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熊本地震の被災地で炊き出しを行っていたところ豚汁を渡した高齢者から痛烈な一言を浴びられたのですと熊本の被災地で今回のようなことは初めてでした。でもほとんどの方から感謝していただいております。次の炊き出しは19.20日です。それまでは物資をお届けしたりできることをやらせていただきます。—へずまりゅう(@hezuruy)August16,2026「お前は嫌われ者だから」とはどういうことなのかしかも、豚汁を受け取っておきながら・・・被災されて気の毒だとは
搾取マンは、一度でも考えたことがあるのだろうか。もし、自分が私の立場だったら。14年間、「離婚はする。」そう言われ続けて、その言葉を信じて待っていたのに。現実が動くことを待ち続けていたのに。最後は、何の説明もないまま終わらされる。LINEはブロックされ、電話もつながらない。話すことも、聞くこともできない。そんな終わり方をされたら、自分はどう思うのか。何を感じるのか。「はい、分かりました。」「今までありがとう。」そんなふうに、簡単に受け入れられるのか。き
ふと、思った。私は、搾取マンに嫉妬しているのだろうか。搾取マンがこれから先、誰かと笑って過ごすこと。何事もなかったように、普通の毎日を送ること。私のことなど、すっかり忘れて。もし搾取マンが、そんなふうに幸せに暮らしていたら。私は、それを素直に喜べるだろうか。たぶん、無理だと思う。「私を一方的に切り捨てたのに」「14年も待たせたのに」「一通のメールで終わらせたのに」どうして、あなたは何もなかったように生きていけるの?そんな気持ちがある。最初は、それを「嫉妬」なのだと思
最近、ふと思うことがある。私は最後、搾取マンに対して、そんなに酷いことをしてしまったのだろうか。私は、「復讐してやる。」そう言った。積み重ねた時間の中の写真を、「晒すことだってできるけど?」そんな言葉もLINEで送った。あの時の私は、怒っていた。悔しかった。何より、何の説明もなく終わらせようとすることが許せなかった。もちろん、あの言葉が良かったとは思っていない。もっと違う伝え方があったのかもしれない。でも、その言葉だけを切り取って、私を語ることはできないと
ある日、搾取マンは、自分の子どものことをこう言った。「アイツは他力本願なんだよ。」私はその時、「何の話をしているんだろう。」そう思った。その頃の私は、搾取マンが「まだ離婚はできない」と言い続ける理由を聞かされることの方が多かった。だから、その言葉には特に深い意味を感じなかった。でも、14年を振り返った今、あの会話を思い出すことがある。人は、誰かの考え方や生き方を語ることがある。でも、その言葉は、ときどき自分自身を映していることがある。私は14年間、「離婚はす
最後のLINEのあと、ブロックされてしまったので、メールでのやり取りになった。その時に、搾取マンは私に言った。「結局、自分のことしか考えていない。」その言葉は、今でも忘れられない。私は14年間、「離婚はする。」という言葉を信じて待ち続けた。現実が動く日を待った。生活のことも、将来のことも、何度も伝えてきた。それでも動かなかった。そして最後、何の説明もなく終わった。そんな私に向かって、「自分のことしか考えていない。」そう言われた。私は今でも思う。14年間
どうして仕事中に、何度も搾取マンのことを考えてしまうんだろう。自分でも嫌になる。もう終わったことなのに。そう思いながらも、頭から離れない。でも最近、その理由が少し分かった気がする。私は、搾取マンという人を思い出しているんじゃない。変わってしまった未来を思い出しているんだ。子どもが家を出た。寂しさはあったけれど、私は心のどこかで思っていた。「これで少し自由になれる。」「これから二人で支え合う生活が始まるかもしれない。」そう信じていた。でも現実は違った。搾取マンは
だから私は信じた。この14年間を振り返りながら、私は何度も自分に問いかけてきた。「私は、どうしてここまで信じ続けたんだろう。」昔の私は、「自分が弱かったから。」そう思っていた。でも違った。私は、「いつかを現実にしよう。」その言葉を信じた。「離婚はする。」その約束を信じた。優しさを信じた。時間に誠実な姿を信じた。頑固なまでに変わらない言葉を信じた。そして何より、私は自分で選んだ人生を信じた。だから、14年間待ち続けた。今なら分かる。私は、騙されたかったわ
私は人生を懸けた。私は、ただ恋愛をしていたわけじゃない。自分の人生を選んでいた。夫と離婚した。子どもたちとの関係も変わった。子どもとの間には、今でも簡単には埋められない距離が残っている。それでも私は、自分で選んだ道だった。「離婚はする。」その言葉を信じて、いつか二人で支え合う生活が始まる。そう思っていた。だから私は、簡単には引き返せなかった。途中で、「全部嘘だった。」そう思ってしまえば、自分が選んできた人生まで否定することになる。だから私は、信じ続けた。
金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経の画像ameblo.jp『瑜伽師地論』を求めて遥かインドに学びに行った玄奘『大ヴィッパサーナ論』200巻を持ち帰り翻訳した玄奘パーリ経典に書かれているもの以外を認めず仏教を俯瞰することの出来ない残念な人たちヨガのインストラクターが古いものを鼻で笑い新しいマインドフルネスや伝統には則らない新たな寺ヨガこそが現代人のこころのよりどころなどとして異様な宗教を始めていますハタ・ヨーガなどヨーガスートラは案外成立が遅いらしいアーユル・ヴェーダ
頑固さを信じた。搾取マンは、自分の考えを簡単には曲げない人だった。一度決めたことは貫く。こだわりも強い。仕事でも、「こうすると決めたら、こう。」そんな人だった。私は時々、「頑固だよね。」と皮肉を言うこともあった。でも、その頑固さを、嫌だと思ったことはなかった。むしろ、意思の強い人なんだと思っていた。だから、私が何度も聞いた。「いつ離婚するの?」返ってくる答えは、いつも同じだった。「今はまだ無理。」「離婚はする。」そこだけは、何年経っても変わらなかっ
時間を信じた。搾取マンは、時間にとても厳しい人だった。待ち合わせには必ず早く来る。時間前行動が当たり前。渋滞や事故など、不測の事態まで考えて行動する人だった。「遅れるかもしれない。」そんな状況を嫌う人だった。仕事でも、段取りを大切にしていた。何事も準備をして、計画通りに進める。そんな姿を私は何度も見てきた。だから私は、この人は責任感のある人なんだと思っていた。約束を軽く考える人ではない。そう信じていた。でも今振り返ると、時間に正確なことと、人生の約束を果た
皆さんこんばんは〜また歳をとってしまいました〜小さい時から同級生は悪気は無いんですが原爆と呼ばれていた時期ありました今は自分の誕生日の日平和を祈る日だからこそその日を生まれて来たんだと選んで来たのかなぁってずっと考えてました結論世界平和自分1人が幸せになるのでなくみんなの幸せは自分の幸せという結論がでました結論でたのは1年前ですかね夢でとある方がライブ見たいな状況でマイクを持ってました誰なんだろってアップしたら名前があったので検索してあ〜この人なんか自分と同じ感じがするなぁって
お嬢への、度を超えた嫌がらせに剛をにやし、母、ついに警察に相談しました。以前、警察署に相談行った時は、どこに相談したらいいかわからず、生活安全課に相談しましたが、どうやら「地域課」らしい。いわゆる、交番のおまわりさん。薬取りに行った帰りに、最寄りの交番に行ってきました。そしたら、担当者が出払っていて、相談を受け付けられる人がいないと言うことで、お事付けを頼んで帰宅。夕方、交番から折り返しがありました。結論!こう言う常識のない人はまともに取り合わない。悪口、陰口を大
優しさを信じた。私は、搾取マンを優しい人だと思っていた。困っている人には手を貸す。部下にも優しく接する。周りからも頼られていた。仕事の話を聞いていても、「面倒見のいい上司なんだな。」そう思うことが多かった。私にも、「春が一番。」「俺は春の味方だから。」そう何度も言ってくれた。私は、その言葉だけを信じたわけじゃない。普段の姿を見ていたから、その言葉にも嘘はないと思っていた。だから私は、この人は人を大切にできる人なんだ。そう信じた。でも14年間を振り返った今、
「離婚はする。」この言葉は、14年間、一度も変わらなかった。私は何度も聞いた。「いつ離婚するの?」返ってくる答えは、いつも同じだった。「今はまだ無理。」「離婚はする。」私はそのたびに、「離婚しない。」とは言われていない。そう思っていた。だから待った。一年。また一年。子どもがまだ小さいから。高校を卒業するまで。成人するまで。今度は住宅ローン。理由は変わっていった。でも、最後まで変わらなかった言葉がある。「離婚はする。」私は、その言葉だけを信じて待って
8月4日。その日付を見た瞬間、「あ、搾取マン誕生日」と思った。去年までなら、私は「おめでとう」を伝えていた。プレゼントを考えて、喜ぶ顔を想像していた。でも、今年は違う。私から「おめでとう」を伝えることは、もうない。ふと思った。年齢を重ねるほど、家族以外から「おめでとう」と言ってくれる人は少なくなる。そんな存在は、当たり前じゃない。時間を積み重ね、信頼を積み重ね、関係を育ててきたからこそ、もらえる言葉だ。あなたは、その一人を自分で手放した。14年間、「離
「いつかを現実にしよう。」付き合い始めた頃の私は、よく泣いていた。「私はいつか捨てられる。」「一緒になんてなれない。」そんな不安ばかり口にしていた。搾取マンは、そんな私を抱きしめながら言った。「いつかを現実にしよう。」「するから。」その言葉を聞くたびに、私は少し安心した。もちろん、不安が全部なくなったわけじゃない。でも、「この人は未来を考えてくれている。」そう思えた。だから私は、その言葉を信じた。今振り返れば、あの言葉が本心だったのか、その場で私を安心さ
14年間の中で、私は何度か、「もう無理。」「別れたい。」「終わりにしたい。」そう伝えたことがあった。でも、そのたびに搾取マンは引き止めた。「嫌だ。」「別れない。」その度、また関係を続けてきた。だから私は、終わりは二人で話し合って決めるものだと思っていた。でも最後は違った。終わりを決めたのは、搾取マンだった。しかも、何の説明もなく、LINEをブロックし、電話も着信拒否。私は話す機会すら与えられなかった。その時、私の中に浮かんだ言葉がある。「そういうこと
昨日、大切な人の大きな節目を見届けた。その場で「おめでとう」と伝え、握手をして、心から喜びを分かち合った。帰り道、ふと思った。もし、あの頃のままだったら。きっと私は、週末の予定を優先し、この時間を過ごすことはなかった。14年間、私は自分の時間を、誰かの都合に合わせ続けてきた。でも昨日の時間は違う。誰かに与えられた時間でも、誰かに許された時間でもない。私が、自分で選んだ時間。私が、自分で手に入れた時間。そう思ったら、胸の中で何かが少しだけ軽くなった。失った
14年間。私は搾取マンと一緒に過ごした。笑った日もあった。泣いた日もあった。たくさんの時間を共有してきた。だから私は、言葉にしなくても伝わっているものがあると思っていた。私がどんな人間なのか。何を大切にするのか。どこまで我慢してきたのか。14年も一緒にいれば、そんなことは伝わっていると思っていた。でも、最後の終わり方を見て、私はそうではなかったのかもしれないと思った。LINEはブロック。電話は着信拒否。説明もないまま終わった。その選択を見た時、私は初めて思っ
まさか、何の説明もなく終わるとは思わなかった。14年間。私は待ち続けた。「離婚はする。」その言葉を信じて、現実が変わる日を待っていた。だから私は、終わることよりも、何も説明されなかったことの方が苦しかった。そしてもう一つ、今でも悔しくて仕方がないことがある。搾取マンは、私が本当に復讐する人間だと思ったのだろうか。だから、LINEをブロックし、電話も着信拒否し、私との接点をすべて断ったのだろうか。私は14年間、一度も会社へ押しかけたことはない。奥さんへ連絡
聡明な君のことだ。とっくに気付いているだろう。この世の仕組みに。そうだ、その通りだ。他人は君を幸せにはしてくれないということだ。幸せとは自分の感覚で感じる物だ。あくまでも主観による所が大きい。一年前の君はどうにもならないことが怒涛の如く押し寄せてきて、苦しみの途中に居た。もちろん、沢山の人の協力により君は危機を脱し、今は別世界に生きている。という訳で矛盾するようだが君は自分一人の力で幸せになれた訳ではない。だが、君は日頃から誰にも言わず密かに努力をしていた。それによって他人が幸せになるきっか
付き合い始めた頃の私は、よく泣いていた。平日の昼間。数時間だけ会える時間。私はまだ結婚していて、搾取マンも家庭があった。長く一緒にいることはできなかった。抱き合いながら、私はよく泣いていた。「搾取マンも、他の人たちと同じ。」「私はいつか捨てられる。」「一緒になんて、なれない。」そんな不安ばかり口にしていた。すると搾取マンは、あまりにも私がネガティブだから、時には叱るように言った。「そんなこと言うな。」「いつかを現実にしよう。」「するから。」その言葉を聞くたび
私は何度も、搾取マンに嫌味を言っていた。「離婚はする」と言うたびに、「それ、するする詐欺じゃん。」「不倫男の常套句じゃない?」「不倫男がよく言うセリフだよ。」「すると言いながら、全然動いてないじゃん。」「そこらによくいる、不倫男と一緒だね。」そう言うと、搾取マンは決まって不機嫌になった。「常套句じゃない!」「俺はそこらの不倫男とは違う!」真顔で、少し怒ったような表情で言い返してきた。当時の私は、その言葉を信じたかった。本当に違う人だと思ったからこそ、時間はかかっても
別れたあと、何度も振り返って考えていることがある。なぜ、搾取マンは最後、私の罵詈雑言そのものよりも、「写真を晒す」という言葉にあれほど強く反応したのだろう、と。付き合っていた14年間、搾取マンは何度もこう言っていた。「バレたら、その時。」そして、「普段どおりにしているから大丈夫。」自分は絶対に気づかれない。家庭にも仕事にも影響は出ない。そんな自信を持っているように、私には見えていた。だから私は、もし本当にそう思っているなら、最後までその覚悟を持っている人なのだと思
本日のBGMはコチラ👇歴史を思い返して思うことは?▼本日限定!ブログスタンプ人間て残念な人多いな。権力欲、強欲で己の利益ばかり追求する人が多い。とても残念です。もっと心優しい良いことを思い浮かべたかったのに、まず思い浮かんだのが凝りもせず繰返す争いであり、戦争。世界の富を均等分けすれば十分幸せに暮らせるだけあるのに自分達だけ優位に蓄財できればよいと考えてしまう人達。資本主義に対抗する手段としての社会主義だけれど、それもまた一部の人達が資本を蓄え、貴賤を生みだしている。人はかくも
14年間、私は「いつか」を信じて待ち続けた。「離婚はする。」その言葉を信じたから、会えない日も、不安な日も、寂しい日も乗り越えてきた。支え合える未来が来る。そう思っていた。でも、その未来は最後まで来なかった。そして14年の終わりは、あまりにも突然だった。一通のメール。それだけだった。謝罪はなかった。説明もなかった。「14年間待たせてしまってごめん。」その一言もなかった。私は、別れることが悲しかっただけではない。14年という時間が、あまりにも軽く扱われたことが苦
私はずっと信じていた。「離婚さえすれば、普通の恋人として支え合える。」だから、「今は仕方がない」と、自分に言い聞かせてきた。病気の時に会えないのも。災害が起きても助けに行けないと言われるのも。全部、「今だけ」なのだと思っていた。離婚すれば終わる制約なのだと信じていた。だから私は、「早く離婚して」と何度も伝え続けた。でも、その日は来なかった。一方で、私が応援していたスポーツ選手の試合には来てくれた。それも事実だ。私は今、その出来事を思い返すことがある。スポーツ全般が好きだ
14年を振り返ると、楽しかった思い出はたくさんある。笑った日も、旅行へ行った日も、一緒に過ごした週末もあった。でも今、私が思い返しているのは、楽しかった出来事ではない。私が本当に助けを必要とした場面で、彼はそこにいただろうか。昨年、私は急性胆嚢炎で救急搬送され、そのまま入院した。退院後も治療を続け、後日、胆嚢と胆石を摘出するための計画手術で、もう一度入院した。私は二度入院したけれど、そのどちらにも彼がお見舞いに来ることはなかった。理由は、「家族と鉢合わせになったら申し訳ないから」。