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本日は祭日が3つ重なっています。御歴代の天皇の祭日は年間102日ありますが、御歴代天皇の代数に対して祭日日数が少ないのは、このように重なっている日があるからです。★七十代後冷泉天皇は藤原氏全盛期最後の平安時代の天皇です。生年は万寿二年(1025年)。御名は親仁(ちかひと)。御父は後朱雀天皇、御母は藤原嬉子、藤原道長の娘です。また後朱雀天皇の父君である一条天皇の中宮は藤原彰子、つまり祖母も藤原道長の娘となります。しかも彰子と嬉子は同母の姉妹でもありました。彰子といえば、「源氏物語」の紫式
第九三代後伏見天皇は鎌倉時代末期、持明院統の天皇です。御名は胤仁(たねひと)。御父、伏見天皇の第一皇子、御母、藤原経子。花園天皇は異母弟。弘安十一年三月三日(1288年4月5日)誕生。伏見天皇の譲位により永仁六年(1298年)十歳で即位、伏見上皇が院政を執りました。しかし、正安三年(1301年)大覚寺統との対立により、在位僅か三年で大覚寺系の後二条天皇に譲位させられます。その後、後二条天皇の崩御に伴い延慶元年(1308年)異母弟の花園天皇が即位してしばらく後、伏見上皇が院政を停止されま
嘉吉2年5月25日(1442年7月3日)、後花園天皇の第一皇子成仁(ふさひと)親王が誕生されました。この頃は、室町幕府の時代で、騒乱が続いている時代で、後花園天皇はそうした中で政治に無関心だった足利義政に戒めの詩を送った話が残されています。そうした中で成長された成仁親王は満年齢15歳で親王宣下を受け、22歳で後花園天皇の譲位により即位されました(後土御門天皇)。文正元年(1466年)に大嘗祭が執行されましたが、翌年応仁元年に応仁の乱が起き、以降九代二二一年にわたり大嘗祭は中