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応神天皇と神の名前の交換のエピソードは、漢皇子+藤原氏(有熊氏)による壬申クーデター後、創作されたエピソードだと感じました。名前の交換の翌日大量のイルカ(入鹿)の鼻に傷がついていた?とされますが、これは中東のテロリストの手口と少し似ています。石像や遺跡を破壊する行為は、テロ組織が自らの教義に基づき「偶像崇拝の禁止」を掲げて行うことが一般的です。歴史的に有名な事例には以下のものがあります。過激派組織「イスラム国」(IS)による破壊:モスル博物館(イラク):2015年に、男たちが
次に注目したいのは奈良盆地とその周辺にある古墳群の分布です。古墳は、三輪山を中心とするエリア(奈良県桜井市)、佐紀を中心とするエリア(同奈良市)、さらには河内国の古市(大阪府羽曳野市)・百舌鳥(同堺市)を中心とするエリアと、三つの地区にわかれて分布し、それぞれ群をなしています。三輪古墳群、佐紀古墳群、古市・百舌鳥古墳群です。このうち、「伝仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」を含めた巨大古墳群を擁する古市・百舌鳥古墳群は世界遺産に登録されています。古墳の築造年代から「三輪→佐
明治憲法に「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」とあります。その「万世一系」を辞典で調べると、「天子の血統が永遠にわたって、かわらず続くこと」(『日本国語大辞典』)とでてきます。しかし、宮内庁の「天皇系図」が示す初代神武天皇から今上陛下までが「万世一系」だったのかというと、もちろん疑問符がつきます。辞典でも神武天皇についてはあくまで「記紀系譜上の第1代天皇」(『日本史小辞典』)だとし、そこには『古事記』『日本書紀』に登場する伝説上の天皇だという意味を含んでいます。
【代ごとに宮が変るのはなぜか?】記紀の天皇に関する記事を読むと、代が変わるごとに宮が変っている。不思議に感じて研究者に質問したことがあるが、天皇が住む場所と皇子が育つ場所が違うからだろう、という説明を受けた記憶がある。説明した人はそのことに納得しているのだろうかと思った。皇子は乳母に育てられているからとはよく言われることだ。ずいぶん遠くに住む乳母に預ける場合もあるようだ。神武天皇の時代の支配領域ははっきりしていない。神武から決し八代と呼ばれる天皇のいた宮の場所は以下のようであ
【古事記(神武記以降)における勢力争い】〈神武東征、欠史八代〉神沼河耳命による庶兄當藝志美美命殺害、葛城高岡宮で即位(綏靖天皇)→安寧天皇(師木津日子玉手見命、北葛城・片塩浮穴宮)→懿徳天皇(大倭日子鉏友命、高市郡軽境岡宮)→孝昭天皇(御眞津日子訶惠志泥命、葛城掖上宮)→考安天皇(大倭帶日子國押人命、葛城室之秋津嶋宮)→孝霊天皇(大倭根子日子賦斗邇命、磯城郡黑田廬戸宮)→孝元天皇(大倭根子日子國玖琉命、高市郡輕之堺原宮)→開化天皇(若倭根子日子大毘毘命、奈良市春日之伊邪河宮)
【神武東征】【欠史八代】●神沼河耳命による庶兄當藝志美美命殺害、葛城高岡宮で即位(綏靖天皇)→安寧天皇(師木津日子玉手見命、北葛城・片塩浮穴宮)→懿徳天皇(大倭日子鉏友命、高市郡軽境岡宮)→孝昭天皇(御眞津日子訶惠志泥命、葛城掖上宮)→考安天皇(大倭帶日子國押人命、葛城室之秋津嶋宮)→孝霊天皇(大倭根子日子賦斗邇命、磯城郡黑田廬戸宮)→孝元天皇(大倭根子日子國玖琉命、高市郡輕之堺原宮)→開化天皇(若倭根子日子大毘毘命、奈良市春日之伊邪河宮)【崇神から応神】〈崇神天皇
2025-10-18神道橋渡ってどんどん歩きます橿原万葉ホールトコトコ〜線路の下を歩きます工事中かと思いきや⋯遺跡発掘調査中奈良県あるあるっぽくていいね立派なエントランスです入りまーす綏靖(すいぜい)天皇陵地図の説明によると第2代天皇神武天皇の第3皇子欠史八代の1人場所的には、お父さんの神武天皇陵のすぐ近くなんだよね〜上下、どちらかの建物、もしくはどちらもが、宮内庁書陵部すぐ近くに神武天皇量地図の説明では初代天皇この人が八咫烏に導かれんだぁそれで、吉
★第八代孝元(こうげん)天皇は古代の国作りの時代の天皇です。御父は孝霊(こうれい)天皇、御母は細媛命(ほそひめのみこと)。御名は、大倭根子日子國玖琉命。(おおやまとひこくにくるのみこと)孝霊三十六年に十九歳で皇太子になり、七十六年に孝霊天皇が崩御され孝元天皇となりました。孝元四年の春には都を軽に移しています。(境原宮)孝元天皇は欠史八代(第二代から第九代までの天皇を非実在とする説)のうちの天皇として実在が疑われてきましたが、昭和四十三年発見の埼玉稲荷山古墳出土鉄剣銘に「意富比危
第四代懿徳(いとく)天皇は古代の天皇です。御父は安寧天皇、御母は事代主の孫の淳名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)。御名は大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと)。在位、紀元前五百十年から紀元前四七六年。「古事記」「日本書紀」ともに記述が少ない天皇ですが、御名にある「すき」とは農具を意味するので、農業に関わりの深い天皇だったのかもしれません。都を軽の地に遷していますが、古代には知られている土地で第八代の孝元天皇もこの地を都にしています。現在の奈良県橿原市大軽町付近です。四
古代史研究:神武天皇と卑弥呼の時代/籠神社の海部氏勘注系図を元に考察する2025年8月19日お盆休みの間、古代史研究として古い小さな神社への参拝と、以下の動画を見ていました。古代史においては様々な説がありますが、こちらも大変興味深い内容でした。海部氏系図は、京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家、海部氏に伝わる系図であり、「籠名神社祝部氏係図」1巻(以後「本系図」と称す)と「籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記」1巻(以後「勘注系図」と称す)とからなる。ともに古代の氏族制度や祭祀制
(旧)水無月二十九日ここに来れば孝霊神社に寄ってゆく蝉が今だとシャカシャカと鳴く雲端近鉄田原本線黒田駅とこの日の目的地の中間点に欠史八代の一人第7代孝霊天皇を祀る孝霊神社がある。扁額は別名の廬戸(いおと)神社拝殿に参拝する。ここも1年ぶりの訪問だ。実在が疑われる天皇ではあるが桃太郎のモデルとされる吉備津彦や卑弥呼の墓とされる桜井市の箸墓古墳の主倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の父である。
前回に続き、阿礼が「大和王朝万世一系」の系譜を編年するために必要なダミーの天皇11人をどんな方法で選抜したのか、という生野先生の考察です。どんどん説明がややこしくなるので、いったん整理をすると・・・1)阿礼は、まず「神武天皇と同じ頃亡くなったヤマト王家の人達」11人を選び、その人達を「ダミーの天皇」として二代綏靖天皇と十四代仲哀天皇の間に「父子継承」の形で挿入。2)十二代景行天皇と十三代成務天皇父子が遷都もせずに滋賀の「高穴穂宮」で天下を治めたという不審な記述によって「ダミーの天皇」の
琴弾原白鳥陵に向かう道のすぐ側に、6代孝安天皇(こうあんてんのう)陵があった。孝安天皇は欠史八代(歴代天皇の中で系譜のみ残っており功績が残っていない8人の天皇)の1人。その為、思い入れはないのだけれど、あまりにも近くだったので寄ることにした。満願寺の参道だそうな。満願寺。満願寺の先に、鳥居あり。孝安天皇社奈良県御所市玉手675さて、古墳はどこかな。あっ、見えてきた!って感じのルートを私は辿ったわけだけど、本来
第二代綏靖(すいぜい)天皇は初代天皇の第三皇子です。和風諡号では、神淳名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらぎのみこと)御父は初代神武天皇。御母は正妃の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)皇后、大物主神(三輪明神)の娘です。大物主神は大国主神の別神・和魂ともいいますから、素戔嗚尊の子孫にもあたります。綏靖天皇は天津神系と国津神系が一つになった結びの天皇です。ご祭神|大神神社(おおみわじんじゃ)ご祭神、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は国造りの神様として、農業、工業、商
「神武天皇の即位年はなぜ紀元前660年なのか?」初代神武天皇は東征を成し遂げて、奈良県の橿原宮で即位されました。日本古代史を考えるうえで、これはかなり重要な問題だと思うのですが、従来あまり熱心に研究されてきたとは思えません。現在もっとも有力とされているのは、辛酉革命説という一蔀(いちぼう=1260年と想定)ごとに大きな革命が起きるという讖緯説(古代中国の予言)に基づき、推古天皇9年(601年)から1260年さかのぼった辛酉年(紀元前660年)を初代神武天皇の即位年としたとい
京丹後市立古代の里資料館に車を置いて、徒歩で竹野神社へ神明山古墳も竹野神社の境内を通って行きます竹野(たかの)神社◎創建丹波大縣主・由碁理の娘、第9代・開化天皇の妃・竹野媛(丹波竹野媛)が晩年、帰郷して天照大神を祀った※開化天皇は欠史八代。所在地…京丹後市丹後町宮斎宮(いつきのみや)地元ではいつきさんと呼ばれている。現在の宮司は59代目。説明板◎由碁理・丹波国大縣主。・海部氏勘注系図によると由碁理は海部氏七世孫。・別名は建諸隅、竹野別。
神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の末裔から上八万につなげてみた。神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の後裔に、雀部朝臣がいる。さざき部の朝臣の祖とされるのが星川建彦です。星川建彦「ことばんく」によると、星川建彦(ほしかわの-たけひこ)古代伝承上の豪族。武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫。「新撰姓氏録」によれば,応神天皇のとき皇太子大鷦鷯(おおさざきの)尊(のちの仁徳天皇)にかわって御膳をつかさどり,大雀臣(おおさざきのおみ)の氏姓をあたえられた。
欠史八代ともいわれる、第二代から九代までの天皇。その第二代天皇かむぬなかわみみのみことですが、名前の漢字は二種類あります。日本書紀:神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)古事記:神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)ここでは、古事記の表記を使わせていただきます。その第二代綏靖天皇(神沼河耳命・カムヌナカワミミノミコト)には三人の兄がいました。ひとりは、長男の手研耳命(タギシミミノミコト)母は吾平津媛(アヒラツヒメ)、父は初代神武
※25/5/14写真追加及び加筆決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)こんにちわ、前回に続けて、考察をつらつらと書きます。おそらく、ひとまずこの章は最後だと思います。伊予国宇摩郡の式外古社で、神武天皇の息子兄弟である、神八井耳尊(カムヤイミミノミコト)と、神沼河耳尊(カムヌナカワミミノミコト/第二代綏靖天皇)をお祀りする井川神社があり、こちらのご由緒書きに
前回、徳島市の上八万が、”榧ヶ大岐”だったと、ほぼ思い込んでしまいそうな考察を進めましたが、その大岐のある上八万町を深掘ってみるとまだ続きがありました。この上八万の大岐(現在の大木)、吉野川河口付近の粟国の南方に接する長国の一部でした。その長国の最も北その場所だけではなく、その周辺、とても重要な形跡がありました。樋口(ツイグチ)遺跡①樋口遺跡とは上八万の園瀬川南岸にある弥生時代終末期の遺跡(つまり邪馬台国の時代)です。樋口と書いて(ツイグチ)遺跡と
神八井耳命(カムヤイミミ)、神奴名川耳尊(カンヌナカワミミ)兄弟の御霊が奉遷してきた元宮はなんと、阿波だったんです。。。作った話じゃなく、本当に本当に偶然でした。決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)榧ヶ大岐とは井川神社のご由緒書きには丁寧に、榧ヶ大岐(ヒガダイシ)から奉遷された、、とフリガナ付きで書かれていました。御由緒:「井川神社の社伝によると古くは井ノ河明神といい、白鳳年間榧ヶ大岐(ヒガダイシ)より奉
決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)謎なんです。井川神社のご由緒が。。。そして、その謎がまさかと思ったのですが、もしかすると、かもなのです。井川神社は愛媛県四国中央市岡銅、法皇山脈の北斜面中腹にある延喜式神明帳よりも古い、延喜元年(901年)に成立した三代実録にも名の残る式外社です。実は実家の近くにありますが、こんな山深いというか、小高いところに由緒ある神社があることは全くしりませんでした。社名:井
「3歴代ノ天皇(その9)」今日は、東京遷都みなさん、おはようございます夜中の大雨はすごかったです山火事は鎮圧できたでしょうかわが国のチカラ神のご加護に感謝ですさとうみつろうさんとともにハタカツをしましょう去る前に三月!一文字一文字にチカラを込めて笑顔で楽しく國史を学び家族教育力の向上ご自身の向上にお役に立てれば幸いですコメントお待ちしています!3月28日は明治天皇は東京に行幸され東京城を皇城とすると発令されます遷都の詔はでておらず御旅
109.日本最初の本は?2025.1.25、歴史『べらんめえ』(大河ドラマ)を見ていて、「日本最初の著述家」を知りたくなったとともに、「日本最初の本」も知りたくなった。NO.108では「日本最初の著述家は聖徳太子だった」ということを述べたのが、今回は「日本最初の本」について述べたい。1.日本最初の本筆者は、中学2年生の時に、歴史の授業で「日本で最初の本は『古事記』だ」と習ったので、ずっと「日本で最初の本は『古事記』」だと信じていた。しかし、改めて「日本最初の
日本人は天皇を中心にして皆な親戚なんや。世が乱れた時にはスサノオが現れるんやて。期待しよか。今日は日曜、比較的時間的余裕があるので、早めにアップできるかな?と思てましたが甘かった(笑)。情報を仕入れるのに、あっという間に時間が、、、。ま、ソースがいっぱいあるのは有難いと思うことにしましょう。いつも時事ニュースに流されがちですが、...naniwakawaraban.jpこちらは上記のミラーサイトです。今日は日曜、比較的時間的余裕があるので、早めにアップできるかな?と思てましたが甘
地元の神社に初詣しました。宇都宮市の中心部にある二荒山神社です。正月の3が日は恐ろしい程の混雑が予想されたので、今日6日の早朝に初詣です。混雑していませんでしたお賽銭は○○円、今年1年の「医療事故ゼロ」「商売繁盛」「スタッフ円満」を祈願しました。PayPay払いは無かったです。ここの境内は戊辰戦争の「宇都宮城の戦い」の場所でもあります。新撰組が唯一圧勝ここ二荒山神社の御祭神は「豊城入彦命」です第10代崇神天皇の長男です。長男ですが、皇位を継げませんでした(弟が第11代天皇と
神武天皇陵に行くとすぐ近くに綏靖天皇陵があり、また、ほどない距離のところにも安寧・懿徳天皇陵もあります。第8代孝元天皇諱大日本根子彦国牽天皇(日本書紀)大倭根子日子国玖琉命(古事記)生誕孝霊天皇18年崩御孝元天皇57年9月2日(116歳)陵所剣池嶋上陵「欠史八代」の1人第2代綏靖天皇◎第3代安寧天皇◎第4代懿徳天皇◎第5代孝昭天皇◎第6代孝安天皇◎第7代孝霊天皇未第8代孝元天皇未←ここ第9代開化天皇未
今年は第四代懿徳(いとく)天皇(前510年~前477年)の崩御二千五百年の年でもあり、去る10月1日に宮中三殿・皇霊殿(歴代天皇の御霊をお祀りした神殿)にて天皇陛下が出御され「懿徳天皇二千五百年式年祭」の儀が行われました。また、同じく奈良県橿原市にある陵(みささぎ)、「畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)」でも勅使参向で祭礼が行われました。懿徳(いとく)とは古代中国の「春秋左氏伝」に出てくる言葉で「立派な徳・美徳」という意味があります。懿徳天皇は「欠史八代(
古事記・日本書紀には初代・神武天皇からその後の歴代の天皇についての記録が書かれています。ところがこれらの天皇の中で「実在しなかった」と考えられている天皇が8人いて「欠史八代」と呼ばれています。2代綏靖天皇から9代開化天皇までの8代の天皇です。これらの天皇が「実在しない」とされる説の理由については以下があげられています。1.欠史八代天皇の寿命が不自然に長い。2.欠史八代天皇は帝紀だけで旧辞がない。3.欠史八代天皇の名前が後世の天皇の名前と似通っている。4.欠史八代天皇は全て父子継承で