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これまで、とても平和で、庶民の文化が栄えた江戸時代についての紹介をしてきました。ところが、この260年続いた江戸幕府も、外国人がやってきて、幕を閉じることとなります。ヨーロッパの強国が、世界中の国々を植民地化していく中、日本は国を守るために鎖国をして、平和な国づくりをしていました。今日は、江戸時代に日本が平和な国づくりをしている間に、国外では何があったのか、世界情勢を見ていきます。またCGSの目からウロコの歴史よりまとめさせていただきます時をさか
江戸時代、着物の新品というのは、あまり流通しておらず、中古の着物が流通していたそうです。和服は、糸をほどいて反物(たんもの)と言われる、着物を仕立てる前段階の布にもどし、巻物のように巻いて何回も何回も流通していたそうです。今、東京にある三越などの大きな百貨店は、もともと古着屋さんからのスタート。着物というのは、最初は布がつくられ、着物となり、それが古びて、すり切れてくると、切って、つぎあてに使われる。それもボロボロになると、もっと細かく切って、
江戸の町は、もともと湿地帯だった、という話は、家康が江戸に移る時の話でしました。『家康はなぜ江戸に入ったのか』今日からまた、日本の歴史にもどります久しぶりに、YouTube、CGSねずさん日本の歴史『家康はなぜ江戸に入ったのか』小名木善行先生の講座より♪これまでの…ameblo.jp『逆境を乗り越え、世界一の大金持ちになった家康』田んぼもつくれないし、海水が入ってきて、どろ沼ばかりの江戸秀吉に、こんな所に行かされた家康は、ぐぬぬっと思っていたところが、そんなところにお城を建
今日は、現代では格式の高い人が見に行くような江戸の文化である、歌舞伎の始まりについてのお話です。このお話も本当にびっくりで面白かったので、ご紹介しますYouTubeの、目からウロコの歴史、小名木先生のお話を参考にまとめます♪1600年の、関ヶ原の戦いで敗れたお侍さんたち。宮本武蔵のように、剣で腕だめしをする者もいたけれど、中には、世をうらんで、とてもハデな格好をして、暴れまわる若者が出てきた。彼らは『かぶき者』と言われる荒くれ者たちで、なんと彼らが歌
今日は、前回の続きで、浮世絵について、お話を続けます作品はもちろん、本当にすばらしいものはかり!なのですが、さらに浮世絵は、世界で初めてのカラー印刷技術、世界で初めての庶民でも持つことができた美術品、という面でも、世界から見て、本当に日本はすごかった!!そんなお話を前回にしましたそして今日は、この浮世絵が、ヨーロッパの現代美術にものすごい影響を与えた!というお話をします浮世絵は、ヨーロッパの美術が今のように発展してきた流れの原点にある、とまで言わ
世界にものすごい衝撃と影響を与え、私も衝撃!!だったのが、浮世絵のお話です久しぶりに斎藤武夫先生の授業を参考にしながら、お話をします♪私は大人になるまで、ちゃんとした浮世絵を見たことがなかったけれど斎藤先生は、実際に彫師(ほりし)の人が、本物と同じように木を彫り、有名絵画の再現をしてそれを、摺師(すりし)の人が印刷する作業をしていった、本物の版画を学校に持っていき、生徒に見せていたそうです版画の工程については、こちらを見させていただき、画像をお借りしました。
前回、江戸時代の寺子屋では、高学年になるまでにどのようなことを学んでいたかお話をしました入学時に、先生や先輩を尊敬する、礼儀作法を習い、筆を持ち、「いろは」ではなく、漢数字の書き方、足し算、引き算、かけ算、割り算などの計算を習い、ソロバンを学ぶ。低学年になると、いろいろな名前から、それぞれの家のいわれ、昔の出来事、地理や歴史を学び、方角、周囲の地名が書いてあるものを使い、その地の歴史を学ぶ。中学年になると、手紙の書き方、作法を通じて季節(暦こよ
今日は、YouTube小名木善行先生の、目からウロコの歴史から、江戸の教育について書こうと思います江戸時代の子供たちは、寺子屋という場所で、教育を受けていました。この時にお世話になったお師匠さん(先生)が亡くなった時、先生のおかげで本当に豊かな暮らしができるようになったということで先生に感謝をし、教え子たちが、自分たちで費用を出し合ってつくったものが、筆子塚(ふでこづか)というもの。それが、千葉県の分布図だけでもこんなに沢山あるこの黒い点・全て!
前回、55歳からスタートで日本中を歩き回って地図を作ってしまった伊能忠敬についてお話をしましたそしてそれが、世界をおどろかせるような、すばらしい地図だった!ということで、今日は、伊能忠敬がどういうリーダーシップをとってこの地図を完成させたのか。ということについて、お話をします今回もYouTubeのCGS偉人伝からまとめさせていただきます♪リーダーシップの一つ目、①当たり前のことをバカにしない。伊能忠敬は17年かけて地図を作り上げたけど、やっている
今日は、まだ飛行機もない時代、こんなに素晴らしい地図をつくった江戸時代末期の人物伊能忠敬いのうただたかについてお話をしたいと思います今、私たちの生活には欠かせない地図。国防(国を守るため)にも欠かせないものです。この頃の日本は鎖国をしていたけれど、イギリスやロシアなど、度々、日本を訪れたり、不法侵入して、殺人を犯す者がいたり。そんな中、日本の海岸線を正確に描いた地図はなかった江戸幕府にとっても、正確な測量をして地図をつくるということは、非常に重要だ
前回、江戸時代の日本の物流は、水運が発展していたお話や、めちゃくちゃ人通りの多い日本橋のすぐ近くには、無人の送金所があり、全国に送金するお金が無人で置かれているのに、誰も泥棒(どろぼう)する者がいなかったという、とってもビックリなお話をしました今日は世界で初の土木技術、閘門式運河(こうもんしきうんが)というものについて、お話をします川をつかった輸送船は、低い場所から高い場所へどうやって移動できたのか??ここでは、埼玉県の見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)を
今日はこちらの動画から♪江戸時代の交通が、世界にほこれるほど発展していたこと、そして、日本の治安のよさには、本当にびっくり仰天の講義でした学校では、五街道というものがあった、と習いました。五街道(ごかいどう)は、江戸時代の江戸・日本橋を起点に伸びる東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つを指した陸上幹線道である。東海道といえば、今の国道1号線。3~4車線あって、とても広くて整備された道。きっと江戸時代も道幅が広かったかのなと想像するかもですが、幅は
前回の続きです。二宮尊徳は、荒廃した桜町の復興ふっこうをまかされ、自分の財産を投げ売り、村人たちにお金を貸す。質素な生活をしながら、誰よりも働くことで、元気のなかった村人たちの心を動かしたところが、言うことを聞かない、じゃまをする人たちが現れた村の復興は進まなくなり、悩んだ尊徳は、なんと、村を去ってしまうというのが前回までのお話。尊徳は、成田山新勝寺に行って21日間の断食修行に入っていた。残された村人たちは、びっくり昨日まで、尊徳さんの言うことを
前回まで、二宮尊徳の少年時代がいかに立派であったのか、615の村を救った偉人である、というお話をしてきました。今日は、桜町へ派遣されてきたというところから、お話を始めます桜町の人々は、はっきり言って、やる気のない人々家も畑も、ボロボロそんなところに尊徳はたどり着く。また、うるさいのが来たよ~と、村人たちが反発する中、尊徳は村人たちの心をつかむため、どういうことをしたのか?藩からは、復興のために、「お金を出しますよ」と言われていたのに、なんと尊徳は
前回の続きになります。二宮尊徳は20歳で、おじさんから独立。独立後は、一生懸命に頑張り、自分の生家を建て直して豊かにしていき、村の中では裕福になっていった。ここで尊徳が残した言葉。積小為大せきしょういだい小さなことを積み重ねていけば、大きなことになりますよという言葉が、尊徳の少年時代の教訓となっています。そんな尊徳は、村でも有名な若者となり、ある時、藩のお殿様に、「あそこに優秀な若者がいるらしい」と、目をつけられて、尊徳に仕事を任せてみようと
世界で一番、銅像がつくられ、小学校には、必ず像がおかれるような偉人であった二宮尊徳(にのみやそんとく)二宮金次郎(にのみやきんじろう)などと呼ばれるこのお方。名前はいろいろありますが、尊徳(そんとく)と呼びますねこの方の像が学校から消えてしまったのは、本当に残念です!絶対に二宮尊徳から学ぶべきことは多いので、ご紹介します二宮尊徳の有名なイメージは、薪(まき)を背負いながら本を読んで、一生懸命に勉強する少年。だけど、何をした人か?どんな人物なのか?答
五代将軍、徳川綱吉(つなよし)は、『生類憐れみの令』(しょうるいあわれみのれい)という令を出して、犬を「お犬様~!」とあがめて、『犬公方(いぬくぼう)』と呼ばれていた、そして庶民からバカにされていた、と言われている。人の命より犬の命を大事にする、とんでもない将軍が現れたんだ、と言われてしまっているけれどところが、『生類憐れみの令』は、この綱吉の後も、幕末まで何度も何度も出されている!という小名木善行先生のお話を紹介したいと思います八代将軍吉宗の
江戸時代のすごいところは、YouTubeCGSの小名木善行先生の『目からウロコの日本の歴史』がいいかな♪と思い、そこから、何回かにわたって、いろいろ学んでいきます日本の伝統として、江戸時代に確立された武士道。武士道は、日本の精神と言われ、武士道における忠義は、日本の精神の柱、と言われるそうですが、言葉だけがひとり歩きその意味は、学校では教えてくれません。忠義とは何か?日本に漢字を伝えたとされる中国では、『忠』と『義』それぞれ存在している漢字でも、この二
今日は、徳川幕府が行った政策を見ていきます♪あなたが家康だったら、どちらを選びますか?A日本全国を幕府が治める。(中央集権)B幕府は、幕府の支配地だけを治める。そして、他の領国(地方)の政治は、その国の大名に任せる。(地方自治)つまり、江戸の幕府だけが政治の権力を持ったのか?それとも、幕府はまとめ役で、各地の大名さんたちに、今の県知事のお仕事のように、各地の政治をお任せしたのか?答えはBでした。今で言うと県のようなものを江戸時代は、藩(はん
1616年徳川家康死去(75歳)ここで江戸幕府250年の礎(いしずえ)を築いた家康の遺訓を紹介します伝「徳川家康遺訓」一、人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。人の一生は、重い荷物を背負って遠い道のりをゆくようなもの。急いではいけない。一、不自由を常(つね)と思えば不足なし。心にのぞみおこらば、困窮(こんきゅう)したる時を思ひ出すべし。不自由が当たり前と思えば、不満を覚えることもない。一、堪忍(かんにん)は無事長久(ぶじちょうきゅう)のも
今日は、歴史の流れを知るために、斎藤武夫先生の、こちらの本から学びます♪織田信長→豊臣秀吉→徳川家康と、最後に天下統一のバトンを受け取って、250年の「徳川の平和」を打ち立てることになった、徳川家康のお話ですクイズ形式でお話が進みます♪1582年6月2日に本能寺の変がありました。この時、徳川家康はどこにいたでしょうか?A京都B大阪(堺)C愛知(岡崎)答えはB家康は、本能寺の変の時、わすかな供を連れて、堺にいた。そして、奈良から伊賀に抜けて、
こんばんは。佐々木です。涼しいです。虫の大合唱も聞こえます。さて、今、本日最後の中3のレギュラー社会の授業が行われています。本日、中3は、国文法と歴史のゼミが開講しました。丹羽先生の国文法「国語の得点源」の授業の様子です。普段、数学の授業ばかり担当しているのでリケジョのイメージが強い丹羽先生ですが、実は専門は国語です(笑)。受講者はレアな丹羽国語楽しんでくださいね。中3の授業のウラで中2メンバーも理解度確認テストの再試験がんばっていましたよ。明日
千葉県議会の議員有志勉強会で、斉藤武夫(元埼玉県教員)先生に、「学校の歴史教育が変われば日本が変わります」と題して、講師をして頂きました。斉藤先生は、その授業実践を学ぶ門下生教師が全国にたくさんいる、伝説の先生。最近はご著書も復刻し、教師向け書籍ランキング1位です!私も日ごろご指導頂いており、今回も不肖私が事務方を務めさせていただきました。学校で学びたい歴史新装版Amazon(アマゾン)1,496〜5,720円本日も素晴ら
今週の1冊・齋藤武夫著『学校でまなびたい歴史』(平成15年7月発行)日本史の授業で、記憶に残っているのは、いきなり卑弥呼から歴史が始まり、そして、近代史を学ぶまでもなく1年間のカリキュラムが終わるという事を、中学、高校と繰り返したことが強く残っている。残念だが、日本史に関して、面白いと思ったことはない。(一方、世界史は、特徴ある独特の授業で、面白く歴史を物語ってくれたので、関心は世界史の方に向いた。)歴史の授業というのは、教える側の授業の教え方で、結構好き嫌いが分か
私には夢があります!・通常の塾の授業をなるべく朝から実施します・他塾に通っていて学校がお休みの間だけでも勉強しにきたい!という受験生を受け入れます。(アクシズの正規の生徒に不公平感のないよう1回あたりの参加費は頂戴いたします。)・新小5の体験期間を来週いっぱいまで延長します。体験授業はなるべく昼間に実施する予定です。・おうちでヒマを持て余しゲーム三昧、動画見放題の中学受験生のために少しでも役に立つ動画をなるべく多くアップしていきます。おそらく感染リスクは極小普段小学校に通っ
昨日は新年一発目の中1授業。授業前から生徒らが「先生、先生~!」と私の周りにやってきました。「きょう提出ですよね!私全部やってあります!」「私は今日持ってくるの忘れた!けどちゃんとやってあります!」「私も全部やった!でも数学は分かんないところばっかりで…」(そっか…、12月に出した宿題は今日提出にしていたな。でもなんで生徒たちがこんなにアピールしてくるかっていったら…)「ちゃんとやったので…、私、お年玉もらえるんですよね!」「いつくれるんですか?」「こども銀行
学校で歴史を学んで『日本人に生まれなければよかった』と書く子供が、「日本人に生まれてよかった」「日本人であることを誇らしく思えるようになった」と書くようになるのだそうです。歴史を学ぶことば自己肯定感が高まる?!自己肯定感とは?どうすれば持てるのでしょう?日本人はとりわけ低いと言われています。以下はYouTubeよりhttps://youtu.be/OCjAvIE_F1I文科省も教育委員会も自己肯定感を「自信」ということばに置き換えている。スポーツができるとか勉強ができるとか
うちの息子は数字が超苦手そして歴史も嫌い、大嫌い!だって、年表が覚えられないから。近代史?全く知りません。戦争のこと?辛いから見たくない。成績はどうせ悪いから、、、と悲しい態度。そんな中学生だった息子に『この本面白いで』と言っても無視!チラ見だけで、読んでもくれません。この本↓喧嘩したくないし私が楽しもう!そんな感じで読み進めたときなぜかカレーが、それも新宿中村屋さんのカレーが食べたくなりました。はい。日露戦争後の本の資料に【ラス・ビハリ・ボーズ】さんのこ
前回、どうして今、歴史授業なのかという想いをつらつらと書かせていただいたのでどうして齋藤武夫先生なのか?を申しますと、、、、私はよく歴史を知らない↓歴史を知りたいけど、今さら叱られたり、猛勉強したくない↓優しく教えてほしいというややグータラなわがままな願望があり、fbのあるグループで『歴史知らないので読んだら良いよと言う本はありますか?難しくないのが良いです。』と、投稿したところ齋藤先生から『私の本なんですけど、買ってみませんか?』という返信がありとっても怪しんで
ちょいと長いけど、読んでみてください。私は、十数年前に自分自身の怪我と体調不良で心身共に苦しい時にヨガに出会い、とても楽になり救われたので周りの人たちも少しでも楽になってもらえたら嬉しいなぁと思い、ヨガをお伝えさせてもらっています。ノルディックウォーキングは歩くヨガだと思っていますが、街を散策することで自分の生まれ育った町や市を好きになって欲しいなぁという思いとあなたの街のことも教えてね~~という気持ちで呼びかけています。古事記や歴史や文化のお話をさせたいただくのも同じ