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福井県は日本最大の恐竜化石発掘現場があることから恐竜王国と言われています。福井駅西口の恐竜広場には、動く恐竜モニュメントが設置されています。東口にも
久しぶりに旅行でーすしらさぎwwwでも,敦賀行き...米原でシートの方向転換をしたら,次は終点という...時代の流れとは言え,違和感満載...北陸新幹線趣味としていながら意外と新線攻略は奥手こんなに開業直後に乗車するのは珍しいですで,福井へまたまたやってきましたsusuruさんのラーメンフェス!前回の反省を生かし,参加初日も朝イチ対応のため前乗りですwww明日からよろしくお願いしますm(__)mで,下見をしたあとは...たけふ新駅まで福鉄の走りを堪能して...
こんにちは1番の目的『おっ母ちゃん』の舞台の場所【江波駅】周辺の街並みを見るというミッション👀✨鯖江駅から今はなき鯖浦線を辿っていくと、近くに少しだけ線路が残っていたり🛤️ご近所さんに聞き込みして、筍の刺身を頂いたり🥢あったかい人が多いなぁと☺️武生駅に行って、越前おろし蕎麦を食べてと🍜降水確率90%を見事撥ね飛ばし、晴れ女は無事帰って来ました‼️1日で福井のいろんな場所を見て回り、おっ母ちゃんのイメージが作れました🙋🏻♀️11日夜と12日夜が少しチケットが出て来たので、まだ買
紫ゆかりの館パネル996年(長徳2年)、紫式部は父の藤原為時が越前国司に任じられると父とともに越前国府へ赴きました。1996年(平成8年)には、紫式部の越前下向1000年を記念して、当時の「下向の旅」が再現されています。2024年(令和6年)にも「紫式部プロジェクト推進協議会」による「越前下向の旅」の再現が予定されているようです(10月頃)。紫ゆかりの館の行列模型紫式部の越前下向の旅は・・・都を発った一行は、鴨川を渡り粟田口から山科を経て逢坂の関を越えて大津へ。打出浜から舟で琵琶湖
2024・2月訪問北陸道武生インターすぐの田園風景が広がる立地。武生製麺が手掛ける自社工場直営のレストランでほぼほぼ客層は観光メイン。館内では蕎麦の製麺過程が見られるようになってます。さすがにピカピカに手入れしてある。真冬の平日昼過ぎ客足はそこそこ。オンシーズンはこの大きなフロアにぎっしり人が詰まるのでしょう。休みが平日で良かった笑先に注文支払いしてから席に座るシステム。メニューはこちら。極上蕎麦で8割とのことで普通なら小麦と半々くらいか。テーブル
995年(長徳元年)、北宋の商人・朱仁聡ら70余名が若狭国に来航。藤原道長は、彼らを越前国へ移します。そして翌年、越前守に任じられたのは紫式部の父・藤原為時。越前国へ下向した為時は、宋人と詩をやりとりして懐柔に務めたのだとか。紫式部公園為時の越前下向には紫式部も同行しました。越前国府があった越前市武生には、紫式部の越前下向を記念して紫式部公園が整備されています。気比の松原若狭国から越前国へ移された朱仁聡らは、越前国府ではなく敦賀の松原客館に滞在していたものと考えられています。松
福井県越前市の紫式部公園の藤棚の花が見事です良かったら動画でご覧ください本日の武生「紫式部公園の藤の花」福井県越前市ECHIZENTAKEFU2024年4月24日撮影#紫式部公園#藤の花#福井県越前市youtu.be
『義経記』によると・・・壇ノ浦の戦い後、源頼朝と不仲となってしまった源義経は、都を逃れ、逢坂の関を越えて大津から琵琶湖を渡って奥州平泉へ向かったのだといいます。義経は唐崎の松、比叡山、日吉大社、堅田浦を眺めながら琵琶湖の西岸沿いを進み、白鬚神社を拝みながら今津浦を過ぎて海津浦へ。海津浦から愛発山を越えて敦賀に至り、気比神宮で祈願した後、木ノ芽峠を越えて越前武生に辿り着いたようです。紫式部公園義経が越前に下る190年前、紫式部も越前にやってきました。紫式部公園は紫式部の越前下向を記念し
大変ご無沙汰しておりますm(__)m先月あたりから急に多忙となり、なかなかブログ更新できませんでした。今月ようやく時間が取れるようになりましたが、ブログ更新より出かける方を優先してしまいました((^^;;;)))という事で、ここ数日の移動記録をアップします。2024年3月10日この日は北陸応援フリー切符で石川県と福井県に移動しました。朝食は、リクエストをいただいて、東京駅の「祭」で購入した山形名物「牛肉どまん中」ですが、通常版が無くてカレー味になってしまいました(((^^;;;
昨夜は武生商工会議所にて行われた母校である武生高校の同窓会理事会に昭和58年度卒の理事として出席しました。会議では、昨年度の事業・決算報告、今年度の事業計画と予算など審議。そのほか今年度5月25日開催予定の同窓会総会について、校長先生からは学校近況などについてのご報告も。武生高等学校は明治31年に創設された福井県立武生尋常中学校を前身とし、学制改革により昭和23年に男女共学の福井県立武生高等学校として設立の伝統校。令和10年には創立130周年記念事業も予定されています。また令和2年
おでかけの記事です。今回は、福井県越前市東千福にある紫式部公園です。そろそろ大河ドラマでも越前編も放送されそうで、今話題の地域です。紫式部公園(むらさきしきぶこうえん)源氏物語の作者、紫式部が生涯でただ一度、都を離れて暮らした場所・越前市。越前国司となった父・藤原為時とともに訪れ、一年余りを過ごしたといわれます。これを記念してつくられた紫式部公園は池をめぐらし、寝殿造の釣殿をしつらえ、紫式部が生きた平安時代の趣を今に伝えています。公園に隣接してある「紫式部と国府資料館」では、紫式部に関す
「ここにかく日野の杉むら埋む雪小塩の松にけふやまがへる」越前富士とも呼ばれる日野山は、越前で暮らした紫式部が眺めていたという山。紫式部公園の紫式部像の視線の先には日野山。
藤原為時と紫式部996年(長徳2年)、越前守として武生の国府に赴任する父藤原為時に同行した紫式部。この情景は武生に向かう国司の一行が木ノ芽峠あたりで休息している場面。藤原道長と紫式部1008年(寛弘5年)9月11日、中宮藤原彰子が一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。11月1日の「五十日の祝い」で藤原道長に賀の歌を所望された紫式部は、「いかにいかが数へやるべき八千歳のあまり久しき君が御代をば」と詠みました。紫式部像紫式部が越前国に下向したことを記念して
ー紫式部が住んだ福井県越前市へー5月公演で取り上げる山田耕筰の源氏楽帖。紫式部の源氏物語からきています。福井県越前市。紫式部が一年あまり住んでいたそうです。そこで、武生にある“しきぶきぶんミュージアム”へ行きました。私自身が脚色が強い作品が苦手で、毎年大河ドラマを見ないゆえに、ドラマの展示についていけるのか、不安はありました。実際に行ってみると、分かりやすい展示でした。出演者の方々のサインも飾られていたので、芸能人のファンの方々にはとても嬉しい機会だと思います。私は、藤原道長さんの字
武生のまちなか(福井県越前市蓬莱町)にある「蔵の辻」しだれ桜が見頃でした良かったら下の動画で見てください本日の武生「蔵の辻のしだれ桜🌸」福井県越前市/ECHIZENTAKEFU2024年12日撮影#福井県越前市#蔵の辻#しだれ桜youtu.be
「春なれど白嶺の深雪いや積り解くべきほどのいつとなきかな」越前国へ下向した紫式部に「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」言っていた藤原宣孝(のちの夫)が・・・年が明けると、「春になれば氷さえ解けるもの。あなたの心もとけるものだと、どうにか教えてあげたい」と言ってきたことへの返歌。「春になりましたが、白山の雪はますます積もって解けるのはいつのことかわかりません」(春になっても私のあなたに対する気持ちは解けません・・・)気比の松原「唐人を見に・・・」紫式部が越前国に
紫式部歌碑(越前市蔵の辻)「ふるさとに帰る山路のそれならば心やゆくとゆきも見てまし」父・藤原為時とともに越前武生で暮らした紫式部が「早く都へ戻りたい」という思いから詠んだ歌。雪掻きをして山のようになった雪に登った人が、「外に出てこの山をご覧なさいませ」と言うが・・・それが都へ帰る途中の鹿蒜山(かえるやま・木ノ芽峠)なら喜んで見てみようと思うけれど・・・鹿蒜神社(南越前町)鹿蒜神社は、996年(長徳2年)、木ノ芽峠を越えて武生へ向かったといわれる紫式部が参拝したという社
紫式部公園歌碑「ここにかく日野の杉むら埋む雪小塩の松にけふやまがへる」父・藤原為時に同行して越前武生に下向した紫式部が初めて迎えた冬・・・初雪が降った日に越前富士とも呼ばれる日野山に積もった雪を眺めながら、都にある小塩山の松を思い出して詠んだ歌。日野山の杉は雪が降って埋もれんばかり。都の小塩山の松にも降り積もっているのだろうか?紫式部公園紫式部公園から見える日野山。紫式部像園内の紫式部像は日野山を見つめている。大原野神社都の小塩山の麓には紫式部が氏神と崇めた大原野神
まだ書いていない旅記録&飲み食べ記録がたっっっくさんあるのですがお花見記録もつけていきます。今日の記録は越前市(武生)方面。まずは味真野小学校校庭の一本桜。ちょうど満開多くの人で賑わっていました。お天気も良かったので青空とのコントラストが美しい何度も見に来ていますが校庭のど真ん中というロケーションはいつ見てもインパクト大いつまでも子どもたちを見守り続けてほしいなぁ。味真野小学校に来た
福井の旅、最終回です旧武生市へ来ている武生商工吹奏楽部の、長~いファンキーな定期演奏会を終演目前で離脱して駅へ急いだ新幹線の「越前たけふ」は不便なので、福井まではハピライン利用旧武生郵便局そう言えば、今回は土日なので旅行貯金は不可福井の佐佳枝郵便局は、列車型のお宝印だった記憶が道路標識は、期待通り?「JR武生駅」でしたついでに福鉄も「越前武生」のまま折り返し芦原温泉行きが到着慌しい折り返しで、座席転換はセルフ方式越美北線が沿線火災でストップ
(3/31福井、つづき)JR北陸本線改め、ハピラインふくいで、武生に到着駅設備はJRそのままで、「米原方面」、など不釣り合いなのはご愛敬見えづらいハピラインのシンボルマークと駅名駅近くには越前市役所武生市と今庄町が合併したのに、なぜ「越前市」を名乗ることになったのか、私は理解できん!近隣には越前町や南越前町までもが乱立し、もはや戦慄を覚える。せめて、「越前武生市」に改称すべきだ。新幹線開通年はよいタイミング。さて、のんびりしていられない、越前市文化センターへ
2023年度の最終日開業間もない北陸新幹線で、敦賀から福井まで駒を進めた。敦賀から福井へ移動福井駅は新幹線としては異例の1面2線のみ、県庁所在地なのにここで折り返せないから、敦賀まで無駄に本数が多いわけか。福井に降りるやいなや、椅子が並んでる光景に反応、吹奏楽かな?福井と言えば、やっぱりこれ、恐竜動く恐竜は、夜はまた違った顔を見せるさて、次に乗るのは福井鉄道で、福井市街は路面電車区間もある。ただ、今日3/31は、ふくい桜マラソン大会を開催中のため、路面区間は運休中。
紫式部公園996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国へ。紫式部公園は、紫式部の越前下向を記念して整備された公園。紫式部公園のある武生には越前国府がありました。具体的な場所は不明ですが、『源氏物語』には「武生の国府」とあることから、武生にあったことは確かなこと。総社大神宮総社大神宮は、着任した越前国司が参拝した社。紫式部の父藤原為時も参拝したはず。国分寺国分寺は、聖武天皇の詔により越前国府付近に創建された寺院。御霊神社御霊神社は、桓武天皇の弟で死後
996年(長徳2年)、藤原為時とともに越前国への旅に出た紫式部。都から近江国に入り琵琶湖を渡って深坂峠を越えて敦賀に達しました。敦賀からは木ノ芽峠を越えて武生にある越前国府へ向かったようです。鹿蒜神社鹿蒜神社は、木ノ芽峠を越えて武生へ向かう紫式部が参拝したという社。
【撮影日2024年02月12日】NHK大河ドラマ「光る君へ」の放送3月の北陸新幹線金沢ー敦賀開業に合わせて武生の町は只今”紫式部が暮らした町”として売り出し中ですいつも思うんだけど幼少期にたかが1年ほど暮らしたと言われているだけでこんなに自慢していいんだろうか誰か紫式部に興味がある人っている地元だけが勝手に盛り上がり町の中そこらじゅうにポスターを貼りまくりミュージアムまでつくってしまった北陸新幹線が開業すれば新幹線武生駅には土日祝日で3万人の乗降客
【撮影日2024年02月12日】今回の休日は世間様の建国記念日の振替休日と重なってしまった振替休日なんてもんは全然関係ない者からすると日曜日と重なった時は別に振替なくても”残念でした”で終わっちゃえばいいと思ってしまう(負け惜しみです)道路は渋滞するし行くとこ行くとこ人であふれているので非常に迷惑な休日だかと言って家の中にこもっているのも大嫌いつー事で武生の町をお写んぽしてきましたよ残念な事なんだけどまずここは人であふれる事はないからね
北陸新幹線が敦賀まで開通して福井駅がすごいことになっていると聞いてさっそく昨日行ってきました。まず空いている駐車場を探すのが大変でした。なんとか車を留めて駅に向かうと人が多くてまずそれにびっくり。駅構内の土産物売り場とか飲食店街が大きくなっていて本当にここは福井かと思うほど垢ぬけていましたね。この賑わいが当分続くといいですね。福井県越前市氷坂町46-8-6電話0778-24-5797”身体の歪みなおし専門院”しんそう福井武生https://www.shin
「ブラボー!」思わず叫んでしまった。ここは、新幹線”光”の車中こんなに素敵な富士が見られるなんて幸先がいいぞ^^米原駅で、特急”しらさぎ”に乗り換え北陸新幹線の(一時的な)ターミナルとして新装なったばかりの敦賀駅に到着した。ここでハピライン福井と言う旧JR線に乗り換えて一路、我が故郷の”武生”(たけふ)へ。乗り換え多くて、ちょっと面倒だな^^;そして、長ーい北陸トンネルを越えるとそこは雪国だった・・川端康成の世界を期待して来たが雪はジ
一夜明けた武生駅看板がハピラインふくい仕様になったことと特急の吊り下げ式案内が消えたくらいでそれ以外は特に変化はない。っと思ったら真っ白の駅名標また予想ですがハピラインの表示ないということは撤去か柵でここまで立ち入れない区域になるとか…いつまで残っていてほしい米原・大阪方面表示そういえば撤去されると思っていたJR北陸本線仕様の駅スタンプが存続していました。おもちは武生駅利用者に配られたもの越前まるもち…こんなものが登場実質どこトレこれだけでも凄いので
『紫ゆかりの館』『金色の紫式部像』紫式部公園に行って来ました。紫式部公園-越前市観光ガイド源氏物語の作者、紫式部が生涯でただ一度、都を離れて暮らした場所・越前市。越前国…ameblo.jp紫ゆかりの館に続きやって来たのが武生中央公園内の『しきぶきぶんミュージアム』内にある光る君へ越前大河ドラマ館へ吉高由里子さんお出迎えお美しい😍吉高由里子さんと岸谷五朗さんのパネルにはサインがあったのでここに来たみたいです。越前での撮影の合間に来場されたのかな?「光る君へ」吉高由里子さ