ブログ記事52件
私、ある時気づいたんだよね。自分の実家に愛着がないこと里帰り出産を選んだけれど。それは初産だったからで、産院も実家から近かったから。今でこそ私の父と母は言い合いをするような年齢ではないけど。私が物心ついた頃には、よく喧嘩をしていた。だけど、体の関係はあった…と思う。と、言うか父の性欲が強かったと思う。それに母が逃げていたと思う。今思うと怖かったのではないかと思う。夜になると私か私の姉の部屋に逃げて来て、一緒に寝たがる。そんな母に寄り添うことができず、お年頃の娘はお父さ
●今どきの中学生が背負う“重すぎる現実”夫の不倫問題で悩んでいる女性が笑顔を取り戻すカウンセリングをしています夫婦問題カウンセラーの安藤優です私の息子の勤務先は中学校。そう、これは先日、息子から聞いたリアルなお話です。ある生徒、その子は母子家庭。でも、家庭環境は想像を絶するものでした。その生徒は、ろくに栄養のある食事を取れていない様子。だから体も小さく、体力もない。「母親が仕事で忙し
当時の私45歳介護士として働き始めた時の職場にさっちゃん(仮名)がいました。出会った頃のさっちゃんは30歳位。とてもクールな独身女性で結婚はしない。子供も要らない。と、常々言っていました。さっちゃんが、何故そう言うのか私には心当たりがありました。さっちゃんは気付いていなかったと思いますが、私とさっちゃんが会ったのは職場での出会いが初めてではないのです。狭い田舎町働く場所も限られていて知り合いに出会うのは珍しくはない。その当時から20年以上前の
『こんな話をきいてくれてありがとうございます』といわれるたび笑笑笑自分の母に感謝する笑笑笑子どもを愛せない女丸出しで笑笑笑母の不倫相手の奥さんからうちが包丁でなんかいか刺されそうになり笑笑笑男にうちのおカネをみつぎ笑笑笑不倫相手とふたりでうちをしばいたり笑笑笑またその相手とうちを寝させようとしたり笑笑笑まあ〜いろんなめにあわせてもろたことが笑笑笑しんどい?とおもわれる話をうけとめることができ人様のなにかしらささや
前記事で、父に対して不満を漏らしましたがそんな時は母が生きていた当時、母が父に対して不平不満を漏らしてた時に、私が母に言っていた事を自分に言い聞かせます。笑お父さんがいるから、こんなに自由にできるんじゃん!家の出費は父さんが払ってくれてる!お母さんは自分で働いたお金はほとんど自分の為に使えてるでしょ?幸せな事だよ?(私は食費は折半ですが)ご飯だって、出されたものは文句言わずに食べてくれるしいざとなれば自分の事は自分でやってくれるし遊び回っても、泊まりまくっても、全然文句言わ
おはこんばんは。伊勢の愛ちゃんです。私のブログを見つけてくださり、ありがとうございます。夏はこれからだというのに、もうコスモスが咲いていました。花は詳しくないのですが、今頃でも咲いているんだぁ、と思って眺めてました。この話を連続で読んでくださっている方は、おわかりかと思いますが、〝天変地異が起きた日〟は私の母が不倫して、不倫相手に捨てられて自殺するまでの経緯を書いています。ですので、暗い話が嫌いな人はここで引き返すのをおすすめします。暗い話ですが、この私の経験が何かの役に立てればと思
知らない男に押し倒された母の不倫相手のクズ男に襲われてる時母と目が合ったでも見てるだけだった私は叫びながら拒絶した思いっきり噛みついた自分の部屋に逃げたすぐに警察に電話した大きな声で喋った部屋の外に聞こえるように母はリビングで笑ってた
両親が離婚しない理由それは父が逃げているから10億を分けたくないだから母から逃げている父が直接教えてくれた私はお金欲しさに父に連絡すぐに振り込んでくれた「俺の味方ならいつでも渡す」そう約束してくれた私の仕事は母の監視母の不倫の証拠集め
あくる日一番の電車で帰った。仏間に父が寝ていた。冷たいと思っていた父は、、冷たくなく、まだ温かみがあった。ありがとう。最後温かいお父さんに触ること許してくれて、待っててくれて。ほんとうにありがとう。涙はでなかった。母はその時私にこう言った。『遊んでばっかりおるからお父さんのことなんて考えてへんから、どうでもえーから涙もでんのだわ(方言です。でないのね。という意味)』私『ちゃうし。まだわからん。なんか嘘みたい。』と言う私を白い目でみたよね。母『はい。はい。』心のなかで私は
『母の事〜納棺まで〜』病院から自宅に戻って(AM4:00)葬儀屋さんとの軽い打ち合わせの後AM5:00)弟嫁さんが握ってくれたおにぎりを食べ(AM7:30)葬儀にあたりどこまでの人…ameblo.jpずいぶんと間があきました💧納棺後の続きです。納棺後、そのまま無事葬儀も終わり、、、身内の事で色々ありましたが、話も逸れてしまいそうなので、、、略します。棺の蓋を閉じる時は、色々と込み上げてきて号泣しました。火葬後骨になった母を見て私を含めて親族が言った言葉は○○ちゃん(母の名前)
一気に行きます前途記したように友達は居るわけもなく、、いや、いたんです!できていたんです!その子は今でも繋がっています🎵いつも集団注射で後回し組のお仲間(笑)きこちゃんです。華奢で色白で学校の裏山でよく一緒に遊びました。(休み時間に)そう、このきこちゃんも、ビビり&なにかを感じる冴えた子でした。よくふたりで、ここなんか気持ち悪いね。何て話しもしていたような。そんなきこちゃんとも、ずーっと一緒にいるわけではなく、、一人の時間も多くありました。ねぇーねぇー、一緒遊んで。と頼ん
いつものように面会に行くと母は眠っていました。お母さーん!お母さーーーん!!来たよーーー!起きてーハッとビックリした様に目を覚ます母。○✖️△#¢%〒!?何言ってるのかさっぱりわからない何回聞いても何言ってるのかさっぱりわからないんです。それでもなんとかわかったふりをしてましたがさっぱりわからない。多分、って言うか絶対に会話も成り立ってなかったと思います。以降、面会に行くたびに母とはまともな会話が出来なくなりました。ずっと寝ていたり起きたと思ったらすぐに寝て
再入院から2週間くらい経った頃、面会に行き母の携帯をチェックしてると、(この頃はもう携帯は全く弄ってませんでした。というか、いじる事が出来なくなってました。)見知らぬ男性から着信履歴がありお母さん、○○さんって人から電話来てたみたいだよ?わかる??って聞いたら、....あー、同級生の○○だわー掛け直してみる??....そうだねーって言って、電話を掛け直して私も補助をしながら見守っていました。電話が繋がると同窓会のお知らせだったんですが、相手が男性なので、一気に母の【
一時退院からまた病院に戻った母。コロナの関係で、再入院の際は1週間の完全隔離となる為隔離中は面会不可となります。面会可能になるタイミングで病院から電話があり母がオムツになったので、次の面会の時にはオムツと尿取りパットとお尻拭きを持ってきてくださいといわれました。もう、完全に歩けなくなったようです。本当にギリギリの一時退院だったんだな。。。と思いましたね。再入院後、初めての面会の日。今まではベッドから降りるところは柵が無かったんだけどベッドは全て柵で囲われておりました。
母のせん妄が始まってから割とすぐの頃電話の嵐の時ですね。『母の事〜せん妄が始まる〜』母が緩和ケアに移って、一週間ほど経った頃。夜、母から突然電話が来ました。ここ二週間ほど、電話なんてかけてこれなかったのに、どうしたんだろうと思って電話に出ます…ameblo.jp実は、母から不倫の告白を受けてました。ずっと、私に告白したいっていう気持ちがあるのはしってましたがまさかこのタイミングで告白されるとは、、、『母の事〜不倫を娘に告白したい〜』不倫相手のおじさんとの電話内容を確認していて耳を疑
母の一時退院最終日。母には最初から、2泊3日の一時退院と言う事は伝えてありましたがせん妄によりほぼ、新しい事の記憶は残らないのでこの日に病院に戻るという事がわかっていません。病院に戻るということを言った時、病院に戻りたくないと騒いだらあと一泊は延長する予定でした。(ただ、我が家的にどうしても外せない予定があったので、その場合は弟家族に母を見てもらう事になってました。)母が今日の予定は?って聞いてきたのでお母さん、残念だけど今日病院に戻らないといけないんだよって伝えてるととて
一時退院初日。夜は、弟家族、妹家族も全員揃って母の誕生日会をしました母はこの時、果物はたくさん食べれたのでずっと果物を食べてました。正確には食べさせてあげてました。起き上がる事が一瞬しかできないので、基本的にソファの上で横になっているので自分で食べるのは難しいんです。ほとんど私が食べさせてました。母を独り占め状態です。笑笑メロンにみかんに桃にさくらんぼ、、、果物尽くし!あとはケーキも一切れ完食!お腹いっぱいだー世は満足じゃと、茶目っ気たっぷりです。笑今思うと、せん
母は先日亡くなりました。この一時退院から、およそ1カ月半後になります。母の記録として、母の事は書いていきたいのでもうしばらくお付き合いください!帰宅後、ソファに横になっている母ですが、とにかく足や頭が痛むようでバタバタともがいております。痛いーー痛いーーーもうーーーどうにかしてーーー!!可哀想なくらい痛がってて痛み止めも飲ませてあげるんですがその痛み止めもカロナールなんですよね。。。ほんとにこんなんで効くのか??って半信半疑。でも、ちゃんとしばらくしたら落ち着いたようで
まだまだ母の話の途中ですが先日、母の初七日を迎えました。看取りは間に合いませんでした。10分、間に合いませんでした。コロナ禍でなければ、確実に家族みんなで看取れる状況だったので悔しさが残ります。母の入院中の面会は、私は週三で通えてましたが父は、母が入院してから4回だけしか面会に行きませんでした。現実を見たくないのと、母と何を話していいのかわからないのとで、なかなか面会に行こうとしませんでした。父は毎日通える状況だったのに、、、男って弱いなぁって思うわ。母の入院中の事務手続き、
病院から自宅までの15分間車の中で痛い痛いどうにかしてー!!と騒ぐ母を隣に乗せて変な汗をかきながら緊張して運転。なんとか家に帰宅。家では妹が待ち構えていて二人で母を車から下ろし車椅子へ座らせ玄関まで移動し靴を脱がしてゆっくりゆっくりと茶の間へ歩いて行きソファに横になってもらいました。ようやく落ち着いた!笑こりゃあ、脱走なんて無理だ!!笑笑だって、もう、コレは一人では歩けないもの💦移動介助です。もう、介護です。母の脱走対策として、車の鍵はもちろん隠してあるんだ
7月上旬。母の一時退院の日となりました。前日も面会に行っておりお母さん、明日の誕生日は退院だよー!もう外は暑いから、ワンピース買ったからこれ着てね!きっと似合うよーー✨あと、化粧もバッチリ決めといてね👍カツラ合わせも予約してるからね〜明日なのー?嬉しいなぁー✨ワンピース、良いね😊それ着たら何歳に見えるかなーカツラ合わせ楽しみーー!って会話をしていました。退院が決まってから、毎回同じ会話をして毎回初めて聞くようなリアクションをしてましたけど。笑お迎えの約束時間ぴった
母の一時退院が決まりましたので、色々と準備や家族との打ち合わせをしなくてはなりません。母の、放射線治療で入院が決まった時から母の洗濯物の受け渡しから父の身の回りの世話母の口座管理、支払い管理(入院前に通帳と暗証番号を伝えられてました)母の入院の保険手続き等私一人でやっていたので(同居しているので当たり前なんですけどね)妹や、弟嫁さんからいつも、まるるにばかり一人でやらせてしまってごめんね手伝える事があったら言ってねって言ってもらえてました。手伝ってもらうとしたら、母の一時
緩和ケアに移ったばかりの時担当の先生に、母はもう一時退院も出来ないのか確認してまして。一回は一時退院は可能であるとの事でその際は六月下旬から7月上旬くらいがギリギリだと思われる。また、外泊となると母の介護が家族の負担となるので、外泊日数も家族で負担にならない程度で決めていただいて大丈夫。その際の母の状態によっては、オムツになっている可能性も考えられる。と言われてました。この事を弟、弟嫁、妹とのグループLINEで報告。母は七月上旬が誕生日ということもあり弟嫁がすぐに、お母さ
母が病棟を抜け出し、病院から脱走をしようとして確保された後面会に行っても、母から脱走に関する事は一切話をされませんでした。私からも聞かなかったけど、やはりせん妄により、記憶が残らないんだな、と改めて実感しました。脱走した日を境に、母からの電話攻撃は激減。面会の度に発着信履歴を確認するも、不倫相手への電話も激減してました。そして、退院したいと騒ぐことも無くなりました。看護師さんに、不倫相手に母の状態の連絡はされたんですか?と確認したんですが母が退院したいと騒がなくなり、
母が覚醒してから、毎日毎日電話があります。その内容も、言ってる事が毎回変わってきてるんですが一貫してるのは退院したい!!って事。母:外泊も、外出もダメだったらもう、強制的に退院する!そして、またしばらくしたら入院する!!お母さん一人で病院に言ってもダメだから、まるるからも病院に訴えて頂戴!!!この欲求は、日に日に強くなります💦緩和ケアに移る際、担当医からも母に説明してもらってたんですがもう自分が緩和ケアにいることをわかってないのかもしれません。。面会に行った直後、す
前記事で、母が私が死んだら保険が降りるから、今のうちに車を買いなさい!!と騒ぎ出した件。『母の事〜車を買いなさい〜』せん妄が始まってから、母から毎朝5時くらいに電話があり、調子のいい時は、午前中と、午後と一回づつくらい電話があります。今、何時??お母さんの今日の予定はなんだ…ameblo.jp補足というか、前置きというか、、、エピソードがありまして。母、去年の夏あたりから新車を買いたい!!って騒いでたんですよね。今乗ってる軽がもう10年になり結構ボロボロなのと、軽じゃなく、乗
せん妄が始まってから、母から毎朝5時くらいに電話があり、調子のいい時は、午前中と、午後と一回づつくらい電話があります。今、何時??お母さんの今日の予定はなんだっけ??ちょっと買い物に行きたいんだよねお昼ご飯は運動の為に自分で買いに行くのいきつけの美容院にカツラ合わせに行かなきゃいけないから退院する今日はアケミちゃん(母の親戚)が迎えに来てくれるのーもう少ししたら、アケミちゃんの所に三泊くらいする予定なんだー等々、今は病院から出られないことを忘れてしまってます。今日は○時くらい
母が緩和ケアに移って、一週間ほど経った頃。夜、母から突然電話が来ました。ここ二週間ほど、電話なんてかけてこれなかったのに、どうしたんだろうと思って電話に出ます。あ、まるる?いま、お昼??え?夜??そうなの??昨日は火曜日でしょ??(この日は金曜日です)なんこね、ここの施設の人たちお母さんに、認知症の人にするような質問をしてくるの。ここに居たら、お母さん頭がおかしくなりそうなの。施設の人には内緒だけどお母さん明日退院するからね!ツーツーツーoh...何か、始まったぞ。笑
母は緩和ケア病棟に移りました。緩和ケア病棟はもともと、面会時間も面会人数も自由な病棟ですが、コロナ禍なので、当然そういうわけにもいかず。一定の条件を満たしていれば、二人だけ、決められた時間内のうち10分だけ面会が出来るシステムとなっていました。条件を満たしていたのは私と父の二人だけだったのでそのまま、面会の登録となりました。本当であれば、毎日面会に行ってあげたいところですが時間的にそういうわけにもいかないので、週三回、面会に通っています。緩和ケアに移った最初の一週間、
脳への放射線治療を終えるも、状態が良くないので、家族と今後の治療方針の話をしたいと担当医に呼ばれ父と二人で行ってきました。担当医から髄膜播種(ずいまくはしゅ)になっており髄液の中に癌細胞が広がっている状態でこれ以上の治療は難しい状態です。また、本人の体力も無くなってきているので、抗がん剤治療も難しい。脊髄の方に転移するのも時間の問題で、そうなると、身体の臓器も機能しなくなります。秋まで保たない可能性があるというのが、我々のみたてです。今後は緩和ケアの方で、少しでも痛みを和ら