ブログ記事11件
昨年夏に開催された橋場線開通100周年記念資料展で展示されていた大正11年7月14日の岩手日報の記事に、翌7月15日の橋場線開業に合わせたダイヤが載っていましたので、時刻表をつくってみました。<1>定期列車について・新聞は大釜16:46発下り列車との記載ですが、小岩井着と同時刻のため誤りであると判断し、大正14年4月の時刻を参考に、16:35発としております。・新聞は雫石7:10発上り列車との記載ですが、他列車と比べて停車時間が長すぎること及び小岩井着が7:12であることから誤りで
『橋場線開通100周年記念資料展~幻の橋場駅に想いをはせて~』が開催中ということで、雫石駅2階の連絡通路にいってきました。西側の壁に展示してありました。南口側から見ていくのが良いと思います。現在の橋場駅の写真。誰も手を付けていないので、草木でボウボウです。橋場線の概要を説明。滴石史談会がまとめたもの。鉄道省盛岡建設事務所の冊子「橋場線建設概要」からの抜粋。当時の姿を撮影した写真が貴重です。当時の新聞記事「岩手日報」と「和賀新聞」から。橋場・安栖地区住
探索日2016/08/06田沢湖線のルート変更により取り残された赤渕駅~橋場駅の区間1944年10月1日休止正式な廃止届は出されず、現在まで放置されている※赤渕駅は橋場線休止後の1964年開業あれが赤渕駅橋場線はこのへんにのびてきていたこのへんを通過していたはずやけど痕跡はない奥へ続く橋場線それっぽい感じがしないでもない路盤跡?位置的にはここなんやけどな雑草帯が廃線跡か?なんとなくそれらしき空間は続いている橋場線はこのあた
過去記事はこちら。①橋場駅遺構(2016年12月12日)②橋場線のダイヤを調べる(2017年01月16日)③橋場駅構内図(2017年04月07日)④橋場駅の建物推測(2020年12月11日)橋場駅の開業は大正11年7月15日です。当時どんな様子だったか、岩手日報および岩手毎日新聞の記事で探ってみました。『大正15年7月15日岩手日報』のコピー。この頃の新聞の一面って広告なんですね。大正11年7月15日の岩手日報の記事によると、橋場駅前には民家が5~6軒、上野小学校橋
3週連続中央での出走がなく、暇を持て余しているみわちゃんです(笑)なので久々に橋場駅のことを。過去記事はこちらから。①橋場駅遺構(2016年12月12日)②橋場線のダイヤを調べる(2017年01月16日)③橋場駅構内図(2017年04月07日)先日、岩手県立図書館で鉄道省盛岡建設事務所が発行した『軽便鉄道橋場線建設概要』を閲覧してきました。大正11年7月31日発行なので、橋場駅開業直後のものになります。橋場線建設の経緯や建設費用などが当時の写真や地図を交えて記載されていま
皆さま、おはようございます!前回のブログで田沢湖線・赤渕駅の訪問記を挙げました。盛岡駅と大曲駅を結ぶ田沢湖線、前身は、盛岡駅-橋場駅間を結ぶ橋場軽便線で、田沢湖線と、昭和19年に休止された橋場線の分岐部分に昭和39年に開設されたのが赤渕駅でした。橋場軽便線(→橋場線)の雫石駅-橋場駅間は、日中戦争の激化により昭和19年に不要不急線の指定を受けて列車の運行が休止。昭和39年に雫石駅-赤渕駅地点が復活(書類上は新線扱い)して、昭和41年に田沢湖線が全線開通したのは周知の事
皆さま、こんにちは!今月初めに田沢湖線・赤渕(あかぶち)駅を訪れました。ここに来るには、こんなきっかけがありまして…先月、地元の仲間との飲み会がありましたが、同席していたブログ仲間のEF81さんから、こんな話を持ちあがったのですよ。「休止中の橋場駅に行きませんか?」と。橋場駅…盛岡駅と大曲駅を結ぶ全長75,6キロメートルの田沢湖線。そのルーツは大正10年~11年に開通した橋場軽便線にありまして、その終着駅が橋場駅でしたの。昭和23年に撮影された航空写真より。国土地理院
前回までの投稿はこちら①橋場駅遺構(2016年12月12日)②橋場線のダイヤを調べる(2017年01月16日)先日訪れた国鉄橋場駅跡です。まだ少し雪が残っていました。反対側のホームへの行き方が知りたくての再訪でした。ホームに上がって盛岡方面へ行くと線路に降りる階段を発見。ホームの高さは80㎝、段差は2段。なかなか急な階段だと思います。その向かいには反対側のホームのスロープがありました。おそらく先ほどの階段から線路を渡って、このスロープから反対側のホームに上がっ
皆さま、おはようございます!ことの発端は先月初旬に催された飲み会の席でのことでした。隊員(という名の呑み鉄仲間)のひとりから「家族が実家に帰省している隙を見て家族サービスのために普段は封印し続けてきた廃駅探求心を開放するために岩手をドライブしたい」という提案があったのです。その日が昨日、4月1日だったのですよ。運転不要、車内の飲酒もオッケーという甘い言葉に釣られて仲間が集合、今回は総勢3名による探検隊が結成されました。どんな様子だったのか、ザックリですがご覧あれ。向か
前回の橋場駅跡のレポートはこちらをどうぞ。①橋場駅遺構(2016年12月12日)読んでいただいた方からたくさんの感想をいただきました。ありがとうございます。まだまだわからないことが多いので、橋場駅に関する情報をお待ちしております。橋場駅の状況を知ると、今度は橋場線の運行状況を知りたくなってしまいました。ということで、JTBから出版されている戦前の時刻表の復刻版で当時の時刻を調べてみました。①汽車時刻表大正14年4月号(大正8年10月1日改正分が掲載)橋場線は東北
雫石町を横断する鉄道にJR田沢湖線があります。盛岡から乗車すると、町内は雫石、春木場、赤渕と停車し、そのあとはトンネルを通って秋田県へと続いていきます。戦前、上記とは別の駅が雫石町にありました。その駅の名は「橋場駅」。現在の赤渕駅からさらに国道沿いに秋田方面に進んだ場所にその駅はありました。田沢湖線の前身である国鉄橋場線が開通したのは大正11年。当時は盛岡と橋場を結ぶ路線でした。しかし、政局や戦争の影響で、昭和19年に不要不急路線として雫石と橋場の間の線路が撤去され、橋場駅