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茶道をするまで『南方録』という本の存在すら知らなかった〜でも茶道のお稽古をしていくとこの『南方録』をよく耳にするようになり一体『南方録』ってなに?よく利休さんの逸話についてこの『南方録』にもあるんだよって感じで登場この『南方録』は立花実山(たちばなじつざん)が書いたと言われ全7巻で構成され利休秘伝を持っている人と参勤交代等で彼が出会い、それを書き写し(コピーするわけでもなく、書物を人からお借りして、それを墨と筆で書き写して読むなんて…ふお〜大変な作業じゃ)最後の七
「千利休の先生って誰?」──そう聞かれると、茶道をかじった人なら「武野紹鴎(たけのじょうおう)」って答えますよね。でも!その紹鴎にも、先生がいたんですよ。その名も──\✨十四屋宗伍(じゅうしやそうご)✨/💡十四屋宗伍って、どんな人?十四屋宗伍は、室町時代の堺の商人。お茶の世界ではなかなかの実力者で、文化人としても名を馳せていました。堺の町で茶会を開いたり、茶の湯の技を磨いたり──いわば、町人でありながら茶のリーダー的存在だったんです。🍵師弟関係はこんな感じこの宗
菊水鉾。駒形提灯に明かりが灯り始めた夕方の様子です。車輪には菊水鉾の彫り文字。車軸の轄(くさび)部分。菊御紋の車軸。千利休の師である武野紹鴎は「菊水の井」から湧き出る水を愛用していました。会所のすぐ脇に「菊水の井跡」があり、菊水鉾の名の由来はこの井戸にあります。菊水鉾に関する記事は次回に続きます。
うたごえサークルおけらさんの『茶摘』(コード付き楽譜)初夏の此れから暑く成るって日に「侘び・寂び」???然も見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ………晩秋の句…じゃん……『新古今和歌集ー第四巻ー藤原定家』と謂う依りは『武野紹鴎』が『侘び茶』の確立の際に「侘び・寂び」の『心』とした句として造園総論で習う「花も紅葉も無い」「浦の苫屋」「秋の夕暮れ」「侘しさ」「寂しさ」の天骨盛り(てんこもり)更に講義では「無い」ものを謳う事に関して「想像力」の喚起
序の舞上村松園画【か】kaze『かぜ』「風」「風」と言えば、落語(舞や能・歌舞伎なども)では「扇子(せんす)」の事。「風」は邪を祓い運を呼び込む其の「風」を起こす道具と謂う意味も有る。(尚「手拭」は落語では「マンダラ(斑・曼陀羅)」と呼ぶ落語の世界では、舞台を「高座」、他にも「前座」など仏教用語が遣われる。江戸初期の浄土宗の僧侶「策伝」の『醒睡笑』は、僧侶の説教の「種本」とされ「睡り(ねむり)を醒まして笑わせる」の意味から落語でも「頓知話集」と並び「ネタ本」の一つである…
菊水鉾。千利休の師、武野紹鴎の邸宅にあった菊水井に由来します。ご利益は不老長寿と商売繁盛。車輪の車軸の轄(くさび)には菊水の図柄が象られています。車軸には菊の御紋。宵々山の日にひとりで歩いていましたら、突然知らない人に声をかけられ、余ったからと鉾の搭乗拝観券をもらいました。(いきなりでびっくり。こういうの時々あるんです、私)でも、女性が鉾に乗ったり、登山したり酒造りに携わったりは、ちょっと抵抗あるんです。女性軽視ではないですよ。神事の意味合いで、です。いただいたチケットは
第三章のプロットを書き終えて、ついでに第四章のプロットを作っておくかー!と書き始めてはたと気付きました。武野紹鷗が帰郷する前、山科本願寺に武野紹鷗が手勢を十名ばかり連れて参じていたことを。これは本願寺の内乱「享徳の錯乱」の際のことで、享徳四年(1531)六月末に山科本願寺に入っています。八月には一度帰京し、廿四日には三条西実隆を訪問しました。しかも、本願寺は青蓮院門跡の末寺であり【珠光に伝手があった】ことになります(但し、作中では最初に茶道へ興味を持っていない設定でした
うっちーこと宇都宮芳綱です極選-幻-くじをちょこちょこ引いてはいたので、引いた順番にアップしますねまずは20鯖の本城主ですう~ん!( ̄ー ̄;この結果はアタリなのかここでは武将が少ないので、即戦力になる武将を引きたかったしかし、何かシクレが多いですね俵屋さんは既に持ってましたが、まあ貴重な武将なので複数枚持っててもOKかな茶人スキル素材が出たので、早速追加トライです極限突破
帝塚山古墳にやってきました。ありゃ?そのてっぺんに。小型重機が見えますよ。MR:ショベルカーラジコン掘削機ブルドーザー2.4GHz無線11CHパワーショベル合金強化版360/680度旋回音楽LEDライト搭載RC建設トラクターおもちゃ砂浜砂場用【日本語説明書】(掘削機)楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}何らかの整備が行われているのでしょうか?しかし、立ち入りはできませんから、確かめることができません。念のため、帝塚山古墳に尋ねてみま
武野紹鴎が和歌から何故茶の湯に転向したか?数江教一氏は、前号で随分好意的に書いているが、、、。⭕️神津朝夫氏によると、和歌の才能が無かったと書いているのが興味深く、私もその意見の方に賛成なので、数江氏の論は割愛してます。⭕️茶道は、芸道では無いので、その優劣あるいは芸術性と言うものが計れません。茶道と華道を合わせて教授してる人がいますが、華道の世界は、これまた神津氏の意見ですが、、技(わざ)の世界なので、師匠から独立して一派を成す事が容易に出来ますね。新進気鋭の華道家と言う人もあま
【食育クイズ:Vol.1460】「京都府」の「草庵の茶」おさらいクイズ!「侘び茶」の創始者として知られ、「草庵の茶」を創始した茶人とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)
この前のお稽古で、茶杓の銘を「苫屋」と言ってしまったことから、そういえば、秋の和歌は沢山あることを思い出した。そんな中で、お茶のお稽古でこれは絶対に覚えておいた方がいい和歌に秋の夕暮れを詠う「三夕」(さんせき)がある。どうしてそうなのかといえば、お茶で言われる季語や茶杓の銘でこういう和歌の一節をひいているものがかなりあるからである。まずは、昨日も書いた藤原定家の見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ見渡すと、花(桜)も紅葉もないけ
落ち葉の庭と利休のエピソード紅葉の時期はまだ先だが、雨上がりの庭はすっかり秋めいて、梅の葉が朝日を浴びながらゆっくりと落ちる。落ち葉の季節が始まる頃、毎年思い出すのは黄金色に染まる明治神宮外苑のイチョウ並木。同時に、頭の中にはアルバート・ハモンドの『落ち葉のコンチェルト』が流れる。以前、住んでいた自宅近くにある長良川スポーツプラザ脇のイチョウ並木は、距離は短いが黄金色の絨毯の中を歩いているような絶景だ。幕末の仙台藩士で儒者、漢学者の大槻磐渓の著した「近古史談」に千利休
こんにちは。まだまだ暑い日が続きますが、朝夕だけですが、少しずつエアコンなくても大丈夫な時間帯が増えたココ名古屋ですが、皆さまのエリアでは如何でしょうか。もう9月になってしまったのですが、今回は先月に伺った堺からになります。堺、、、、わが名古屋からそんなに近くもなく、今年の5月に行ったばかりなのですが、何か惹きつけられるんですよね。行くところはもう大体決まっているのですが、何度も何度も行ってしまいます。では、よろしくお願いします。千利休(堺市博物館・大仙公園)どうなんでしょう、
p160「珠光や紹鴎のコレクションでは、掛け物の収集に関しては多くを唐絵が占め、墨蹟少々という塩梅で、それはそのまま足利幕府と同じ傾向にあったと理解しておきたい。」「珠光、紹鴎共々、禅を守り本尊にするという茶の湯ではありますが、禅を絶対視することもなかった様です。茶の湯で墨蹟を重視する様になったのは、後の利休の唱導があまりにも強く働き墨蹟愛好熱が高まった事に起因している様です。」私見補足)珠光や紹鴎は前にも書いた通り、元々家の宗旨は禅宗では無いですね。コレは、言わばジョアンロドリー
宗祖弘法大師御誕生1250年記念大法会『いのちよ輝け~大師のみこころと共に~』法会期間:令和5年5月14日(日)~7月9日(日)が終わった宗祖弘法大師御誕生1250年記念大法会|高野山真言宗総本山金剛峯寺高野山真言宗総本山金剛峯寺の公式ウェブサイトです。令和5年(2023年)は宗祖弘法大師空海御生誕1250年の記念するべき年ですwww.koyasan.or.jpそしてより地元奈良博では来年総力を挙げてやるとのこと空海の生誕1250年を記念して、奈良国立博物館の総力を挙げ
季節の茶会秋めく茶会では8月20日が、小倉百人一首の選者で知られる歌人藤原定家の定家忌であることから和歌をテーマに添えて…茶席床の間の掛物は禅僧の墨跡、禅語が好まれますわび茶を大成した千利休の師匠武野紹鴎じょうおうは、連歌師でもあり初めて茶席の床の間に和歌を掛けたと伝えられていますその歌が小倉百人一首にも選ばれている天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出(い)でし月かも作者阿倍仲麻呂は留学生として唐(中国)に渡り、玄
p99「武野紹鴎は信長の茶会の帰途、駕籠の中で吐血絶命した。頓死とあるが毒殺」武野紹鴎は、当時信長と敵対していた三好家に大恩があり公然と信長の意に背いていた」私見補足)これは興味深いですね。茶会で毒殺の話は良く耳にしますが、武野紹鴎が毒殺されていた。
【食育クイズ:Vol.1337】「京都府」の「茶の湯」文化おさらいクイズ!「四畳半茶室」で知られ、千利休の師匠的存在であった戦国時代の茶人とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)2,041円Eco&Art太陽パネルの元で育った大豆のコーヒー(浅煎り
特別公開されていた建仁寺の塔頭、正伝永源院を拝観しました。(公開期間は終了しています)前回の記事で書いた織田有楽斎ゆかりの寺院で、有楽斎・妻・娘・孫のお墓が並んでいます。頼有の代から細川家の菩提寺でもあり、有楽斎の向かい側に細川家のお墓が建てられています。元首相細川護熙は頼有の末裔にあたり、正伝永源院と深い関わりを持っています。上の写真は細川護熙の描いた襖絵。以前紹介した、地蔵院でも細川護熙の襖絵を見ることができます。竹の寺地蔵院『竹の寺地蔵院』地蔵院にお参りしました。竹
四百年遠忌記念特別展大名茶人織田有楽斎@京都文化博物館に行ってきました。おすすめします!
令和4年11月12日の続きになります😌京都芸術センターを後にして、室町通りを下って行きます錦小路通りを過ぎて、少ししたら左手にあるのが菊水の井跡大黒菴武野紹鴎邸址住所・京都市中京区室町通四条上る東側このように設置してあるので、最初は石碑の解説かと思いましたが、関係はありましたが少し違いました😅菊水の井跡中世、室町時代、当地に夷を祀る社があり、社殿の隅に名水、「菊水の井」が有りました茶道の始祖千利休が師事した、茶人の先覚者武野紹鴎は、この井をこよなく愛し、此処に庵を結び茶亭を大黒
【食育クイズ:Vol.1136】「京都府」の「茶人」おさらいクイズ!「京都」で活躍した茶人の年代順で正しいものはどれ?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.1135】(「京都府」の「歌碑と寺社仏閣」おさらいクイズ!「京都」にある歌碑と寺社仏閣との組み合わせで間違っているのは?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「吉田兼好」の「歌碑」や「墓」があるのは「仁和寺」では無く
…を取得、侘茶を大成したのは誰か?珠光利休村田珠光から武野紹鷗(ジョウオウ)、千利休に至って侘茶が大成された。利休は「侘び」の思想の下、茶会での振舞い方やそれに相応しい茶室を創造。茶道具についても本来茶道具ではない器物を茶道具に見立てたり、更に、樂茶碗など、侘茶に適った茶道具を自ら創作するなど、後にそれらの道具は「利休形」として「侘茶」の指標となった。
2022-10-08臨江寺閉まってます妙法寺開いてます入りま〜すご挨拶〜お仲間さんたちが集まっていたので行ってみました壺??あ〜もしかしたら…千利休の最初の師、北向道陳さんのお墓があるから、お茶関係の壺なのかなぁ???隣のお墓は、上方落語の元祖される曽呂利新左衛門の350年忌供養碑みたい地図の裏の案内読みましたトコトコ〜今井宗薫屋敷跡誰だ〜?裏の案内を読みます織田信長の茶頭を務めた今井宗久の長男さんだって。この人は、秀吉の茶頭になった。。。秀吉没後は、徳川家康
…これを受け継ぎ、「侘茶」を大成したのは誰か?珠光紹鴎利休利休切腹村田珠光から受け継ぎ「侘茶」を大成したのは、「千利休」である。茶の湯の心得について村田珠光が語った言葉が残されている。「月も雲間の無きはいやにて候(月の夜は美しいが、かといって、雲間もなく、晴れ渡った夜空は嫌なものではないか)」能の太夫・金春禅鳳が珠光から聞いた言葉だそうで、偏する事のない茶の湯が「侘茶」の精神である。珠光は奈良の出身、諸国を放浪した後、
今日の一日一読第3章の続きで「ロ珠光の茶道」と「ハ紹鴎・利休の茶道」まででした。今回は村田珠光(じゅこう)や武野紹鴎(じょうおう)、千利休といった茶人の「茶道」が紹介されていました。読んでいて真っ先に感じたのはやはり千利休の卓越さです。千利休は他の茶人のように茶道そのものに囚われておらず、俯瞰的に物事を捉えていた節があったと思いました。例えば、「利休は華美を否定したのがわびではなく、華美の究極がわびであると述べたのである。したがって華美を厭うてただわびを求めても、わびは得られないというの
今日は憲法記念日、ということとは関係なく、好天に恵まれたゴールデンウィーク後半戦で、京都の町も人出で賑わっていた。私も朝から、「春の特別公開」が行われている「大徳寺」の3つの塔頭をたずねた。現在の公開は、豊臣秀吉が本能寺で討たれた織田信長の葬儀のために建立した「総見院」、その前に一度は信長公を密葬した「黄梅院」、それに「興臨院」の3カ所である。「総見院」は千利休参禅の師「古渓宗陳」和尚を開祖に、信長公の一周忌の追善に秀吉公が建立し、その折りには豪壮な堂塔が立ち並んでいたとい
こんにちは。今回も前回に引き続いて堺からになります。そして最近、ずっと続いています「戦国茶人」が続きます。なんてたって堺からですからね。では、よろしくお願いします。千利休(大仙公園・堺市博物館)まずは、堺の茶の巨人のひとり=利休さんからです。銅像を見ると、ちっちゃい好々爺像に見えますが、写真のイメージよりはでっかい感じです。実際の利休さんは180cmの大男だったらしいので、このイメージは無いかな。銅像のある大仙公園は、大阪で初めて世界遺産になった百舌鳥古墳群の象徴・仁徳天皇
千利休の師に武野紹鴎という人がいてこの方が残したことばに人生60年、正味20年。長きと思い、なんとなく日々を過ごしていると己の人生はいつの間にか尽きてしまう。だからこそ、若きであろうも、歳を重ねようも、日々己の心と真摯に向き合い、行動に移すべし。そして、あらゆる物事と向き合う心を大事に一生勉強。学ぶ心を諦めてはならないですよ。ということばがあります。ここでいう勉強、学ぶというのは、何も机の前にきっちり座って鉛筆を持ってというようなTHE勉強に限りますなんてことでは毛頭なくて、