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名古屋城の本丸、天守横の不明門を作成。「あかずのもん」と呼ばれた非常口のような役割だそうです。装飾要素も少なめです。本丸北東からみたCG。現存しない東北隅櫓や東一の門も、こんなかんじで見えていたようです。これで本丸は御殿を除いて全部揃いました。本丸石垣の細部調整や、素材感調整に入っていきます。本丸御殿も図面があるので作りたいですが、結構な作業量が出そう。今は未定です。当初予定の、1945年消失前の様子は、ほぼできました。あと、石垣上部の多聞櫓、図面
7日の朝、名城公園に行きましたら大相撲名古屋の準備が進み櫓太鼓が設置されていました。「櫓」日時2026年7月7日撮影場所名城公園カメラOLYMPUSOM-DE-M5MarkⅡレンズモデルM.ZUIKODIGITALED12-50mmF3.5-6.3EZ絞り値f/8露出時間1/500秒ISO速度
名古屋城の本丸、三隅にある櫓を作成。四角形の本丸には西北に大天守があり、残りの3か所には櫓があります。大きさはほぼ同じなのですが、意匠はそれぞれ少し違う。三つまとめて並べてみました。正門から入るルートで、最初に近づくのが西南隅櫓。下段一層目の屋根に千鳥破風がついており、一方には唐破風が組み合わされています。次に表門から本丸に入る時に右に見えるのが東南隅櫓。表門側から見えるのはCGの左面しか見えませんが、表門に入る前に本丸の角まで行くとCGのように見えてきます。上層の
東出珈琲店さんを出て金沢城公園へ前田家の居城であった金沢城天守は遺っていませんが現存されている門や様々な技法で積まれた石垣復元整備された門や櫓や庭園、水堀などが各所に立地して往時の金沢城の歴史を偲ぶことが出来ます!大手堀多種多様の石垣が興味深いです湿生園から河北門を臨みます新丸広場は広々していて開放的で気持ちが良いのだけど‥今日はちょっと暑い‥橋爪門木陰は涼しいです樹々に囲まれた道にしばしホッとします玉泉院丸庭園を下に臨みます公園内は起伏に富んでいるので折々様々な景観
↑郡山城の中堀に沿って走る近鉄特急。追手東隅櫓・東多門櫓が見えます。ちょっとピンボケ!写真のセンスもなくてすみません。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」で脚光NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟」がいよいよ「本能寺の変」となりました。以前撮っていた郡山城跡の写真の出し時です。郡山城というのは奈良県大和郡山市にあった城。他にも、広島県安芸市吉田の郡山城が毛利氏の城として有名ですが、こちらは、豊臣秀長が天正13年(1585年)に城主となり、豊臣政権の畿内統治の拠点として大規模に整備したもの。3重の
霞城公園(山形城跡)最上義光騎馬像と二の丸東大手門(櫓門)二ノ丸東大手門櫓公開中櫓入口に村井美樹と千田嘉博のサイン櫓から見る土塁櫓から見る大手橋櫓門から続櫓へ続櫓から見る最上義光騎馬像山形県山形市
前回はこちら櫓です。櫓の説明板です。酛立てです。酛立ての説明板です。酛摺りです。酛摺りの説明板です。三段仕込・仕込です。三段仕込・仕込の説明板です。滓引きです。滓引き、火入れの説明板です。火入れです。貯蔵・樽詰の様子です。貯蔵の説明板です。樽詰の説明板です。樽廻船です。樽廻船の説明板です。鏡開きです。鏡開きの説明板です。酒クラフトです。蔵人の暮らしです。蔵人の暮らしの説明板です。その後、歩いて魚崎駅に戻り、阪神本線直通特急で大阪梅田駅まで乗
大手門を過ぎて二の丸の南側から東側に向かいます大手門の南側にあるのが6番櫓二の丸南側は横矢掛りの石垣・広〜い水堀が特徴的石垣がくねくねと屈曲しているのは防御側の死角を無くす為だといわれています。東側に廻って…1番櫓南側には1番から7番櫓があったが戊辰戦争・空襲で2基を残して焼失玉造口とビル群玉造口も大手門と同じく巨大な枡形があったが破壊されている。砲兵工廠のトラックを通す為だろうねここも巨石が使われている。黒ずんでいるのは多分空襲で焼けたんだと思う。銃眼から見る石垣。こちら側は
城山公園(涌谷城)と江合川堤防の桜は、染井吉野を主とする古木で、他にしだれ桜、山桜、泰山府君(さとざくらの一品種)などが咲きます。公園の地はかつての涌谷伊達家の居舘跡。こちらは涌谷神社。"伊達騒動"の中心人物、伊達安芸宗重公を祀る神社なんです。
今日はとても暑い日でした。明日はもっと気温が上がるようです。今回は、霞が関と桜田門の写真です日本水準原点で地図を見ていたら、一番近い駅が霞ヶ関駅だとわかり警視庁本部庁舎まで行ってみよう!ということになって歩いていたお濠が見えてきました。桜田濠お濠の幅が広い桜田門が見えてきました。内堀通りを歩いていたら背の高い木の並木道があって見上げてみると、ユリノキが満開です警視庁と桜田濠の間にこんなにたくさんのユリノキ並木があるのに驚きました満開で可愛い
彦根城・・・彦根城は、近江国犬上郡彦根にある城。現存天守を有する12城の一つ、天守が国宝指定された5城のうちの一つ。なお、天守、附櫓及び多聞櫓が国宝に指定されている。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。【公式】国宝彦根城国宝彦根城の歴史、名勝、アクセスについてご紹介するサイトです。hikonecastle.com前回の記事の続き・・・いよいよ彦根城のメインどころ・・・天守です。まずは・・・天守に入る前に、天守の南東面と南西面・・・
丹波亀山城を見て駅に戻るとまだ15時前…これはもう一城見れるなぁという事でJR二条駅で下車し二条城に向かいます。二条駅はだいぶ以前に新しい屋根付きのかっこいい駅舎になってますが、昔の駅舎は木造で渋い駅舎だった…現在、姉小路蒸気機関車館に移築されています。電車からも見る事ができます。新駅の姉小路公園京都西駅の近くで車窓からも見られるので嵯峨野線に乗られる際は左側に注目。さて…駅からまっすぐ東に歩くと堀端にでますがこれは現存建物の南西隅櫓。裏側にあるので見学する人も少なく地味な存在😂ですが唐破風
山陰本線八木駅から普通に乗り園部駅へ到着。駅前からバスに乗り園部高校前へ降りると目の前に園部城の櫓門と辰巳櫓が見える薗部高校の正門です。当然中には入れませんしかし高校の正門が城門とは…カッコいいですね〜元和5年(1619年)、外様大名の小出吉親が但馬国出石城より移封され、船井郡、桑田郡、何鹿郡および上野国甘楽郡[5]の約3万石を領する園部藩が誕生。幕府により城郭の建設は認められずに陣屋となった。陣屋なので高層櫓や櫓門の建築も許されていなかったが方形居館、武家屋敷を構え、周囲には外郭線を築
新緑や濠にうつろふ櫓影江戸城桜田巽櫓皇居の散策は、自然と江戸の風情を味わえる。
今朝も曇っている。毎朝のように曇りだ。だからと言って洗濯をしないわけにいかず今日は日中ほとんど雨が降らないという予報を信じて洗濯物を外干しした。明日は雨の予報だから乾いてくれることを祈って。ボートを漕ぐ時オールなら基本誰でも漕げる。しかし櫓になると漁師くらいになる。オールで漕げば船はまっすぐ進むが櫓で漕ぐと船は右斜め前に進んだり左斜め前に進んだりしてジグザグに前へ進んで行く。
豊国神社を東に向かうと、二の丸の東隅に立つ2層の一番櫓があります。1628年創建されました。豊臣大阪城の頃は、一~七番まで櫓が立っていましたが、現存するのは一番と六番の櫓だけになっています。
前回の西尾神社のつづき。西尾城本丸跡に復元された丑寅櫓に登ってみました。詳しい地図で見る西尾市歴史公園の案内図。一番高い建物が本丸丑寅櫓になる。ただし廃城となる前に一番高い天守が置かれていたのは二之丸で、それが西尾城の特徴となっている(図の右端の天守台の所)。今調べて知ったけど天守を木造で復元する計画があるらしい。2050年頃までに、という気の長い話だが面白そうではある。確かこの一画は昔は体育館が建っていた殺風景な場所だった記憶があるが、だんだん整備が進められて城っ
桜と欅が綺麗な、この道は。。お堀の後らしい…で、そこに電車走ってたみたいで(*゚Д゚*)廃線後、遊歩道になってて~調べたら、プラットホームが残ってた←えっ(*゜д゜*)歩いたよ!全然分かんなかった💦この橋と桜と欅がいい感じでパッシャリ📱撮ってると、進まない(^-^;やっと階段登って、橋の上に。。上から見るとまたいい(σ*´∀`)橋の名前が書いてある親柱のとこでパッシャリ📱えっと?どっちに行くんだ?(・_・;?博物館の方?博物館の広場で、大道芸やってて…手品を横目に進むと➰大きな松の木があ
ツアーで長野の桜と城等を見てきました(旅の記録ですのでスルーOKです)新幹線を上田駅でおりて近くの上田城跡公園へ上田城跡南駐車場で先ず目に入ってきたのは・・桜と西櫓!!そして桜と入口に連なっている南櫓!!駐車場から堀の中を歩いて行きますここは一時鉄道が通っていたそうです。トンネル(二の丸橋)の手前を右に上がって・・・下を見ると・・・ワオ!この左が入口に向かう二の丸橋(さっきのトンネルの上)二の丸橋からまっすぐ行くと入り口(東虎口門)なのですが
2026年3月茨城県小美玉市田木谷かつて旧海軍の百里原(ひゃくりはら)航空基地に建てられた監視塔旧海軍百里原航空基地というのは、現茨城空港の前身ここから茨城空港までは数km離れています戦後ここに移設されたそうです櫓上部は改修されましたが、下部には機銃掃射で受けた弾痕がいくつも残っています櫓の足下には何かの標語が落ちています廃標識支柱と標識本体がバラバラです櫓の隣もなかなか玉里村消防団第六分団機庫玉里村って小美玉市になる前です
「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、北の北海道から南の沖縄まで見てきましたが、昨日から途中の県で抜けているお城がありましたので、数城の「その他の城郭建造物」を投稿しています。「塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「
さて、次で大分旅1日目の行程は終了です。『臼杵城址』に行ってきました残念ながら体力が尽きて城下町の散策はできておりませんまた行く機会があれば改めて。正直、下からこの写真だけ撮って城下町散策ってパターンも考えたんですけどねぇ・・・。今回ちょ~っと長くなりますが一気にいきます鳥居をくぐっていきますよ~落石など危ないため防護柵があります狭間弓矢や鉄砲を撃つための穴『畳櫓』左の石垣は『中門櫓跡』『井楼櫓台石垣』加工して(線を引い
舞鶴城公園に来ています。天守閣の無い天守台。ピラミッド味がありますね。このまま積み上げていったらピラミッドになりそう。暗渠です。「道路等で蓋をされた川」のイメージが強い暗渠ですが、こちらは排水施設です。盛土や石垣に溜まった雨水を排出する為に造られました。自然の山で土砂崩れがあるように、石垣や盛土の水を排出しないと、お城が土台から崩れ落ちてしまいますからね。黒鉄(くろがね)門です。正面の大手門に対して、こちらは裏門(搦手門)になります。明治維新で取り壊されてしまいまし
①昨日の昼メシ。岡山駅構内の駅ソバ屋で、うどん。今日は、3月15日。3月9日(月)からの1週間は怒濤でした。残業が続き、ブログ投稿している余裕はナッシング。そして、3月13日の早朝に境港駅を出発して、岡山駅近くの会議場で中四国ブロックの部課長会議。その日の夜は、交流会をして終わりなんですが、岡山駅ソバの岡山グリーンホテルに宿泊。朝から、岡山駅を出発して児島駅を目指しました。そうなんです。出張にかこつけて、乗り鉄。…と思いきや、乗りバス(^_^;)瀬戸大橋を渡る路線バス
2026年3月神奈川県相模原市中央区田名道路は県道48号です骨格だけになった屋根創業1970年2月1日らしいですどうなってる?同交差点のコインランドリー横浜市水道局の蓋2F窓2Fは飲み屋か何かだったんでしょうね
ミラノ・コルティナオリンピックが終わりました。カーリング日本代表のフォルティウスは2勝7敗で予選敗退。この結果を残念に思う人は多いかもしれませんがおそらくはミラノのアイスコンディションが独特過ぎて厳格で安定した職人技を持つ日本のアイスコンディションに慣れている日本チームには合わなかったのでしょう。海外のチームですら手こずっていたみたいですから。日本チームなら猶更です。場所はイタリア。きっと個性的なカーリングリンクだった筈。残念な結果
松平八幡宮の豊田自動車市から抹茶西尾市へ移動しました。大給氏繋がりで来たのはええけど、ちょっと遠かった。ダルダルなった愛知県西尾市錦城町三河・西尾城(にしおじょう)別名:鶴城、鶴ヶ城、錦丘城、西条城西尾城は承久の乱(1221年)の戦功により三河国守護に任じられた足利義氏によって築かれた城です。永禄4年(1561)徳川家臣酒井正親が入城し、天正13年(1585)には家康の命で西三河南部の拠点として城郭を拡張・整備され、その後、田中吉政時代にさらに拡張された。江戸時代には、
今日の散歩おじさん地域は未明から本降りで、午後2時ごろに雨が上がった後もどんより曇り空(-_-;そんな天気なので気温が上がらなかった割には、そんな天気にもかかわらずブルブル震えるほどの寒さでもないという微妙な体感でした(^^;さて今日の記事は「日本100名城」めぐりで訪れました「小田原城」です!なお、2月7日の記事に書いた通り菜の花と富士山を見に行った「吾妻山公園」から、小田原の町を眺めて「小田原城が見えた~」などと喜んでいたんですけどね・・・その時点では、翌週に小田原城をたずねるつ
西の丸庭園の西北隅に位置します。千貫櫓と同じく元和6年(1620年)に建てられた大阪城内最古の建造物で、重要文化財に指定されています。平面L字型で2階建ての珍しい構造を持ち、西北(乾)の守りの要として230度の視野を持つ「三方正面の櫓」として知られています。また、通常は一階に比べ二階を狭くしますが、一階と二階を全く同じ面積にする総二階造りの構造をとっています。
各所に幟を立てて今日の日を迎えます。かつては報恩講に合わせて1月14日に行われていた我が地区のどんど祭りですが、ご時世に合わせ、人の手が得られるようにと1月第2土曜に行われるようになりました。昼間準備した櫓。この大きな櫓も数を減らしての実施です。櫓の足元にはお正月飾りやお札やお守りを。今年の我が家のお飾りは、生の飾りをつけたお伊勢注連縄の形式でした。既にこんなに萎れてきていますが、これも自然な姿と受け入