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アメトピへの掲載ありがとうございます。コメントやメッセージにいつも励みをもらっています『義実家へ行きたがる子どもと、私の葛藤』夏休みに入りました…幼稚園児と小学生の子ども達は50日近い、なが〜い夏休みのスタート。と言っても、どこかへお出かけする予定も無く、今のところ、近所のお夏祭りや…ameblo.jp昨日は幼稚園で下の子の個人懇談会があった。帰り際、園で飼育しているカブトムシの成虫を、「良かったら自由にお持ち帰りくださいね」と先生に声をかけられて。(この暑さの中、屋外の飼育スペ
こんにちは、カウンセラーの志緒村亜希子です。志緒村亜希子のメルマガはこちら個人セッションや講座、イベントを優先的にご案内しています志緒村亜希子メルマガ突然ですが、縁あって今イベントの実行委員会として動いています。昨日メキシコの親友が息子くんと親子で来日し、我が家での5週間のホームステイが始まりました。少し緊張していた子ラッコもすぐに打ち解けてロングフライト後なのに夜中12時まで遊んでた今日は彼らの騒が
今日、娘を空港で見送りました。彼女は今、短期留学のために異国の空へ旅立ちました。4年前、不登校だったあの娘が。私が立ち止まり、自分に正直に生きようとしはじめた頃、彼女も少しずつ、自分のペースで回復していきました。そして今、自分の言葉で「海外に行ってみたい」と話してくれた
やさしくなりたいのに、できなかった日がありました。母として、人として、いっぱいいっぱいで。それでも、変わるきっかけをくれたのは──子どもたちのまなざしでした。私は子どもの頃、母の怒る声がとても怖かった。特に姉に対しては厳しくて、ヒステリックになることも多くて、私はいつも「怒られないように」空気を読んで、良い子にしてた。でも、母がいつもそうだったわけじゃない大きな声で笑って、まわりを明るくする人でもありました。父は温厚で、人の面倒を見るのが好きな人そんな両親に育て
週末、夫と一緒に、みおのお骨があるお墓へ行ってきました。先祖代々のお墓で、骨壷が並んでいる場所です。高速道路を使って片道90分ほどの距離。車の中では、なぜかみおのことはあまり話せませんでした。自然と、今一緒に暮らしている娘の話ばかりしていたように思います。それでも、お墓に着いて、手を合わせ、お供えをして、線香を立てて、ただ静かに夫とふたり、みおを感じる時間がありました。みおの小さな小さな骨壷を取り出して、そっと自分の腕に抱いて
改めまして、果林です。🌿今日は「母として」から「ワタシとして」へ私が少しずつ歩み始めたお話を綴ります。⸻息子はとても育てにくく感じる子でした。でも今振り返ると、育てにくさは息子だけの問題じゃなくて、私自身の問題でもあったと気づきました。⸻私はずっと、母の期待に応えるために生きてきました。「いい子じゃないと愛されない」「ちゃんとした娘でいないといけない」そんな思い込みがあったからこそ、自分の子供もちゃんとした“いい子”に育てなければと、無意識に縛られていたのです。
私をご存知の方にとってはかなり久しぶりの投稿になります。以前、恋愛や結婚のコーチングに取り組んでいた私ですが、その後、出産を経て──ずっと望んでいた我が子をこの腕に抱き、幸せとともに、見えない未来への不安や、思いがけない絶望が入り混じった──まったく新しい人生が、そこから始まりました。母としての新しい自分を育てながら、コーチングやカウンセリングの技術をさらに深め、さまざまな“エネルギー”の存在とつながることの意味を知り、惜しみなくその世界を分かち合ってくださる先生
ずっと「私がなんとかしなきゃ」って思ってた。お金も、関係も、空気も。専門学生の彼、娘のパパ、38歳で別れたキングオブクズ——出さなきゃ壊れる、我慢しなきゃ捨てられる、そんな恋愛ばかり繰り返して、気づいたら私は“ダメンズ製造機”になってた。娘たちの目には、どんな私が映ってたんだろう。泣かずに耐える私、いつも頑張ってる私、笑ってるけど、たぶん無理してる私。5年間、恋愛を閉じてから、今の彼と出会った。ガミガミ怒るくせに、「かわいい」って言ってくる。私はようやく、“出さな
Today’sSkyこれは「仕組み不足」ではなく「意識の階層差」から起きている現象かもしれません。多くの人は「してもらったこと」には“ありがとう”と言えるけれど「育てられていること」には“ありがとう”という概念がまだない感謝には“階層”があるように思う。そしてそれは、意識の成長と共に、少しずつ気づいていくもの。■感謝の階層第1層:目の前で助けてくれた“直接的な人”◎多くの人が自然に感謝できる第2層:チームとして関わる人たちの“支え”◯徐々に気
こんにちは、元・子ども苦手カウンセラーの志緒村亜希子です。※昨日この記事を湧いてくるまま書き出したのだけど直感で書きすぎて訳がわからなかったので再度編集してUPしております。いいねしてくださった方、消えちゃってすみません🙏志緒村亜希子のメルマガはこちら個人セッションや講座、イベントを優先的にご案内しています志緒村亜希子メルマガ子どもが友だちから嫌なことをされたとき母のわたしはどうしたらいいのか?この記
インターネット上の誹謗中傷等への対応|警察庁Webサイトwww.npa.go.jp時代は変わりましたね、、決して、これからの経済・子供は増えない当たり🎯です。。高齢者も、増えて空き家だらけになります。🏘️🟢やたらに、上手い話しはだめ🙅🟢怖いなとかんじたら、近寄らない🟢通報ブロックボタン🔘押す🟢弁護士・または、警察👮♀️に行く直接電話で、なく、被害者届を弁護士に依頼して書く📝気をつけよう。。ね。こ
かよーび今週は、、、なんと30℃超える日々、、、昨日も暑かった、、、6月半ばすぎで30℃超えるって。どうなってしまったんやで。税務大学校で、約3ヶ月。専科研修を終えようとしている、息子ちん昨日、配属先税務署と、部門の。発表前々から、、、勤務地を予測して。↑勝手に希望が通ると思い込み(-。-;何軒か不動産屋さんと連絡をとっていたようで希望通りにはなかなか行かないのが世の中であり。人生、、、。ちょいと落ち込んだみたいやけど。落ち込んでばかりはいかんから。
今日娘が泊まりに来る。と、いっても仕事終わって明日の朝昔の友達たちと、久しぶりに遊びに行くために、便の良い我が家に泊まって明日の朝、たぶん早く出かける…そして帰ってしまう…と、思う。でも泊まりにきてくれる。朝から旦那さんは、娘の布団を干している。私は夏用の敷パッドや夏掛けをこれから洗濯する予定です。晩御飯何作ってあげようかな?今日は初孫ちゃんのお預かりもあるのでそのメニューも考えないと(笑)でも嬉しい🥰心がワクワク、元気になる。お嫁ちゃんのご実家のご両親もきっとこんな気持ちなの
4年前の今日の投稿。子育てにはなまる💮いただいた気持ちになったこと。ムスメの育児は色んな意味で大変だったけどだからこその関係性が今、深く実を結んでると思ってる。やったことが還ってくる…そんなことを実感してます。
前回の日記(日記のつもりで書いてる)ちょっと精神的に参っていた😭日にちが経って娘の心が乱れたけど寄り添っていた病院も継続警察では調書が終わり次回呼ばれる時は犯人の顔が確かか見る時だと言われた警察は捕まえてくれるだろうか不安で警察にも文句を言ったけど仕方ない病院代も第三者行為だから150%〜200%の保険適用外の自己負担加害者に請求してくださいとの事3回の病院代は約10万円これから診療内科にも継続的に行くためまだ犯人捕まっていないのに自己負担
おはようございます今朝は肌寒い東京です…。曇天☁️で、天気予報でも雨マークがついてしまいました💦時期的に仕方ないけれど…天気が悪いと、嫌ですね明日は、長女が計画している北海道1周ツーリング🏍の出発日ですとってもとっても、とっても心配で半年ほど前、長女がこの企画を話し始めた時もやんわりと心配の旨を伝えましたが…基本、長女は私のことを「過干渉」「毒親」「親ガチャ外れた」と罵っていた過去があり…私が病弱な父と忙しい母の元で寂しく育ったので、自分の娘にはそんな思いはさせたく
お腹は空いていたのですが数日前から異常に体が糖分を欲しているのを感じており長いスパンで気になっていたケーキを食べるのは今日しかないと一念発起お茶をしに出掛けました初めて飲むアイスコーヒーはスッキリと飲み易い苦味でした。「食べてみたい」と思ってから一年位待望のキャロットケーキ「クリーム部分が甘かったらどうしよう」が恐怖で今迄腰が引けていた事を強く後悔「甘くない」が何よりも嬉しい驚きでした。無糖ではないかもしれませんが、限りなく無糖に近いと思います。濃厚なクリームチーズ2、3種類
こんばんはJINくんからのプレゼント…「ECho」届きましたまだ開封してませんが…💦楽しみすぎてゆっくり時間をとって開けたくて開けた方の投稿写真見て満足したりして…ずるいっ!今夜、いよいよ、トム・クルーズとJINくん、共演です。JINくんのご家族とトム・クルーズがTV電話したって?!JINくんのお母様、かなり動揺してたとJINくんが話してくれましたね。そりゃーそうですよね。JINくんのお母様はきっと私達と同世代…トップガン、カクテル…万歳🙌のはず。スクリーン(洋画専門誌…
すすきののホテルで起きた殺人事件。田村浩子被告の判決公判を傍聴しました。こちら↓(Yahooニュース)【速報】母親・田村浩子被告に懲役1年2か月・執行猶予3年の有罪判決死体遺棄ほう助などの罪を認定札幌地裁(STVニュース北海道)-Yahoo!ニュース札幌・すすきののホテルで2023年7月、頭部のない男性(当時62)の遺体が見つかり、田村瑠奈被告と父親の修被告、母親の浩子被告が逮捕・起訴された事件で、札幌地裁は死体遺棄ほう助などの罪に問われた母親news.yahoo.co.jp傍
こんばんは今日のわたしは恐れてドキドキしながらなにもせずに生きた5年間をつぶやいてみてるふり返ってみたら後ろにぐちゃぐちゃの紐みたいな私の殻が置いてあってまだ少しつながってるかもねなんて思いながら笑ってるどこかの自分がいるおっとの不倫から始まって移住してきたこの場所で料理する元気なんてぜんぜんなかったあの頃まず始まったのは弁当生活だった笑田舎の弁当ってただただ安くて美味しかった特に午後すぐに半額になる近所の弁当はわたしの恐れを和らげてくれるような気
こんにちは。ふぃあこここと、「Therapeia_Kokolun(せらふぃあここるん)」です。今日は、私の子育てのことを少しお話させてくださいね。私には、ASD(自閉スペクトラム症)や、治療法のない進行性の指定難病を抱える子どもたちがいます。2人とも中学生になりました。いじめにあったり、病気だったり、様々な原因で学校に行きづらかったり、痛みや不安を抱えたりする日もあって――子育ての「正解」は本当にどこにあるのかと問う日々です。朝、起きられない。お腹が痛くてト
引き取り訓練大規模な災害に備えた、引き取り訓練が年1回あり、先日息子を学校まで迎えに行きました。引き渡される際に、担任に「〇〇の母です」と伝えます。そうすると息子が私の元にやってくるのですが、その際に担任は再度「この人は誰ですか?」と息子に聞きます。「僕のお母さんです!」と元気いっぱいに答える息子。これで無事に引き渡しが完了します。普段家ではママ〜と言っているのに、外ではお母さんと言った息子成長ですね。そして「僕のお母さん」ってなんて幸せな響きなんだろうと胸が熱くなりました今日は
朝ごはんを作り、洗濯をして、子どもを送り出して──仕事から帰って、夕飯を作って、明日の準備をして、寝る。そんな毎日を、何年も積み重ねてきました。でもある夜、ふと心の中で声がしました。「私、何か残せているのかな……」誰かに褒められることも、感謝されることもなくて、ただ“やって当然”のことを繰り返している自分が、とても空っぽに思えてしまったんです。そんな夜のことを、noteに書きました。“報われなかった”と思った私に、静かに光が差し込んだ瞬間──それでも、「生き
いつまでも「頑張れますように」-「母から子」へあなたは「自覚」していますか。カラーセラピストのYOUKOです。いつからだろう・・「母への感謝と」「母としての思いが」芽生えたのは-もちろん、「娘としての立場も」「親としての心構えも」忘れることなんて忘れたことなんて一秒た
「死んだら生きれない」から生命力みなぎる発信で人を元気にします令和の清少納言こうさかゆうあです。♡このブログが初めての方へ「今まで生きてきた人生とこれからの生き方に違いをつくりたい」そんなあなたに私ができる事って。♡大切な相棒ゆうアヒ鶴の紹介はこちらおはようございます。子どもの日ですね。🎏こどもの日になると、胸の奥がすこし、ちくっとします。今年も、そんな自分の気持ちをことばにしてみました。noteに綴っています。よければ読んでみてください
お久しぶりです。chichiです。ブログが書けなくなり、2ヶ月以上経ちました。全く予期せぬことがありました。息子の逮捕です。2月中旬、私は県外で楽しい時間を過ごしていました。ふとスマホに目をやると、沢山の量の母からの電話とLINE、そして末尾が「110」の電話番号からの着信。「何かあった。」と直ぐにわかりましたが、その時は何が起こったかわかりませんでした。良からぬ不安にかられました。最初に母に連絡したのか、警察に連絡したのか…。全く記憶にありません。それくらい動揺していまし
何度もお誘い頂いて何度か御約束してでも体調不良が続き、ドタキャンを繰り返してしまう事数回それでも「会いましょう」と言って下さるお気持ちに感謝です母として、大先輩。《親として》尊敬の念が止みません。そんな方と日本からのお土産を持参してやっと久し振りにお会いする事が出来たお昼でした大好物のサラダ絶妙にレアなサーモン、大好きです戻ったばかりで、未だ頭の中は日本語モード久し振りに英語でちゃんと会話を回せるか若干緊張しつつ、の朝でしたがあっという間に楽しく2時間が経過またまた、
学生を育てているお母さんお父さん聞こえますか?わたしです(右手)わたしは今、あなたの心に直接話しかけています。スピリチュアル風おふざけでした!すみません!宿題チェック、汚れた体操服の洗濯、思春期の心のケア、食育のための知識集めや毎日の料理、習い事考えたり習い事の調整や送迎、適切なボディタッチに、適度な距離を取りながらの見守る育児、人に迷惑をかけない為のしつけ、などなどなど、、、毎日毎日お疲れ様です!みんなそれぞれがんばってるよね!正解の無い『育児』という大仕事時々わたしは大
いつまでも変わらぬ時が流れる場所だと思ってた私が実家を出て久しぶりに実家に泊まったのは長男が生まれての里帰りの時だった私がそこからいなくなっただけで両親の時間はその頃と同じ様に流れ続けていると思っていた歩く速度も生活のリズムもその頃とは全然違っていて私がいなくなってから変わって来たであろう両親の時間の流れがとてつもなく悲しくて寂しかったもうないんだ…と思ったあの時もあの場所ももうないんだ…と思ったそこにいつでもあると思っていた無意識の安心感がどんなに大