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突然ですが、弥次さん喜多さん、で有名な「東海道五十三次」。なぜ、53なのでしょうかね?江戸と京都を結ぶルートには、木曽の山を越える「中山道」(旧中山道=1日中山道(いちにちじゅうやまみち、じゃないよ))と、「東海道」の2つがありました。中山道は67宿、東海道は53宿でした。これが整ったのは、寛永年間(1624~1643)というから、江戸幕府が開かれてから、早々に整備されたことになりますね。さて、東海道。「東海道五十三次」の「次」とは、「人・馬を継ぐ」から来ています。江戸時代、公的な荷物