳細には全部読めないのですが、このような立場にある娘が、どうやったら親を殺すという選択をせずに、無事脱出することができるのか?というテーマを私は常々考えています。事件を起こした娘は、何度も家出を決行していました。しかし、母は探偵を使って、
波動世の中のあらゆるものは周波数を出している人だけでなく動物も動かない椅子などの物質もすべて意識していなくても人はいろいろな周波数を無意識に感じている二極化が進んでいて善良で健やかな愛と光の存在は愛の世界へと移行しそうでない人達はその人達が心地よいと感じる世界に移行する愛ある素直な人達が時としてそうではない低周波な人達によって理不尽な思いをすることが時々あるかもしれない「その人が悪い」と言いたくなる
私が生まれて初めてした念願の一人旅は40歳を過ぎてからだったこれまでは親の許可がないとできないと思い込んでいた親の反対を押して自分の希望を叶えれば親が悲しむ親が心配する余計にトラブルが増えるだけなのでやれなかったでも本当はそれでもやれるのにやらなかったのだ私は周りに波風を立てる位なら自分が我慢した方がましだと本当の気持ちを心の海底に深く深く沈みこませて殺していた自分の人生を生まれた時から諦めていたか
つい最近、「毒親」という韓国の映画があることを知りました。元は日本の小説家さんのお話のようですが、私は、あらすじを少し読んだだけで、これは…見ることはできないと思いました。母と共依存にある娘が、自殺するという話から、映画が展開されるようですが…。真実がわかって、母親はどうなるのか、ラスト気になりますが…私は見れないです。過去の傷口が、とめどなく噴き出してしまいます。親と子をテーマにした映画やドラマが、時々ありますね。再放送で「MOTHER」(松雪泰子、芦田愛菜主演)を見
人は誰でも自分の親が一番大好きな存在であり尊敬したいと思っています。でも、悲しいかな現実は、そうではないことが多々あります。幸せな家庭環境に恵まれ、自己肯定感も自信も愛情も、しっかりと育むことが出来る幼少期を過ごした人は、とても恵まれているといえます。一部の恵まれた人達には、「どうぞ、そのまま素晴らしい人生を展開していってください」という言葉しか、私には思い浮かびません。私は、重たい心の傷を背負ってきた、一人の人間として、同じような境遇に生きる人達が、一日でも早く、
私の心が嵐のように荒れ狂う時もやもやがどうしようもなく募る時私の荒れた心を綺麗に洗い流してくれる相性抜群の海に出会った夫が何気なくドライブ兼ねて連れて行ってくれた場所波の音潮の香りが溢れているひとつの特別な空間どこまでも広がる地平線の先に見える島そこでただひたすらぼーっと全てを忘れて五感だけの世界に身を委ねる20分位経っただろうか自分の感じていた重たい
自分がAC(adultchildren)だとわかってから、カウンセリングを受けて、今までしっかりと感じることが出来なかった、たくさんの悲しみの感情を放出して、自分を見つめ直し、自分の無意識下に埋め込まれた、たくさんの不健全な思い込み、制限、足枷、思考癖を認めて、少しずつ緩めて解放している。癒されなかった感情というのは、掘れば掘るほど、どんどん出てきて、一体どこまでいけば、自分の心が癒されるのか、わからなかった。今でも、まだ未完了の感情は残っている。けれど、一番下の谷底はもう見たので、
週末になると夫といろんなところへ出かける夫と一緒にする日々の食料品の買い物さえ私は楽しい自分一人だといつの間にか決まった視点での買い物になるけれど私が目に留めない思わぬ良いものを見つけ出してくれたりする視点が違うからまたいつもとは違う楽しみが増えるひとりの時間を楽しむことも私にはとても必要でも一緒にいてお互いが影響され良い化学反応を起こす素晴らしさこれもまた人生の巡り合わせの不思議さを感じる
ACだった私は(今、どの地点まで回復しているのかは、さっぱりわかりませんが…)、痛々しい恋愛ばかりしていました。もはや、恋愛とは言えないレベルだったと思います。まさに、盲目的な恋、思い込みだけの、乾ききった砂漠の心を、紛らわしたい激しい衝動、欲求に常に駆られ、愛情を渇望していたからです。今、冷静に考えると、一体、どこが良かったのか?さっぱりわかりません(笑)まさに、無意識のなせる業としか言いようがありません。過干渉も、立派な毒親の一形態です。親に構われる子は決して幸せではありま
人生前半約40年私は生きる屍だった生きているけれど心は死んでいる歩いたり話したり動いたり普通にできるけれど心は停止している亡くした状態本当の自分の心を殺し続けて機能不全家族に心血を注いだその結果何を得たか?たくさんの役割と無数の苦しみそして無抵抗にひたすら我慢することだけ自分の人生を自分の選択でどうにかできるなんて思いもしなかったから母の望む人生をただ操り人形になって
自分のありのままを感じる心をずっと閉ざしてきた人生前半から今度は自分の本当に好きなもの無条件に愛せるものそれに触れることで自然に自分の心の器が満たされるもの魂が望んでいるものを探し当て自分の中に落とし込み拾い集めていく自分が無条件に感じる「好き!」という気持ちにだけ従い興味の対象に出会った時きちんとそれを自分に経験させ叶えてあげること思い存分享受させてあげることこれが生き
自分で自分を満たすこと自分で自分の機嫌を取ること私という存在は人の評価や周りの意向他者の機嫌によって決まるのではなく私自身が私をどう扱うかどんな状態の時も自分の味方でいること無条件に自分を愛するということ長年この根本的なことがわかりませんでした機能不全家族という異常な環境を脱してから一番難しかったのは上手くいかない時の自分に対しても優しく認めて肯定してあげることでした
自分自身をずいぶん長い間苦しめてきたものそれは心の無意識下に君臨している自分を常に裁く裁判官親や周囲の大人世間の常識地の時代の古い価値観他人軸そして完璧であらねばならない白黒思考常に完璧でなければ生きていけなかった機能不全家族の中で限度を知らずにどこまでも自分を追い詰めてしまう癖高すぎる理想にはいつも届かず自分をダメな存在として烙印を押す自分を冷静に客観的に振り返ることは必要だけれど必
人が生まれ落ちて、初めて出会う人は、お母さん、お父さんです。赤ちゃんは最初は何もできません。全依存状態で、親に世話をされ、愛情を注がれ、少しずつ大きくなっていきます。赤ちゃんの時点では、親との境界線はありません。親と子の境界線が分かれていたら、むしろ大変なことになります。お母さんが、体調が悪くても、忙しくても、寝不足でも、赤ちゃんは生きるために、お腹が空けば、泣いて知らせます。親の都合など構っていられません。そうしないと生きていけないから。この時期、お母さんお父さんは、育児がと
ここ最近記憶が過去へ未来へと交錯する全ての次元はすべて今ここに同時並行して在るのだといういろんなことに感情が焼き尽くされ雁字搦めで苦しんでいる過去の私も全てのしがらみ制限誤った思い込みという足枷をきれいに一掃した自由な未来の私もありのままで本来の私に戻るためにベイビーステップで歩んでいる現在の私もどうか全てを叶え重しを取り去らった自由に羽ばたいている未来の私へ心が軽
まだ小学校高学年くらいの頃とあるドラマの主題歌だった洋楽に出会ったまだ英語の意味もあまりわからなかった当時一度聴いただけで頭から離れなくなったそしてわけもなく涙が零れ落ちた何度も何度も聴いて胸が温かくなった自然と英語の歌詞を覚えて空で歌えるようになった英語の歌は日本語のようにダイレクトに歌詞を聴いて言葉から想起されるイメージが活性化されなくていい純粋に音の響きに集中することができる私