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「中国の歴史書の登場した倭(わ)」で、誤文を選択しましたが、ここで正誤判定問題の選択肢(せんたくし)を作る出題者になってみよう出題者は間違いなく正文があって、何かをかえて誤文を作っています。「中国の歴史書の登場した倭(わ)」の誤文は、「ウ倭の奴国の王が、隋に使いを送り、皇帝から金印を授られた。」でした。ですから隋の用語を正しいものにかえると、「ウ倭の奴国の王が、後漢に使いを送り、皇帝から金印を授られた。」です。鉄則誤文と判定した文章は必ず正文にしてみよ
正誤判定問題には、「‥‥について誤っているものを、次の中から一つ選び、記号で答えなさい。」という出し方と、「‥‥について正しいものを、次の中から一つ選び、記号で答えなさい。」という出し方があります。どちらが難しいふつうは、四つの説明文から一つ選ぶので、四択(よんたく、四者択一のこと)の問題と言っています。鉄則誤文判定より、正文判定が難しい人は、これが正しいと言い切れることはあまりありません。よく言い切る人はいますが、そういう人は偉そう
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究194(問97)」で確認してください。問97正解は➌。➌「『春色梅児誉美』などの作者為永春水を処罰して」の部分が誤り。人情本作家為永春水が処罰されたのは、天保の改革の時である。整理近世小説の系譜早慶大受験・正誤判定新研究の記事は、ここでまとめて読むことができます。https://ameblo.jp/nojimagurasan/theme-10096090024.html問1~問90については、目次もあります。
問97標準レベル松平定信が推進した政治について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊諸国の代官を通じて豪農層に公金を貸付け、その利子収入で、耕地の復旧や農村人口の増加のための政策を実施した。➋無宿人などを強制収容し、社会復帰のための職業指導をおこなう施設を、隅田川河口の石川島に設置した。➌『仕懸文庫』などの作者山東京伝や『春色梅児誉美』などの作者為永春水を処罰して風俗統制を強化した。➍湯島の聖堂学問所に対して、朱子学以外の儒学のことをさす「異学」の講
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究192(問96)」で確認してください。問96正解は➋。➋「長崎」の部分が誤り。正文は、次のようになる。通信使一行は、大坂に残留した船団関係者(100名程度、船体の補修作業などにあたった)を除いて、漢城出発後、基本的には釜山から対馬を経て大坂に至る海路と、大坂から江戸までの陸路を半年ほどかけて往復した。ただし、本問はこうしたことを知っておかなければならないという問題ではない。いわゆる「鎖国」体制下における長崎のもつ性格との関連で、こ
問96標準レベル江戸時代に来日した通信使(朝鮮使節)について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊日朝両国の善隣友好を掲げた通信使は、国書をたずさえた正使と副使に加え、画員・医員・訳官・楽士などをともなって毎回数百名規模の人員で構成された。➋通信使の一行は、長崎に残留した船団関係者を除いて、朝鮮の都である漢城出発後、基本的には釜山から対馬を経て長崎に至る海路と、長崎から江戸までの陸路をおよそ半年ほどかけて往復した。➌通信使は、国家の賓客として丁重にあつか
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究190(問95)」で確認してください。問95正解は➌。➌「米中接近が現実化し、米大統領の北京訪問計画が発表された」のは1971年。関連する記事に次のものがある。ムービー23日中国交正常化と日本列島改造論➊「日韓基本条約」が結ばれたのは、1965年。➋「屋良朝苗」の当選は、1968年。「早慶大受験・正誤判定新研究」でも何度もとりあげてきた人物で、頻出。➍ロッキード事件の発覚は、1976年。この記事を読んでおき
問95標準レベル1971年に起こった出来事について述べた文として正しいものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊米日韓3国の協調を強く求めるアメリカの意向もはたらいて成立した日韓基本条約で、1910年以前の諸条約の失効が確認され、日本と韓国の外交関係が正式に樹立された。➋沖縄では、祖国復帰運動が本格化する中で、琉球政府の主席公選に野党統一候補として屋良朝苗が出馬し、当選を果たした。➌対米関係を改善したい中華人民共和国と対中関係を重視し始めたアメリカの意向を背景に米中接近が現実化し、
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究188(問94)」で確認してください。問94正解は➍。➍「OECD」(経済協力開発機構)の部分が誤り。この文章は、IMF(国際通貨基金)の説明になっている。ブレトン=ウッズ体制については、すでにあちこちでとりあげてきたが、次の記事で基本事項の確認ができる。ムービー15高度経済成長の始まり早慶大受験・正誤判定新研究の記事は、ここでまとめて読むことができます。https://ameblo.jp/nojimagurasa
問94標準レベルブレトン=ウッズ体制について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊第二次世界大戦の末期、アメリカのニューハンプシャー州にある都市ブレトン=ウッズに参集した連合国は、自由貿易を理念とする開放的な国際経済秩序の形成を目指して連合国通貨金融会議を開催した。➋連合国通貨金融会議での合意にもとづいて各種の国際機関などが成立し、アメリカの主導で戦後の西側資本主義陣営の経済を支えていくシステムが通貨・金融・貿易の3側面から形成された。➌ブレトン=ウッズ
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究186(問93)」で確認してください。問93正解は➋。「日本で「『狂乱物価』と呼ばれるパニックが発生した」のは、1974年のこと。➋の「列島改造」政策とは、太平洋ベルト地帯に集中した諸産業を地方都市に分散し、それらを交通網(新幹線・高速道路)でネットワークするという構想で、1972年に田中角栄が打ちだした。この日本列島改造論に刺激されて生じた土地投機がインフレの一因になるなかで、日本は第1次石油危機に遭遇することになる。この機会に、次
問93標準レベル第1次石油危機は世界経済を激しく混乱させ、日本でも「狂乱物価」と呼ばれるパニックが発生した。このパニックを直接的に助長した出来事について述べた文章として正しいものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊経済の回復・成長にともない、欧米諸国、とりわけアメリカから貿易を自由化するよう強く求められる中で、日本の輸入自由化率が90%を突破していた。➋太平洋ベルト地帯に集中した諸産業を地方都市に分散し、それらを新幹線・高速道路による高速交通ネットワークで結ぼうという列島改造政策が
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究184(問92)」で確認してください。問92正解は➌。➌「日本労働組合総連合会傘下の労働組合」の部分が誤り。高度経済成長期に春闘を主導したのは総評(日本労働組合総評議会)。日本労働組合総連合会(新「連合」)は1989年に発足した。総評や春闘については、ここで少し詳しめに解説した。早慶大受験・正誤判定新研究91(問48を考える)問題を含めて、再確認しておきたい。さまざまな角度からの出題が予想される。『イチ
問92標準レベル高度経済成長を支えた諸条件について述べた文章として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊日本では国民が貯蓄につとめる傾向が比較的強かったため、それは政府・民間の有力資金になった。特に郵便貯金など国家の信用で集められた公的な財政資金は社会資本の充実や景気調整の手段などに活用され、「第二の予算」と呼称された。➋第二次世界大戦後、中東で続々と油田が開発され、国際的な原油価格が大幅に低下した。このため、全国の炭鉱で閉山・人員整理の嵐が吹きすさぶ中で、日本の主力エネ
皆さん、新年おめでとうございます。2020年になりました。少しずつ蓄積されてきたものなので、眺めやすいわけではないのですが、年初にあたり、このブログでどんな実戦演習ができるかをごく簡単にまとめておきます。テーマ東大教室https://ameblo.jp/nojimagurasan/theme-10097040101.htmlここには、今のところ、東大日本史本試の過去問12題と「ブログ上公開演習」と題した東大型予想問題15題が掲載されています。全て解答解説付
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究182(問91)」で確認してください。問91正解は➊。➊「物部麁鹿火(あらかひ)」の部分が誤り。「近江毛野(おうみのけぬ)」が正しい。527年、ヤマト政権は、百済の要請をうけて近江毛野率いる6万の遠征軍を組織し、朝鮮半島に向かわせようとした。途上、北九州の有力豪族筑紫君(国造)磐井にも遠征軍への協力を要請したが、磐井はこれを拒否して遠征軍の渡海を妨害する行動をとった。この反乱(磐井の乱)を鎮圧したのが、新たに派遣された物部麁鹿
問91標準レベル527年に発生した乱について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊527年、ヤマト政権は、百済の要請を受けて物部麁鹿火を中心に組織された大規模な遠征軍を朝鮮半島に向かわせようとしていた。➋527年、ヤマト政権は、北九州の有力豪族筑紫国造磐井に遠征軍への協力を要請したが、磐井はこれを拒否して遠征軍の渡海を妨害する行動をとった。➌ヤマト政権に反逆した筑紫国造磐井は、密かに新羅と結び、遠征軍の渡海を妨害する見返りに賄賂をうけとっていたとされる。
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究179(問90)」で確認してください。問90正解は➍。➍「現在の仙台平野に位置」し、「軍事拠点であると同時に行政府的性格を強くもつ施設」とは、724年(8世紀前半)、聖武天皇の時に設けられ、鎮守府・国府として機能した多賀城をさす。古代における東北経営の展開過程は、入試頻出分野の1つ。次の問題を参考にして、基本的な推移を再確認しておきたい。200字論述新研究2(問題1・2)問題1(200字以内)古代律令国家は、蝦夷地域への支配
問90標準レベル7世紀後半の政治の様子について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊九州に防人や烽がおかれ、大宰府では水城や大野城・基肄城など古代朝鮮式山城が築造された。➋中大兄皇子は、防備体制強化の一環として畿外の地にあたる近江大津宮に遷都し、同地で称制に終止符を打って即位した。➌甲子の宣により氏上を定めて豪族の領有民を確認するなど、非常時という国際情勢を利用して国政改革が実行された。➍現在の仙台平野に位置する一画に、北方におけ
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究177(問89)」で確認してください。問89正解は➋。➋設問にある「壬申の乱に勝利した人物(大海人皇子=天武天皇)が造営を開始し、684年に完成した都」は藤原京。この都の設計・建設が進められた時期は遣唐使の派遣が中断していた時期(669~701)に重なり、日本は現実の中国の姿を直接学ぶことができなかった。京の設計プランは中国の古典の記述に学んだと考えられ、このため藤原京は、宮城(大内裏)が都城の中央に位置するなど、当時の唐の長安城とは
問89標準レベル壬申の乱に勝利した人物が造営を開始し、684年に完成した都について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊この都には広大な京域が設定され、直線道路が碁盤目状に東西・南北に走る条坊制が敷かれた。➋この都は京域がほぼ正方形に区画され、宮城が京の北端中央に位置する構造をもっていた。➌この都の条坊道路は、中ツ道・下ツ道などすでに敷設されていた主要幹線道路をとりこむかたちで造成された。➍この都の設計・建設が進められた時期は、ち
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究175(問88)」で確認してください。問88正解は➌。➌670年に作成された庚午年籍には、全国の諸豪族の私有民である部曲などが登録されたと考えられている。これによって、朝廷は軍事力の動員や税の徴収が実行しやすくなったが、一方で、中央の介入を好まない地方豪族たちは不満を高めていった。さらに壬申の乱を経て、690年には持統天皇のもとで飛鳥浄御原令に基づく庚寅年籍が作成され、以後、全国的な班田が始まった。なお、上記の造籍過程については、次
問88標準レベル7世紀後半における造籍過程について述べた文として正しいものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊670年に最初の全国的戸籍である庚寅年籍が作成され、さらに690年には、持統天皇のもとで飛鳥浄御原令に基づく庚午年籍が作成された。➋670年に最初の全国的戸籍である庚午年籍が作成され、さらに690年には、天武天皇のもとで飛鳥浄御原令に基づく庚寅年籍が作成された。➌670年に最初の全国的戸籍である庚午年籍が作成され、さらに690年には、持統天皇のもとで飛鳥浄
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究173(問87)」で確認してください。問87正解は➌。➌「公家法や本所法がおよぶ土地については、御成敗式目などの武家法の適用を禁止する措置がしばしばとられた」の部分が誤り。御成敗式目の成立後、武家の成長にともなって、公家法や本所法の及ぶ土地においても公平さを重んじる武家法の影響が強まり、その適用範囲は拡大していった。御成敗式目は、中世史を理解するのに欠かせない法なので、このブログでも、いくつもの角度から、何度もとりあげてきた。と
問87標準レベル1232年に制定された御成敗式目(貞永式目)について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊御成敗式目は、源頼朝以来の先例や「道理」と呼ばれた武士社会における慣習・道徳を成文化したもので、合議に役立つ指針や公平な裁判をおこなう基準を示すために編纂された。➋北条泰時は、六波羅探題として在京中の弟の重時に宛てた書簡のなかで、御成敗式目について、「この式目は……武家の人へのはからひのためばかりに候。これによりて、京都の御沙汰、律令のおきて
問86標準レベル鎌倉幕府が設置した問注所について述べた文として正しいものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊問注所の長官のことを執事といい、初代執事に就任した公家出身の三善康信は、源頼朝の死後、有力御家人らを中心とする13人の合議制にも参加した。➋問注所の長官のことを別当といい、初代別当に就任した公家出身の三善康信は、源頼朝の死後には有力御家人らの集団指導体制から排斥された。➌問注所の長官のことを執事といい、初代執事に就任した公家出身の大江広元は、源頼朝の死後、有力御家人らを中心
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究169(問85)」で確認してください。問85正解は➌。➌「熊沢蕃山」(陽明学者)の部分が誤り。『聖教要録』や『中朝事実』は、古学派の祖とされる山鹿素行が著した。ここでは、陽明学と古学について、簡単な解説を加えておく。陽明学明の王陽明が創始し、中江藤樹(日本陽明学の祖)やその門人熊沢蕃山らによって受容された儒学。陽明学は、その中心思想である「知行合一(ちこうごういつ)」(認識と実践は不可分)の主張にみられるように、現実を批
問85標準レベル江戸時代の儒学について述べた文として誤っているものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊第5代将軍徳川綱吉は、上野忍ケ岡の林家の私塾と孔子廟を湯島に移して学問所として整備し、林羅山の孫信篤(鳳岡)を大学頭に任命して、この学問所を主宰させた。➋日本陽明学の祖とされる中江藤樹らによって受容された陽明学は、その中心思想である「知行合一」の主張にみられるように、現実を批判して矛盾を改めようとする革新性をもっていた。➌『聖教要録』を著して朱子学を批判した熊沢蕃
*問題は、「早慶大受験・正誤判定新研究167(問84)」で確認してください。問84正解は➊。➊享保の改革に実行された上げ米の説明。上げ米制については、この記事を必ず再読しておきたい。新・教科書の研究18(享保の改革)➋(南鐐二朱銀の鋳造・発行)、➌(株仲間の大量認可)は、いずれも田沼政治の時代に実行された政策。また、➍(印旛沼掘割工事)は天保の改革の際に立案された政策についての説明なお、南鐐二朱銀については早慶大受験・正誤判定新研究130(問66を考える)
問84標準レベル享保の改革について述べた文として正しいものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊緊急の財政対策として、全国の諸大名に米穀を上納させる政策が実行され、この政策の実施期間中は、参勤交代の在府期間を半減する措置がとられた。➋使用法や流通地域の点で性格の異なる貨幣が流通している状態の一元化を意図して、金貨の単位で通用価値が表示された良質な計数銀貨が鋳造された。➌支配者に公認された一種のカルテルと形容してよい性格をもち、市場における利益独占を確実に進行させてい