ブログ記事6件
『タクシー運転手〜約束は海を越えて』1980年の光州事件の時の実話を基に映画されました。2017年に公開され、韓国国内での興行収入1位、観客動員数は、1,000万人に達した大ヒット映画です。あらすじ1980年韓国の、光州市(現)で起こった民主化を求める民衆と軍との銃撃戦を伴う武装闘争に拡大して行く時の話です。ソウル在住のタクシー運転手、ソン・ガンホ(マンソプ)が、光州の現状など知らぬまま、ドイツ人記者のトーマス(ピーター)をひと儲けしたい願望で広州までタクシーに
3月20日更新「浅間山荘事件」を今、知ると…『「浅間山荘事件」を今、知ると…』「大人になって、見方を深めたら」今年は「浅間山荘事件から50年」という節目の年で、テレビの特集番組を続けて観ました。隣接する地域の大事件でしたので、大きな鉄…ameblo.jp↑クリックしてご覧ください⇒【続】春夏秋冬いつもそよ風*********************************************ブ
「大人になって、見方を深めたら」今年は「浅間山荘事件から50年」という節目の年で、テレビの特集番組を続けて観ました。隣接する地域の大事件でしたので、大きな鉄の球で壁に穴を開けて放水する画像は何度も見たことがあります。大人になり子育てをしている頃、知人のご主人が警察関係の方で、昔、この事件で同僚が亡くなった時に、しばらく抜け殻のようになっていたことを聴きました。急に身近な事件になり、一生忘れることができないことだろうと、人生の重い荷を察しました。「総括」という言葉によって生み出し
ずいぶんと古い小説を取り上げたものだな、この筆者の学生時代にはもう忘れられていたはずの本だが、よくぞ読み、そして気に留めたものだ――それが、9月9日付日経新聞1面コラムの「春秋」の冒頭の記述で感じたことだった。80年前の小説だが今も瑞々しい魅力春秋氏が取り上げたのは、『されどわれらが日々――』である(写真)。1963年、後に作家となるドイツ文学者、柴田翔(写真=同書の口絵の西ドイツ留学時代の若き日の柴田翔。芥川賞受賞時には、西ドイツにいて日本にはいなかった)が初めて同人誌に
武闘共産党時代が染み付いている志位和夫志位和夫@shiikazuoTBS「報道1930」で共産党について様々な角度からトーク。「綱領に『たたかう』という言葉があるが」との問いには、「たたかうことは共産党のアイデンティティ。社会の不合理とたたかってこそ歴史は進む」とお答えしました。人民のたたかいによって歴史は進む。世界史が証明していることです。【TwitterのRT】日本共産党は武装蜂起時代にたくさんの犠牲者を出した。この軍事闘争は、日本共産党が朝鮮戦争で北朝鮮=ソ連・中国共産党を
ライアン・クーグラー『ブラックパンサー』カリフォルニア州オークランドから始まる物語は、そのタイトルに掲げられた『ブラックパンサー』と因縁が深い。マルコムXの武装闘争路線を引き継ぐ形で結成されたブラックパンサー党が、まさにここで結成された。ブラックパンサー党のルーツから物語は始まるが、この作品は黒人による白人に対する武装闘争を描いた映画ではなく、むしろ武装闘争を放棄して非暴力による平和を模索する映画となっていた。公民権運動の最中にあった60年代のアメリカで、白人から劣った人種と見なされて
1950年代の事件◎共産党共産党なんか堅いイメージがある!共産党とは、共産主義を目指す政党だ!共産主義とは何か?それはこちらを見てくれ。つまりそういうことだ。共産主義を目指すのが共産党で、日本でそれを目指しているのが、日本共産党だ日本共産党が設立されたのが、1922年現在日本で一番古い政党だ。もうすぐ100年になるが、一度も政権に関与したことはない。それも寂しい(笑)!なんか長いだけしか能がない感じが…昔は非自民非共産などと言われた。つまり自民党への対抗で
例えば自分自身が暴力装置を放棄したとします世の中全員が暴力装置を放棄したと認定されたとしますさあ誰も暴力をふるう人間がいないから誰も犯罪を犯さない、人を殺さない、人も傷つけないもしそんな社会に誰かが暴力装置を捨てずに身に着けたら抵抗できない暴力装置を持たない人間は殺されても、傷つけられても、抵抗すらできない日本国憲法に謳われた戦力の放棄世界皆が戦力を放棄したときそのことが起こりかねない・・・それは理念ではなく事実である・・・1848
掲載した「戦後史連載リスト」は、をご覧ください。終戦直後からのわずかな期間に、徒党を組んだ在日韓国、朝鮮人の暴挙が蔓延して、駅前一等地の無断占領や襲撃が繰り返された。この背後に、反共政策で朝鮮半島から逃亡し、密入国した多くの朝鮮人が含まれていたと思われる。GHQの不手際も重なって秩序維持が困難になり、当時の日本人は萎縮して「もの言わば・・・」となったことが、良くわかった事だろう。一方、1925年(大正14年)に成立した治安維持法により、コミンテルン(国際共産主義運動)の影響下にあった日本