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9月27日(土曜日)に斎宮歴史博物館で下記の講座があります。この講座に気がついたのが締切り後の9月に入ってから。ああぁ、事前に知っていたら、絶対行ったのに!「在原業平は何を着ていたか」(3)内容「在原業平は何を着ていたか」在原業平の生きていた9世紀、朝廷と周辺の人々はどのような姿をしていたでしょうか。朝廷の服装が3月の雛祭りのお内裏様やお雛様のような姿になったのはもっと時代の下った10・11世紀です。その直前、9世紀の朝廷の服装についてさぐ
おはようございます。まだまだ猛暑の毎日てす。「ゆきあいの空」という言葉をご存知でしょうか。二つの季節を行き交う空のことです。辞書によっては、夏と秋の境目だけに限定しています。今のところ、相当夏の方が力勝ちというところでしょうか。新古今和歌集には、「夏衣片へ凉しくなりぬなり夜や深けぬらんゆきあひの空」(慈円)と詠われています。さて、今日、明日と奥嵯峨の化野念仏寺で、千灯供養が行われます。化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、京都市右京区嵯峨鳥居本化野町にある浄土宗の寺院です。ここ化野
R大学文学部史学科の院生・あんみつ君は、夏休み中でも学生の卒論制作のお手伝いでたまにキャンパス通いしています。今日はぜんざい教授もオープンカレッジのテキストづくりで研究室詰め。お昼の学食で久しぶりに会うことができました...あんみつ「先生こんにちは~。あっ、それもしかして‟カヌレ―ナ”ですか?お芋スイーツ専門店から出てるお高めのアイス。さすが教授、いいものを差し入れてもらえるんですねぇ」ぜんざい「またタイミングのいい、というか悪いところに
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.272は平安時代の皇后を問題とさせていただきました。それでは画像解説と正解です。梅宮大社問題に使用した画像。迷った末にこちらの画像を使用しました。梅宮大社は橘氏の祖、県犬飼橘三千代が山城国相楽郡井手に祖神の酒解神を祀ったのが始まりとされ、平安遷都後の嵯峨天皇の時代に檀林皇后が現在地に遷したとされます。檀林皇后(橘嘉智子)が正解です。今回は多くの解答が寄せられました😊。流石ですねえ。皆さん正解です🤗。2枚目の画像はイケズ
金曜日が休みになったので、昨日仕事の後に京都へ戻りました。自宅を出る時間は雨が…すぐにアプリを見ると…エッ雪⁉️霙状態なのかな❓来週は私の病院もあり、仕事もまるまる1日1人体制勤務なんてのもあるので、4泊5日で帰りたい…とりあえずマッハkunで実家、そして仕事…勤務が終わると駅に自転車を預けておくと、夜に仕事帰りのメカが乗って帰ります…(๑•̀ㅂ•́)و✧意地悪な私、どこに止めたかヒントの写真を送って、宝探しです…(*`艸´)ウシシシMAPの中央右寄りの❤︎から❤︎は向かい
梅宮大社である。右京・梅津フケノ町にあり、本殿の祭神は・酒解神・酒解子神・大若子神・小若子神、相殿の祭神は・橘清友(諸兄の孫)・橘嘉智子(檀林皇后)・嵯峨天皇・仁明天皇。橘氏の祖・諸兄の母・橘三千代が宮中で酒造祖神・酒解神を祀ったのが創始だと云う。嵯峨天皇の代に檀林皇后が現在地に移したとされる。檀林皇后が梅宮大社に祈願して男子(仁明天皇)に恵まれた故事に因んで、境内の「跨げ石」には子授け・安産のご利益があるとされる。ところで、
先日…といっても一週間前なんですけども京都の嵐山に行って来ました。観光客でごった返す渡月橋も朝7時半は、こーんなに穏やかです。気になっていた〈パンとエスプレッソと嵐山庭園〉に行ってみるもオープン8時にはすでに行列が…朝のコーヒータイムは諦めました。今回の目的地はコチラの〈清凉寺〉さんです。歴史上、源氏物語の主人公・光源氏のモデルであったとされる男性はたくさんいますが源融(みなもとのとおる)もその一人。この地には彼の山荘、棲霞観(せいかかん)がありました。源融は嵯峨天皇の皇子であ
おはようございます。今日から二十四節気と七十二候が移ります。◎二十四節気【白露(はくろ)】秋が深まり、草花に朝露がつきはじめる頃という意味です。空は高くなり、秋雲がたなびくようになり、本格的な秋の到来です。また、実りの秋を前に台風が心配な時期でもあります。まさしくです。◎七十二候【草露白(くさのつゆしろし)】草に降りた露が白く光って見える頃。朝夕の涼しさが際立ってきます。白露と聞くと、もう秋だなあと感じます。西日本では連日真夏日が続いています。やはり、暑さ寒さも彼岸まで
GWも終わったね~。。私も1日だけですが休みを貰って友達と滋賀の高島方面に行ってきましたです渋滞がヤバかったけど、運転になれてる人は凄いね上手い事、下道と高速を使い分けて走ってくれたから予定していた場所全て行けました楽しかったなぁ~そんなGWの記事は又、後ほどで前回の続き蚕の宮🐛を出て一の鳥居の前には路面電車~🚉乗ろうか悩んだけど、次の目的地まで近いから歩きますそして感覚的には1キロチョイ位で到着{実際は3キロ程平坦な道を歩きました。お次は梅宮大社(うめみや
2023年12月24日のクリスマスイブ🎅クリスマス🎄と真逆な京都巡礼をしております😁泉涌寺→今熊野観音寺→来迎院→戒光寺→三十三間堂→六波羅蜜寺→六道珍皇寺の次は清水寺に向かおうと六波羅蜜寺を通り過ぎようとした時に、目に飛び込んできた子育地蔵の提灯🏮浄土宗寺院で西福寺というお寺らしい飛び込みでお詣りさせて頂く事にしました子育地蔵尊小さなお地蔵様がた〜くさん祀られています末廣不動尊後白河上皇が熊野詣での修行の満願に感謝し、那智の不動尊を勧請して地蔵尊の守護神にしたと伝えられています
…檀林皇后にあやかったとも伝承される。相殿に皇后を祀る同社は何処か?右京・梅津の「梅宮大社」である。橘氏の氏神として綴喜郡井手町に建立され、嵯峨天皇の皇后・檀林皇后(橘嘉智子・カチコ)により、現在地に遷された。祭神の一柱・酒解子神(サカトケコノカミ・木花咲耶姫命)が、貞節を誓いながら浜辺の産屋で安産をされた故事に因み安産祈願所となった。
世の中は短期間で目まぐるしく変わってゆく。私の親世代は、戦争経験者だ。伯父は兵隊として出征し、外地で亡くなった。彼らの十代は、明治憲法のもとの大日本帝国民であった。それが、いまではSNSや生成AIの時代になっている。戦後78年。時代が大きく変わるときは、時の流れの速さを感じるものだ。◉方今天下の苦しむ所は、軍事と造作なりはるかいにしえ、平安のころ。新都造営蝦夷征伐政治改革軍事改革土地政策仏教改革781(天応元)年に即位した桓武天皇は、これだけのことを独裁的に推
【食育クイズ:Vol.1393】「京都府」の「嵐電、帷子ノ辻駅」おさらいクイズ!「帷子の辻」にゆかりがある「第52代、天皇后、橘嘉智子」が嵯峨野に創建した寺院とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)Eco&Art太陽パネルの元で育った大豆のコーヒー(浅
…乗換駅の駅名でもある地名は?右京区の「帷子ノ辻(カタビラノツジ)」である。語源について2つ、『雍州府志』には、「平安初期、嵯峨天皇后・橘嘉智子(カチコ)〈檀林皇后〉の葬列に、一陣の風が吹き、御棺を覆っていた帷子の衣が吹き飛んだ場所」とある。『都名所図会』には、「材木町の東にあり、上嵯峨・下嵯峨・太秦・常盤・広沢・愛宕などの分かれ道なり。帷子ノ辻といふは、檀林皇后の遺骨嵯峨野に捨てしとき、帷子の落散りし所なり」とある。
干ばつによる不作、飢えに追われ目に見えぬ伝染病におびえる人々。病死者・餓死者の遺棄死体が都大路に散乱したという時代。図書館で借りた歴史小説。ヒロインは橘嘉智子(タチバナノカチコ)786年生~850年没檀林皇后私譜杉本苑子著神野王子(のちの嵯峨天皇)に美貌を見初められ橘嘉智子(のちの檀林皇后)は玉の輿で嫁入り815年、皇后となり嵯峨天皇とのあいだに2男5女あり息子の正良親王は、後に仁明天皇となり娘の正子内親王は、淳和天皇(嵯峨天皇の弟)の皇后となり
おはようございます。今日、二十四節気と七十二候が移ります。二十四節気【啓蟄(けいちつ)】啓蟄とは、土の中で縮こまっていた虫(蟄)が穴を開いて(啓いて)動き出す日のことです。具体的には、日本人が「さぁ働くぞ」と意気込み始める日のことを言います。この時期は、一雨降るごとに気温があがってゆき、春に近づいていきます。日差しも徐々に暖かくなってきます。七十二候【蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)】戸を啓いて顔を出すかのように、冬ごもりをしていた生きものが姿を表す頃。*******
おはようございます。昨日は台風の影響で、フェーン現象で9月だというのに、金沢では38.5度と猛暑日のところが続出しました。まるで真夏のような一日でした。「ゆきあいの空」という言葉をご存知でしょうか?二つの季節を行き交う空のことです。辞書によっては、夏と秋の境目だけに限定しています。今のところ、相当夏の方が力勝ちというところでしょうか。新古今和歌集には、「夏衣片へ凉しくなりぬなり夜や深けぬらんゆきあひの空」(慈円)と詠われています。ふと9月は夏なのか秋なのか。季節の分類にはいろいろ
明後日は雛祭りだというのに桃の花に浮かれる気分にもなれない〝火打石〟。前回の記事でも嘆かせていただきましたがロシアのウクライナ侵攻に胸が塞がる毎日…救いはロシア国内からも反戦の動きが出ているということ。実際のところは知る由もないにせよ、とにかくプーチン大統領支持一色ではないようなのは嬉しい。とはいえこの事態をどう打開すれば良いのか?…核を持つ国の最高権力者の意思を覆すにはどうすれば良いのか…どなたか賢い方、この事態を救う有効な手段を考えてくださいm(__)m。〝
先日、機会があって、六道珍皇寺にお参りしてきました。六道珍皇寺は、京都五山のひとつ建仁寺の南にあり、有名な六波羅蜜寺の近くにあります。付近には、西福寺もあり、この六道の辻の看板にあるように、古来六道信仰の盛んな場所のようです。六波羅(六原)は元々、火葬の地として有名な鳥辺野(今は大谷廟あたり)への入り口にあたり、それで六波羅蜜寺が建てられたのでしょうね。上の写真、看板の檀林皇后は、平安時代初期、嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子のことで、その美貌でも有名であったそう。彼女は仏教への理解が篤く、唐
水無瀬さまの、「吹田殿」温泉パーティー♪
水無瀬殿の温泉に、続々と御霊方が集まるが、井上様と玄昉は、湯屋の下働きのふりをしている・・?
水無瀬殿の指揮する「吹田殿」の温泉が出来ていた・・・・・。
源平藤橘とは、言うまでもなく平安時代以降に権勢を誇った氏族、源氏、平氏、藤原氏、橘氏の総称である。源氏、平氏は皇族が臣籍降下したときに与えられた氏で、有名なところでは桓武天皇の桓武平氏、清和天皇の清和源氏が挙げられる。藤原氏は中臣鎌足に下賜され、その子不比等の時代から権勢を誇った一族だ。よくある話だが、子どものころ、源氏、平氏、藤原氏から出た歴史上の人物の名前は言えても、橘氏となると、どうもいけなかった。橘諸兄橘奈良麻呂橘逸勢と指を折ると、もう次が出てこない。橘家圓蔵は、噺家だし
御霊たちの月見は龍に乗って・・・・。
御舎弟は、傀儡師と下男に疑惑を感じている?
松尾大社に参拝し、このまま帰っても良かったのですが、今日は良いお天気に恵まれましたし、久々に格式高〜いお宮さんにお詣りさせていただきたいと思います。近いですからね(≧▽≦)松尾大社から東に1キロくらいなので、久々とはいえ、場所は忘れません(ㆁωㆁ)当ブログではお初(ʘᴗʘ✿)✿梅宮大社✿式内名神大(月次、新嘗)、二十二社制の下八社。正一位、旧官幣中社。10年くらい前に、二十二社巡拝をさせていただき、その最後のお宮さんだったのを覚えています。まぁ、それ以来、2回目の参拝になりますから、
3月16日は、16団子の日・・・
道誉殿は、また御所を誘いに来たが、情報はちゃんとつかんでいる・・?井上さまは、またとんでもないことを思いつかれた・・・。
井上様ご一行は荷車を引いて帰還。執事に土産をくれた・・。
井上様が多彩な土産を披露される・・・。