ブログ記事4件
下記リブログの続きです。物心ついた頃には、兄は毎日のように何かと、いちゃもんをつけ、最終的には、それが殴ったり、蹴ったり、つねったりに発展しました。痛いから怖いから当然のよう「ギャー」と泣き叫んでいた私。「お父さーんお母さーん」と泣きながら助けを呼んだ事もあります。そんな時の父と母の反応母「何泣き叫んでいるの、うるさい黙りなさい。あんたは、いつもいつもうるさい」そして「うるさい、泣くな」と、泣いている私を叩く母。兄が突然ちょ
お風呂の事に関する話を、ここのとこ書いているので今日もお風呂関連の話を書いてみたいと思います。私の母は、「どんな事に対しても、一番でなければならない、周りの人に負けてはならない、常にトップに立ちリーダーシップを取ってなければならない」そういう考えのもと、とりわけ勉強や習い事に関しては、それを徹底していたので、私達兄妹には、相当なプレッシャーやストレスが、かかっていたと思います。だからなのか、兄の私に対するイジメは酷かったです。どこの家でも、上の子は、下の子に対し理不
下記リプログの続きの話です。「父が母の言いなりの人になった背景」「母のイエスマンの父になった背景」「母が命令した通りの子育てをするようになった背景」には、母の強烈な家庭内での力がありました。私が生まれ育った家は、¨母が言った事が、家庭内の法律¨こんな感じの家でした。そこに至った過程には、父と母の結婚当初の出来事があります。父は、下記リプログで書いたように、良識的な人で、威圧的な態度を取る人ではありませんでしたが、結婚当初、父の母(私の父方の祖母)に、「嫁は尻
私が、原家族の話をしていると、「お父さんの話が、あまり出てきませんね」「お父さんは、おられたんですか」「お父さんは、その時どうしてたんですか」等、よく質問されます。父は、いました。ちゃんと働き家族を養ってくれる父は、ちゃんと家にいました。しかし父は、家の中に、いたにはいたけれど、私の感覚としては、形として、そこに存在していただけでした。〇兄が母に暴力を振るっていても、何事もなかったように過ごす父。〇母に言いなりの父〇母の意見、子育て法に、いかなる時もイエスマンの父〇母が