ブログ記事144件
御金神社1キロほどの武信稲荷神社へ向かいます武信稲荷神社【たけのぶいなりじんじゃ】武信稲荷神社は、平安時代の初期、清和天皇貞観元年(859年)、西三条大臣といわれた右大臣左近衛大将藤原良相(ふじわらのよしすけ)公によって創祀された御社であります。平安時代の古図には、三条から南の神社付近一帯の広い地域は「この地、藤原氏延命院の地なり」と記されています。延命院とは藤原右大臣が、人々の健康長寿を願って創設した医療施設であり、延命院と勧学院(現千本三条東、西ノ京勧学院町にあった学問所)の
龍馬とお龍は1864年に運命的な出会いをしました。お龍さんの銅像は霧島温泉郷方面の塩浸温泉に建てられています現在室内にある湯殿に浸かったのではなく、川湯に浸かった。写真上部のブロックの囲いあたりらしく、私が訪れた時は工事中でした。室内にある塩浸温泉内部龍馬とお龍が散歩した龍馬の散歩道寺田屋で怪我をした龍馬は薩摩の招きで日本初と言われる新婚旅行と療養で鹿児島を訪れました。禁門の変以来犬猿の仲だった薩摩が長州と手を結ぶための斡旋役だった龍馬は薩
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。京都府京都市中京区今新在家西町にある、武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)です。京都三条、貞観元年(859年)に創祀の神社です。御祭神には、宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)佐田彦大神(さだひこのおおかみ)大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)をお祀りされています。境内には樹齢850年の榎の御神木があり、健康長寿と縁結びの御利益が厚いとされています。この御神木の榎には坂本
今前に居ます年末から3日連続来る事になろうとは…そして気になるいなり汁とは薄い餅を炙り柔らかくなった餅を汁に投入と言うカス汁みたいなものでした美味しかったです一緒に振る舞い酒もいただきました食べたら六波羅蜜寺に向かいます
やってきました早速中へおでんと振る舞い酒をいただきました気になるいなり汁は明日になったとかでは、帰ります
さて、鐘撞きの帰り道に寄った武信稲荷神社今日も、振る舞い酒とかの無料接待があるとかそれと、謎のいなり汁が気になります開始が9時からだからあかんかもしれませんが向かうのみです
帰る途中に寄りました看板を確認接待でなにかされてる様です入ったら御神酒とおでんをいただきましたで、明日にいなり汁と言う謎の汁が無料接待されるとか気になるので明日(あ今日か)も来ます
武信稲荷神社⛩⛩⛩近くを通ったときに看板を見つけて寄ってみた武信稲荷神社昔話の一寸法師の舞台になった場所らしいです。。。そして、坂本龍馬ゆかりの地のようで、可愛いイラストの看板があったり、絵馬があったりしました御神木の木である大枝が折れて落下したのち、たくさんの人に見てもらえるよう、チェーンソーアートで、龍として蘇ったようです↓↓↓神々しい力をもらえるように、春とパチリ📷✨ちょうど、御朱印帳がいっぱいになり、こちらで購入しました三色あって、赤をチョイスしました御朱印もいただ
武信稲荷神社
今年は辰年ですがね。龍にちなんだ社寺をあちこち行ってみました。山科疎水の本圀寺九頭竜銭洗弁財天の金の龍からリレーです実は中京区にある武信稲荷神社も実はある意味で龍にちなんだ神社だと思いますよ。場所はちょっとわかりにくいかも....千本三条から三条商店街をちょこっと歩いて小さな通りを右に下がった所小さな神社ですから通り過ぎてしまいそうです武信稲荷神社は平安時代初期藤良相によって創祀された神社です藤原良相が一族の名付けを
京都三条商店街から直ぐの武信稲荷神社🐺ふくよかな立派な力強いお稲荷さんがとても心強い感じでした🐺🐺🌿一寸法師竜馬とおりょうさんそして、龍が居る神社でした。京都らしい歴史を肌で感じられました。それぞれの歴史の舞台に実際に立ってみると、まるでタイムスリップした感じで、時空の感覚にはまってしまい、不思議でした😊もちろん、立派なお稲荷さんたちも勢揃いで、それぞれ立派なお社で迎えてくれます😊入り口の重厚な雰囲気から、境内に足を踏み入れると、清々しい空気感と人間と寄り添って、生活を暖かく
節分昨夜は東北東に向かって恵方巻き食べました🙏カルディで見つけたかわいい鬼まめさん♩三条商店街のそばにある武信稲荷神社へ。2月3日は節分祭、2月12日は初午祭が行われます。初午祭・節分祭には豊臣秀吉公が出兵の際に持参したと伝わる必勝の守護札【勝駒】と【福駒】が授与されます私は福駒を無事頂くことができました凄くパワーがあって、縁起が良さそうです!!健康で穏やかな毎日を過ごせますように‥必勝・命名・名付けの神武信稲荷神社必勝・命名・名付けの神武信稲荷神社t
ちょっと寄り道ですが武信稲荷神社を通過しましたここには、坂本龍馬とおりょうの逸話があるそうですそして、昔話の一寸法師の物語の舞台になった場所で一寸法師ゆかりの地でもあるでは、移動します
さてさて………………我々は、【武信稲荷神社】より南下して進むと次の目的地に到着した………到着したのは……………【六角獄舎(ろっかくごくしゃ)跡】京都府京都市中京区六角通神泉苑西入南側因幡町平安時代に建設された左獄・右獄を前身とする京都の牢獄。正式名は『三条新地牢屋敷』。移転を繰り返して、永宝5年(1708年)の京都大火以降に、現在地に移転されてからは【六角獄舎】または【六角獄】【六角牢】などと呼ばれるようになった。【殉難勤王志士忠霊塔】幕末の混乱の中、井伊直弼の「安政の大獄」によ
さてさて……………【武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)】京都府京都市中京区三条通大宮西入る【武信稲荷神社のエノキ】貞観元年(859年)に創祀されて以来、千百年を経て現在に至る。その長い間にはさまざまな逸話が伝わっている。そのうちのひとつが、江戸時代末期の坂本龍馬とおりょうの逸話だ。『開運ラッキードラゴン⑤』【武信稲荷神社】の南には江戸時代、幕府直轄の【六角獄舎】という牢獄があり、幕末には勤王の志士が多数収容されていたその中に坂本龍馬の妻おりょうの父である楢崎将作(ならさきしょ
さてさて……………『三条商店街』にある案内看板次の目的地までは、あと50mだ満腹の我々が次に到着したのは…………【武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)】京都府京都市中京区三条通大宮西入るこちらは、ココロも初参拝となるある意味、ココロ一番楽しみにしていた場所かも知れない貞観元年(859年)2月、藤原良相によって創建された。当時、境内北側一帯には藤原氏の学問所である『勧学院』と西側一帯に療養施設である『延命院』があり、神社はその守護社として祀られた後に、時代が下がると藤原武信と
武信稲荷神社にいきました。三条商店街の近くです。近くに稲荷湯という銭湯があります。本殿左手にある木の彫刻は、チェインソウで製作したとか。一寸法師が使えた主人と武信稲荷神社は縁があるとの看板がありました。
近所に辰年の神社発見(☆∀☆)#武信稲荷神社⛩️#からくりおみくじ#木彫りの龍
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。冬季休暇6日目。初夢は、永野芽郁ちゃんとカウンターで焼肉を食べている幸せな初夢😀元日は御節。板前魂で注文。冷凍で昨日届いたので冷暗所で保存。これだけの種類。御節ノンアルコールビール。爆笑ヒットパレードで応募。初詣。武信稲見神社⛩️お雑煮と日本酒を振る舞われていた為無料でいただく。寒い中、ありがとうございます。御朱印。おみくじは中吉。龍年で龍🐉自宅に戻ると永ちゃんから年賀状が届く。夕方、かなり長
全部の月曜日京都武信稲荷神社へ行きました。エノキの木の一部が祀られています参拝者は私ひとりだったので落ち着くことが出来ました。御朱印の字が大きくてパワーをいただきました。https://takenobuinari.jp/必勝・命名・名付けの神武信稲荷神社必勝・命名・名付けの神武信稲荷神社takenobuinari.jp
こんばんはぴよぴよ侍です今回は、いつもお世話になっている武信稲荷神社について書いていこうと思います武信稲荷神社は、平安時代初期の859年に藤原良相(ふじわらのよしすけ)公によって創祀された神社です元々は延命院という医療施設と、勧学院という教育施設の守護神として祀られていた神社ですまた、藤原良相公より後の時代、藤原武信という方がとても熱心に崇敬されておられたことから『武信稲荷神社』と呼ばれるようになったのですまた、藤原良相公が藤原家の長として一族の名付けをされていたことから『名付け・命名
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介する神社は京都市中京区今新在家西町の武信稲荷神社です。御祭神は宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神。貞観元年(859年)、西三条大臣といわれた右大臣左近衛大将藤原良相によって創建されました。前回投稿した記事で紹介した六孫王神社の後にお参りしております。嵯峨野線(山陰本線)の二条駅の南東に鎮座しており、境内には坂本龍馬とおりょうに縁のある榎の木があります。六孫王神社をお参りした後、東寺東門前バス停より京都市営バスに乗車します。東寺東門
三条会商店街アーケードから南に少し下ったところに武信稲荷神社があります。千百年以上の歴史がある古社で右大臣藤原良相公が創設した医療施設と学問所の守護神として祀られたのがはじまりとか。古い神社の狛狐さんは細いから繊細なんでしょうね、金網に入ってるコが多い気がします。参道でどうみても巫女コスプレの女の子2人を本職の巫女さんが撮影していて不思議でしたがこれは巫女体験(7000円)で所作や作法を教えてくれて境内で撮影OKなのだとか。年齢不問だそうですよ。八坂神社で神職
『空海さんと弁財天、善女龍王』京都市中京区"神泉苑"に行ってまいりました京都市営地下鉄"二条城前"からだとすぐ神泉苑となります。↓桓武天皇が長岡京から、平安京(794年)に都を遷したのとほ…ameblo.jp神泉苑からの続きです武信稲荷さん稲荷感はまぁまぁありますがお稲荷さんがちょっと苦手、、、という方もこちらは大丈夫じゃないかしら❔(あくまでも私の感覚です)主祭神は宇迦之御魂神(倉稲魂命)武信稲荷神社は、平安時代の初期、清和天皇貞観元年(859年)、西三条大臣といわれた右
今回は武信稲荷神社の総集編です御朱印お守り裏側住所・京都市中京区今新在家西町38旧社格村社御祭神宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神HP武信稲荷神社必勝・命名・名付けの神武信稲荷神社必勝・命名・名付けの神武信稲荷神社takenobuinari.jp歴史など貞観元(859)年、藤原良相(よしすけ)により創建平安時代、良相が人々の健康長寿を願って創設した医療施設・延命院と勧学院(学問所)の守護神としてお祀りした神社後世、藤原武信という人物が、こちらの神社を厚く
朝ホテルを出たら雪が降ってるしかも結構しっかりとこんなの聞いてない😺即座に雨雲レーダー拝見するも微妙な感じ意を決して突破数分で晴れてきた😺武信稲荷神社平重盛が厳島神社から苗木を移したとの伝承の榎木流石に樹齢900年弱は盛ってる気がするけど百年単位で古い樹なのは確実な気はする御朱印有青空なので予定通り嵐山へ嵐電面白い1両編成で路面電車ではないけど思いっきり市電な感じ荒川都電に似てるなあぁと思ってたら一般道路へやっぱり市電だった😺車中から外を見ると雪が降ったり晴れたり
今年の節分は、どこに行こうかと迷って。『壬生寺の狂言』が有名と聞くので(正しくは壬生大念仏狂言)一度は行っておこうと行ってみました!けどもうね……………防寒のアドバイスを貰ってた通り想像以上に寒くて寒くて寒くてですね。寒すぎてまずびっくりしたし終わって見た感想が寒かったに尽きると言う面白かったんですけど、あれで酷い風邪引いた人とか絶対いるよ…もう来年はいいかな、ってなりました笑笑そこから近かったので、武信稲荷さんへ。他のところと違ってとても厳かでした。鬼とか出てくる