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対ソ戦はしばらくやれないという空気になり、手が空いた瀬島は、作戦班長補佐として兵力運用を見る立場に変わった。1940年、当時の岡田作戦課長が言った言葉を、瀬島は今でも覚えている。岡田は全課員を集め「陸軍省は資源のため南方作戦をやれと言うが、作戦課は慎重であるべきだ。軽々しく参戦すべきではない。無傷の世界第二の連合艦隊を持って、世界情勢を見極めなければならない」と言った。ところが、代わって課長になった土居明夫は、南方積極論を強調した。井本らは、この重大事局の作戦課長として適任かどうかと疑問を持って
『東京裁判』映画トーキー277分白黒昭和五十八年(1983年)六月四日封切製作国日本製作言語日本語英語中国語製作会社講談社配給東宝総プロデュ―サー足澤偵吉須藤博エグゼクティヴプロデュ―サー杉山捷三プロデュ―サー荒木正也安武龍脚本小笠原清小林正樹原案稲垣俊編集浦岡敬一編集助手津本悦子吉岡聡佐藤康雄録音西崎英雄録音助手浦田和治音響効果本間明効果助手
12月23日が命日・忌日の有名人・著名人1596年(慶長元年11月4日)54歳没(?)服部正成(半蔵)さん戦国時代の武将1875年76歳没(?)ジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュさん劇作家『ジゼル』『海賊』1939年49歳没(肺炎)アントニー・フォッカーさん飛行機技術者、フォッカー創業者1948年満70歳没(A級戦犯として絞首刑)広田弘毅さん第32代内閣総理大臣1948年満64歳没(A級戦犯およびBC級戦犯として絞首刑)東條英機
1941年12月8日より始まった太平洋戦争。ハワイ・マレー沖大戦では帝国海軍が圧勝してしまいます。支那事変続行中で、日本はへとへとになっていると、舐めていたアメリカのルーズベルト大統領やイギリスのチャーチル首相はビビりまくり、脅える始末です。この南進政策の本筋はアメリカからの石油の輸出を止められたことで、では石油を取りにインドネシアに侵攻して、石油を確保するものでした。ですから、オランダ領インドネシアだけを侵攻すればよいのですが…なぜか?東のハワイに攻め込むという。しかも、攻撃しただけで占領せ
ランクBの上~Aの下日中戦争、太平洋線の陸軍中枢で官僚として抜群の手腕を発揮したためにA級戦犯の中で最も地位が低いのに死刑になった。政治に積極的に介入したのは陸軍中心の富国強兵を実現するためだった。軍人、官僚は、迷いと優柔不断、自信のなさは、仕事上では大敵です。決断すれば、その方向で最善を尽くします。武藤章は、軍人官僚として政治、軍部の力関係を的確に分析しベストではなく、ベターな選択を
今回も新作を読破しました。『軍務局長武藤章』(祥伝社新書694)著者:岩井秀一郎今回も続けて新作を読破しました。著者は既に何冊か読んだことのある岩井秀一郎先生です。読んでて自分が知らなかったことを若干書きます(ホントはもっとあるんですけど、恥の上塗りなのでホドホドに・・)。武藤に関して有名なのは当時上司であった石原莞爾との対立(あの有名な『私たちは石原さんが満州事変の時にやったことを模範としてやっただけです』と言い放ったヤツ)ですが、少なくても石原は武藤の力量を十
12月23日は、日本人にとって忘れてはいけない大切な日です。12月23日に処刑された東条英機大将の遺書です。毎年この日になるとこの遺書の内容を心に刻みたいと思っております。日本の真実[東條英機大将、処刑前の遺書「以て天日復明の時を待たれんことを」東条英機大将遺言英米諸国人に告げる今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かっ
1948年12月23日、いわゆる東京裁判という復讐劇により公務死された東條英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章の7名。その際日本人でただ一人絞首台に立会った浄土真宗の僧侶であり東大教授であった花山信勝師、その目撃談です。~~~~~~~~(残り時間は二分しかないところで)最年長の松井石根が音頭をとり「天皇陛下万歳」を三唱し、つづいて「大日本帝国万歳」を三唱した。「日本で天皇陛下万歳、大日本帝国万歳を叫んだのはこの七人が最後でしょうな」花山信勝師は当時の場
光人社は‘丸’の潮書房といわば同体。その‘丸’の連載などをベースにまとめた書。保阪さんの取材、研究を通じて考える‘陸軍にいた理性的な人’を紹介する本書のキモである第二部は、すべて書き下ろしだという。保阪さんだし光人社だし迷うことなく購入。その第二部で10人の陸軍軍人を取り上げる。7人が司令官レベルの将軍、3人が佐官の参謀。いきなり最初が石原莞爾、さらにふたり目が武藤章でムムムッ、となった。どう考えても日本を誤った悪者では?、と訝りながら読みすすめた。やっぱりコチコチで単細胞な陸軍軍人だ
昨日(12月23日)の記事で、所謂「A級戦犯」(世間一般で言われているこの言葉、明らかに不適切なものです)とされた方々のことについて触れましたが…彼らを裁いた「東京裁判」自体、少し考えただけでも茶番であることがわかります。「勝者」が「敗者」を後出しのルール(そんなのルールじゃない!)で裁いたにすぎず、そこに「正義」はないからです。にもかかわらず「勝者」から「与えられた」歴史観に疑問を抱かない人が今も多いのだから、日本人とは何なのかと考えさせられます。まあ、私もそんなに歴史に詳しいとも言えな
12月23日は、日本人にとって忘れてはいけない大切な日です。12月23日に処刑された東条英機大将の遺書です。毎年この日になるとこの遺書の内容を心に刻みたいと思っております。日本の真実[東條英機大将、処刑前の遺書「以て天日復明の時を待たれんことを」東条英機大将遺言英米諸国人に告げる今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事
戦争を知らない子どもたちA級戦犯「武藤章」をレビューする。武藤章むとうあきら生誕1892年12月15日日本熊本県死没1948年12月23日(56歳没)日本東京都所属組織大日本帝国陸軍軍歴1913年-1946年最終階級陸軍中将日中戦争、対米交渉、フィリピン戦などに従事。一夕会メンバー。統制派だったが、後に東條英機との対立で逆に皇道派の山下奉文の部下に転じた。第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京
これが、現在の、尊皇攘夷だ!昨日の十二月二十三日は上皇陛下のおめでたい御誕生日であったから記すのを遠慮した。しかし、本日は記しておく。我が国を軍事占領していた連合国総司令部(GHQ)は、七十三年前の昭和二十三年(一九四八年)十二月二十三日の、午前0時1分30秒から同0時35分の間に、極東国際軍事裁判(東京裁判)において次の七人の被告人に対して同年十一月四日から十二日の間に言い渡した絞首による死刑判決を執行した。板垣征四郎陸軍大将木村兵太郎陸軍大将土肥原賢二陸軍
機密解除された米国の機密文書について、2021年6月に死刑になったA級戦犯7名に関する驚きの情報が発見されました。A級戦犯となった他の人物については、落合莞爾氏が目を疑う情報を著書に記していつつ、山下奉文のように不自然な死刑をされたとされる人物もいます。これらについて、國體ワンワールド史観で見直すと、また別の歴史の真相が浮かび上がってきます。あなたは、今回の動画で何を感じますか?どう思われますか?
東京裁判の判事や検事は決して一枚岩ではなく、諸々意見は異なった。パル判事の全員無罪論はあまりにも有名だが、あの鬼検事キーナンの判決批判がある。キーナンが死刑妥当としたのは、東條、板垣、武藤の三名。同じ死刑判決を受けた土肥原は「同類とは考えません」とし、廣田、木村には「刑が過酷であったことはまことに遺憾」と後悔した。逆に終身刑の嶋田は死刑妥当であり、同じく賀屋は無罪とした。重光へは、起訴すらすべきではなかった、と弁護した。一方、日本に比較的同情的と目されたオランダローリング判事はどうか。
本日は書籍紹介をいたします。今回取り上げるのはこちら、川田稔『昭和陸軍全史2日中戦争』講談社現代新書、2014年全三巻からなる「昭和陸軍全史」、本書はその第二巻となります。対象となる期間は主に満州事変後の陸軍内部の派閥抗争から二・二六事件、そして盧溝橋事件以降、日中戦争が全面化してとめどもない泥沼に陥り、対英米戦も意識しながら南方進出が検討される、といった頃までです。本書はあくまでも、昭和期の「陸軍」を主眼にした通史の一環であり、「日中戦争史」ではありませんので、日中戦の発端
この本の主題は極東国際軍事裁判で、A級戦犯として絞首刑になった武藤章氏の小伝である。この本を読んでいると、近現代史の中に登場する人物たち、とりわけ軍人たちの息づかいや鼓動が伝わってくる感がある。そしてなぜこの人物が死刑になるほどの、どんな悪いことをしたのかと疑わざるを得なくなる。そのため必要なところを読み返したり、他の著書を参考にしたりすることになった。武藤章は「2.26事件、綏遠(すいえん)事件、蘆溝橋事件の拡大、米内内閣倒閣など陸軍を主役とする政治劇の中できわだった存在であり、いつもき
うーん、これは重い。重すぎる。。しかし避けては通れぬ南京事件。30万人以上の大虐殺があった、、いや10~20万程度、いや3~4万だろう、はたまた、そんな事実はない、捏造だ!、、等々諸説紛々で、ドシロートの私には何の判断もつかないけれど、、、それ以前に、南京攻略戦そのものが現場指揮官の功名心からくる暴走で、全くの命令違反であることを知って驚いた。被害者数云々以前に、この事件がどうして起きたか、を知らねばならないようだ。南京事件が起きたのは1937年12月。7月に盧溝橋から
陸軍の動きを軸に昭和戦前期からアジア太平洋戦争に至るプロセスと帰結を明らかにする3部作のうち、「満州事変」、「日中戦争」に続く第3巻。開戦時に陸軍の主導権を握っていた幕僚、武藤章・陸軍省軍務局長と、田中新一・参謀本部作戦部長の戦略や構想を丁寧に追いながら、太平洋戦争へと向かう国策がどのように決定されていったのかを詳細に解き明かす。武藤の考えの基礎は前作の日中戦争編でも詳細に検討され、日中戦争の完遂、来たるべき大戦に備えて仏印、蘭印を含め大東亜生存権(後の共栄圏と同義)の確立という基本線は、
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写真家の武藤さん、今回初めてお世話になったとっても素敵なヘア&メイクの宮原さんどうもありがとうございます!