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みなさんこんにちは。スピリチャルハードポップミュージックホワイトタイガーボーカルアンドベース敦賀です。今回三日早く投稿させていただきます。今週末そして来週もよろしくお願いします。さて、今回記事は「アラン幸福論」の「労働」という題目になりますが、「仕事に限らず運動においても学業に於いてもメリハリをつける事によって効率や効果がアップする。」という事についても説いているように思います。しかしながら、直接の内容は仕事とか労働についての内容で、「苦労はあってもやりがいのある仕事に没入していれば疲
JamesSetouchi砂川文次『ブラックボックス』(令和3=2021年下半期芥川賞)1砂川文次『ブラックボックス』結論から言うと、結構面白い。読後充実感があり、考えさせてくれる、とも思った。主人公はサクマ。三十才前のロードバイク便メッセンジャーをしている、非正規雇用(厳密には個人事業主扱い。福利厚生が極めて弱い)の男だ。ロードバイクで東京の町を疾走し、会社の契約書などを配達する。これは私の知らない世界だったので、新鮮だった。サクマは生きることに不器用で、学校で
ベビーちゃんに絵本を買いました。みんな大好き『ちびくろサンボ』です。ちびくろサンボ[ヘレン・バンナーマン]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}虎のバターのホットケーキ、食べたかったですよねー。私はちびくろサンボは幼稚園の先生の読み聞かせで知りましたが、お話を聞いたその日に虎バターのことを考えながら、幼稚園バスの停留所から家への帰り道を母と歩いていたことまで覚えてます。あまりに美味しそうだった虎バターの強烈な印象のおかげで笑ベビーちゃんも虎バターに食い付くか
JamesSetouchiドストエフスキー『死の家の記録』工藤精一郎・訳(新潮文庫)ФёдорМиха́йловичДостое́вский“ЗапискиизМёртвогодома”1作者ドストエフスキー(1821~1881)19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。父はモスクワの慈善病院の医師。1846年の処女作『貧しき人びと』が絶賛を受けるが、’48年、空想的社会主義に関係して逮捕され、シベリアに流刑。この時持病の癲癇が悪化した。出獄すると『死の家の記録
お庭の夾竹桃のお花が、ついに今年も咲きました。このピンクのお花が咲き始めると、夏が来たんだなーって思います。この木の隣には同じくらいの高さの百日紅の木があって、その百日紅もピンク色のお花が咲きます。夾竹桃と百日紅の2本の木のピンクの花が、この家に住み出してからの私にとっての夏の象徴です。期間限定のメロン味のダース、買って冷蔵庫に隠してたのを食べました。メロンチョコ美味しー。フルーツ系のチョコだとメロン味のチョコが一番好きかも。苺とかベリー系も美味しいですけどねー。あ、オレンジとか
ドストエフスキーの『地下室の手記』を読みました。ドストエフスキーの作品は『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を読んだことがあるので、これで三つめです。地下室の手記(新潮文庫)Amazon(アマゾン)感想だけ書きます。前半の、自意識過剰な中年男が自分の中でばかり何でも考えすぎて世間にうまく馴染めず、そのせいで世間を憎み、でもやっぱり寂しいのか世間と関わりたがりながらも、またまたやっぱりうまくいかなくて世間に対して悪態をつき…という繰り返しの部分。現代日本人の私が読むと「あー、こういう不器用
ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その6となります。前回のブログ記事は、以下の通りです。ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その5アメーバブログ記事よりドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その5アメーバブログ記事『ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その5』ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その5となります。前回のブログ記事は、以下
ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その5となります。前回のブログ記事は、以下の通りです。ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その4アメーバブログ記事よりドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その4アメーバブログ記事『ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その4』ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その4となります。前回のブログ記事は、以下
ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その4となります。前回のブログ記事は、以下の通りです。ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その3アメーバブログ記事よりドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その3アメーバブログ記事『ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その3』ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その3となります。前回のブログ記事は、以下
ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その3となります。前回のブログ記事は、以下の通りです。ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その2アメーバブログ記事よりドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その2アメーバブログ記事『ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その2』ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その2となります。前回のブログ記事は、以下
ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その2となります。前回のブログ記事は、以下の通りです。ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その1アメーバブログ記事よりドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その1アメーバブログ記事『ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その1』ドストエフスキー、工藤精一郎訳『死の家の記録』(新潮社)その1となります。ドストエフスキー、工藤
<ドストエフスキー>1360「悪霊」(上)フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー長編江川卓:訳新潮文庫1861年の農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、動揺と混乱を深める過渡期ロシア。青年たちは無政府主義や無神論に走り秘密結社を組織してロシア社会の転覆を企てる。――聖書に、悪霊に憑かれた豚の群れが湖に飛び込んで溺死するという記述があるが、本書は、無神論的革命思想を悪霊に見たて、それに憑かれた人々とその破滅を、実在の事件
古希にもなって、今さらドストエフスキーを読んでもという思いはあったが、若い頃に一通り読破したこともあり、昔取った杵柄で、まだまだ論じられるような気がしたから手に取ってみた。『死の家の記録』(新潮世界文学全集11ドストエフスキーⅡ工藤精一郎、小笠原豊樹訳)の第一部序章は、あまりにも牧歌的でスメタナの「我が祖国」の音楽でも流れてきそうな情景が目に浮かんだ。荒涼としたシベリアが舞台であるにもかかわらず、そこ住んでいる人々は「素朴で、自由思想など持合せていないし、古いしきたりが、何百年もの歳月に浄
今月に入ってからも忙しかった。これまで同様に、原稿を書く仕事もそれなりにあった。久しぶりに霞ヶ浦近くの行方市にも行ってきた。ようやく昔のような行動半径になった。古希になっても、運転をしてくれる人がいれば、取材も難しくはないのである。紅葉の季節にもなったので、裏磐梯や奥会津にも足を延ばしたいと思っているが、なかなか時間をつくれずにいる。本の方は、ドストエフスキーを無性に読みたくなって、時間をかけて全て読破するつもりでいる。もちろん、僕は翻訳に頼らざるを得ないが、今日は『死の家の記録』を半分ほ
「実存主義」と「共同体主義」今日、こんな記事を見つけた。ドストエフスキー生誕200年、プーチン氏「天才的な思想家だ」【モスクワ=田村雄】ロシア各地で11日、19世紀のロシアの文豪ドストエフスキー(1821~81年)の生誕200年を祝う記念行事が行われた。生誕地のモスクワでは、ドストエフスキーが幼少期から10年以上暮らした建物にあるwww.yomiuri.co.jpなんでも、プーチン氏がドフトエフスキーを、「民族主義的天才思想家」だとして絶賛している。という記事なのだが・・
2021.11.2911月25日、26日と、いきなりの大雪で北海道赤平市は真っ白!いやはや、いきなり真冬のような景色。そして27日、28日は、いきなり暖かくなりまして、道路の雪もドロドロになり、まるで春先の雪解けのよう…。だけど、夜には氷点下の気温なものですから、溶けかけた雪が轍や足跡の形を残したまま氷になって…。まあ、そんな感じの今年の冬の入りであります。いよいよ本格的な冬到来か!?さて、雪国、豪雪地帯の北海道赤平市ですので、冬といえば除雪作業…
目を覚ますともかタン半島と岬ちゃんが一緒に寝ていて、モカタン半島が腕や顔をなめる。モカタン半島というのはモカのことで、モカタン、モカタンと呼んでいるうちに、それに、ユカタン半島という音の連想から、半島がくっついてしまった。岬ちゃんは、ミケッコと呼んでいたが、何かというと息子のモカタン半島に金魚のフンのようにくっつき回っているので、半島の岬ということで岬ちゃんになった。朝9時の気温は20度だった。そして、薄曇りまま気温は上がらなかった。昨日第1回のワクチンを摂取した右肩が、腫れぼ
おもしろいブログがあったのでリブログさせていただきました。最近、持続化給付金の中抜き疑惑で、有名になった、「パソナ」の会長、竹中平蔵氏ですが、今度は、有識者会議の会頭として、慶應義塾大学教授として就任されるらしい(爆)。もうここまでくると、ある時は、実業家ある時は、学識、そしてある時は、民間議員という究極のコウモリであり、その実態は、マンガ的にわかりやすい悪党(スーパー売国マン(笑))ですね。いや〜、愚民化も最終段階に入っているようですね(笑)。ここま
最近勉強時間が増えてきました😅それには色々な理由があるけれど…一番の理由はYouTubeで勉強関係の動画を見て刺激を受けた事です😹結果を出している人ってやっぱり自分よりも上だな…と思いました。勉強時間も…勉強のやり方、方法も…勉強している時の集中力も…私よりもみんな上❗️自分もできることはやってみよう❗️と思いました😅勉強時間が増えたのは早起きや仕事から帰ってきてから夕食の準備をするまでの30分とか…今日は夕食の準備を終えてから15分勉強してから夕食を食べました😋たったの1
「死の家」の主体的な鉄人に関する文章を暗記しようとしていると昨日書きました。『彼はみんなをばかばかしいほどの高みから見下ろしていたが、かと言って無理に背のびをしているようなところはぜんぜんなく、それが妙に自然なのである。おそらく、権威だけで彼を動かすことのできるような人間はこの世に一人もいなかったろう。みんなに向ける彼の目はこちらがどぎまぎするほど静かで、まるで彼を驚かすことのできるようなものはこの世に何も存在しないのだと言っているようであった。
今日も、ドストエフスキーの『死の家の記録』に出てくる「主体性」のある人物像です。今回は収監されている囚人ではなく、彼らを管理する軍人のひとりです。囚人を管理する最高指揮官のなかには、横暴な人間がいて、自分の好悪や虫の居所によって恣意的にふるまったり、理不尽な処罰を命じたりする。また、神経質な人間が必要以上に細かいことにまで、指示を出して苦しめたり、自分の握っている権力に陶酔して本来は権限の及ばないことにまで口出しして、囚人たちに憎まれる
昨日に続き、ドストエフスキーの『死の家の記録』に出てくる「主体性」のある人物像です。でも、今回は監獄にいた人物ではなく、そこにいた囚人の話の中に出てくる男のことです。その男は両親が亡くなって一人きりになった。父親は知人と資本を出しあって商売をしていたので、その知人に権利金の返還を求め、そして言った。『「おめえといっしょに商売をするなんていやなこった。おれはこのごろあそびをおぼえたんだ。親父とおふくろに死なれたから、もう知っちゃいねえ、有金飲ん
二十歳のときに「主体性」のないことが判明して生活が崩壊しました。そこから立て直すためにまず、日本の小説を読み始めましたが、暗く、重苦しくて逆効果なので外国のものに移り、最後はドストエフスキーに到着しました。ドストエフスキーの小説には力強く主体的に生きる人物がたくさん描かれています。特に愛読したのが『死の家の記録』でした。政治犯として逮捕、死刑判決を受け、恩赦によりシベリア流刑になり、5年間過ごした監獄生活の記録です。服役囚のなかには極悪
連休の合間の今日、昼から結構雨が降ってきました。昨日は暑かったのに、雨と共に若干肌寒い。今年度の名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会のテーマは「文豪」だそう。その第一回目の定演、第456回定期演奏会のテーマは、ドストエフスキー『死の家の記録』でした。演奏会の曲、ヤナーチェクの歌劇「死者の家から」は、ドストエフスキーの「死の家の記録」をオペラ化した組曲です。ドストエフスキーは、反体制運動に関わった疑いで逮捕され死刑宣告を受け、銃殺刑の執行直前に減刑されシベリア流刑となり、その経
今年度の名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会のテーマは「文豪クラシック」。なんだか面白そうです。今年度の第一回目の定演、第456回定期演奏会〈ドストエフスキー『死の家の記録』〉。ロッセン・ゲルゴフ(指揮)大茂絵里子(マリンバ)*プログラム:ヤナーチェク[イーレク編]:歌劇『死者の家から』組曲伊福部昭:マリンバとオーケストラのためのラウダ・コンチェルタータ*ソリストアンコール:故郷ゴレミノフ:弦楽のための5つのスケッチヤナーチェク:シンフォニエッタロビーコン
ドストエフスキーの『死の家の記録』に、「もっとも残酷な刑罰は、徹底的に無益で無意味な労働をさせることだ」と言う、記述がありますこれは、シベリアで強制労働させられた体験から書かれた文章です土の山をひとつの場所から他の場所を移し、またそれを元に戻す作業とか、水をひとつの桶から他の桶に移し、またそれを元の桶に戻す作業とか、そういう作業の事ですドストエフスキーの『死の家の記録』には、上記のような作業をさせたら「囚人はおそらく4、5日もしたら首をくくってしまうだろう」とありますこれの、ゆるーい
あらゆることから逃げ出したい自分もいる。生きることが義務であるように感じるのは、嫌だ。基本、苦しさは避けられないのだから、できるだけ楽しくやりたい。なんて幸福な持ち回りだろう。何千年も僕らはそうして幸福を考えてきたに違いない。まだ20日も前に、その前を半世紀もそう考えることができて、それを味わう数少ない瞬間もあった。が、これほど落ち着いて、その当たり前の原理のように感じる日常感覚の恒常性を味わうことはなかった。あらゆることから逃げ出したい、という考