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今日は仕事お休みなんだけどアラームセットせずにあーよく寝たと思って起きたら10時だった笑ここ1週間位?左足の土踏まずが痛くなってそれも仕事中だけ笑前に管理者に自分はずーっと動いてしまう正直8.5時間立ちっぱなし笑なので3連勤の後にお休み下さいってお願いしたらずーっとそうして下さって有り難かったんだけどそーは言っても調整するのは難しい事も長年マックでスケジュール作っていた私にも分かるから今回4連勤だなぁ〜⁉️まーそーゆー時もあるよ
熊本市で福岡の「資さんうどん」を食べました。私の人生で3回目の「資さんうどん」。母のお見舞いと付き添いの合間に早目の夕食として食べています。私の2人の妹のそれぞれの旦那さんと3人で食べました。資さんうどんは熊本でも大人気とのことでした。肉ごぼう天うどん美味しかったです。福岡のソールフードである「資さんうどん」を熊本市で食べている間、私は悲しみを忘れていました。追記です私は熊本市にある総合病院の個室にいます。ベットの上には意識がない終末期医療を受けている私の最愛の母
俳句ブログ101回目記念すべき第一歩とも言えましょう7月小暑前の俳句7月上旬は二十四節気の「小暑」7月7日頃から始まりますこの時期は梅雨明けが近づき先週は「梅雨が戻って来た」と、思ったら史上最速で明けてしまいましたが…本格的な夏の暑さが始まる頃とされていますまた七夕(7月7日)や夏の土用(立秋前の約18日間)などの行事や期間も含まれます
最後まで頑張って生き抜いた母のことをちゃんと書き残したいと思いながら一年が過ぎました。命日まではと思いながらも…書こうと思ってはやめてを繰り返して…今日に至ります。これを書かなければ前には進めない気がして…この4月…未来に向かうために書き進めます。ホスピスの母とも呼ばれるシシリー・ソンダース医師は、「Notdoing,butbeing」=「何かをすることでなく、共にいること」がケアの原点であると提唱しています。まさにそんな時間を昨年の2月27日月曜日から施設に泊まり込み母と過ご
母が2月29日に永眠しました。最後まで立派に生き抜いた母の記録を残しておきたいと思います。母が永眠する前の週末…土曜日にはお風呂に入れてもらって、とってもスッキリして、良い顔をしていた母。どんな時も母を清潔な状態に保ってくださったニチイホームのスタッフの皆様のプロフェッショナルなお仕事に感謝の気持ちでいっぱいです。喋れる時とジェスチャーの時、ひらがな表の指さしで会話する時と…日々山がある母との毎日。もう水分もほとんど取れなくなり…でも頭はクリアで…夫と訪れた日は少し喋れて…「死
一昨日は、内科で血圧などのお薬をもらって来ました咳が出るので、マイコプラズマでは?ときいたら、「マイコプラズマだったらそうやって会話ができない」とハッキリ言われました何でも大袈裟に考えるとも?確かにねそう言われたら、なんか気が楽になり、昨日は咳が全然出ませんでしただけど、一昨日夜から昨日の早朝に、心が不安定になりました6年前、こんな時期でしたペースメーカー検診に行き、電池が切れかかっていると言われて、、、母が膵臓がんであと数ヶ月と知ったばかりの私でした同じ病院の南館に入院してい
お久しぶりです。10月に入って暑さも和らぎ、過ごしやすい時期になりましたがいかがお過ごしでしょうか?しばらく投稿できなかったのですが、先日の6日に母が他界しました。その前は緩和ケアで看病し続け、そのあとは葬儀などでバタバタしていたのでようやく今、落ち着いてブログを掲載できる段階にきました。母が緩和ケアに入ってから約4週間もの間看病生活も色々ありました。友人から母にと贈られたドテラのアロマセットを使って毎日アロママッサージを行い、音叉を使ってなるべ
朝5時からの大浴場にきっと一番乗りだねと行ったのだけれど、もう先客が何人もいらっしゃいました朝日を浴びながらお湯に入っていると、広い洗い場の一角が賑やかになりましたそっと目を遣ると高齢のお母様らしき方が風呂椅子に腰掛けたまま立ち上がれなくなったのを、隣に座っていらした方と一緒に私より少し年上のお嬢様らしき方が両腕を抱えて、立ち上がらせた所でした。お母様がそろそろとそろそろと浴槽の手すりに掴まりながら湯船に体を沈めると、やっと安心したように母娘を助けてい
『愛の光に包まれる』お嫁ちゃんが第二子を妊娠して目下つわりがひどい為、5月中旬から毎週末長男がお孫ちゃんを連れて泊まりに来ています❤土曜の朝9時から日曜の夜8時まで2人が滞在して…ameblo.jp『火葬式の後、妹と話したこと・2(バージョンアップした私)』「そうか…。そうかもしれない。」と妹が言いました。「ママの古希のお祝いで4人でベトナムに旅行した時、私と●ちゃんがタバコ吸うんで同じ部屋になったでしょ❔あの時…ameblo.jp母が亡くなってちょうど半年目の7月11日に、妹と一
昨年12月に私は母の依頼により母が長を務めていた社会福祉団体を閉じました。会計と書記の2人はコロナがおさまった後も会員を増やそうとせず、会のお金で遊び歩いては適当な活動報告を市に提出していました。母が亡くなって2人のどちらかが長を引き継いだら、不正はその後もずっと続く所でした。私は大役を果たしてホッとした気持ちと、母が生きてきた証の会を自分の手で閉じた事に、悲しく辛くてやるせない気持ちを抱いていました母から話を詳しく聞いていた母の親友のHさんは、記
『母が亡くなってすぐの、上の妹夫婦』ものごころついた時から、私はほんの少しでも良くない事を言ったり、どんなに些細な事でも良くない事をしたり心の中で良くない事を考えたりしただけで、後ろのどなたなの…ameblo.jp『母の火葬式』小さなお葬式さんの小さな火葬式プランでの1月17日の母のお別れ式は、1日一組限定の小さな森の家さんという斎場で営まれました。初めてお伺いしましたが外観も中もま…ameblo.jp『母の火葬式での、上の妹夫婦』火葬式の時は上の妹家族と私達の間には何ごとも起こりませ
「そうか…。そうかもしれない。」と妹が言いました。「ママの古希のお祝いで4人でベトナムに旅行した時、私と●ちゃんがタバコ吸うんで同じ部屋になったでしょ❔あの時もお互いの子供の事で喧嘩した。あの時◎(妹の長女)とAが同じクラスで部活も同じで、Aは◎ちゃんと同じ部に入りたいって後から◎のいる吹奏楽部に自分で入って来たのに、Aは全然練習しないし朝は毎朝遅刻するし友達のグループでもAがものすごくマイペースで約束を守らないから、部活の先輩からもクラスの先生か
火葬式の次の日、私と妹はラインでやり取りしました。「せっかく、いいお式だったのに最後の最後に●ちゃんとAのせいで変な感じになって、すごく残念…私、ママにごめんって心の中で謝った。」と妹が言ったので、「私も。ママに申し訳なかった。何があっても動じないで穏便に終わらせようって思ってたのに…。●子からなんで連絡くれなかったのかって言われた時、ごめんねってパッと謝って、流せば良かった。でも、9日にちゃんと連絡してたから、なんで❔って気持ちが先に立っ
この日は本当にラッキーなことに、妹の子供達はたまたま3人とも家にいました。特に、一番下の甥っ子は普通なら放課後から夜遅くまで部活の筈なのに、この日はなんと風邪を引いていて学校を休んでいました❗妹が子供達を連れてやって来ると、母の部屋はたちまち賑やかになりました。夜ご飯は甥っ子が「おばあちゃんの大好きなビッグマックをかわりに俺が食べる❗」と言ったので、マクドナルドをウーバーイーツで母の部屋まで届けてもらいました🍟途中で仕事が終わった妹の夫も合流し
看護師のSさんについて追記しましたので、お手数ですがお読み下さると助かります🙇「あの人は信頼出来るね」と私達が前から話していたチーフ看護師のKさんに廊下でばったり会えたので、私はホッとしたし嬉しくなりましたKさんは男性で入所当日の顔合わせ会と居宅サービス計画の話し合いにも同席していた方です。前にSさんから点滴した方がいいと言われた事について、Kさんは「かえって苦しみを増すから点滴は不要です」と断言してくれて、「ホーム内の看護師の意見が人によって違った為
前に書いた通り1月9日〜12日は妹の仕事が忙しい為、私が4日連続でナーシングホームに行くことになっていました。ところが母の容態が急激に悪くなった為、妹は前倒しで仕事を終え日にちを限る仕事も他の人に頼んで、10日に私がいる母の部屋にひょっこりやって来ましたそして、「お姉ちゃんも4日連続は大変でしょう❔明日は私がママを見るから休んでいいよ。」と言ってくれたのです。私は実は、毎年1月11日に三峯神社様に御眷属拝借に伺っていました妹がそう言ってくれたので
1月9日〜12日までは妹の仕事が忙しい為4日連続で私が母の所に行く予定でした。ところが10日は9日の夜私の話を聞いた妹がいてもたってもいられなくなり、突然ナーシングホームの母の部屋にやって来たのですそして、「仕事は前倒しでほぼ終わらせたから、後はみんなにお願いして明日もお姉ちゃんと一緒にママと過ごすよ。今日は、本当はK子(妹の元親友でK子の求めに応じて妹の会社に正社員として雇ったが色々あって今はお互いに冷たい関係)の誕生会を会社のみんなでする予定だ
母のがんがわかってから今まで母を介護して看取って来て、この日の夜ほど悲しく辛かった日はありませんでしたずっと、意識が戻らなかった母が9日の夜になってやっと意識を取り戻し目を開けました❗私はものすごく嬉しくて、母にO先生のことなどを色々と話しかけましたところが、母は私の呼びかけに答えようとするかのようにしきりに口をモグモグするのに、どうしても言葉が出てこないのです。私は衝撃を受けながらも「何❔何か言いたいの❔」と母に盛んに話しかけましたが、母はなん
これからはずっとそばにいられると楽しみにしていたナーシングホームでしたが、その直後から、苦しくて悲しい毎日が続くことになりました。『母がナーシングホームに入所する』楽しかった事や幸せな事をたくさんブログに書いたら、母の事を思い出して書くエネルギーがやっとチャージされたので、続きを書いてみます❗またしんどくなったら中断しな…ameblo.jp『母がナーシングホームに入所する・2』ナーシングホームに母と私達が着いたのは11時半頃でした。母の個室は緩和ケア病棟と同じくナースステーションの
カリスマ仲人士千田英代です。昨日、母が亡くなりました。87歳でした。孫は私だけでしたが、3人見せれました。曾孫は会わせれなかったけど、3人。お葬式には3人とも会ってくれるね。糖尿病もあり、70代ぐらいから、好きなものも、あまり食べれなくなってたね。80歳からは、認知症になり、かなり、困らされたわー、、なんだろ?親孝行はしたと思う、、だからかな、悲しくないんだ、、やり遂げだ感ある。あとは、葬儀を一生懸命するだけ。そして、49日まで、そうしたら、悲しくなるのかな??
よく…実家の片付けが大変だ…と耳にするけど…昨秋ばあちゃんの旅立ちでばあちゃんのお部屋を片付けた……まずは使っていたセミダブルベッドを粗大ゴミにだしたそれから衣類をチェックしたんだけどなんだか……少ないし古いものばかりそのなかでもまだ“ましなもの”を選びあとは処分することにした…“ましなもの”は一応親族に見せてほしいものがあったら持っていって〜と声をかけた小物も同様もらってくれたそんなこんなであっという間に片付いてしまったホントに「楽」
いつか来るとはわかっていたけれど……先月10月下旬母との別れが突然やって来た「母」というより「ばあちゃん」と言った方がしっくりくるので以下ばあちゃんと呼びますねばあちゃんは来年米寿を向かえる予定でした普段はとても元気サークル活動町内の行事には積極的に参加していて…特に陶芸は趣味が実益となり生き甲斐を感じているようでしたラミの散歩以外は引きこもり状態の娘の私よりはるかに多忙でしたきっと100才まで生きるねっと苦笑していたっけそんな人が突然
母の…続きです腹部エコーの結果の話があったのかどんな話が医師からあったのか…私は覚えていません思い出そうとしてみましたが何も浮かんでもきませんでした…母は更に詳しく検査する事になり、検査入院となりましたその検査はERCPといい、内視鏡的逆行性胆管膵管造影法です内視鏡を用いて、本来の胆管や膵管の流れとは逆方向から、胆管や膵管を造影し、その様子を観察する検査ですこの検査にて、胆管、膵管の形や石、腫瘍の有無をチェックします母はERCP検査により膵臓癌が確定しました
読みました。△私の場合との共通点がとても多かった。というか、幸子さんと私の母。特に前半は面白かった。しかしこれは経験者にしか分からないし、男性にはちょいと興味が湧かない話かもしれません。だんだんこの作家さんが自らの心を整理しようとして書いている感じがとても伝わってきました。その分自分の場合との相違点も。。今の時期、とにかく間に合って読み終えようと思い一気に読みました。そして、まだよく分からないけれど、もしかしたら、少しは私は昇華できているのではないかと思ったのでした。やはり血
一年前の一昨日、一緒に住んでいる高齢の母に黄疸が出て、近くの内科を受診。午後、血液検査の結果、総合病院に緊急入院した。4ヶ月の闘いのはじまりだった。胆管が詰まっているということだったが、それは膵癌のためとわかった日でもある。私に知らされたのは6日後だったが。その日が私にとって生涯で一番泣いた悲しみの日だった。姉と夫が周到に準備したシチュエーションで私に知らされたのだが、何時間泣いたか!?黄疸が回復して約2週間の入院後、12月8日に退院。そこから改めて私の母との生活が始まった。障老介護で
最近、母の介護のことでいろんな方々とお話しをする機会が増えた。いつかはいのちの営みが終わるときが来るということを分かっていながら、母に寄り添い、看取りの時間を過ごすということは一見、親孝行ないい娘みたいな感じに見えるけれど、実は私のために母がいっしょに過ごす時間を与えてくれているように思う。母とわたしの間にはやり残したことがある。そう、いま介護度4の母を抱っこしているようで、実は母に抱っこされている時間を過ごしている。アロマを習い始めたので、アルガンオイルに
一日のうちのほとんどの時間を母のことに費やしてる日もきっともう少ししかなくて、、母も家族全員がこんなにも自分との時間を大切にしてくれる体験ってきっと人生で初めてで。1日のうちの8割は眠りについてる母が時々目覚めたときにみせる数秒の笑顔が、元気だったときの笑顔より数百倍嬉くて。こんな感情ってきっと一生のうち今しか体験できないんだろうな。今までも何人か家族を看取ってきたけど、母という存在は誰よりも大きくて、今までに感じたことない感情が次から次へと溢れでてくる。
お葬式よも無事に終わりました次は四十九日それまでお骨と位牌をどうするか?実家に置いておく?papaが「家に連れて帰ってあげようや」と言ってくれましたよかったねおかあちゃん一緒に帰ろう!毎日毎日これでお線香もあげられるよかったそして、四十九日が終わってお墓に骨壺も埋めました父と祖母と祖父が埋っているお墓にやっぱり止めて連れて帰ろうか?そんな事を考えながらひとつひとつの儀式が終わっていくと余計に寂しさが増してきますpapaが「ばーの小さいお骨は家に連れてかえろう
母を葬儀場に送るまでにひとつしないといけないことおくりびとでご存じの方も多いと思いますそう「納棺の義」です葬儀屋さんの手配で納棺師のかたが二人来てくださいましたとても丁寧に優しく母の支度をしてくださいます旅立つ時の着物は決めていました父、母に初めて買ってもらった着物初めて自分のために縫った着物成人式の振り袖の代わりに買ってもらった着物そう、私の着物母の着物姿とても似合っていましたそれをみていると涙が溢れてきてとまりませんというか、納棺の準備が始まった時から泣いてい
もろもろの準備も終わって親戚皆が帰りかけました叔母が泊まろうか?と言ってくれましたが「こんばんは二人っきりでいたいから」と帰ってもらいましたpapaと息子どんも昨晩から一睡もしていないし家に帰って寝てもらうことに母の生まれ育った家私の生まれ育った家親子みずいらずで一晩過ごすことにしましたこの家で寝るのもこれが最後になるかもな話しかけても返事がないけどいろんな話をしました疲れてるはずなんだけど眠たくないんだよなコレが……小さい頃の思出話をしたり息子どんの小さい頃の話をしたり