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資料館2階ホールに「自在鉤」が展示されています。自在鉤は、いろりの火で煮炊きするための鍋や釜をかける道具です。その鍋や釜を自在に上げたり下げたり、また回転させる仕掛けがあることから、自在鉤と呼ばれています。自在鉤に取り付けられている魚は「小猿あるいは横木」と名付けられた自在鉤の部品のひとつです。写真のように、つり縄をつけて自由にかぎの高さを調節できるようになっています。魚の形をしているのは、魚は水に通じるということで火事を避けるお守りの意味があります。また、魚には瞼がないことから眠
大型連休が終わりました。いかがお過ごしでしたか。四日市市では連休の後のイベントと言えば、萬古まつりです。このあたりでは夏の大四日市まつりに次ぐ賑わいになるのではないでしょうか。コロナ禍以降、四日市ドームという(四日市市民には知られている)全天候型施設での開催が定着しました。広すぎる(?)会場でゆっくり品定めして、たくさん買ってもクルマで来ていれば重さは苦になりません。屋内ですので天気も気になりません。(マスコットキャラクターのポッターくんと一緒に撮った2022年の時の写真です。この年
いつも読んでいただきありがとうございますじっちちでぇございますm(__)m黄金週間も昨日で終わり今日から現実世界に引き戻されるのですが黄金週間の後半戦に学生の頃は日本にまだ侍や忍者がいるって思っていたネパールの長男ジバン君(仮名)を誘って市内の観光をしました♪LINEを交換しているので観光の詳細を送り・・先ずは、歴史資料館へ聞けば・・・日本の歴史に、めっちゃ興味があるそうで博物館とか大好きだそうです♪田舎の歴史資料館だから英語表示がありませんし弥生時代の壺と
資料館の1階には毎月、語り部ボランティアの山田さん手書きの「季節の俳画」をご提供いただいています。今回のお題は、「クレマチス」と「オニユリ」です。「クレマチス(鉄線)」夕暮れの紅に染むクレマチス(詠み人知らず)人待ちの町屋に揺るるクレマチス(詠み人知らず)鉄線の花さき入るや窓の穴(芥川龍之介)きのふ見て早や鉄線の花あらず(三橋鷹女)もの書きて夜がいま明けし鉄線花(水原秋櫻子)「オニユリ(鬼百合)」鬼百合の枯れなんとして鬼々し(寺田寅彦)
自宅に帰ってきました↑今日はジャンキーなものをたくさん食べてしもうた…🫠1日~今日まで「北の大地」に今回はね…あまり皆さまにお伝えできないような、なかなかカオスな旅をしてきましたその土地に何度も行っているわけじゃなくても、有名どころな観光地に行くより連休なのにだーれもいないような場所や歴史資料館とかに行くことが好きで、いろいろ巡らせてもらいましたあ、もちろん有名どころにはそれなりにで、だ。今回はいつもの1人でうろうろ旅じゃなくて彼がいてさー。お互いの性格の違いに改めてびっくりさ
今朝は、昨日の川越訪問やゴルフ合宿の疲れもあり、快眠でしたが、ヤクルト1000をR1にしての最初の朝で、お腹の調子がもう一つすっきりしません。R1を続けてみる予定ですが、何となくですが、私の腸には合っていない感じはしています。ということで、早々に白金に出かけたこともあり、アップが遅れましたが、今日の一枚は、港区歴史資料館の正面写真です。横浜山手から港区に移り住んで、22年目に入っていますが、当時、多額の借金をして購入したマンションで、周りからは「シャッキング」とバカ扱いされ
旅行の予定は先延ばししました。昨日は目的もなくブラブラ歩いて江古田駅にたどり着きました。都心とは違う町並みです。次は山手通りを目指して歩きました。山手通り沿いには2箇所働いていた場所あり、1つはビルが解体・建て直し中のようでした。途中、めぐろ歴史資料館の看板を見かけたので立ち寄りました。元々学校だった建物でしょうか。運動場で子どもたちが野球をやっていました。東京で生活していると近代的な街しか意識しないので石器とか見るのが新鮮です。段々、羽田空港に着陸する飛行機が大きく見えます。
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。愛知県刈谷市司町8丁目にある、市原稲荷神社(いちはらいなりじんじゃ)です。鎮守のお宮として人びとの崇敬を得てきた市原稲荷神社には、古老が伝えたひとつの伝説に、「むかし海中いずこからともなく、ご神体が浮かんで磯に寄り移りました。時に市原の島に住んでいた白狐が、このご神体をくわえて陸に上がりました。この地は「お茶屋」と呼ばれる地でした。そこで村びとは社を建て、これをご神体として祀りました。これが稲荷大明神の起こりです
子どもの成長とGW『たぬきだに』家の今年のGWですが、上の子どもはバイト、下の子どもは平日は高校、祝休日は部活のため、特にお出かけはしていません。ですが、天気のいい日はもったいないので、子ども達の外出後、妻と穴場のスポットで「青もみじ」狩りを楽しんだり、趣味の歴史資料館探訪などをしていました。子どもが大きくなるにつれ、なかなか身動きが取りにくくなる中、徒歩圏内で国宝や世界遺産など悠久の歴史を愛でることの出来るこの環境は、「移住」までの繋ぎの地としては最高だ、と感じる『た
権門(けんもん)とは、古代末期から中世の日本において、社会的な特権を有した権勢のある門閥・家柄・集団を指す言葉です。中国の古典に記された故事に由来する語で、平安時代初め頃から使われるようになりました。写真の「権門駕籠」は、「引戸駕籠(ひきどかご)」とも呼ばれ、江戸時代、大名の家臣(武士)や僧侶(お坊さん)が用事で他家へ行くときに用いられた乗り物です。漆塗りの屋根は上に大きく開くようになっており、また乗り口は引戸になっていて竹のすだれが掛けられています。
今回の車中泊は温泉と竹内街道の訪問でした。”道の駅近っ飛鳥の里”のこじんまりした道の駅。富田林産のポン菓子を購入🤤道の駅の横から…竹林に流れてる飛鳥川を渡ります。大和と堺を結ぶ日本最古の国道の竹内街道を歩きます石畳を再現した趣の有る風景。地蔵尊右を上がれば「竹内街道歴史資料館」二上山の周辺模型は圧巻です!石柱道標の石刷りでしょうか?資料館から数分竹内街道を歩けは大道旧山本家住宅なる大和棟の藁葺有形文化財の住宅が見学できますが、今回はここまで道の駅へ戻り地元産
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。滋賀県大津市坂本5丁目にある、日吉大社(ひよしたいしゃ)です。全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。天台宗の護法神であり、社殿の立つ場所が平安京の表鬼門にあたるため、平安時代より都の守護神としても信仰され、方除け、厄除けのご利益で知られています。また、もみじの名所としても有名で、「青もみじ」の新緑や11月中旬の紅葉が美しく境内を彩ります。絵馬は、猿の顔をモチーフにした顔型絵馬。日吉大社の神様のお
拾餌(えひろい)親鳥がひなに餌を口移しであげている、可愛いらしい鶴です。首を少し斜め前に折るのがポイントです。【狂歌】餌を拾うように恋路の粟ばたけ人が来るやら引板(ひだ)の音する<注>引板…ひだとは鳴子の事。粟…ここでは、驚き慌てるの意味の「泡を食らう」にかけている。
4月上旬、岐阜県大垣市墨俣町にある墨俣一夜城に行ってきた。この城は、1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が僅かな期間で城を築いたと伝えられる、いわゆる一夜城である。ただ、歴史的史料に乏しく、実際の城がどのようなものであったか定かではない。おそらく簡易な建築や柵で構成されたものであったとされる。存在を否定する意見もあるとのこと。現在の城は、大垣城の天守を模して大垣市墨俣歴史資料館として、平成3年に建てられたもの。スケッチは、犀川にか
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。東京都台東区今戸1丁目にある、今戸神社(いまどじんじゃ)です。今戸神社は、康平6年(1063年)源頼義、義家父子が奥州征伐の折、京都の岩清水八幡宮を鎌倉鶴ヶ岡八幡宮と共にこの地に八幡宮を勧請し創建、後三年の役の後祈願成就を感謝して再建、江戸時代に至っても今戸八幡宮と称して武家の尊崇が篤かったといいます。また、浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られている他、下町八社巡りの一社とされています。今戸神社に祀られる福禄寿は、
独自のお薦めスポット4選♪城下町を歩いてみた圭那です。と言うことで・・・旧岩村町城下町を堪能しようと思い、端から端まで歩いて見ました。ゆっくり歩いても、片道30分も有れば歩けます。但し、歴史的な場所を念入りに見て歩くと1時間はかけられます(笑)こちらで、余り良い感じで紹介して無いので(笑)まずは、今回気が乗らず行かなかった場所からWWW。太鼓櫓と同じ敷地内に有る「岩村歴史資料館」。入場料は、200円と安いです!女城主「おつやの方」の資
四日市赤堀の旧東海道沿いにあった鈴木薬局さんが、江戸時代に製造していた膏薬「即治膏」「赤万膏」など“官許(お上の許可を得た)薬”の引札(ひきふだ)と看板です。(引札)引札とは、江戸、明治、大正時代にかけて、商店、問屋、仲買、製造販売元などの宣伝のために作られた広告チラシです。朱塗りの看板には、竹の切り口を示す「丸二つの組合せ」の登録商法に、「赤万能即治膏」の名前が書かれています。写真の建物(参考)は取り壊され存在していませんが、当時の鈴木薬局さんは200年以上も
紀の川市粉河寺大門入山料無料駐車場500円仏足石御釈迦様の足跡👣随分大きいです人徳の偉大さを象徴しているそうです出現池馬蹄石童男大士千手観音中門本殿石庭が左手にあります粉河産土神社パワーをいただきました貴志川町よってって八十八家でランチバイキング90分1550円欲張り過ぎですね😅大食なので、2人共完食バイキング食べ残しはNG持ち帰りの現場発見時は即退場返金しませんそんな事をする人いるからでしょうねちょっとビックリした🫢旧和歌山
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目にある、伊奈波神社(いなばじんじゃ)です。天文8年(1539年)、稲葉山城の築城にともなって、斎藤道三公が現在の場所に移したと伝えられています。岐阜市の総産土神で、毎年4月には「岐阜まつり」が開催されます。御祭神は五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)物部十千
「判じ絵」は、江戸時代に庶民の間で流行った「なぞなぞ」みたいなものです。「判じる」とは「判断する」とか「推し量って考える」という意味で、絵を見て、それが何を意味するか当てる遊びです。題材は名所の地名だったり、食べ物、道具など。「洒落」の効いた言葉遊びで、なかにはちょっとお下品でばかばかしいものもありますが、庶民に愛されたささやかな娯楽でした。資料館入り口に掲げられているこの看板は、「かまわんはいれ」(構わないからお入りください)と表現されています。語のネタ「江戸時代の
江戸時代の両替屋の木製看板です。モチーフになっているのは両替商が使う秤の分銅です。両替屋の看板にはほかにも、お金(貨幣)をモチーフにしたものもありました。語り部のネタ「江戸時代に発展した両替商」江戸時代の両替商は、金銀銭貨の両替のほかに、預金や手形や貸付などの金融業務を行っていました。両替商は、商人や大名を主な取引先とし、大坂を中心に日本中の商いに関わっていました。江戸時代の両替商の中でも、鴻池、三井、住友の3つは特に有名で、現代の大企業に発展しています。
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。和歌山県伊都郡九度山町にある、慈尊院(じそんいん)です。慈尊院は、弘仁七年(816年)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。大師の御母公(玉依御前:たまよりごぜん)が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念から、ご高齢にも関わらず当院へ参られ、ご本尊弥勒菩
野干平(やかんべい)この鶴は、妹背山と同じ紙の切り方で、同じ様に折り、頭の向きを左右反対に折ります。【狂歌】野干平つれて狐の嫁入りかな時雨もしたり日も照りにけり<注>野干…狐の意味狐の嫁入り…日が照っているのに雨が降っている天気の事を言う
【飫肥城】伊東家5万1千石の城下町飫肥は、天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えたところです。武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣が残る町並みは、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。昭和53年に復元された大手門を中心に、松尾の丸や藩校振徳堂、伊東家の歴史を綴る貴重な資料が展示されている飫肥城歴史資料館があります。また、商人町通りには樽を店頭に置いた商家や、格子に壁燈籠、番傘を飾った商家が軒を連ね、町を流れる堀割の
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。東京都江東区亀戸3丁目にある、亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)です。菅原道真公をお祀りする亀戸天神社は下町の天神さまとして親しまれています。古くはご本社にあたる九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されていましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称されました。絵馬には、春と夏を分けるといわれている藤の花房が描かれて
米子駅から広域生活バスに乗車して安来市立歴史資料館に向かいます。運転手の方が安来市立歴史資料館に行くならここで降りて道順まで教えてくれました。うーん、逆光とりあえず、安来市立歴史資料館玄関にスタンプがありました。日本百名城65.月山富田城です。ここからはバスで安来駅へ向かいました。が、バスが遅れ気味でギリギリで安来駅の駅を楽しむ時間がありませんでした。安来(12:56)発JR山陰本線浜田行きで松江(13:19)までの乗車でした。松江駅で昼食(4)へ続く
資料館の近現代コーナーには懐かしい(昔見たことのあるような)品々が展示されています。今回登場するのは、「ホーロー看板」です。ホーロー(琺瑯)看板とは、主に屋外で使用される金属製の看板で、光沢のある塗装や印刷が施されています。明治21年(1888年)から明治22年(1889年)頃に誕生し、明治・大正・昭和中期まで商品宣伝手法の主流として活躍しました。しかし、商品サイクルの加速化や住宅事情、新聞やテレビなどのメディアの発達に伴い、昭和50年(1975年)頃より徐々にその姿を消して
資料館では、江戸時代の旅人が持参していた品々を陳列しています。その一部をご紹介します。「小田原提灯」コンパクトに折り畳みできるように工夫された提灯です。川越富洲原駅西にあるまちかど博物館「小田原提灯参考館」からお借りしているものです。高級品から普及品までさまざまなものがありました。「煙草入れと煙管(キセル)筒」金具の細工などが見どころです。「印籠」腰に下げる三重または五重の長円筒形の小箱。箱には蒔絵(まきえ)、堆朱(ついしゅ)、螺鈿(らでん)などの細工が施され、緒には緒
江戸時代になる前、中世・戦国時代に関連する資料として、室町時代後期の甲冑(かっちゅう)を展示しています。鎧(よろい)は、白絲威(しろいとおどし)二枚胴具足(にまいどうぐそく)という形式です。兜(かぶと)は、六十二間星兜(ろくじゅうにけんほしかぶと)で、前立ての鍬形(くわがた)は葉っぱの組み合わせたもので、今のところ、何の葉なのか判っておりません。また、家紋については、切り竹に雀ですが、武将の名はまだ判りません。語り部のネタ江戸時代の平均身長は、だいたい男性は155cm~1
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。豊橋市小松原町字坪尻にある、小松原山東観音寺(とうかんのんじ)です。飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧であった行基(ぎょうき)がこの地を訪れた際に熊野神社のお告げを聞いて馬頭観音像を刻み天平5年(733年)に開山したと伝えられています。境内には国の重要文化財の多宝塔があり、また旧暦2月の午の日には「馬頭観音二の午祭」が開催され牛馬の飼い主らが祈願を行います。絵馬は「駒曳き猿」。馬の轡(くつわ