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ゾフィー・フォン・シェーンブルク=ヴァルデンブルク生年月日1885年5月21日(木)日干支丙子どんな人?アルバニア公ヴィルヘルムの妃同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.エドワード3世(イングランド王)1312年11月13日(月)さそり座2.足利義量1407年8月37日(土)おとめ座3.松平直基1604年4月24日(土)おうし座4.黒田光之1628年6月17日(土)ふたご座5.フレデリック・ノース(第2代ギル
今年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』を、毎週楽しみに観ています。これまで豊臣秀吉が登場した大河ドラマは、今作を含めて21作品もあるのだとか。でも面白いのは、同じ歴史上の人物なのに、作品によってまったく違う人物に見えることです。例えば秀吉。2000年以降の作品でいうと、私が好きだったのは『江〜姫たちの戦国〜』の岸谷五朗さんと、『真田丸』の小日向文世さん。同じ豊臣秀吉なのに、それぞれに全然違う秀吉でした。そして、お市。私の中では『真田丸』の竹内結子さん、『どうする家康』の北川景子
ヴィルヘルム・フリードリヒ・ツー・ヴィート別名:スカンデルベグ2世(アルバニア公)生年月日1876年3月26日(日)日干支癸巳どんな人?旧諸侯ヴィート家の侯子、アルバニア公同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.ヨハネス5世パレオロゴス1332年6月18日(木)ふたご座2.前田光高1616年1月9日(土)やぎ座3.ロバート・フック1635年7月28日(土)しし座4.フレドリク1世(スウェーデン王)1676年4月23日
25.戊子・明菴栄西1141年5月27日僧侶、茶の普及に貢献した・藤原頼経1218年2月12日鎌倉幕府第4代将軍・アルフォンソ10世(カスティーリャ王)1221年11月23日(火)いて座カスティーリャ国王・一時、対立ローマ王・細川忠興1563年11月28日戦国武将、茶道の流派「三斎流」の開祖・珠姫1599年8月1日前田利常の正室、徳川秀忠の次女・ルイ14世1638年9月5日フランス国王、産業の保護、海外植民地の拡大につとめ、領土を拡
こちらの記事は日本史歴代天皇【第45代:聖武天皇】のINDEX記事です奈良時代の天皇※記事の日時=更新日時です※画像や動画の流用は固くお断りします目次概要誕生在位期間崩御系譜在位中の創建とされる社寺東京都)神田明神東京都)石浜神社福井県敦賀市)誓法山金前寺静岡県)舘山寺町愛宕神社参照ウィキペディア:聖武天皇目次を開く概要誕生701年9月18日在位期間724年3月3日(22歳)〜749年8月19日(47歳)崩御756年6月8日(54歳)系
【Kohほぼ日刊】リクエストについて。エナジーカウンセラーエナジーコーチKoh煌です。本日は、日々、ブログに投稿しております、エナジーチャート(気流図)についてです。まずは、いつものお知らせです。【お知らせ零】木曜日と日曜日は、休業日になります。休業日はアフターフォローは出来ますが、メール、ラインへの返信が営業日よりも遅くなります。24時までには、返信させていただきますのでご理解宜しく申し上
ドミナートゥスの確立に伴い、ローマ共和国・帝国の国政の中枢の元老院(セナトゥス)の権力は、完全に剥奪された。元老院は、国家の最高意思決定機関から、単に「ローマの都市の市議会」と同等の存在へと縮小された。ディオクレティアヌス自身、在位中には、ローマの街に殆ど、足を踏み入れず、ニコメディアなどを拠点としたのである。その結果、政治の中心地は、元老院の存在する、都市のローマから、皇帝の移動する、宮廷(コミタトゥス)へと移行した。ディオクレティアヌスは、専制君主の命令を帝国の隅々まで、迅
スヴェトラーナ・アリルーエワ全名:スヴェトラーナ・ヨシフォヴナ・アリルーイェヴァ生年月日1926年2月28日(日)日干支戊子どんな人?文献学者・翻訳家、ソ連の政治家ヨシフ・スターリンの娘同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.明菴栄西1141年5月27日(火)ふたご座2.藤原頼経1218年2月12日(月)みずがめ座3.アルフォンソ10世(カスティーリャ王)1221年11月23日(火)いて座★4.細川忠興1563年1
ディオクレティアヌスの東方での即位は、全帝国の支配を意味しなかった。ローマ及び、西方には、正統な皇帝、カリヌス(ヌメリアヌスの兄)が君臨して、大軍を擁していた。紀元285年、ディオクレティアヌスの率いる、東方軍と、カリヌスの率いる、西方軍は、モエシア属州で、激突した。マルグスの戦いである。軍事的な規模及び、個々の戦闘においては、カリヌスの西方軍が優勢であったとされる。しかし、カリヌスは、その残虐な性格と、部下の妻を寝取る等の素行の悪さにより、自軍の将校達ちから、深く、恨まれ
歴史が大好きなぶたさん(´Д`)。昔から『万葉集』に掲載された大伴旅人の和歌が大好きで、よく愛読してます。今回はChatGPTに和歌に合わせたぶたさん版大伴旅人を作ってもらったので、紹介したいと思います。まずはこちらの画像。濁り酒を呑んでますね。美味しそう(´Д`)。験なき物を念はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし『万葉集』大伴旅人には讃酒歌という酒を賛美した歌群がありまして、これはその中の一首です。行き場のない懊悩に沈潜するのではなく、酒を飲むことに活路を見出していま
コンスタンティノス2世(ギリシャ王)生年月日1940年6月2日(日)日干支丙子どんな人?ギリシャ最後の国王同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.エドワード3世(イングランド王)1312年11月13日(月)さそり座2.足利義量1407年8月37日(土)おとめ座3.松平直基1604年4月24日(土)おうし座4.黒田光之1628年6月17日(土)ふたご座5.フレデリック・ノース(第2代ギルフォード伯爵)1732
イタリアの歴史を知るとき、人物だけを切り離して見てしまうと、その人物がなぜそのような作品や思想を生み出したのかが分かりにくいことがあります。レオナルド・ダ・ヴィンチがなぜ「万能の天才」と呼ばれるような研究を行ったのか。ガリレオがなぜ、それまでの常識に挑戦することになったのか。そしてシチリアのアルキメデス、ベリーニ、ヴェルガ、ピランデッロたちは、どのような社会の中で生きていたのでしょうか。今回は人物そのものだけではなく、「その人が生きた時代」「その時代に何が起きていたのか」「人々は何
ディオクレティアヌスは、紀元244年頃、ダルマティア属州(現在のクロアチア近辺)のサロナで、生まれたとされる。即位前の本名は、ディオクレスで、そのの出自は、歴代のローマ皇帝の中、極めて、低い部類に属する。一説には、元老院議員のアスタリウス・アフリカヌスの解放奴隷の息子、または、自身、解放奴隷であったと伝えられる。帝国時代のローマ社会において、奴隷及び、解放奴隷の家系から、身を起こすことは、絶望的な困難を伴った。しかし、「三世紀の危機」と呼ばれる、極度の政治的混乱期には、伝統的な
家族で映画『マイケル』を観に行ってきました。同じ映画を観ているのに、それぞれ見ているポイントや受け取り方が全然違っておもしろかったです。私の方は、何回か観ているのもあって、全体の雰囲気や映像の綺麗さにじっくり浸る感じ。今回3回目!3マイケル。娘はストーリーをしっかり見ていて、「最初のシーンの伏線、最後で回収したね〜」と冷静に分析。その一方で、父親からの管理や当時の色んなしがらみがピンと来なかったらしく、「なんでラストツアーって言ったのに、またライブしたの?」と不思議がっていました。娘
岩崎弥之助生年月日1851年2月8日(土)日干支乙未どんな人?実業家、三菱の創業者同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.ルイ10世(フランス王)1289年10月4日(火)てんびん座2.赤松政則1455年3月7日(金)うお座3.アンリ2世(フランス王)1519年3月31日(木)おひつじ座4.マリア・マヌエラ・デ・ポルトゥガル1527年10月15日(火)てんびん座5.フランソワ2世(フランス王)1544年1月1
井原忠政著の「三河雑兵心得」この夏の暑気払いにうってつけの本になった。主人公の「植田茂兵衛」は元百姓で足軽上がりの豪傑だが、完全にオリジナルキャラクターなようだ。歴史上の著名な人物で語り尽くされてきたいわゆる英雄ではない。そのため時代考証を中心に筆者の好きなように物語が展開できたのでのびのびと人物表現ができて読んでいて楽しかった。登場するキャラクターや歴史上の人物たちもいきいきと描かれていた。これもいわゆる英雄譚ではないので型にはめた表現をしなくていいからなのではないか
「下層階級から、皇帝となり、元首制を専制君主制に変えて、帝国の四分割統治を導入し、ローマ帝国を再建した、専制皇帝」人徳:98/統率力:100/決断力:100/政治力:98/行政力:98/軍事能力:90/武勇:88/知略:82/学識:70/天運:95=合計:929点「3世紀の危機」と呼ばれる、軍人皇帝時代の大混乱期を終焉させ、紀元284年に即位し、劇的な再編を成し遂げ、帝国の崩壊を食い止めた、ローマ皇帝、ディオクレティアヌス。ローマ帝国の皇帝の「元
真岡郵便電信局事件と「九人の乙女」8月20日。私たちは、8月15日の「終戦の日」を思い浮かべることが多いと思います。けれども、昭和20年(1945年)8月15日を過ぎても、戦いが終わっていない場所がありました。それが、樺太です。今日は、南樺太の真岡で起きた**「真岡郵便電信局事件」**について書きたいと思います。この出来事を知ったとき、私は胸が締めつけられるような思いになりました。戦争の歴史を学ぶということは、年号や出来事を覚えることだけではありません。その時代を生きた、一人
アルフォンソ13世(スペイン王)生年月日1886年5月17日(月)日干支丁丑どんな人?スペイン国王同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.カリグラ(カリギュラ)12年8月31日(水)おとめ座2.ルイ2世(西フランク王)846年11月1日(月)さそり座3.グスタフ1世(スウェーデン王)1496年5月12日(木)おうし座4.加藤清正1562年7月25日(土)しし座5.カール11世(スウェーデン王)1655年1
アルフォンソ10世(カスティーリャ王)生年月日1221年11月23日(火)日干支戊子どんな人?カスティーリャ国王・一時、対立ローマ王同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.明菴栄西1141年5月27日(火)ふたご座2.藤原頼経1218年2月12日(月)みずがめ座3.細川忠興1563年11月28日(日)いて座4.珠姫1599年8月1日(日)しし座5.ルイ14世(フランス王)1638年9月5日(日)おとめ座6
トルバルド・ティエレ生年月日1838年12月24日(月)日干支丙午どんな人?数学者・天文学者同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.コンスタンティノス11世パレオロゴス1405年2月8日(日)みずがめ座2.ニッコロ・マキャヴェッリ1469年5月3日(水)おうし座3.シャルル9世(フランス王)1550年6月27日(金)かに座4.徳川家綱1641年9月7日(土)おとめ座5.前田綱紀1643年12月26日(土)や
旅行、、ではなく東北から関東へ住居を移すことになり、その途中で大田原に一泊しました。ここは那須与一の出身地で有名な場所です。12世紀の終わり、源氏と平氏の戦が瀬戸内海の屋島で行われました。戦いが終わり、双方が疲れて陣を引いたときに平家方の船から一艘の小舟が出てきました。小舟の柱の先には日の丸の扇が紐で結ばれています。これが扇を弓で射落として見せよ、という趣向であることはそれを遠くから見ていた源氏方にも伝わりました。源氏の大将源義経は部下の中から弓に秀でた者を探します。ここで部下から推薦
フョードル・ブレディキン全名:フョードル・アレクサンドロヴィチ・ブレディキン生年月日1831年12月8日(木)日干支癸丑どんな人?天文学者同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.ガルバ紀元前3年12月24日(月)やぎ座2.日蓮1222年2月16日(水)みずがめ座3.フェリペ1世(カスティーリャ王)1478年7月22日(水)かに座4.フランソワ(ギーズ公)1519年2月17日(木)みずがめ座5.アンリ1世
演じるられる大東駿介見事だと感ずるいつの間にか大河ドラマを席巻する若き実力者俳優陣先に生まれし団塊世代は見栄を切りアップで画面を埋めるクラシックアクターがなき大河ドラマに不満をもらす。しかし、時代は進んでいる短いカットの中で如何に歴史上の人物に成り代わりその起伏を身体全体で表すことができるかそういったことをやってのける実力のある俳優が観るものの中に入り込み感情を掻っさらうのだ。楽しみな俳優をまた、みっけ!と悦に入る。
おはようございます。長かった特攻隊の前世についても最後の回になります。それから数日後の事です。今度は白い軍服を着た兵隊さんが私の前に現れました。(もちろん実際に目には見えない方です)なにも言わずお帰りになりましたが直ぐに誰だかは分かりました。そのお方は私の地元の新潟県長岡市出身の「連合艦隊司令長官海軍山本五十六元帥海軍大将」でした。何も言わずに帰りましたので、気になり師匠先生に聞いてみました。私「先生、白い軍服を着た偉い人が来ましたが、もしや山本五十六さんですか?」先生「そうだ
長篠の戦いは、「個人の武勇及び、騎馬の突撃」で勝敗が決まる、戦争から、「経済力に裏打ちされた大量の鉄砲と、高度に訓練された集団の組織力」が勝敗を決める、戦闘への大転換となり、織田信長は、軍事革命を起こした。長篠の大勝利により、信長を脅かす、東の大勢力はなくなり、信長は、名実共に天下統一の最有力候補となったのである。1576年、織田信長は、琵琶湖の畔に、天下統一の象徴となる、安土城の建設を開始した。日本史上初の本格的な「天守閣」を有する、安土城は、外観は、華麗絢爛でありながら、内部は
35.戊戌・セプティミウス・セウェルス146年4月11日(日)おひつじ座皇帝、セウェルス朝の創始者・足利義詮1330年7月4日(水)かに座室町幕府の第2代征夷大将軍・足利義持1386年3月12日(月)うお座室町幕府の第4代征夷大将軍・イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン1503年10月24日(火)さそり座神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世(カルロス1世)の妃・メアリー1世(イングランド女王)1516年2月18日イングランド女王・マ
日本には皇室が存在していますが、私にとっては勿論何のかかわりもなくそれほど興味のある事項ではありません。ここではある作家の話を紹介します。海外の会社からコンサルタントと称する日本人男性を紹介されました。このB氏いわく、成功して大富豪になったのでお金は目的ではない。A社の日本マーケットを成長させましょう、とのことでした。自分のことを大富豪という人がいるのだと不思議に思いつつも、たいして気に留めませんでした。ところがA社と私の会社の関係上、私もB氏と関わることになるのですが、B氏が提案し
浅井家と朝倉家には、数世代に渡る深い血縁と義理があった。浅井長政は、苦渋の決断を迫られて、朝倉に味方することに決めた。織田信長は、即座に撤退を決断し、「殿」には。木下藤吉郎、後の豊臣秀吉と明智光秀を選んだ。金ヶ崎の退き口である。信長は、虎口を逃れて、無事に京に帰り着き、浅井・朝倉への復讐を誓ったのである。同年7月、織田信長は、徳川家康との連合軍により、浅井・朝倉の連合軍に勝利した。室町幕府の将軍、足利義昭は、織田信長の台頭を恐れ、全国の有力大名及び、宗教勢力に呼びかけて
8月。今年も終戦記念日を迎えた。自分は歴史好きでかつ、昭和の軍人にも興味があるので、1人ご紹介します。本当は無理だと分かっていたのに、止められなかった。そんな場面、これまで一度もなかっただろうか。職場でも、家庭でも。「このままじゃ良くない」と感じているのに、流れは止まらない。声を上げても、空気は変わらない。戦前の日本も、少し似ている。あの戦争に向かう中で、「アメリカと戦うのは無理だ」と分かっていた人たちは確かにいた。海軍には、国力の差を冷静に見ていた人たちがいたと言われている