我々の自己の底には欲求というものが考えられるが、欲求というものは我々の意識の内から起こるのではない。我々が物の世界に於てあるということから起こるのである、我々が身体を有つということから起こるのである。而して欲求の対象として考えられるものは、単にいわゆる物というものではない。それは表現的なものでなければならない。我々人間が単に生物学的と考えられるならばとにかく、然らざるかぎり我々の欲求というものは社会的・歴史的でなければならない。而して我々は行為によって欲求を満足するということも、何らかの意味にお