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福島県浜通りから中通りへ母の友人に会って来ました母が最後に電話をした友人です『いねこさんの最後の電話』おはようございます亡き母いねこさんと娘こむぎの日記です時々亡き父も母が最後に電話をしたのは5月18日でした私が買い物に行ってる間かな履歴を見て知りま…ameblo.jp講習と仕事でお休みが週1だったから会いたい人に会う事がなかなか出来なかったけど無事講習が終わって叶いました自分の友人達が私の人生に家族と同じくらい大きく関わっていると感じていながらも母の
子供の頃から母を美しいと思って来ました。授業参観の時は、周りのお母様と比べて一際、若く美しい母が自慢でした。(失礼な事を言ってすみません)同級生にも「リーさんのお母さんは、綺麗だよね。」そんな言葉を掛けられとても嬉しかった記憶が有ります。厳しい姑の祖母に、泣かされていた姿夫である父に怒鳴られ横暴を通される日々子供ながらに、母を自分が守らなければそんな使命感を持って、生きて来ました。美しい母
私には高校生の娘と中学生の息子がいます前ブログは娘のことについて主に書いていました癌だと宣告されてすぐに、やむなく娘に伝えたことは書きましたが↓『青天の霹靂②』『青天の霹靂①』『昨日、癌と言われた』別ブログを放置して1年そして健康診断の便潜血陽性を放置して4年そうか私は放置癖があるのか…突然思いつき、一昨日近所のクリ…ameblo.jp息子にはどうしようか…と娘に聞くと「伝えるに決まってるじゃん!当然だよ!」と即答だったので、息子にもその日に伝えました娘の即答は意外で、やっぱり親側
おはようございます🌼やっぱり疲れちゃって昨日はグデー帰省も一大イベントだなぁ〜妹の義実家で作っている野菜たちいっぱい貰いました有り難い有り難い(私の実家&実母のことなのでまんま書かせて下さい🙇♀不快に感じるようでしたらスルーして下さいね🙏)葉物野菜はほうれん草・春菊・チンゲン菜🌿30ℓほどの袋いっぱいに入っていたほうれん草🌿母と私で分けるように持って来てくれた……んだけどテキトーに分けたら私の方が多くなった……すぐさま"アンタそんなに沢山取ってぇ〜
母の葬儀の時、収骨の順番を待っている間、4人で頼んだお弁当を頂いていたその時、息子が「ばあちゃんの人生って幸せだったのかな?」って聞いてきた前日にも3人で葬儀屋さんに行っていた時に、母の前でいろんな話はしたのだ当たり前だけど、息子が知らないことはたくさんあって、息子は驚きと戸惑いの眼差し、表情でいっぱいになっていた・・・少しだけ母のことを〜昔話ですので、ご興味なければスルーしてくださいね^^;私の両親はともに再婚同士父42歳、母37歳の時に私が生まれた母が再婚だと知ったのは〜
2024年10月のこと・・病状の説明、治療計画、何が必要か何が出来るか、伴うリスク、考えられるリスクを承知でそれらをやるのかなどの必要性、余命、等々何回かDrと話した。何枚かの承諾書にもサインした。本人の「食べたい」と言う思いだけは叶えてあげようということで、ステント留置にトライしてみることとなる。勿論、やってみないと留置出来るかどうか・・のトライで。十二指腸部分に無事ステント留置。その他の処置は無しで。当然だわ。膵臓に関してはもう出来る事など無いのだが、腎臓やら肺やらを何と
エピソード1先日あるお客様からご連絡をいただきメールの中でしたが竹内まりやさんの歌の話になりました。話になったと言ってもお客様が前回の「憧れの場所にて」のブログを読んでくださり、話の内容やストーリーに竹内まりやさんの「人生の扉」という名曲にかけて書いてくださった一文があったというだけだったのですが。竹内まりやさんは昔から大好きで「人生の扉」も本当に素晴らしい曲なのでなんか嬉しかったです。人生の扉といえば先日納品したカワイBL61がもともと
今日は、雪が降り出す前に少し早いけど年内最後になる母の家への訪問をして来ました母の家は隣の県の山の中の本当に田舎なので雪が降ったら二駆のうちの車では危険過ぎて行けない所なもので今のうちに会ってきました年に1、2回しか会えない母、、どんどん小さくなっているように思います母の人生は幾つもドラマ化出来そうな波乱万丈なモノなので私も普通は無いような経験を幾つか重ねてきましたが母の経験を思えば可愛いものだなと思います普通の穏やかな暮らしの方が本当に難しい気がします平凡
昨日は実家の仕事のお手伝いに行ってきました実家は小さな洋品店をやっていて今は母が受け継いでやっています洋服のお直しや学生服を販売しています母は73歳まだまだ元気でいてくれています元気の秘訣はいろんな人とコミュニケーションをとっているから昨日もいろんな方と話をしていて楽しそうでしたお店を開けていれば近所の方が話にきたりお店の前を歩く小学生が寄ってくれたり・・・区画整理で建て直しをしたときお店を続けるかどうかを悩みましたでも母は続け
『私の家族について①』私は独身40代未婚。既婚歴もなし。パートナーもなし。一人暮らし。今日は実家について書きます。両親はお見合い結婚。結婚が決まると母は父の家に同居。つまりは、姑…ameblo.jp『私の家族について②』そんな叔母は地元ではそこそこ有名な企業で働いていましたしかし、定年を迎えるまでずーーーーっとパートタイマーです。40年間も。短大を卒業後親しい身内のコネで『正…ameblo.jp『私の家族について③』『私の家族について①』私は独身40代未婚。既婚歴もなし。パートナ
今日は秋晴れ🍂気温が低いので今年初めてのタートルネック温かいな母を買い物へ連れて行きました今週は水曜日にも買い物に行っているのでそんなに買うものは無い?だろうけどなかなかレジ前に現れない母なんかあったのかな?途中でトイレに行きたくなって行ってるのかな?やはり高齢の母を連れての買い物心配がよぎる売り場に探しに行くとお菓子売り場で何やら探している母カゴの中にはブラックの板チョコレートやらのお菓子や飴ちゃん「ブラックの板チョコ買うのん?苦いよ」娘「どれがい
こんにちは、タキートです♪82歳の母がリハビリ病院に入院して1ヶ月が過ぎました。元々スーパー頑張り屋さんの母なので本格的なリハビリを始めて数日で効果が出始めて車椅子に座ったままですが自分で上げることができなかった足を少しですが上げることができるようになりました。でも、頑張り過ぎたのか腕を痛めたり頸椎にも響いたのか熱が出てしまいまた元に戻ってしまったようです。母はあまり弱音を吐いたりしないのですが流石に辛いよう
昭和16/12/7生まれ82歳昨日入院先の主治医から緊急招集があり行ってきた。若い女医さんで、言葉を選びながら丁寧に現在の母の状態を説明してくれた。本人が苦痛のないように!を1番に考える。選択。元々壊れていた肺。誤嚥性肺炎で更に悪くなる。あと何日今世にいられるのだろうか?妹は説明聞きながら泣いていた。私は兄への腹立たしさから、涙出ない。こんな緊急時にも、出張と行って病院には来ない。母は兄の事を1番推していた。1番かわいいし、心配だし。。。母と兄との関係性。そう築きあ
今母の施設の部屋の整理に入っていますが、入所時に母が持ってきた物が結構あって、処分する物が殆どです。家に持ち帰って選別しながら、今の施設に入るまでに12年の同居生活がありましたが、老人会での小旅行の写真など見ていると、楽しく過ごせた時期もあって良かったなあと想えました。私との関係性では、ぶつかることばかりでしたから。もし振り返って「良き人生だった」と感じるのは、本人でしかないですが、写真の中の母は友人に囲まれて、良い時間を過ごせたかも知れないと私自身が想えたことが「救い」の
お越しいただきありがとうございますイイねやコメント力になります。今日は、5月26日に脳梗塞で緊急手術をした母の退院。医療付きの施設に、無事入居しました介護タクシーは、女性スタッフさん母は、弟のお嫁ちゃんがタクシーで付き添い来てくれました。久しぶりの日差しに、ちょっと眩しい表情だったそう私は、施設の母のお部屋に先に着き、着替えのパジャマや必要なものをクローゼットや、洗面に設置したりして待ちました3月の新築の施設、明るくて、お隣は、大きな幼稚園で声も聴こえてきます訪問ドクターや看護士
『「雪は降らない」』今まで何度も何度も母に会いに来て下さった母の一番の親友のHさんと、母の中学校の同級生で30年間毎年欠かさず今まで同窓会の幹事を務めて下さっているAさんとは、母…ameblo.jp『母と最後の記念撮影』着物の喪服を着たのは父の十七回忌以来約20年ぶりでした。本当は前にブログに書いたけれど、妹の前の夫が火葬される時妹が気持ちが悪いと言って倒れてしまい、母から妹…ameblo.jp『たくさんのご供花』私が子供の頃から母がずっと私に言い聞かせていた通り、母の葬儀には母の嫌い
いつも読んでいただきありがとうございます。家の近くで、夜間道路工事をしている。私が寝落ちしたあと、やらなければいけなかったことをしていると現場事務所に帰ってくる。いつもあの人たちも大変と、変な仲間意識がでも、土日祝はお休み。私は休みはありません。ちょっと寂しい。全然話し話しはかわりますが、さっき母と話していた。最近夢の中で生活していることも多いみたい。さっき夢の中で~と話すことも。でもさっきは情けないねぇ~😢と現実の中で話していた。90年近く、頑張って生きてき
🌸ご訪問ありがとうございます🌸皆様おはようございます☀土曜日仕事の人もお休みの人も如何お過ごしですか?朝から洗濯頑張ってます🌸サクラまいです🌸私の母は樹木希林さんにそっくりな顔してましたそんな私の母の話を聞いてください♪私の母は56歳の時脳溢血で人生の幕を閉じたのです。その日はどんよりとした曇り空父と私母の姉妹父方の親戚大勢に看取られ亡くなりました母は父とお見合い結婚しました。一度顔合わせして2回目で嫁いだそうです。今の時代では考えられないですよね❣️(その当時は良く
うちの母の口癖はお金が一番大切、お金は裏切らない、いつまでもあると思うな親と金何十年も言い続けている。口に出る言葉は、ほとんどお金の心配や、将来のお金の不安、心配事母は昔、本当は短大に進学したかったけど、親からお金がないと言われ諦めるように言われ、保育園で働きながら保育士の資格をとって働いたという経緯がある。18歳の母にはとてもショックな出来事だったのだろうなぁと思う。でも父と結婚して次男次女だったから、家を建て、姑問題、双方の両親の介護もない自由な日
今日は母の日母の日は生んでくれて育ててくれたことに感謝しています生んでくれたから和多志はこの世に存在しているし育ててくれたから生きてこれた自分の子どもを育児放棄する親もいる中で和多志の母は育ててくれたありがたいことですね母のことは好きですがもちろん嫌な部分もあります母に言われた言葉の呪縛も和多志への愛があってこその言葉だっのかも知れませんが母が言うからそうなんだと思い込んで苦しんでいたのは事実今では克服しましたがずっと言われ続けていたので聴くのも嫌な時期もあり
✨ゴールデンウィークも終わり✨ちゃんと毎日登校してくれるかな?とお子さんの行きしぶりや不登校を心配しているお母さんへ🌸我が子の不登校が始まった頃の様子を投稿してます🍀ぜひ、ご覧下さい。『不登校や行きしぶりは、夫婦の在り方やお母さんの生き方をみつめ直すサインかも』ヒーリングヒプノ侑希の明松侑希です。ゴールデンウィークが終わってお子さんにこんな様子はありませんか?中2の息子は、最近だんだん、朝起きるのが遅くなってきている…ameblo.jp【明松のヒプノセラピーを受けられた感想】お客様
私と小学生の子供2人は、母を助けるために始まった。もともと商売をしていた私たちは、コロナをきっかけに売り上げが落ち始め、続くウクライナの頑張り?により価格高騰の煽りをもろに受け、小さなお店を畳んだ。小さいとは言え、家族4人が十分に暮らせるだけ売り上げも安定し、これから10年目を迎えようとしている時だった。たった半年で、みるみる売り上げは落ち、仕入れ値は上がる一方、借金をするのもリスクが高く夫と私は合計20キロ痩せた。その頃の母の状態は妹から聞いていたので、それならば!と母を手伝うことに決
母を思えば、強いひととしか浮かばない。子供みたいな小さな体格のどこにそんな強さを忍ばせているのか、いや強さだけで形成されていたのかもしれない。本当に小学生くらいしか無い身丈だが、眼力が半端ない。記憶がある限り優しく微笑まれたような思い出が無いその代わり、思いっきり叱られた記憶も無いのだ。母の生い立ちは、昭和一桁の当時ならそれほど珍しくも無い貧しい農家に生を受けて、まだ乳呑児の頃に産後の肥立ちが悪かった母親が他界。父親が近所にもらい乳をしたり、重湯を飲ませて男手で育てた。兄弟は6歳違いの
今日、3月24日は亡き母の誕生日。存命であれば104歳。母の人生は波乱万丈でした。もちろん母に限らず、あの時代に生まれた方々は多かれ少なかれ波乱万丈だったと思いますが…何しろ戦争がありましたから。母は1920年(大正9年)東京の麻布本村町(今の南麻布)に生まれました。4歳の頃の母と祖父母幼少期は父(私の祖父)の駐在先である上海で過ごし、帰国後は女子学習院に入学。その後再び父の転勤に伴い渡米。L.A.やサンフランシスコ、ニューヨークなどで多感な青春時代を過ごしました
少し前に、1人でランチしたり1人でお茶することについて、グループLINEで雑談をしていました。経験がなくて苦手だと言っていた母でしたが、そのうち行ってみようかなと言っていたんです。それから1週間も経たないうちにケンタッキー入ってシチュー食べてきた!って言うんです嬉しかったーーーーーーー父が急逝して今年3年目になるのですが、私なりに母の心に寄り添えればとやっていることが、やり過ぎてしまっているんだなって反省する事も出てきて、そして、自分の人生を生きたいって思う気持ちも出てきてそんな
気持ちが平静に戻った感じです。葬儀もまだなのに…ですが、母の意識が戻らなくなった去年6月からが長いお別れだったように思います。私が納得できるよう、モラトリアム期間を設けてくれたんでしょう。葬儀のお願いにお寺に伺った時、母の生涯について住職さんと話して、最後こそ衰えましたが、長くしっかりしていたものと改めて思いました。92歳の誕生日を迎えた2年前の今時期までは支援があれば独居できていて、異変は何もありませんでした。見当識障害が出てきたのはその直後の春先でしたが、1月にペースメーカーの電池
フルタイムで働くって本当に大変なことよね。自分1人でフルタイムで仕事してその間は料理する時間もあんまりかけられないから休みの日に買い物してまとめて数日分の料理して、あとは少しずつそれを食いつなぎ、ちょこっと料理したりしてもうそれだけであんまり自分の時間持ってる気がしない。想像してみる。これで子どもがいたら?無理な話よ、私にはそれを自分の母はやっていたんだなーって考えるだけでもう感謝しかないわけです。往復3時間以上かけて通勤してフルタイムで働いて毎日バリバリ営業かけてア
ゆっくりな更新になっておりますが、お立ち寄りいただいてありがとうございます先日母方の祖母が旅立ちました『初めての感情~おばあちゃんとのお別れ~』また間が空いてしまいましたねポツリポツリの投稿になってしまいますが、お付き合いいただけると嬉しいです今日は前回の続きでまたおばあちゃんとのお別れの話になります…ameblo.jpこれで祖父母と呼べる人が、みんな天国へ行きましたそれと同時に母の介護生活も終わりました。私は父方の祖父母と同居でした。父方の祖母が脳出血で倒れて以来、30年に及ぶ母