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おいでやす森遊のブログへようこそ初めてご訪問してくれた方プロフィールはこちらですアメブロに書く前の日記はエンピツ始まりの日記PC用画面です2023年5日11日(木)お天気が良かったけど引きこもりのいちにちを過ごしました昨日にUPしたブログに対してオンロウさんが「お母さんの育てられかたも気になる」とコメントしてくれたの。それで随分前になるけど母の生まれた頃から最初の夫(私の実父)と結婚するまでを小説もどきにして描いたブログがあるのでそれ
一方の母は、7人兄妹の末っ子で、母曰くとても貧乏な生活だったそうです。桃太郎のお話に出てくる「お爺さんは山へ芝刈りに」「お婆さんは川へ洗濯に」ではないけど母の両親は畑仕事と山守の仕事で生計を立ててたそうです。母も、学校から帰ってからは、川まで、何往復もして水を汲みに行ったり畑のお仕事を手伝ったりと、遊んだりする時間はなかったとか…。学校も中学までで、高校には行ってないようです。中学卒業後は、大阪の美容学校に行きその学費は丁稚奉公的なシステムで美容学校卒業後は
こんにちは🤗かめさんです。5月頃の笑顔のフミちゃんフミちゃんは、今年の4月頃から夜中に夢を見て、謝ったり、感謝したり、ほぼ毎日、夢の中で泣いています。そこには、必ずおじさんとおばさんが出て来ます。でも何処の方々かわかりません。多分、幼少期、もしくは、若い頃の知り合いか親戚?でも認知症のフミちゃんに聞いてもわからないのです.そして、その頃からフミちゃんは、夜な夜な叫ぶようにもなったのです。それも必ず夜中12時過ぎ、約2時間近くです。私自身の睡眠時間もそ
今日は母の日もう年も年だしお仕事を引退して随分たつしこれからはスッピンの時以外は母の顔出ししちゃおうと今、決めた。1934年、中国・満州生まれの母大陸で一旗上げた祖父は戦前は大層羽振りが良く家族の誕生日等のイベントに仕立てた船で地引網をしたり競走馬の馬主にもなってて家族で貴賓席で競馬を見たという記憶もあるって戦争が始まり物不足の中でも砂糖をふんだんに使ってカステラを焼いて食べてたと。晴れ着をきて写真館で撮った家族写真が残っていたりするところが、敗戦により財
母の日。優しかった母を思う日。母のことを書き留めておこう。私の子供達もあまり知らないこと。私の母は飛騨金山の農家?(ちょっとここ曖昧、大きな家だったけど)6人兄弟の末っ子で生まれた。上の姉がお嫁に行った先の親戚に子供がなく、母は小学校1年生で養女として飛騨高山の知らない家にもらわれることになった。(姉は嫁ぎ先での点数稼ぎのために妹を差し出した形)姉は「お父さんが校長先生でお母さんも岐阜師範を出た教師。お金がたくさんあるからなんでも買ってもらえるよ」と母
首位を走ってるくせに、苦手巨人に負ける時はボロ負け。負けるにしてもせめていい試合展開の中で負けて欲しいねんけどなぁ阪神巨人14回戦(甲子園球場、阪神7勝7敗)巨人401110100810安打阪神00000100018安打勝メルセデス(5勝1敗)S敗伊藤将(5勝5敗)投手巨人○メルセデス(7回3/1)-鍵谷(3/2回)-高梨(1回)阪神●伊藤将(4回)-石井大(1回)-齋藤(2回)-岩田(2回)ホームラン巨人ウィーラー10号
【送料無料】【HAPPYBAGチケット選べる2点で5,000円】※こちらはチケットのみです福袋セット新作スウェットパーカーフーディテーパードリブパンツフレアスカートプリーツタイトサテン花柄春夏楽天市場5,000円こんばんは。母についてご質問を頂くので簡単にですが、まとめてみます。母の両親は私から見ると普通の人でした。祖母は少し心配性で、一歩下がって男性を立てる様な控えめな女性でした。暗くなったら女の子は家にいなさい。スカートの丈はも
963です!数あるブログの中から目に留めてくださってありがとうございますこれから少しずつ自分の自己紹介を交えながら、今皆さんが困っていることに少しでも寄り添えたらと思って書き初めました今日は夫との出会いについて触れたいと思います、夫との結婚は、今流行り?のマッチングアプリにて出会いました。笑結婚生活なんて殆ど夢をみて来なかった963と、会社では婚活王子と言われていた夫との出会いです。勿論出会ってすぐ、ツインレイだとか諸々のことがわかっていた訳ではありません夫はどうやら就職してすぐに婚活
クリニックから帰宅して頭痛と気分不良で…ベッドへ🛌いつの間にか寝てしまったようでピンポーンで目が覚めるもう夕方の…この時間に(母がこの時間から出かけることはないのに…)な・な・なんと母が「今日は透析だったのよね?もう気になって何にも手につかないから顔を見に来たのよ~」って美味しそうなイチゴ🍓
~2018年12月~病院には年末年始などない。それでも食事で、色々演出をしてくれる。クリスマスにはクリスマスっぽいメニュー、お正月にはお正月らしいメニューを。もうあと数日で2018年が終わるというある日。担当ナースから、母に退院後のことも見据えて実践的なリハビリも考えてくれてるようだけど母がやりたがらないという。寝る時にはパジャマ、起きたら着替えるということもやりたがらない。まぁ、私も他の人で着替えてる人をあまり見掛けないけど…。『家に帰れば出来るから』と根拠の無
こんにちは先日の帯の件は無事お断り出来ました仮抑えてくれていた留袖と私のイメージ似合う帯を西陣で選んできましたよーと見せられた帯は、とても綺麗な色柄の優しい雰囲気の素晴らしい帯でした私には可愛すぎるかなと思いましたがこんな素敵な帯を私のイメージとして選んできてくださったのだなと思うと、とても嬉しく思いました。そんな気持ちを正直に伝え、丁重にお断りしました。本当に必要になった時には改めてと言うことでそして、週末マンションを見に行くとトイレの壁紙が、指定した二種類の壁紙を逆に貼られ
次に古い記憶は3歳。幼い頃私は母よ父が好きだったんだと思う。ある日父と遊んでいた。きゃっきゃと楽しく過ごしていたんだと思う。ふと視線を感じた。見上げると母。鬼の様な・・・般若の様な・・・顔をした母が私を?にらんでいた・・・やべ・・・お父さんと遊んじゃいけないんだ・・・なぜかそう思った。「お父さんを嫌いにならなければ・・・」そう思った記憶がある。
母に言葉の虐待を受けつつ暮らした大牟田での50年間。つらい思い出ばかりの大牟田を離れ、筑紫野で新しい生活を始めました。それが4年前。大牟田のつらい生活は忘れて心機一転楽しく生きようとこのブログの前身ひかりの筑紫野生活記を書き始めました。しかし弟の死をきっかけに昔の自分に戻り楽しいブログが書けなくなってしまいました。そして最近生きていてもいいですか~毒親に育てられた私と名前を変えてこのブログを書き始
母や兄弟達も大人になりぼちぼち結婚の話が持ち上がるようになった。ある時母にも縁談話が出た。なかなかいい縁談で母は乗る気だったが祖母は母に「この話は正子にやれ正子は頭娘だから・・・」と言ったそうだ。頭娘って最初に生まれた女の子って事つまり長女。「お前はよそ者だから正子より先に行ってはいけない」って。そしてその上に「うちには金はないからお前が金(結婚資金)を出せ。よそ者のお前を育て
母親(私の祖母)が結婚し幼い母には新しい家族ができた。まもなく弟が生まれた。母にとっては弟になるのだが、祖母は弟の事を初子として紹介した。初子は母のはずなのに・・・祖母は母をわが子として認識していなかったのか、継父にとっての初子という意味なのかよくわからないが祖母のその発言は母を大きく傷つけた事は間違いないと思う。そしてまた妹妹弟妹と次々に生まれた。しかしあいかわらず母だけ別に食事を取ら
母親(私の祖母)が結婚した事で幼かった母には父親ができました。とはいっても今から90年くらい前の話・・・今よりもっと連れ子を連れた祖母の肩身は狭かったと思う。継父はまだ幼い母に特に優しかったわけではないけれど特に冷たかったわけでもなかった。でもとにかく新しい父親に対する母親(祖母)の遠慮は強くかったようで幼い母はますます粗末に扱われたようです。一緒に食事をとらせない話しかけてはだめ一緒の部屋に入ってはいけ
出していないはずの戸籍が出されていてそこに記載されていた名前はみやこ。でも母はこの6年「よし」と呼ばれていました。新しい名前で新しい家族と母は肩身の狭い暮らしを始めました。
6歳の時母親(私の祖母)の結婚が決まりついていく事になった私の母。そこで問題勃発「出生届け出してないや!」そこで祖母はあわてて出生届けを出しに行きます。すると入っている。「なんで???」「誰が???」その時点では誰が出したかはわからなかったけれど出されていた事でほっとした祖母。しかし呼び名と戸籍上の名前が違う事が判明します。
母が6歳の時祖母の結婚が決まりました。もちろん母の実父と・・・ではありません。母とは全く血のつながらない男性。そこで開かれたのが祖母と母が住む実家の家族会議6歳になった母をどうするか・・・祖母も積極的には連れて行きたくはなかったようですが、だからといって誰も「私が育てる・・・」とは言ってくれず、祖母はしぶしぶ幼い母を連れお嫁に行く事になりました。
生まれた時戸籍にすら入れてもらえなかった私の母母親(祖母)も家族も何にも思わなかったようだ。母が2歳になった時、戸籍にすら入れてないと知った遠縁のおじさんが戸籍がないのはかわいそうだと役所に届けを出してくれた。だけれどそのおじさんはかなり遠方に住んでいて幼い母に会った事もなく何と名付けなれているのかも知らなかったらしく、適当に自分の好きな名前で届けを出したそう。そしてその事は母が6歳に時まで誰
今日は母の事を書く気にならないので自分の事を・・・ブログタイトルにもなっている「生きていてもいいですか」今日はとってもそんな気分です。とはいっても死にたいと思っているわけじゃないですから安心してください。なんだろうな・・・昨日からなんだか悪い方悪い方に行ってるような気がするんです。私って人間はなんなんだろう・・・って。人からどう見えるかなんてあまり気にしないんだけど、今日はなんだか気に
母はよく虐待を受けたと話していましたが、具体的にどんな虐待を受けたのは話してくれる事はあまりなかった。だけれど私と同じように「生きていていいのだろうか」と思っていたのは間違いないと思う。母の生まれた時代と状況を考えれば、そう感じていても全く不思議ではないとは思う。(もちろんそれでも虐待していいと思っているわけではありません。)両親そろった家庭に生まれた私に母が投げつけた言葉はそのまま祖母が母に投げつ
たった2日の足入れ婚で、妊娠し産みたくない・・・と思った祖母の気持ちは報われる事はなく母は何の問題もなく普通に産まれてきたのです。母親(私の祖母)からも家族からも疎まれる存在だった私の母。戸籍にすら入れてもらえず、ほったかされて育っていきます。
足入れ婚って聞いた事ありますか?足入れ婚とは、明治、大正時代に見られた結婚形態です。知らない男性と知らない女性をしばらく一緒に暮らさせてみてうまくいけばそのまま結婚うまくいかなければお別れ・・・というものです。簡単にいえばお試し婚とでもいうのでしょうか?今から90年前、私の母の母(祖母)はこのお試し婚(足入れ婚)をしたのです。知らない男性と男性の実家で暮らした祖母。でもそんな暮らしは2日で終わ
こんばんは④からの続きです。母から、初めて見せられた若くて着物を着た、写真の女性を「このひとが、私の本当のお母さん」と母に、教えられました。生まれて初めて聞く母の生い立ちは、驚くものでした。すべては、書けませんが母は、自分を生んだ女性のことを叔母と聞かされて育ち女性は母が5歳の頃、他界してしまいました。ただ、その女性は母のお世話をよくしてくれたそうで子供ながらに“なんで、こんなに優しいのかな”と思っていたそうです。母が大人になっていく過程で真相は、誰も話さな
母みよこは昭和16年生まれ山奥の山奥村で5人兄妹の末っ子として生まれました姉、姉、兄、姉、みよこです中学を卒業すると同時に都会の病院へ就職し働きながら准看護師、定時制高校正看護師を取得したそうです。それはそれは死にものぐるいでがんばってたとおばたちが言ってました。几帳面で真面目で一生懸命な性格です