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先ほど大学1年の息子が「あっ大事な相談があるんですけど」と言ってきた。そんな言い方はドキッとする。聞けば、9月の初めに4月まで住んでいた札幌の高校の友達と富士登山を計画しており、旅費を浮かすために我が家に一泊したいとのこと。友達5人プラス息子で男子6人がこのこじんまりした3DKで一夜を過ごすわけだ。わたし、22歳の社会人の娘とで8人(笑)滅多にないことなので了承する。息子が高2の7月に彼が単身赴任先で突然自死。遺書はなかった。子供2人と3人で向かう飛行機の中で息子は声を殺して泣
今日は出来るだけの手続きをした。夫の職場、銀行、市役所、郵便で送る書類色々回ってきた。かなりはかどったが疲れた。夫が亡くなり今まで知らなかった事が山の様にある。人が亡くならないとやらない手続き。ずっと手つかずだった。遠い本籍地から戸籍謄本を取り寄せようやく始動した。これが終わったらきっと気も休まるんだろうな。葬儀屋さんからもらった、やる事リストや司法書士からの指示など見ないふりをしていた・・・。悲しくてもやらなければならない。「お亡くなりに・・・」という言葉を聞きたく
明日は遠方に嫁いだ親友が帰省するため会う約束をしている日。彼が亡くなってから、、初めての再会。電話や、手紙、LINEでやりとりしてきた2年間。顔を見たら絶対に泣いてしまう自身がある(笑)彼女はわたしとは違うことで悩みがいっぱい。ご主人がフィリピンパブやお店の女の子にすぐに夢中になる人。わたしなら即離婚しか頭にないが、信じられないことに彼女はご主人を愛している。夫婦って他人にはわからない関係だとつくづくおもう。でも、人に話すことで自分の気持ちを確認し、どんな方向へ向くかはわからない
こんにちは、グリーフ・カウンセラーの河田です。かけがえのない方を亡くされたあなたへ、心を寄り添わせることが出来ればと思います。人間て生きていると時々ふっと寂しさに包まれるものですねひとりで生まれてきてひとりで死んでいくからせめてその間は誰かと繋がっていたいと思うからかなブログを読んでくださってありがとうございます。シェアやリブログはご自由にぜひお願いします。またあなたの周囲にもし愛する方を亡くして悲しみに沈む方がいらっしゃったら、どうかこちらのブログをご紹介ください。〜大切な方
今日は家具が届いた。家の中を白い家具に統一したいと夫と一緒に選んだ。夫はどんな色でも良いから大きな机と書棚が欲しいと言っていた。夫のデスクは独身時代に買った大きいという理由で奥行きのあるダイニングテーブルだ。既に買い替え時に入っている。これには引き出しが無いので細々とした物は全部デスクの上にゴチャゴチャで凄い状態だ。しかも、夫の書斎?はリビングだからおしゃれにしたいが程遠い状態だった。家具屋に通い何年も決められなかったけれどようやく今年、決めた。机売り場で私が猛セールス
読んでくださっている皆さまありがとうございます。シンゴの嫁です。どうやら先日アメトピに載ったようで一気にアクセス数が上がり一気にフォロワーさんが増えてあまりの事に私はビビってしまい、アメトピに上がった記事を慌てて非公開にしてしまいました。ビビりでごめんなさい・・・。コメント頂いてた方すみません・・・。ほとぼり冷めたらその記事はまた公開するつもりです。しかもちょっと受け取り方違うじゃん!っていうタイトルだったので日本語難しい!と思いました。(現在
命日前後日だからだろうか…今月、大した事でもないだろうにという事に、心乱されしんどくなる。最愛の人が、私の目の前から突然居なくなって二年が過ぎた。誰も居ない焼け野原にうっすら、風に吹かれる煙当時に比べたら、今私の心はそんな状態だろうか…。いや…子供の頃、一瞬くらいだけだけどこんな気持ちになったような気がする。幼稚園だったか?小学校低学年ぐらいだったか…?母と、父だと思って育ったパパと3人で夕方、散歩へ行き帰り際…何故そんな事を言ったのかハッキリ覚えてないが私の三歩も四歩も前を歩く母
これを書くのはどうしようかと迷ったが書いてみることにする。なぜ躊躇したかというとスピリチュアルな体験をしたからだ。悲しみのあまり、ついにおかしくなったと思われるかもしれない。母が帰った翌日の朝、不思議なことが起こった。それも二日間にわたり。一日目。夫が横に寝ていて私達は手をつないでいた。確かに夫の手だった。夫の足の感覚も分かった。手足の感触も分かった。そして私を触ってきた。「パパ!」思わず叫んでしまった。二日目。夫がやはりベッドの隣に寝ていた。また来てくれた!と嬉し
仕事が始まってから1週間が経過。勤務の日は朝ごはんを食べずに飲み物だけにしている。お昼のお弁当は小さいおにぎり1個と油を控えたおかずでトマトやキュウリ、茹で野菜、卵系。油はいつも使っているオリーブ油。コンビニで好きなものを買って食べたいけれど、ガマン。いつ、何が起こるかわからないから。それというのも、一昨年の7月に大腸に腫瘍がみつかり、、、、、10月に大腸を20センチほど切除した。直腸寄りの場所で、本来なら便を溜めておくところらしいが、そこがなくなって排便コントロールが困難にな
こんにちは、グリーフ・カウンセラーの河田です。かけがえのない方を亡くされたあなたへ、心を寄り添わせることが出来ればと思います。あの苦しかった頃とにかく誰かに話しを聞いてもらうと心が落ち着いたのはなぜなんだろうたぶんクリスチャンの人が教会の懺悔室で誰にも言えない自分の罪を聞いてもらうのと同じようなことだったのかもしれないなぁ夫が突然逝ってしまったことであの日投げてしまった冷たい言葉あの時とってしまった怒った態度どれもこれもが日常では終わったことだったのにもう許しても
こんにちは、グリーフ・カウンセラーの河田です。かけがえのない方を亡くされたあなたへ、心を寄り添わせることが出来ればと思います。心を癒してくれることは人によって様々あると思う話をすること涙を流すこと動物と触れ合うこと美味しいモノを食べること階段を上ること靴下を数えることそしてなかでも自然に触れることは多くの人にとって効果のあることではないかと思う緑の木々に囲まれて辺り一面の草原に座って砂と海しかない見えないところに寝転んで何もしないでいるとなぜか遠い昔から地球上
今回の選挙には行かなかった。これまで選挙に行かない事は無かった。結婚する前も結婚してからも必ず行っていた。夫から、ちゃんと行きなさいと叱られそうだが「パパが死んじゃったせいだから」と言うつもりだ。今回行かない理由は一つ。私と夫の名前が書かれた最後の投票入場券を残しておきたいから。(再発行出来たのかな)もう二度と夫の名前が書かれた投票入場券は送られてこない。夫の最後の給与明細もボーナスの明細もきっと捨てられないだろう。私的なものは自由に作れるけど夫に関する公的なものはどんどん
また、主人が夢にでてきた!嬉しいけど、何故か夢の中でほっぺたをひっぱたたいてた…なんじゃそら
最近主人がいない事を話す事が多くなってる。なんで?って思うくらい多い仕事やプライベートで気持ちに余裕がやっとできて、主人がいない事を普通になりたい、なれてるのかな・・・いろいろな方達と話せる事が出来てる自分なのかもと思う。バツイチなんだ、シングルなんだ~私もよって言う会話。ほとんどは離婚自分は離婚じゃないもんって言いたくなる。
この日曜日何もすることが無い。夫の葬儀の事、人工呼吸器の抜管の事やら途中になっている記事を書きたいが今日は気力が全く無い。夫のいない日曜日は何てつまらないんだろう。夫がいる時、私は一人で何かをしたいと色々計画をしていた。たまには夫抜きで外食したり、旅行に行ったり、お酒を飲みに行ったり飲み会に参加したり(書いていて思ったが全部大した計画でもないな・・・)この中で一人旅以外は実現した。実現と言うほどのものでもないか。ただ夫が生きているからこそそんな事を思った訳でいなくなった今は
こんにちは、グリーフ・カウンセラーの河田です。かけがえのない方を亡くされたあなたへ、心を寄り添わせることが出来ればと思います。夫の生前はよくケンカをした色々な理由があったと思うけれど夫が逝ってしまった瞬間にそれはすべて私が悪かったんだとそういう気持ちになったなぜなんだろう亡くなってしまった人は短所もなく完璧な素晴らしい人だったと心から思えるのだそして自分が相手にしてしまったこと言ってしまったことすべてが大きな深い罪になって心を苛んだ夫にあんなに腹を立てて思いっき
旦那は病死でした。一年間に及ぶ闘病の末に亡くなりました。元々、十年前に難病と診断されました。それを承知で一緒になりました。結婚生活は短かったです。こどもはいません。ブログを書くきっかけは初盆を迎えたことと誰かに気持ちを伝えたかったからだと思います。恵まれていることに私の周囲の人達はとても親切ですが、言い様のない孤独感に苛まれています。闘病生活での数々の決断に伴う感情、入院中の旦那を取り巻く周囲の人達の態度、最期を看取った時に夢と希望を絶たれた瞬間は一生、忘れられません。大袈裟な
今日は、夕方からバイトに行くそんな日は特に、出来ればそれまで何もない事を願っている。例えば、それまで表に出ない。何に出くわすかわからないから。こちらから誰かにLINEしない。他愛ない会話の言葉で傷つく事があるから。静かにバイトへ行けるように。。。バイトをする私が、私の生活を支えてくれてる。まだまだ不安定な私だから、どうか心が乱れないようと。。。よく、それどころでないって言葉があるけど、その言葉は生きる事を前提にして使うが私の場合、本当は表に出てれるどころではない、死んでしまうか
昨日は病院の支払いに行った。久し振りに病院の駐車場に入った。色々思い出すのかなと思ったけど駐車場には特に感じるものは無かった。車を停めとぼとぼ歩くと正面玄関が見えてきて「毎日毎日通ったなぁ・・・」と思った瞬間夫の横たわった姿が鮮明に思い出された。目に浮かぶとはああいう感覚なのか。「やめてやめて」当たり前だが病院には夫の良い思い出は無い。絶望的な悩みだけを抱えていた場所。いつも行っていた病院の食堂でよく注文していたミニカレーを食べようと予定していたが中止することにした。用事
こんにちは、グリーフ・カウンセラーの河田です。かけがえのない方を亡くされたあなたへ、心を寄り添わせることが出来ればと思います。自分を大切にするとか自分を好きになるとかって割と難しいまずその定義が分かりにくい私の考えるには自分を大切にするとはイヤなことを我慢するのをやめるということじゃないかな例えば苦手な人と付き合う憂鬱な会に義理で参加する家族のために自分がやりたいことを我慢する何一つ好きな点がない仕事を惰性で続ける周りに遠慮して長期で有休を取らないでもそういうことを
昨日から、伏見で起きた京都アニメーション放火の事件を見て胸が痛い。。。ニュースでコメンテーターの人がお悔やみの言葉をかけるけど、その言葉は違うよ…とまた思ってしまう。最愛の彼が亡くなり、1人の部屋に戻った時、人の声が恋しくなり普段あまり付けなかったテレビをBGMがわりにしていた、付いてるからと言っても見てもない。ベットで寝ることもなくソファに横たわり天井を黙って眺めるだけの毎日。人が亡くなるニュースが始まると慌ててチャンネルを変えてたっけ。。。辛い話は、喉までで押さえてる心臓が飛び出そう
私は怒っているのだろうか?最愛の彼をなくし、これまで体験した事のない苦痛の日々をおくっている。死別当初、自分を落ち着かせようと日記をつけるようなったが、今は付けていない。書く事で狂った自分を落ち着かせれたのだが、いつしか書けば書くほど、怖くなった。良い考え方として、当初は吐き出して書く事でしか不安を押さえる事が出来なかったが吐き出さなくても不安は押さえられるようなったと思うようにした。時間薬とはこの事なんだなぁと。死別の悲しみの解説と言わんばかりの本がいくつかある。自分に当ては
余命わずかな夫が自分が逝ってしまった後、残された妻のために数ヶ月間、手紙を通してメッセージを伝えてきたら。どこの国に住む人も死別の悲しみは変らないと思った。少し昔の2007年の映画「P.S.アイラブユー」を観た。夫が脳腫瘍で亡くなり残された妻に何故か夫からの手紙が届く。全部が共感出来る映画では無かった。なぜならこれは死別の映画でもあり恋愛映画だからだ。夫が亡くなって一年もたたず他の男性と事を始めるか!?若いとはいえ理解出来なかった。そして死を悲しみながらも残された人間が生きてい
祖母、母、私の3人暮らし一人っ子育ちのせいか、一つの事が気になったら、とことん考えたりする。考え過ぎて…今思えばほぼその結論が出た試しが無かった気もする。祖母も母も働いていたので学校が休みの日は友達にも会えない。その時代、一人っ子は珍しかった。母子家庭も珍しかった。どうして私だけが違うのだろう?と面白くなかったが家には犬がいた。家の中で犬を飼ってるのも珍しかった時代だ。おそらく私の育った環境は当時珍しかったと思う。珍しいと言う響きは違うかな…ご近所さんからしてみれば、違和感を感じずにい
明日がくるのがありがたいと感じる。今は小さな子供達が傍に居るから。愛する人の子を守りたいと想うから。死別当初は朝目覚める事が悲しくて悲しくてしょうがなかった。夫は居ないのに何故私だけ朝が来るのか。時が止まって、私も無になれたらいいのにと心の底から感じていた。けど今は当たり前の事なんてひとつもない。命が明日も続くとか絶対の保証はないと想う。あなたの大切な人もそうだし
亡くなった彼との出会いは8年前。彼には前妻が居て、成人したての息子と社会出たばかりの娘さん、子供が2人いる。離婚は、家族で長く飼ってた愛犬を亡くし、最愛の息子が大学卒業できないかもと、悩みも疲れもピークに達し、親身にならない彼に愛想をつかしたか、離婚を申し立てたらしい。それから間もなく、私に再婚してほしいと言ってきた。正直、あり得ないと思った。嬉しい反面、そこに踏み込めなかい大きな理由の一つに子供のいる人との再婚は、なるべくどころか、嫌だった。私は40才で離婚歴もあった。亡くなった
2年と1日前、最愛の人が私をおいて別の世界に旅立った。信じたくないけどこの目で見たのだから間違いない。死別を受け入れる事は、とてつもなく難しいらしい。。。だけど、もしかしたら朝は元気な姿で出て行ったのに、夜警察から連絡があってご主人様がお亡くなりになりましたと、電話で聞くよりかはある意味、マシなのかも知れないと思ったりもする。多分だけど…2人きりの部屋で彼が目の前で突然倒れて息を引き取るまでを見ていた私は、電話で死を宣告される家族よりも、彼の死が現実だった事を誰よりもわかってい
今日も薄暗い5時前に起きてしまった。私は寝坊助で休みの日の朝、夫によく言われていた。「ももちゃんがもっと早起き出来たら今日はもっと遠出が出来たんだよ~」夫が入院してすぐ看護師長に「寝られているか」と訊ねられた。入院してから亡くなった今でも満足した眠りを得られていないが特に入院した当初は睡眠障害の様な状態だった。夫がいきなり倒れて昏睡状態になったのだから眠れるはずがない。あまり寝られないなら薬を処方してもらおうか、言われたが断った。薬はもらいたくない。というより、もらえない。それ
負けではないが彼が亡くなってから特にだが、亡くなる前から自分自身、心の中で感じ、黙ってた言葉がある。それは分かったもん負け。。。死んだ人の話を許してくれない社会最愛の人を失くした私は、死んだ人の話を出来ない許してもらえないのは、縁起が悪いからという理由だけでない気もする恐らく聞いてる人も、死別経験はあるのだと思うけどそこまで悲しいか?自分は乗り越えたけど。。みたいな。目の前に、私のように下向いて落ち込んでいる人を見ると、とりあえずは聞いてくれるがあまりにも自分が経験した事のな
「僕らはチーム」最愛の夫は私にそう言った。亡くなってからもその想いをミディアムの方に伝えた。人は生まれる前からある程度のシナリオを決めてくるらしい。夫は34歳で突然亡くなることを。私は34歳で死別して3人の男の子を育てていくことを。息子達は2歳と0歳でお父さんと死別することを。チームで乗り越えられるからこの人生を決めた。そんな風に言われても寂しくて身動き取れなくなる時だってある。チーム。今でも誰も