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龍神社から、大村公園に戻る途中に梶山御殿があります。今は市の施設として使われているそうです。お庭縁側のある日本家屋、いいよね✨また、大村公園を通り抜け。駅に戻る途中にあるのが図書館ミライon立派な施設です!一階に大村市歴史資料館があるということで立ち寄ってみました。資料室の一室では、映像で天正遣欧少年使節のことなどを観ることができます。そしてその上映の合間には資料室の壁に鎖国時代唯一海外に開かれていた長崎の風景が映し出されQRコードを読み取って、キャラクターをこ
資料館の入り口に、「郵便差出箱(丸型)」が展示されています。この形の差出箱は、昭和20年に終戦を迎え物資の入手が軌道に乗るようになった、昭和24年(1949年)から新しい鉄製のポストとして採用されました。さて、江戸時代では情報伝達の方法として最も発達したのが「飛脚制度」です。江戸幕府は、各地へ公用文書を伝達する上で、継飛脚を設け、江戸を中心として整備した五街道の宿駅ごとに脚夫を置き、情報ネットワークを張り巡らせていきました。当資料館内には、「江戸時代の飛脚箱」「明治21年頃の四日市郵便
妹背山(いもせやま)固く結ばれた夫婦や恋人同志の象徴として折られた形です。<狂歌>結びては妹背の山の中に折れる吉野の紙のよしや離れぬ<注>妹背…男女、夫婦、兄妹、姉弟の意味吉野の紙…吉野地方で作られる極めて薄く柔らかい紙
四日市は萬古焼(ばんこやき)の産地として知られていますが、江戸時代には桑名の沼波弄山(ぬなみろうざん)が朝日町の小向(おぶけ)で窯を開いたのが始まりです。(萬古焼きの歴史)(沼波弄山作古萬古「赤絵草花文茶碗)作品に、いつまでも変わらないものという意味の「萬古」あるいは「萬古不易」の印を押したものです。(古萬古色絵鳳凰文小皿)その後、朝日町の森有節(もりゆうせつ)が萬古を再興したのが、”有節萬古”と言われています。(有節萬古「色絵草花文福面鉢」)この小さな急須は型萬
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。東京都台東区千束3丁目にある、鷲神社(おおとりじんじゃ)です。ご祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)と、日本武尊(やまとたけるのみこと)です。天日鷲命は、天照大御神が天岩戸にお隠れになった際、弦という楽器を司った神様で、岩戸が開かれた際に、その弦の先に鷲がとまったといわれています。紡績の業を創始した阿波(あわ)の忌部(いんべ)氏の祖神でもあります。日本武尊は、第12代景行天皇の皇子、第14代仲哀天皇の
先日(3/29)、飯塚市歴史資料館に行きました。(=^x^=)
資料館に入っていただくとあちらこちらにたくさんの連鶴たちが出迎えます。これらは、指先の器用な語り部横田さんの作品の数々です。連鶴は、江戸時代お隣り桑名の長円寺の住職であった魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)によって考案され、その折り方は桑名市の無形文化財に指定されているほど奥の深い作品です。<連載予告>今回、横田さんにお願いして、新たなシリーズとして「桑名の千羽鶴49羽とその鶴に詠まれた狂歌」をブログにてご紹介させていただく運びとなりました。どんな鶴たちと出会えるの
江戸時代、およそ60年ごとに発生したと言われるお蔭参りは、庶民が旅をする数少ないチャンスでした。お蔭参りが始まると、奉公人は主人に内緒で、妻は夫に内緒で参宮することが認められていました。中でも文政13年(1830年)に起こったお蔭参りは、もっとも規模が大きく、参宮した人はおよそ440万人と言われています。当時の人口の14%近くの人が数か月の間に伊勢を目指すのですから、街道沿いの村々では旅人の旅を少しでも助けるために数々の施しを行ないます。旅人の多くがお金を持たなくても旅を続けら
本日は、ヒマ友K氏と一緒に以前から気になっていたあわら市郷土歴史資料館で開催中の北陸新幹線芦原温泉駅開業記念「きて・みて!あわらのお宝展-珠玉の指定文化財を大公開-」という何とも長いタイトルの企画展を見(観?)に行って来ました。いつものようにK氏の車に同乗して道中そこかしこにこれでもかと咲く満開の桜を車窓から愛でながら、1時間半ほどであわら市内へ入り、最初にレトロな木造駅舎のJR北陸本線細呂木駅へ立ち寄りました。駅舎内に置いてあったパンフレットに神宮寺城跡のものがあ
先日、宮城県名取市で開催された桜マルシェ雷神山古墳で開催されたイベントで似顔絵やってきましたー!『桜マルシェありがとうございました!!』昨日は宮城県名取市にある雷神山古墳にて桜マルシェで似顔絵してきましたー!名取市をマルシェの街に!と活動されているGIRAFLOWERさん主催。🎪名取市をハ…ameblo.jp大好きな東北の大好きな前期古墳での似顔絵。お客様もたくさん来てくださり楽しい1日でした当日は古墳見てる時間もないだろうから前日入りして雷神山古墳見学!昨日のブログ『絶
大名行列は、大名の家格によって隊列の人数や威儀(かっこう)が決められており、大藩では数百人、小藩でも数十人の規模で移動します。参勤交代は地域によって江戸へ向かう時期、国元に帰る時期が決められており、一度に大勢が動き回るということはありません。それでも川留めなどで日程が狂うこともあり、大名の宿泊が重なると、宿場が大名行列の宿泊客で一杯になり、一般の旅人は野宿になることもあります。ちなみに大名は一頭(ひとかしら)、二頭(ふたかしら)と数えます。話のネタ「四日市の大名行列」四日市
お婆さんが、亡くなってから、ずっと、そのままに、なっていましたが、やっと、私の所有になり、建て替えることと、相成りました。
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。今日の絵馬は、「順風満帆」(じゅんぷうまんぱん)。「順風満帆」という言葉は、良い状況や成功を意味しますね。風が吹いて帆が膨らむように、物事が順調に進んでいるときに使われます。この言葉は、目標を達成したり、計画が順調に進んでいるときに、人々に勇気や希望を与えてくれるようです。類義語には、「万事順調(ばんじじゅんちょう)」「万事如意(ばんじにょい)」「一路順風(いちろじゅんぷう)」「一路平安(いちろ
黒崎歴史ふれあい館へ行って来ました。黒崎歴史ふれあい館は、黒崎駅に隣接する『COMCITY』というショッピングモールと行政の出張所が一緒になっている建物の1階にある歴史資料館でございます。私は黒崎の人間ではないですが、駅の横にこんな施設があったら超便利ですよね。さて、黒崎歴史ふれあい館。正直、無人の小さな資料館なのですが「こんなところがあったのか!」と驚愕の展示品の数々!まず、目を引くのが北部九州に縁のある武将や城主の兜。これらが一斉に並んでいるのは壮観。カッコいいですね。こんなこ
東海道を江戸から京へ上る途中、桑名から四日市へと進むと伊勢湾を左に望むことができます。この伊勢湾では春先に蜃気楼を見ることができました。蜃気楼は文字通り蛤(蜃)が吐き出す気によって現れる楼閣という意味で、海上に現れる不思議な光景は蛤が見せるものと信じられていました。桑名では時雨はまぐり、小向や富田では焼きはまぐりが名物で、はまぐりの産地であることも蜃気楼が見える理由とされたのでしょう。話のネタ「蜃気楼」蜃気楼は、大気中の温度差(=密度差)によって光が屈折を起こし、遠方の風
街道には伝馬人足が休憩する場所として決められた立場がありました。人足が使った杖を立てておく事から立場というようです。また、立場には伝馬人足だけでなく一般の旅人も利用し旅の疲れを癒しました。立場の中でも宿場と宿場の中間にあるものは、間(あい)の宿といい、茶店が建ち並ぶ風景は、ちょっとした宿場のようで、ところによって名物があり、旅の楽しみともなりました。桑名宿~四日市宿の間には六ヶ所、四日市宿~石薬師宿の間には三か所の立場がありました。話のネタ「富田の名物」「焼き蛤」の本
能代市にも桜前線が到着し、昨日4月8日、市役所前のソメイヨシノが開花。入学式も終わり、新年度は本格スタート、ビジョン経営の精神で厳しい今を生き抜いて欲しい。北羽新報の「渟城雑記」に、今回は注目してみました。【能代の桜】市役所前は8日に開花。能代公園では10日から「さくらまつり」00:06ヘッドライン01:114月9日(火)昨日は半そで、本日はコートの能代です。04:30本日のテーマ05:47北羽新報からピックアップ06:07能代カップのPRポスター、公開07:19
東海道を始めとする主要街道には、一里ごとに目印となる大きな塚が整備されました。四日市市内には東海道が17㎞通っていて、一里塚は四つありました。北から富田、三ツ谷、日永、采女です。このうち日永にあった一里塚は江戸から数えてちょうど百理の一里塚となります。塚の大きさは、五間(約9メートル)四方で、高さが4メートルほどもありました。東海道の一里塚に植えられた木の種類は榎が最も多く、次に松、杉の順でした。富田、三ツ谷、日永は榎(えのき)、采女には松が植えられていました。話の
2月が暖かかったせいでしょうか。そこから春の訪れがずいぶん待ち遠しく感じました。3月には雪が降るほどの寒の戻りもありました。4月に入った途端、三重県でもようやくソメイヨシノが咲き始めました。4月6日諏訪神社境内にて満開間近の先週、テレビで毎日のように桜の名所からの中継がありました。日本人は老若男女、花見が好きですね。シーズンになると出かけずにはいられないのでしょうか。年が明けると、初詣に行きたくなるのと似ているのかもしれません。日本には花にまつわる言葉がたくさんあります。例
本陣は、大名や公家が宿泊する施設のことです。現在のようなものではなく、貸別荘に近いものです。ここでは食事や風呂の用意は、宿泊する側が行います。宿泊料の決まりはなく、大名や公家はわずかな金銭(心づけ)を支払うだけです。そのため本陣の経営者は別に仕事を持っていることがあります。本陣を経営するのは、宿場の古くからの有力者や裕福な商人であることが多いようです。そして本陣は一般の旅人を泊めることはできないとされています。(実際には予約が無い時に泊めていたようです。)(草津宿の本陣)(草津宿の本陣
高札場は、幕府からのお触れなどを書いた高札を掲示する場所です。とても大切なものなので、雨に当たらないよう屋根がついています。村ごとに必ず一つあり、しかも村の中で最も人通りが多いところに建てられています。四日市宿では、東海道と湊へ向かう道の交差点に建てられ、町の人はこの交差点を「札ノ辻」と呼んでいました。高札場に掲げられている御触書(おふれがき)には、伝馬人足のこと、家族や奉公のこと、商売のこと、伝馬人足の駄賃のこと、火事の時のこと、徒党を組むことの禁止、キリシタンの取締まりのことな
平成11年(1999年)中部西小学校の校舎改築に当たって発掘調査が行われ、地表下約1.3mのところから、四日市陣屋内の遺構や堀の一部が見つかりました。堀からは江戸時代後半の瀬戸・美濃・信楽など陶器類、曲物・漆器など木製品類が大量に出土しました。そのときに出土したものが、資料館に展示しています。四日市市教育委員会からお借りしているものです。珍しいものとして、「入れ歯」があります。本物は湿度や温度などの管理が難しいため、写真でのご紹介としているのですが、材質が柘植(ツゲ)の木で作ら
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。東京都台東区千束3丁目にある、鷲神社(おおとりじんじゃ)です。ご祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)と、日本武尊(やまとたけるのみこと)です。天日鷲命は、天照大御神が天岩戸にお隠れになった際、弦という楽器を司った神様で、岩戸が開かれた際に、その弦の先に鷲がとまったといわれています。紡績の業を創始した阿波(あわ)の忌部氏の祖神でもあります。日本武尊は、第12代景行天皇の皇子、第14代仲哀天皇の父であり、武
清々しく明るむ!昨日からの雨は上がって晴れるそうなよく降りました今日は晴れてきそうです一昨日行った隣町の『歴史資料館』の隣の水路脇に桜並木がありまして今ようやくほころび始めてました桜の花は川沿いで綺麗に咲きますね水が好きなのか♡と思います元々は、昔、川の土手を丈夫にする為桜の木を植えて、花が咲いたら人が集まり座ってお花見をしてくれたら土手が固まり丈夫になる‼️と期待してお偉い方々が桜並木を植えた…とのことです誠しやかな話ですね因みに、よく菜の花とセットで絵にな
夏井いつきの「よみ旅」というNHKの番組(全国放送)で、俳句の先生、夏井いつき先生が岡崎の大樹寺を会場にして、市民の俳句を解説しました。5人の俳句が紹介されたんですが、まず登場したのは、この俳句。龍渡り蜻蛉描く円あなふしぎ。岡崎城は「龍城」とも呼ばれるんですね。蜻蛉はふつうは「とんぼ」と読むのですが、この句の中では「あきつ」と読むようですね。詠んだのはこのお方!なんだか強そう。蜻蛉(とんぼ)に注目!本多忠勝の名槍「蜻蛉切り」から詠んでいま
資料館の1階には毎月、語り部ボランティアの山田さん手書きの「季節の俳画」をご提供いただいています。今回の俳画のお題は、「春」と「れんげ」です。「春」春の海終日のたりのたりかな(与謝蕪村)すごすごと摘やつまずや土筆(宝井其角)雪とけて村いっぱいの子どもかな(小林一茶)しばらくは花の上なる月夜かな(松尾芭蕉)おらが世やそこらの草も餅になる(小林一茶)「れんげ」握り締め母に捧げる蓮華草(久保夢女)馬形の痩せゆく峰や蓮華草(浅川正)
昨年7月。藤枝市郷土博物館・文学館を見学し蓮華寺池公園にあるお店でランチをし、さて次はどうしよう…と思った時。岡部宿を思い出しました車で20分程度…こりゃ行くしかない!岡部宿には、旅籠屋柏屋があります。入館料は300円。入口では、弥次さん・喜多さんらしき人形が足を洗っています(笑)昔の旅人は、宿に到着するとこのようにまずは足を洗っていたようです柏屋歴史資料館の説明。岡部宿は、品川宿から数えて21番目の宿場なんだそう。岡部宿の東には宇津ノ谷峠があり当時の旅人は大変だ
四日市は幕府直轄地、いわゆる"天領"でした。初代の代官水谷九左衛門光勝によって、慶長8年(1603年)に「四日市代官所」が築かれました。その場所が、資料館のすぐ東にある中部西小学校の敷地です。現在はすべて埋め立てられていますが、この当時の絵図のように、周囲をお堀に囲まれた代官所(陣屋)でした。写真は、水谷百碩(みずたにひゃくせき)画の“御陣屋裏門之秋景”と御陣屋絵図です。代官所の敷地は、南北44間(約80m)、東西43間(約83m)、お堀の幅は東側で13間(約23m
岩村城跡から登山道を600m程?下れば資料館及び駐車場へとの案内だったが~私を始め、みんな歩きをパスしてすれ違い困難な山道を下って城下町を通過し資料館のある駐車場へ佐藤一斎翁像えっ幕末最高の思想家なの佐久間象山も弟子(門下生)だった佐藤一斎-Wikipediaja.wikipedia.org藩校↓知新館少くして学べば、則ち壮にして為すことあり壮にして学べば、則ち老いて衰えず老いて学べば、則ち
こんばんは仙台旅行1日目のお話です。(興味ない方はここでバックしてください)どこかにビューンが決めてきた時間は、基本始発のうちにはゆっくりすぎる、11時仙台着ついたらすぐに後輩おすすめの牛タンやさんに直行。https://www.gyutan-tsukasa.co.jp/mobile/shop/index.html店舗案内|牛タン専門店司牛タン専門店司の店舗案内です。www.gyutan-tsukasa.co.jp(花男ファンの私は道明寺だと思っていました)1時間待