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千利休の後継者戦国時代の武将だけど茶人でもあり芸術家信長、家康、秀吉につかえる。家康の上杉討伐の向かう後の関ヶ原において、他の武将を引き込む交渉能力にたけていたらしい。かなりユーモアのある人当たりの良い人のようだ。武家茶道という受け入れやすいものを広めた。茶の湯を通じて、朝廷、貴族、自社などとつながりをもち、全国大名に多大な影響を与える存在となる。徳川秀忠の茶の湯の指南役にもなる。千利休とは対照的なわびさびというものとは、かなり違う破調の美というものを追求し
大和平野を一望し青垣山を望む書院,庭園眺め味わう講話と抹茶【拝観】円通山慈光院臨済宗大徳寺派(13:40~14:15)【場所】奈良県大和郡山市小泉町【ツアー】斑鳩の里から西ノ京を巡る1日7時間バスツアー(奈良定期観光バス)【年月日】2023年11月29日(水)9:55~17:00【天気】晴れ時々曇り14℃法隆寺、中宮寺の参詣を終わって次に訪問したのは慈光院である。慈光院は寛文3(1663)年、大和小泉の2代目藩主が父の菩提を弔うために建立した臨済宗の寺である。2代目藩主片桐貞
p216「江戸時代には武家茶系の流儀に家元制度は存在しなかったのであり、その家元という呼称は、近代になって旧大名家が茶を家業とするようになってから、ほかの流儀にならって称しはじめたものなのである。なお、宗編流も完全相伝を続けていた。山田家に「家元」の権威を求める要望により、山田家が家元になったのは大正十年(1921)になってからである。しかし、その家元に属する必要はないと考えた人も多かったため、宗編流には今もいくつかの茶系を引く流派が並存することとなった。同じ事情が遠州流、石州流にも
武家茶は侘び茶とは言えない茶道雑誌平成3年9月秋の取り合わせp29古賀健藏武家系の茶道や藪の内茶道では中置は行われない。中置は草庵侘び茶の中で生まれた形式である
諸流皆吾流これだけ大言壮語な言葉も無いかもしれませんが、私はこの言葉が一番好きだったりします。どんな流派の点前だとて、道具だとて、良いと思えば使うのだ!という自信と貪欲さが垣間見れる気がします。近年、茶道人口が急激に減っており、何処の社中でも人が少なくなっていると聞きますが、依然、千家の教室は人がたくさんいらっしゃいます。これは何を意味するのか?というと、小さい流派が減っていくということなんですね。名前が知られている方が弟子は取りやすいですし、看板だけで点前が変わらないのな
御家元席を後にして向かったのは月窓軒。こちらは男子席で、大台子と聞いていたので、絶対に外せません。床は四代将軍家綱公御親筆の柿本人丸画。人丸というのは、人麿(人麻呂)のことで、柿本人麿は飛鳥時代の歌人。人麿を人丸と呼ぶのは罪人になったからという説があるそうで、人麿刑死説の一因にもなっているそうです。ちなみに平安時代には「人丸」と表記されることが多かったようで「ひとまる=火止まる」と解して「火の神」としても祀られています。もちろん歌の神としても祀られています。
織田有楽斎天文16(1547)~元和7.12.13(1622.1.24)安土桃山・江戸前期の大名,茶人。織田信長の弟。茶道有楽流の祖。通称源五,名は長益。本能寺の変後,豊臣秀吉に仕えて御伽衆となり摂津の内で2000石を領し,天正18(1590)年剃髪して有楽と号した。文禄3(1594)年,秀吉の前田利家邸への御成に際しては室礼などを指導し,その名を高めた。関ケ原の戦には徳川方に属して,大和で3万石を与えられた。大坂冬の陣には淀君の叔父に当たることから大坂城に入ったが,なお家康との間
🐕今日は、平戸へGOその前に佐世保で寄り道戦艦武蔵のメンテナンスにも使用されたドック(佐世保重工業)🐕👩写真だと伝わりづらいけど、スケールがすごい!!九十九島が見える佐世保の石岳展望台へ👩絶景ところで、近くにいるあの爺さんと婆さん夫婦じゃないのか!!それにしても爺さんの冗談のレベルが低すぎて、ウケるwその後は、、、平戸へ向かう途中、昨日飲んで美味しかった、本陣(潜龍酒造)を通ったので、売店で酒を購入お昼は平戸島へ渡る手前の集落の人気店のこちらへ。二人とも刺身が食べ放題
①遠州流茶道薄茶席看板とお菓子の紹介②③艶やかな振袖のお嬢さんがお点前をしていました。過去の銀茶会では男性のお点前が多く武家茶道のイメージが強かったので、新鮮でした。ステージも華やか。④お菓子は清月堂本店の「希望のひかり」#銀茶会2022#遠州流茶道薄茶席#清月堂本店
前回の続き。🤗…前回何書いたっけ?😶調べてから書き始めろよ…。😒中秋の名月🌝の日と金刀比羅宮の縁日が重なりましたので、根性で毎月恒例の琴比羅神社参拝を強行してん。😭何故かその日、身体がやたらしんどく、まぁ毎日の事で慣れっこなんですが…。😞とにかく無事琴比羅神社に辿り着けるよう弥山に次いで信仰している阿武山頂上の貴船神社の高龗神闇龗神玉依姫神を念じながら向かいなんとか辿り着けましてん。🎉🎊以前は、今より阿武山に近い場所に住んでいたのですが、時々誰かに呼ばれたように?🙄取り憑かれたよう
3回目となる尾道某所での武家茶道上田宗箇流の月例会に参加しました。今夜のお濃茶のお茶菓子は、ある方のお祝いで、金粉が塗された紅白のお菓子が用意されていました。なかなか頂けないとても貴重なお菓子だそうです。月例会の後、そのお祝いの当事者の方に、その方のゲストルームにご招待していただきました。2階にはマニア垂涎のJBLのとあるスピーカーがあり、1階のガレージには、◯◯円を軽く超す1960年代製のアストンマーチ(いわゆる『ボンドカー』)を筆頭に、超高価なクラッシックカーが◯◯台も。
昨夜は、広島の武家茶道、上田宗箇流さんの定例お茶会に先月に引き続きお邪魔しました。これまでお茶会の日は遅くなるので、尾道市街地のホテルに宿泊していたのですが、この島生まれの日本画家平山郁夫さんのご実家と同じように、祖先の方が400年前からこの島に住まれ、60年前に私の叔父と遊んでいただいたある方が、昨夜からお茶会に参加されることになり、その方のラグジュアリーカーでお茶会の場所まで送迎していただきました。素人の私が言うのも何ですが、5月になったので茶釜から風炉に変わり、床の間の花入
満を持して、茶道を習おうかと思っている🍵せっかくなら武家茶道。先ずは見学に行ってみる。金沢でお茶屋に行くのを躊躇したのが一番のきっかけかな。茶会に参加したい🤩日本人ならお茶の飲み方の一つくらいマナーとして持っておくべきかと😊こうなりたいだけなのだが😁違う楽しみもあったり😚(笑)
先週土曜日から続いた5日間の旅が、今日のお昼でようやく終了しました。帰宅後、荷物の片付けや洗濯をしながら、これが3倍の15日間の国外の旅になったら、帰宅後の荷物の片付けや洗濯も3倍の労力が必要になるのかと、ほんの少しだけ心配になりました。昨夜は、尾道の名老舗旅館「西山別館」さんの茶室で、武家茶道、広島上田宗箇流の家元上田宗冏さんを正客としてお迎えする茶事に参加しました。亭主のお点前がとても素晴らしく、懐石料理もさすが「西山別館」さんでした。そして参加された客人の方々もどなたも尾
2021.11.10Wed月齢:5.23六日月、夕月遊ぶために組織する幻想をつり合わせながら平等という律動の音とともにコズミック・ダイアリーより↑http://cosmicdiary.jp*・゜゚・*:.。..。.:*・'*:.。..。.:*・゜11/10韓紅(かんくれない)燃えるような赤は誰もが焦がれる情熱の色『365日のにっぽんのいろ図鑑』より*・゜゚・*:.。..。.:*・'*:.。..。.:*・゜゚・*十一月種子の中に新しい命が芽生える月*
ごきげんようhanaですお茶用の扇子についてです女性用で長さ五寸約15cmです(一寸約3cm)男性用はもう少し大きいです6寸位です扇子の寸法の決まりも流派により様々ですが、だいたいこれが基準です🔷お茶会のとき、あー暑い!なんてお茶の扇子であおぐと叱られました冬でも水屋での裏方仕事は息つく暇もなく大変ですつい、あーあつい!と茶扇子でパタパタパタ…もちろん、隠れてです先生方に見つからないように?!ヒヤヒヤしながらです🔷お茶の扇子はいつ使うのか?基本はあい
8/25江戸紫(えどむらさき)江戸っ子のプライドが育んだ活気に満ちた青紫『365日のにっぽんのいろ図鑑』より*・゜゚・*:.。..。.:*・'*:.。..。.:*・゜゚・*武家茶道平点前柄杓を用いてのお稽古スタート茶花じゃのひげむくげ(祇園守り)花器赤楽面取りムクゲの花は短命朝咲いて夜には萎むしかし新たな花が次から次へと誕生していきます巡る様は儚くも逞しいあっぱれ撮影byおりは先生先生方みなさまありがとうございます✨
ごきげんようhanaです私の流派は石州流といい武家茶道のひとつです武家茶道というのは利休の弟子だった武将たちがそれぞれの家やその弟子に伝えた流儀を総称したものですだからみんなもとは利休流ですが、武将各自の趣味趣向、思考思想が反映された茶の湯となっていきます利休のひ孫たちからなる千家流とは区别して近世あえて武家茶道と表現するようになりましただから当時から武家茶道という言葉があったわけではありません当時は利休が教えていたのは武将が主で(他には有力商人も)武家の茶道は当た
ごきげんようhanaです先日土曜日、久しぶりにお茶会をしましたお客様はお一人の一客一亭秋田佐竹藩の石州流の方です私は江戸城内での石州流ですのでお互いに武家茶道石州流ならではの、アルアル話しや違いについてなど深いお話しもできてとても楽しい時間をすごしましたお菓子の準備です春らしいお菓子がカワイイです主菓子は六本木青野銘は「さくら」そのままですね🌸お干菓子も青野です金平糖も入ってます水の流れつくし、ちょうちょ春の景色です桜が主菓子とかぶるのでお干菓子は花びらだけ
奈良うちわ職人池田匡志さん(奈良市)柔らかな風、大和の涼運ぶ/奈良毎日新聞奈良時代に始まった歴史は江戸時代に途絶えたものの、約百六十余年前に二代目当主・栄三郎が復活させた。しかし、戦前に7、8店あった奈良うちわを取り扱う...「高松塚古墳壁画」修復完了後はじめて公開奈良・明日香村毎日放送奈良県明日香村では、カビなどで劣化が進んでいた国宝・高松塚古墳壁画の13年に及ぶ修復作業が終わり、修復後はじめての一般公開が7月18日に行われ...縄文の大集落を体感三内
ごきげんようhanaですこちらは奈良慈光院に残るニ畳台目の茶室重要文化財です*この写真は去年伺った時撮らせてもらったもので掲載許可いただいてますお点前する点前座とお客様との間に半分だけ壁が残り窓際に小さな棚があってそこに茶器などを飾ります奈良慈光院は私の学んだ流派石州流発祥のお寺片桐石州侯のお寺です奈良慈光院にのこる石州好みのニ畳台目の茶室台目の茶室はニ畳、三畳という小さなお部屋が普通ですとても侘びた雰囲気がいいですよねこんな茶室で一客一亭お茶
4月30日(木)癸卯七赤昨日のブログ、いいねが驚きの2つだったので長渕の話は延期して「夜船閑話」の話をします。「白隠禅師夜船閑話」高山峻著によると、白隠は十一歳の時御母堂様に連れられて昌源寺に詣でた際、日厳上人から地獄にかんする講義を聞かれたそうです。其の数日後入浴時突然泣き出し、御母堂様が驚いて訳を尋ねるとお風呂のお湯でもこれだけ熱いのに地獄の苦痛の大きさを思うと怖くて堪らない。と答えられたそうです。可愛いですね。それに対し御母堂様は、貴方は丑年丑月丑日生まれだから天神様との縁が深
15年前から数年間、大和郡山市の慈光院さんで茶道を習っていました。徳川幕府オフィシャル茶道である「石州流」でした。いわゆる武家茶道で、お作法は独特でした。加えて広大なお寺での本格的なお稽古で、雰囲気は最高でした。しかしなかなかお点前が覚えられず(;∀;)(;∀;)(;∀;)長時間の正座に耐えられなくなり、やめてしまいました😥😥😥😥😥しかし決して茶道が嫌いになったわけではなく、むしろ大好き😍💓💓はははは、お点前覚えられないくせに(^∀^)(^∀^)(
今日は、天神祭です。昨日から天神祭の準備をして、神拝後、今日も竜王神社、亀石神社に参拝後、同じく産土神社摂社の天神社に参拝してきました。昨日の亀山神社参拝時、突如母が、石で出来た亀の置物を持っていたことを思い出し、引出しを開けて調べてみたのですが、見当たりませんでした。多分引っ越しの際に無くしてしまったのだと諦めていたのですが、今日の神拝後、「必ずあるはず」と何方から言われた気がして、もう一度引出しを開けて見ると…あった…昨日あれだけ探してなかったのに…引出
何度も言いますが「誘いには乗って!!」もちろん誘ってくる人がイヤなら断ってもいい。そうでない場合なら、乗って!!新しい出会いや、新しい事なんて、実は日々あるのよ。それを知らずに断っているだけなんだよね。身に覚えない??読んでー!!気が乗らない知らない時間がない興味がないこのフレーズ禁句なんだ?それ?そんなんじゃ、出会いも枠も知識も教養も人生の楽しみも、広がらない。とりあえず行く乗る食べる体験する全て自分で見つけられる訳ない。誘いを断り続けると→誘われない、出
先週の出来事。部活に顔を出したら後輩2人しか来ておらず。こんな時だからこそと先生に促されるままに点前座に。立礼台での点前なんてもう何年もやってないw袱紗の捌き方、茶巾の捌き方を復習を兼ねて先生に見てもらい……礼をするときの角度、視線、手先、足捌き……道具の組み方、道具を持つ角度、茶筅を入れる角度…久しぶりすぎて緊張。みんなの視線を受ける緊張。武家茶道の持つ独特の、あの流れる水のような美しい所作なんて何処へ行ったっていうような、それはそれは不恰好すぎる点前でしたが。“久しぶりな
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