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夏目漱石の作品読んだことある?夏目漱石(なつめそうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉-1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の小説家、英文学者。武蔵国江戸牛込馬場下横町(現:東京都新宿区喜久井町)出身。本名は夏目金之助(なつめきんのすけ)。俳号は愚陀仏。代表作は、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。”我が輩は猫である”と”坊っちゃん”は読んだ事が有る他は覚えてないな~作品一覧を見てみたけど・・・記
いよいよ私と美月の坂東三十三観音霊場遊行は、相模国(神奈川県)を後にして武蔵国(埼玉県他)へと歩みを進めて参ります。「埼玉には山が無い」と高村光太郎の『智恵子抄』を気取る美月ですが、わざわざ秩父まで分け入らずとも、埼玉県比企郡に至れば山また山の風景に出会うことが出来ます。(慈光寺参道より周囲の山々を臨む)私と美月が都幾(とき)山慈光寺を参詣したのが2024年4月、ちょうど桜を始め山々の花木が初春を彩るように咲き誇る頃でした。標高463メートルの低山ではありますが、花々を楽しみながらのトレ
今日はお友達と待ち合わせて浅間山公園に行ってきました。『坪宮〜やっぱりキタ!神の遣い』昨日の午後はお友達が大國魂神社まで来てくれて、おデートしてきました✨️話したいことがたくさんあったのでお茶してから少し歩いて坪宮まで行きました。で、今日の本題…ameblo.jpそうです!このとき神の遣いと思われる人に・浅間山に兄多毛比命のお墓がある・浅間山自体が古墳ではないか?!という情報をもらったので確かめにきたのです。ひでこさん武蔵五日市大好きひでこが*\(^o^)/*痛くない深層リン
板橋にある氷川神社です創建は、1206年頃と言われる領主だった豊島左衛門尉経秦が埼玉の武蔵国の一宮である氷川神社から分霊を勧請。拝殿近くの狛犬1845年生まれ1800年代らしい毛並みと風格向かって右向かって左参道途中にある境内社:天祖神社前の狛犬1859年生まれこちらも1800年代の特徴を兼ね備えるカールする毛並みが麗しい向かって右向かって左
好きな魚料理は?▼本日限定!ブログスタンプ708年(慶雲5年1月11日)のきょうは-武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市黒谷)から、和銅(にぎあかがね=熟銅)と呼ばれる銅の塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、年号が慶雲から和銅に改められ多比です。和同開珎のきっかけにもなりました。和銅(ワドウ)とは?意味や使い方-コトバンクデジタル大辞泉-和銅の用語解説-飛鳥時代から奈良時代にかけて、元明天皇の時の年号。708年1月11日~715年9月2日。kotobank.jpきょ
今回は『二宮神社』へ参拝してきました。二宮神社は東京都あきる野市に鎮座されます神社です。古代にはこの地が多摩郡小川郷に属していたことから小川大明神と呼称されてもいたそうです。武蔵総社六所宮の二の宮に座す神社です。東京都府中市に鎮座されます大國魂神社は、武蔵国の総社として武蔵国の二之宮を祀っています。これまで武蔵国の一ノ宮である東京都多摩市の小野神社、三ノ宮である埼玉県さいたま市の氷川神社、そして、四ノ宮である埼玉県秩父市の秩父神社と、参拝に訪れてきました。今回やっと武蔵国
2024年3月31日、私と美月は第七番札所である金目山光明寺を後にして、座間市に位置する第八番札所の妙法山星谷寺(しょうこくじ)へ向かいました。第一番札所の杉本寺から第八番札所の星谷寺までが相模国に属する寺院であり、この後、坂東三十三観音霊場は武蔵国(埼玉・東京・神奈川一部)へと舞台を移します。まず仁王像が迎えてくれる星谷寺は、行基が金光星の如く山谷に輝くのを見て聖観音を彫刻し、堂宇を営み星の谷観音堂として創建したと伝えられています。(神奈川県ホームページより)国指定重文の梵鐘や「星の谷
771年以前の「東山道は9ヵ国」近江・美濃・飛騨・信濃・上野・武蔵・下野・陸奥・出羽・・・・・・・・・・・・❖・・・・・・・・・・・・8世紀末の宝亀2年(771)それまで「東山道に属していた武蔵国」は「東海道に属する」ことになった古代の律令時代日本は令制国68ヵ国五畿七道という行政区画に分けられていた原型は大化前代に形成されていたが天智・天武期(668~686年)頃に本格的な整備が進むご存じ五畿とは「大和・山城・摂津・河
武蔵鐙(ムサシノアブミ)の果実ー都立水元公園グリンプラザタナゴ釣の帰りに撮りました!今回はいつもの所で果実が成らず、諦めていたら、違う所で見付けました。最後の写真は昨年4月中旬に撮った花です。原産地:日本科/属:サトイモ科/テンナンショウ属開花期:3月〜5月名前の由来:仏炎苞の形が、武蔵国で作った馬に乗るときに足を乗せる鐙(あぶみ)に似ているため。仏炎苞の長さ7cm~10cm、暗紫色または白緑色で、白いすじが有り、先のほうが極端に丸まっているのが特徴。仏炎苞が枯れて
武甲山から始まったまほろばの道。有難い事にいつまでも故郷の仲間たちと会える喜び。ほんとは、毎月帰りたいところだが、ここでやるべきことがある。さて、子どもの頃に遊んだ道、森、山。懐かしい思い出には、いつもセメントと武甲山がありました。石灰工場と武甲山が私の故郷です。この符号しない風景がなぜかほっとする。武甲山登山口は、横瀬町では生川ひとつだけになりました。中学生の頃は、横瀬駅から歩いて登っていましたが、奥宇根から登ったことが、1度だけあります。(現在、崩れているた
今日は仕事で外回り(基本、私は何時も外回り)でした。県西部を廻わり、川越市の職場に戻る途中、休憩も兼ねて寄り道。立ち寄ったのはこちら。武蔵国十三仏霊場第4番萬霊山延命寺御本尊は阿弥陀如来になり、延文年間に創建、その後、寛永年間に慈眼大師天海僧正により、改宗中興され延命寺とされたと伝わります。聖観世音菩薩像いただきました御朱印がこちらです。こちらの寺院は普賢菩薩になります。武蔵国十三仏霊場第4番萬霊山延命寺埼玉県川越市笠幡445
毎年の初詣は、気持ちを整える時間。今年も元旦にいつもの場所へ足を運びました。十二神社。住宅地の中の静かな氏神さまです。元旦は、十二神社へ毎年元旦は、万福寺の氏神さまである十二神社へ。新百合ヶ丘に事務所を移してから、このあたりで新年を迎えるようになりました。派手さはありませんが、元旦の朝は空気がきりっとしていて、自然と気持ちが整います。「今年も、ここから始めよう」——そんな区切りをつける場所になっています。万福寺の歴史を、あらためて少しだけ万福寺は、いまは川崎市麻生区ですが、
三日前、ふいに思い立って武藏國一之宮小野神社に行ってきた。武藏の国に住んでいるにも拘わらず、その国の一の宮に一度もお参りしたことがないので、一度は行かなくてはと思いながらもついつい行けずじまいだった。年末に一年を振り返った際に、残された時間は思っている以上に少ないのだから何事も「今できることは今やる!」と改めて心に決めたことを早速実践した次第だ。シルバーパスを使ってバス2系統を乗り継ぎ、更に電車に乗り換えて、最寄の「聖蹟桜ヶ丘」駅で降りた。かなり昔に仕事で一度訪れた街だが、その変わり
初詣。大国魂神社に。武蔵国の総社。多摩エリアならここに行くべし。今年は八方塞がりらしいのでお祓いも。謙虚に日々精進します。
再来週の、29、30日に、4つの都に行かねばならんので、、、まず、予行演習として、1つの都と、2つの国府に行ってきた~考えれば考えるほど、この国府が、新しいことに気付かされてしまった。29、30日と、「4つの都」を歩いて来ようと思っているので、、、まずは、我が国の「二つの国府」と、、、、あの「一つの京」に行ってきてしまった。まぁ、写真を見て頂ければ、お判りであろう。本日は、「東京宮」である「元・江戸城」と、かつての「武蔵国府府中」を行く。29、30日に、「飛鳥宮」「平城宮」「難
府中の街で、いろいろな史跡を見つけました。以前は高札場跡の写真を載せましたが、古くからの街だけにいろいろなものがあります。こちらが高札場。昔の宿場の名残りが今に残っています。この近くには造り酒屋やその蔵を活かしたカフェなどが軒を連ねています。久しぶりにお参りした大國魂神社。この門から先は撮影禁止のはずですが、けっこうお構いなしにスマホで写真撮影をしている人達が居ました。境内にはしだれ桜などもあって、実に綺麗な場所であります。そこから少し歩くと、武蔵国府跡があります。
こんにちは、スタルペスですさきたま古墳群を少々ヘトヘトとなりつつさまよっています。その理由が、「丸墓山古墳」への登頂にあります。日本最大の円墳であることは事前に知ってはいましたが、この古墳の登頂には約100段もの階段を登っていきます。66歳の老体には少々きつい登山です。※日本最大の円墳一気に登頂と考えたのがいけませんでした。途中で体力が底をつき小休止を2度ほど行い、ようやく登頂に成功しました。※今から、これを登るんだ!!墳頂か
昨日も仕事の外回りの間に武蔵国十三仏霊場巡りです。参拝したのは…第3番薬王山廣福寺竜宮造りの鍾楼門1階は漆喰塗りです。本堂御本尊は薬師如来坐像で、創建は永禄11年(1568)とされますが、永正11年(1514)以前にさかのぼるともいわれています。こちらの寺院は、徳川3代将軍家光公の休息所として指定され、鷹狩の際などに使われたようです。毘沙門堂御堂ですが、見た感じは蔵にも見えますね。いただきました御朱印がこちらです。文殊菩薩になります。第3番
一昨日、現場周りの途中で寄り道しました。第8番巖星山圓光寺御本尊は釈迦如来になります。開山は正嘉年間(1257~8)とされる。いただきました御朱印がこちらです。観自在菩薩になります。第8番巖星山圓光寺埼玉県比企郡滑川町伊古1243-2
クリスマスツリーもう飾った?▼本日限定!ブログスタンプ771年の今日は東山道の武蔵国を東海道に編入した日です。事実上、現在の東海道になりました。12月7日-Wikipedia
日本100名城18番鉢形城(武蔵国)令和七年九月十三日登城(忍城に行った後にそのまま鉢形城まで)何度か訪れた事はありますが・・・日本100名城のスタンプを押印したくて行って来ました♪鉢形城(はちがたじょう)は、埼玉県大里郡寄居町大字鉢形にあった戦国時代の日本の城。構造は連郭式平山城。標高は最高点(三の曲輪)で122m。概要鉢形城は、深沢川が荒川に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖上の天然の要害に立地し、その縄張りは唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪(三
献血の帰り道、武蔵国十三仏霊場巡りしてきました。ちょうど帰る途中でしたんでね。でも、気になるのは不在でないこと…。武蔵国十三仏霊場巡りですでに4ヵ所、参拝したにもかかわらず御不在で…(涙)ちなみに本日お伺いした寺院、過去に3回(武蔵国十三仏霊場とは別で)ダメで4回目にして御朱印いただいた経験があります。そんなことで訪れたのは…第7番大願山浄光寺山門本堂こちらの本堂、よく見ますと屋根のてっぺんと入口が少しズレてるんですね。なんだかちょっと気になります。御本尊は行基作
昨日は、陽があたると暖かいのですが、時々強い風が吹くと、その風は冷たく、上着が必要でした。この前まで半袖だったのに、日はどんどん進みます。今朝(10/30)も寒いです。高崎駅前のホテルを出て「あら町」交差点に戻り出発です。「上信電鉄」の踏切を渡り、新幹線や国道の高架をくぐって、街道筋の県道を進んで行くと、右手に「浅間山古墳」がありました。古墳の多い所です。写真では想像できませんが、5世紀前後の「前方後円墳」で、墳丘部が171mもある「関東では3番目」に、大きな古墳だそうです。
最近歩いてまして…散歩途中にあった埼玉県立文書館入口前の床に県の変遷魅力度全国最下位の埼玉県何かとバカにされますが明治元年は東京も横浜も同じ武蔵国神奈川は相模国と思いがちで南武線の武蔵○○には違和感があるのですけど武蔵国よく熊谷は群馬なんて言われますが、明治6年6月を見ると熊谷が群馬じゃなくて群馬が熊谷県だった!www
続日本100名城118番忍城(武蔵国)令和七年九月十三日登城何度か訪れた事はありますが・・・日本100名城、続日本100名城のスタンプを押印したくて行って来ました♪忍城は、室町時代に築かれ、戦国時代には「忍の浮城」として知られ、豊臣秀吉の水攻めにも耐えた名城です。忍城の築城と特徴忍城(おしじょう)は、埼玉県行田市に位置し、室町時代中期の文明年間(15世紀後半)に成田氏によって築城されました。城は、北に利根川、南に荒川に挟まれた低湿地帯にあり、自然堤防や沼地を巧みに利
酒巻14号墳出土埴輪(国重文)埼玉県行田市・・・・・・・・・・・・❖・・・・・・・・・・・・おそらくは乙巳の変(645)以降白村江の戦い(663)&壬申の乱(672)など倭国は内外難題を乗り越えながらヤマト王権からヤマト政権へと中央集権の律令国家づくりを急ピッチに進めていった&大宝律令(701)を骨格としてヤマト中央から列島地方へと国家体制を固めていったのであろうチョイ齧り中のシニア筆者は
ちょっと前の話ですが、お仕事で府中へ行ってきました。お昼を挟んだので、ランチをしながらポケモンGOを開いたら…ちはやふるのマンホールを発見!こ、これは!見に行かねば!マンホール、見つけました!もしかしてマンホールカードもあったりして??と調べてみたら、近くの観光案内所で配ってるというのでもらいに行きました!マンホールカード。一緒に持ってるのは観光案内所でいただいたマンホールマップ。帰りは大國魂神社を通り抜けてJR南武線府中本町駅へ行きました。大國魂神社(おおくにたまじんじゃ
今年も川越まつりで祭茶屋を開設しました。いらしていただいた皆様、ありがとうございました。『令和7年川越市川越まつり(武蔵国)』川越まつりに行ってきました。ameblo.jp
井土ヶ谷のお祭りは10月に変更されたので、見に行けました。『令和7年横浜市南区井土ヶ谷住吉神社例大祭(武蔵国)』2年に一度の本祭りで、今年から10月開催になりました。ameblo.jp
9月最終土日は、武蔵国の山車を見ました。神奈川県内には、まだまだ見ていない山車があります。『令和7年横浜市港北区菊名神社例大祭(武蔵国)』昨日、山車を見てきました。菊名北町菊名南町ameblo.jp『令和7年横浜市港北区綱島諏訪神社例大祭(武蔵国)』今年から九月開催になりました。ameblo.jp『令和7年横浜市金沢区富岡八幡宮秋季祭礼(武蔵国)』こちらは盛大なお祭りでした。ameblo.jp