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こんばんは~よろしくお願いします。先日、武当太極拳(三豊派)の動画を作ってもらいました。WudangSanfengTaichi18武当三豊派18式太極拳WudangSanfengTaichi18byYoshinobuMatsuya武当三豊派18式太極拳松矢好布---WIMA太極拳│田園調布・自由が丘https://wima.co.jp\いつでも体験受付中・どなたでもお気軽にどうぞ♪/△道教の山で直伝された太極拳・養生法を学ぶならココ△WIMA師範...youtu.
梅雨入りしましたね今月は意外にも忙しくなり本日も交流演武大会などがありました自選難度競技選手や世界チャンピオンにも輝いたアスリート動作や技の質、小さなこだわりは勿論のこと表演だけじゃなく表演前の様子にも学ぶところが多く和やか交流イベントであっても非常な学びの場となりましたこれは、どのレベルでも見ることで何かをを感じとって自分の糧となる僅かなヒントを受け取れるかどうか…「3人行えば必ず我が師あり」どこでも勉強、日々精進だナと疲れたけれど、良い1日でしたでまたも
先日、埼玉の坂戸市にある、聖天宮で行われた「あおぞら杯」の主催者様から、10月に行われる「あおぞらまつり」の表演依頼がきました、という話をしました。『あおぞら杯、行ってきました(追伸)』先日の、あおぞら杯レポートの続きです。『第6回あおぞら杯、行ってきました!』5月22日、埼玉県の坂戸市にある聖天宮で行われた、第6回あおぞら杯に行ってきま…ameblo.jpあおぞら杯の様子はこちら『第6回あおぞら杯、行ってきました!』5月22日、埼玉県の坂戸市にある聖天宮で行われた、第6回
第1回せせらぎフェスティバルいよいよ今週末に迫ってまいりましたいらしていただく方々にはどんな内容なのかをあらかじめと思いまして翔龍中国武術クラブ(いずれは隊に改名したいな)11:40頃スタート.全部で4演目双人太極拳毎朝11:05〜tokyomxで放送中中国歴史ドラマ「大明皇妃」の挿入曲に合わせて私と弟子のペアで太極拳の様々な、多彩な動きをご覧いただきますで、大明皇妃と言えばこの方そう永楽帝この永楽帝が武当山の再建に力を注ぎましたその工事は10年間に及び
こんばんは~よろしくお願いします。内容的にはほぼ一年ぶりの更新となります(汗)第6回武術太極拳競技会・あおぞら杯のプログラムが届きました。イベント情報太極拳スタジオ氣凛埼玉県坂戸市の太極拳スタジオ氣凛の公式ホームページです。北京体育大学武術学部卒の大畑裕史講師による埼玉県内唯一の太極拳専門スタジオで、初心者から上級者まで更なる上達を目指すことが可能な教室です。kirin.ohhata.com今年は5月22日(日)の開催となります。一年前の記事がコチラ『あおぞら杯、
師走、そのイチ最初の週はやはり土曜日復活の「青空タイチー」ほとんど「カンフー」だったようなメチャ青空でしたーーー青空マルシェ、やっていました土曜日の朝、サイコーに気持ち良く紅葉も美しく、目に鮮やか多摩川駅降りてスグ、なんて思えなーい少しヒンヤリした空気でお肌もキュッと引き締まる感じで、動いているうちにポカポカ樹々に囲まれているだけでも心も身体も整いましたリラーーーーツクス超リラーーーーックスキレイな空の下余計なことを考えずにただ身体や気
本日、無事に2年ぶりの『第7回神奈川中国武術協会交流競技大会』カルッツ川崎にて盛会に終了致しましたご観覧に足をお運び下さった初級班メンバーと、少し遠めからの方本当にありがとうございましたほとんどが太極拳、でしたがいろいろとお楽しみ頂けましたでしょうか?もっといろいろ観られる機会は来年、全日本でまた是非正直、疲れMAXでブログの気力など一切無いところ……では、ゴザイマスが今日の様々な思いを華流ドラマに絡ませて先月の芸術フェスティ
ブログをご覧の皆様、お久しぶりです(汗)やはりというかなんというか、すっかりブログから足が遠のいてしまいました。このところ、すっかり「無駄に忙しい日々」を過ごしております♪さて、この度、以前撮ってもらった「武当太乙逍遥掌」を撮りなおしてもらいました。なんでも、新しい撮影機材を導入した、ということで、撮りたくて仕方がなかった、ということです。流れるような自然なカメラワークがウリです。WudangXiaoyaozhang武当逍遥掌|Fullbodyshot全身撮影編
さて、すっかり頭の中は今週末のことでイッパイにそーですヨ『大田区芸術フェスティバル』23日土曜日開催されます大田区文化祭の一環として20回目の節目にもなる今年の芸術フェスティバルではブログで年間の準備や活動フェスティバル参加出演団体の紹介などもお伝えしております翔龍もコチラで宣伝頂きました『翔龍中国武術クラブ』翔龍中国武術クラブの皆さんのご紹介です✨中国武術の素晴らしさ✨をより多くの方々に知って頂くための普及イベントや活動をしながら、教室では、子供
こんにちは~よろしくお願いします。今日は、自分の太極拳の動画を作ってもらったので紹介します。WudangXuanwuTaichi64|Shortver.武当玄武派64式太極拳|ショートver.WudangXuanwuTaichi64(shortver.)byYoshinobuMatsuya武当玄武派64式太極拳(ショートver.)松矢好布---WIMA太極拳│田園調布・自由が丘https://wima.co.jp\いつでも体験受付中・どなたでもお
こんにちは~よろしくお願いします。先日、あおぞら杯の動画をアップしました。んで、あおぞら杯の前日に撮ってもらった動画なのですが、編集が完成したということでURLを教えてもらいました。WudangXiaoyaozhan|YoshinobuMatsuyaWudangXiaoyaozhan|YoshinobuMatsuya武当逍遥掌|松矢好布Music:bensound.comFilmedandeditedbyWIMA太極拳(c)wima.co.jp□田
関東の梅雨入りはまだ先らしいデス昨日は久しぶりに「青空」じゃない「曇りタイチー・カンフー」やっぱりイイ特にカンフーではきっと筋肉痛カンフー/武術で無理なく身体を強く養うためには一つ一つを焦らずに最初はゆっくり…と言うより、まずは動かずに「定勢動作」その場で歩型・手法の練習からコレ、意外に効く筋トレにもなります、よねそんな「静は山岳の如く」練習そして、その不動の「山岳」はまたいつでもどこでも同じ「山岳」つまり同じ「型」でないと、なのデス個々の
絶代偃師之玉女掌門(绝代偃师之玉女掌门)清の乾隆年間。冬の娥眉派で病が流行った。掌門の五枚太師は修養のために一年間こもるつもりでいるため、武当派に弟子たちの治療を頼み、長老四人に掌門代理の選抜を託す。武当派から、医術に長けた白元明がやってきた。女性ばかりで男性をあまり見たことがない娥眉派の弟子たちは、かれのあとを追いかける。白元明が原因を特定したことで、病に倒れた弟子たちが全快した。同時並行で、掌門代理の選抜は続く。四人の長老の前で技を競うのは七人の高弟だ。その
先週土曜は深セン・香港が大雨だったので自分を含めて4人しか来なかった(普段は平均して15人程が学んでいる)。タクシーを降りて練習場所に着くまでの5分程の間にかなり降られて靴の中まで水に濡れた。それでも人数が少ない分、先生からかなり細かい指導を受けることができて良かった。最近の練習は麒麟鞭、春秋大刀と武当剣、三節混がメインになっていて、最後は先生について武当太極拳の変化を学ぶといった流れになっている。武当剣は動作が多く、身法の難易度が高いうえに流れるように行う。テクニックにばかり気を取
剣八法六勢譜同譜では、八剣は左右を両儀とし、「撃」、「刺」、「格」、「洗」の四法を四象として、左右四法あるので八剣となり、また「旋」「転」「探」「摩」「翻」「滚」「躍」「換」を八法として、変化の中で八剣に各八法の変化をし六十四勢となる。各勢は6つの手法(招式)から出来ているので全部で三百八十四手になる。「武当剣譜」に記されている剣譜は呪符のような簡易文字である「字」の組み合わせで構成されている。李景林の伝人達が剣譜について読み解こうとした文章を発表しているが、剣形八卦掌と飛龍剣の身法・名称に
宋唯一の「武当剣譜」李景林の従弟である蒋馨山の系統では、蒋が宋唯一に長く習っていなかったにもかかわらず宋の武当剣譜をよく研究し、詳しい解説を文章として残す弟子や孫弟子が出てきている。この文章に書かれていることは、自然派に伝わる飛龍剣が、宋唯一のそれと同様のものであることをより強く感じさせる内容であったので、一部私見を加えながら意訳した。宋唯一は著書「武当剣譜」の中で以下のように記している。「意外にも、剣法と槍法は似ている。左手で守り、右手を槍の如く使って剣を突き出したり戻したりする
はじめに前回李景林が伝えた武当剣について書いたが、今後数回は宋唯一が「武当剣譜」内に記した武当剣について書こうと思う。まず、最初に現在自分が学習を進めている三豊自然派の剣、ならびに宋唯一が学んだ武当丹派について、その後いろいろと王先生よりお話を伺う機会があり理解が進んだので忘備録として書き進める。今までも書いた文章は変えてきたが、武当剣については今後かなり加筆・修正を行うつもりでいる。国内で宋の剣譜を研究している文章のほとんどが、李景林の武当剣を元にして行われている。李が晩年山東国術館で必修
体系中国武術の多くの門派は南北を問わず、套路での1人練習を中心においているものが多く、対練(対人練習)は後から学ぶか、その都度パターン化した掛け合いを行うが、李景林の伝えた武当剣は、まず先に基本となる「対剣十三勢」を学び、続けて「武当対剣」「活歩対剣」「散剣法」と対練を中心に学んでいく方法をとっていた。山東国術館では、楊式太極拳、八極拳、武当対剣、六合槍が必修科目とされていた。※楊奎山(李が軍人であった頃からの大弟子)の弟子、呉志泉の発表した「八千里路雲和月-李景林、楊奎山師徒伝奇ー」から。
はじめに武当剣の歴史・技術を紐解くにあたり、武当丹派の伝人である宋唯一や、その弟子である李景林の存在は避けて通れない。宋唯一については以前八卦掌の起源について書いたときに一度触れているので、李景林を中心に書こうと思う。李は人生の大半を軍人として過ごしており晩年まで職業武術家ではなかった。弟子は武術の師弟関係であると同時に部下でもあり、大部分が軍属であったので、今でこそ派生が多い李の武当剣も生前人目に触れる機会は少なかった。晩年山東国術館館長となるまでに500人以上の弟子をとったというが、お
春秋大刀先々週から王先生が遼寧省より帰ってこられ、春秋大刀を一部の師兄達に教え始めた。師母が習えばいいと参加を薦めてくれたが、王先生からは「剣の方が大切だから剣をもっと練習しなさい」と言われていたので休憩中に若干眺める程度だった。今回、まだ人が集まらない時間帯に鞭を練習していたところ、「それぐらいにして大刀の練習をするように」とOKが出た。自然派において、大刀は最後に教えるという。理由は単純で、「重たいから」だそうだ。動きの中で負荷をかけながら行う練功法は、他派にも多くみられ、同派で
今月は王先生が一時故郷の方へ帰っておられ、師母(先生の奥様)が代理として教授されている。師母は若い頃に楊式太極拳を習い人に教えられる程にまでなったが、低架の練習をし過ぎて膝を痛めてしまったそうだ。後に王先生から武当三豊自然派を習うようになり、膝は大きく改善されたという。師母の打つ楊式太極拳は楊班候の大架を想像させるかなりの低架で、表演武術とも趣が異なり、60代とは思えない。武当太極拳を打つ際も架式が低く功力の深さを感じる。王先生の教え方は「持って帰れるだけ持って帰れ」なので、基本的に一つの
少し前の話になるが、4月5日は清明節だった。清明節は除夕(12月29、または30日。大晦日)、中元(7月15日)、重陽(9月9日)と並び、中国で行われる祭祖(祖先を祀る日)のひとつで、この日は掃墓(墓参り)を行う。※日付はいずれも農歴(旧暦)広州では毎年4月の中旬から下旬にかけて傅家拳の宗師、傅振嵩祖師爺、ならびに二代目、傅永輝師公の墓参りを行っている。5日が祝日で、連休の初日でもあるので、例年混雑を避けるために日をずらして参っている。今年は15日に行われた。06~09年ごろは
自然派について、いろいろと調べていたら、張三豊の出生地と言われている場所に建てられた祠の紹介と、王先生の師の一人である張奇先生が書かれた文章などを見つけたので、まとめて意訳してみた。張三豊の出生地と張三豊祠太極拳創始伝説で語られ、武当派を学ぶ者から崇拝の対象となっている張三豊の出生地にはいくつか説があり、有名なものとして古望平県糧漁業、即ち今日の黑山県姜屯鎮土城子村が挙げられる。張三豊の祖父、裕賢公は、天下に王気は東北から昇りあがると知らしめんと欲して、江西龍虎山から遠く万里を超えて遼東
カンフー作品の老舗、ショウブラザーズお得意の少林寺カンフーもの。清朝時代の中国。清朝に迫害された漢民族は『反清復明』の旗印のもと各地で反乱を起こしていた。少林寺においては漢民族に味方する『少林拳派』と清朝に味方する『武当派』が対立し、お互いに血で血を洗う争いを繰り広げていた。厳しい少林寺での特訓を終え、下山したトンは武当派打倒のために先に下山し、敵の武道家たちと戦っているフーと合流するため、旅をしていた。武当派の面々は剛力のトンを抹殺するため、飛刀使いのリーを派遣。拳技においては勝るトン
走圏②の「後趟」では、「掀蹄(踵を地面から離して挙げる)」せず、踵から歩を進める功法を記述した。今回は次に行う「前趟」、そしてその後に続く「平趟」について。「前趟」「後趟」が踵を中心とした歩行であったのに対し、「前趟」は脚掌を中心とした歩行となる。「後趟」と異なり、「前趟」では若干「掀蹄」し、踵が見えるが、「亮掌(脚掌(前足底とその周り)が見えるように足を降ろす)」はしない。足を降ろす時は、脚掌と地面が平行とになるように降ろし、降ろす直前に約半歩程前に滑らせるように進める。程派の擩步
先週の練習は長穂剣、武当太極拳、鞭、流星錘、八卦双刀、推手・塔手など。長穂剣今回から始まった長穂をつけた剣の練習。鞭(双頭龍、縄鞭)の練習が進んでいるので、剣穂の扱いも応用でいけるだろう高をくくっていたが、大間違い。びっくりするぐらい長穂が扱えない自分が嫌になった。課題は撩花、勾挂と、それらを行いながら空中(わずかに上げる程度)での剣持ちかえ2種。特に撩花が全くできなかった。先に剣穂が来て、その後から撩剣するのだが、剣穂が刃や柄に引っかかる。30分くらいひたすら繰り返すが、思うように穂
難得的糊涂自然派の教学方法などの話は今回で終わりに。自然派が進む段階的な教学方法をまとめると、①拳、兵器共に連続した招式(パターン練習)の学習を重ねる※最初の段階では拳種または伝統的な定法(基礎となる形)によって套路も学ぶ②自由に招式を組み合わせること(アドリブ練習)ができるようになる。③套路を編纂できるようになる④攻防においても三拳それぞれの、また武当派の風格(四攻)を持って動けるようになる⑤五行八卦合太極、太極八卦合五行、太極五行合八卦と、三拳を合わせて総合拳を生み
套路はいくらでも創れる前回からの続き「套路を套路のまま練習すればそれで何もかも完結してしまう。そこに変化は生まれない。今日動いてみて分かっただろう。習ったものを応用して、自分で套路を創れ」。套路を創る「法」がある。それは普段先生が言われている「三性(養生、攻防、芸術)」が含まれ、守られていることだ。技の組み合わせが三性に沿ったものであれば、どのような套路であっても正しい。(具体的に細かな方法がある)打ち終わって息が切れたり、どこか身体を痛める物なら正しいとは言えない。眼神(
即席演武会先週土曜の練習では、久しぶりに顔を合わせた兄弟子が(木曜日に来ているらしいので会うことが少ない)縄鞭の練習中にこれでもかというくらい先生から怒られていた。何年も練習しているのに何故ほかの者と同じことをしているのか?起式と収式がなってない!ということだった。そこから「起式」、「孕式」、「収式」についての講義と、当日練習していた15人程で即席の演武会が始まった。以前も書いたが、武当派においては「以道演武、以武顕道(道(dao)を以って武を演じ、武を以て道が現れる)」の考えに
起式、孕式、収式前回の練習では初めて王先生の打つ自然派の武当太極拳(36式)の変化を拝見した。香港で出版された先生の著書に載っている同じ名称のそれとは似ても似つかない形だった。「定、活、変」における活、変の段階で、太極拳と呼ぶのかどうかも判断できないほど変化していた。絶えず移り変わり、常に過途式(動いている途中)で一つの姿勢になって止まることがない。眼に見える速さも五行(形意拳のことを自然派では五行と言う)、八卦(掌)が組み込まれているので急変するため、初見ではだれも太極拳だとは思わない