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逆賊呼ばれるには理由がある。明治維新の国内動乱で官軍の小隊長は手柄が良しかった。戊辰戦争の末期は徳川幕府の長徳川慶喜は駿府にて恭順を示して戦わなかった。幕府は土方歳三を頭に箱館の五稜郭に籠城して官軍との闘いを行った。1869年すでに明治2年に年号が替わっていた。小栗は1868年に斬首された。明治天皇を有する明治政府と徳川の部隊は函館で新しい共和国を作ろうと奮闘していた。土方は新選組で活躍した。また徳川が招聘したフランス軍事顧問団もいた。軍艦開陽丸は最新式の船であった。軍艦一つは大きな
小栗忠順(ただまさ)を天才と称する人がいる。彼は天才ではない。「異能な才」を持つ頭が切れる人物である。この才能が発揮した行動がある。日米和親条約を締結したのが1853年、その条約の効力を発効するために批准の手続きが必要。徳川幕府は批准の使節団を1860年に米国に送った。この中で第三に地位の「目付」役で参加した。「目付」は「spy」と訳されたのか米国側からは危険人物とみられた。小栗は銀と金との交換比率の不平等を是正するミッションを任されていた。ワシントンDCにある造船所を見学に
小栗上野介上野介は今の群馬県の斬首され明治政府から逆賊の汚名を着せられた。明治政府は政治家として、木戸孝允、伊藤博文、大隈重信、大久保利通、など薩摩藩、長州藩鍋島藩などの官軍が占めていたが、徳川幕府で能力のある人材も一旦は牢にいれたが、明治政府に出仕して偉くなった人も多い。勝海舟(幕府)、松本良順など。また民間で活躍した渋沢栄一(幕府)は「お札」にもなった。徳川慶喜は駿府に戻り、小栗も知行地群馬に戻り、明治政府には関わらなかった。明治政府は小栗の能力を認めていたが、手柄に走った無知
横須賀市にとって、嬉しいニュースが入って来ました!2027年のNHK大河ドラマは、横須賀にゆかりのある小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)を主人公(俳優は松坂桃李)にした幕末から明治維新の時代を描く発表がありました。小栗上野介忠順は、日本の近代化と横須賀市の発展の礎を築いた横須賀製鉄所(のちに横須賀造船所に改名、現在の米国海軍基地)の建設に尽力し、勝海舟のライバルとも呼ばれ、作家・司馬遼太郎が「明治国家の父」と呼んだ人物です。横須賀製鉄所は近代的総合工場で
縦糸と横糸を編むと布が出来る。繊維産業は衣食住の一つで国を挙げての産業。富岡製糸場はフランスの技術を導入。遅れて豊田は国産の自動織機を開発して今日のトヨタを造った。家内作業の機織り機は縦糸に、シャトルを横に通して、縦糸列が上下に動き、餅つきの様に、タイミングを計って、横糸が行ったり来たりする。線が面となる。面となれば、糸より強靭になる。イギリスもフランス、米国もこの繊維産業は国の根幹となる産業。徳川幕府末期にフランスは「蚕」が感染症で全滅したが、日本のシルクを担保に日本に
はい!奈央です。今回は、1867年(慶応3年)、日本で最初のナウマンゾウの化石が発掘された横須賀製鉄所(造船所)のご紹介です。以下の内容のネタ元は下のサイトです。横須賀の誇り!横須賀製鉄所(造船所)|横須賀市明治初期の横須賀製鉄所(造船所)は、現在の米海軍横須賀基地内にありました。横須賀製鉄所全景(明治時代初期)明治14年の横須賀製鉄所(造船所)の絵地図現在の米海軍横須賀基地周辺の上空からの写真「近代日本のルーツ横須賀製鉄所」よりお借りしました。少し
はい!奈央です。今回は番外編でナウマンゾウの発掘物語です。ナウマンゾウの化石が初めて見つかった場所は横須賀です。1867年(慶応3年)、横須賀製鉄所(現:米海軍横須賀基地)の建設のため、白仙山を掘削したところゾウの下あご化石が見つかりました。明治初期の横須賀製鉄所(造船所)の全景横須賀市HPよりお借りしました。横須賀製鉄所産ナウマンゾウの下あご化石横須賀自然・人文博物館HPよりお借りしました。1871年(明治4年)、横須賀製鉄所産の下あご化石は、大学
産業革命は蒸気機関の発明によって起こった。英国人ジェームス・ワットの特許による。ワットはWattでエネルギーを表す国際単位。例えば電球の60Wとの表記。Wは必ず大文字で表記。国際規格なので正確な表記が必要。蒸気機関を正確に理解している人は少ない。また興味もない。産業革命はインフラの発明を促した。この発明は石炭炭鉱の排水ポンプの動力に起源する。繊維産業、鉄道(蒸気機関車)船(蒸気船:黒船)は知るところであるが、それらの機械設備を作る機械に蒸気機関が活用された。また鉄を鍛造(叩
万国博覧会の第1回はロンドンで開催された。1851年のこと。この時期は蒸気機関が実用段階に入り、産業革命を推進する機械が数多く出品され600万を超える入場者があった。この万博に出品された工作機械は日本に代理店を経由して横須賀製鉄所の建設に導入された。歴史は皮肉なもので、製鉄所と名付けたので鉄を作ると多くの人が誤解した。実は鉄を加工する造船所であった。第1回のフランスの万博はパリで行われた。1867年のこと。この時、すでに横須賀製鉄所の建設は始まっていた。この万博には徳川
昨日、毎週水曜日に受けていた全10回の市民講座『ペリー来航』が最終回だった。いつものごとく帰り道、ヴェルニー公園を通って来たらふっと、2年前にヴェルニー公園内にできたティボディエ邸に入ってみたくなった‼️そもそも、ティボディエって誰なの〜⁉️って話ですが…1853年に、アメリカ🇺🇸人のペリー率いる黒船艦隊が横須賀市の浦賀港に現れそれまで200年間鎖国をしてきた日本に対して、開国を迫った。という話は、有名ですね。そこから、日本は急速に国際化そして近代化に向
日米親善ベース歴史ツアーは、通常、非公開の米海軍横須賀基地に入場し、基地内に遺された「横須賀製鉄所」や「旧海軍」に関係する歴史スポットを見学しながら、アメリカの生活文化を体感するツアーです。NPO法人よこすかシティガイド協会のガイドが案内してくれるそうで大変人気のあるツアーだそうです。昨年も応募したのですが残念ながら外れてしまい今年は競争率6倍の倍率だったそうですが知人がエントリーしてくれ見事当選とのことで楽しみにしていました。JR横須賀駅9:30集
コスカベイサイドストアーズの隣、ヴェルニー公園にやって来ましたヴェルニー公園は幕末から明治期の1865年から1876年にかけて横須賀造兵廠、横須賀海軍施設ドックや灯台、その他の近代施設の建設を指導し日本の近代化を支援したヴェルニーの功績を記念した公園だそうですヴェルニーと小栗上野介の胸像江戸幕府は開国後、海軍力を増強させ軍艦を造り、近代的な造船所を建設する必要がありその計画を立てた、幕府勘定奉行などを歴任した小栗上野介忠順造船所の計画は、フランスの力を得るこ
「大竹伸朗展」東京国立近代美術館で-現代日本を代表するアーティスト、最初期〜近作約500点...ファッションプレス「大竹伸朗展」が、東京国立近代美術館にて、2022年11月1日(火)から2023年2月5日(日)まで開催される。その後、愛媛県美術館、富山県美術館にも巡回する。セイコーエプソン初代社長服部一郎氏のコレクションを紹介|NHK長野県のニュースNHKまた、近代彫刻の父と呼ばれるオーギュスト・ロダンが1880年から1917年にかけて制作した「考える人」などの彫刻作品も
江戸末期に横須賀に「製鉄所」と言う名の造船所が設けられた。フランス人が指揮した。その建物に使われていたアンカーが展示されていた。トゲを付けて表面積を増やしたり、底を広げて力を分散させているのが面白い。鍛造用のハンマーも展示されていた。私の感覚からすると図体のわりに能力が小さい。なぜオランダ製なのかも興味がある。
今日は横須賀までドライブ目的は3つ!!先ずは横須賀軍港めぐり横須賀は言わずと知れた日本屈指の軍港!!軍港めぐりでは、海上自衛隊の艦船や潜水艦を間近でみることができるんです174きりしま護衛艦(イージス艦)230じんつう護衛艦(在籍:佐世保基地)5105にちなん海洋観測戦111おおなみ護衛艦91はしだて特務艇404ちよだ潜水艦救難艦潜水艦その任務の特殊性からなのか艦名の表示がなくわかりません・・・はやぶさ時速80kmで航行できるミサイル艇です左側
今回の偉人伝は知る人ぞ知る小栗忠順。幕末に生きた幕臣、小栗は新政府軍により歴史から消された人物。その有能な能力ゆえに新政府軍から最も恐れられた男。幕府の中から日本の近代化を推し進めた小栗の生涯と功績を紹介。
今日は初めて、社会人講座の「横須賀」を受けて来ました。日本の歴史を学びに行ったのに、フランス人魂に心打たれて帰って来ました。フランスから教わった事が、国を守る事へ繋がった。小栗上野介さん、有難う。そしてフランスの方々、有難う。もっと、頭が若い時にこんな風に歴史を学びたかったな。
マスクをしてない人が増えましたね~もちろん、ずらしてる人、片手に持っている人、ポケットに入れてる人もいると思いますが、明らかにないだろ!?なんて人も....時間帯にもよると思いますが、さすがに暑いっす。陸奥の主砲、尾栓ていうのかな?お尻からの写真。全体の長さとなると、なかなかの長さです。てか、空がキレイw戦艦陸奥、横須賀海軍工廠で建造され1921年に就役、1943年6月、広島湾沖で砲台付近から煙を吹き上げ爆発、船体は二つに折れ4時間後には沈没したそうです。国民に親しまれた陸奥が戦わず
《軍港めぐりの続きです》↑大満足で下船しましたが、下船間近に見えた、ヴェルニー公園を歩きました。横須賀製鉄所の建設に貢献した、フランス人のヴェルニー氏の名前を公園名にしたらしいです。こちらは2000本?3000本?のバラ🌹が植えられてあるフランス式の公園だとか。時期が過ぎたので、もう少ししか咲いていませんでしたけど。バラ🌹の時期は、5月〜7月・10月〜11月らしいので、機会があれば10月後半にまた訪れてみよう……。公園の中にはカリヨン式時計がいくつか設置されていて、時間(2時間
気になっていた観音崎灯台、そこから導かれるようにここへ辿り着いた浦賀水道そして、走水水源地明治9年、フランス人技師ヴェルニー指揮のもと、日本の近代化が始まった横須賀製鉄所(後の造船所)の用水として使用したことに始まる歴史的ある水源地だそう。煉瓦造貯水池とコンクリート造浄水池は共に国登録有形文化財・日本遺産構成文化財に指定されており、今なお現役施設として活躍しているという。やはり、私は水に縁があるようで。そして、こんなサイトにも辿り着きました。日本武尊命と
横須賀のヴェルニー公園を訪ねて園内の石碑を見て回りますと、話はすっかり戦艦や戦争の方面へと向かってしまいますけれど、ちと気を取り直して、公園の端にありますヴェルニー記念館を覗くことに。館内はさほど広くはありませんで、久里浜のペリー記念館同様に無料施設らしいところではあろうかと。ヴェルニーのこと、横須賀製鉄所のことなどを紹介する展示解説の中で、もっとも存在感ある展示物がこちらのスチームハンマーでありましょう。鍛冶屋さんといえば鉄を鍛えるのにトンカントンカンと槌をふる
よこすか海軍カレーを食したお店は横須賀港の目の前、ヴェルニー公園の中にありました。公園の名のもとはフランソワ・レオンス・ヴェルニー、フランス人技師の名前でありまして、先に訪ねた野島埼灯台のところで、ちとその名が出ましたように灯台造りにもたくさん関わった人ですな。三浦半島の観音埼灯台もヴェルニー作でしたっけ。ついつい明治政府のお雇い外国人かと思ってしまうところながら、実は幕末の1865年に来日している。近代化で巻き返しを図ろうとする幕府の要請であったとは。幕末の時期、英国は薩摩を支
油壺マリンパークの次は横須賀へ。久しぶりにドブ板通りに行ってみました。シャッターの降りている店もありましたが、一時よりは賑わいを取り戻した感じ。横須賀といえばスカジャン。太田家具店なのに、アメリカングッズがいっぱい。でも、2階にあがったら家具売っていました。ドブ板通りをぬけて、汐入駅近くのミカサカフェへ。海上自衛艇の認定したカレーがあるらしい。SDGsのシールが貼ってあるのが、横須賀っぽい。私の知らないハイスクール・フリートというアニメ。
おはようございます~今朝も晴れてますねブログは先日乗ったグリーン車のこと初めてのグリーン車がうれしかったです地元はJR線沿いではなかったのでもともとJRに乗る機会もなく過ごしていました大人になってもJRとは縁がなく・・・けれどブログを始めて乗り鉄さんの記事をみていたら少しづつゆる鉄になっていきました~なのでアメブロさんに感謝ですみなさんのブログで毎回美味しいものや、旅先の事ほっこり記事など楽しませてもらっています~今回もアメブロのブログはもちろん乗り鉄さ
午前中は、金沢八景を出発し横須賀市内の隧道巡りと高台から海と富士山を見るライドと午後は、横須賀から三崎口の近く、相模原湾が見渡せる絶景カフェレストランで夕飯を食べて帰ると言った趣向のライドに参加しました。金沢八景駅に集合し、なんだかんだと15人ほどのグループライド。七つの隧道を巡りましたが、このトンネルは、イギリスパンのようにひょろっとした造りになっていて、その上に家が建っています。実はトンネルが掘られる前、左手の白い柵の下の部分が急峻な坂道で、住民の意向でトンネルが掘られたことから、この
(前回から続き)”富国強兵”政策と、”海軍鎮守府”設置計画明治政府が近代国家建設を目指して、真っ先に掲げたスローガンが「富国強兵」です。西欧列強と対等に渡り合うには、”横須賀造船所”の拡充に続き、日本周辺海域に軍艦を配備して日本を防備すべく”鎮守府”の設置計画を明治9年(1876)に決定しました。鎮守府とは、日本の海域を四つに分割し各海区に『軍港と、海軍工廠(艦艇の建造、修理、兵器の製造等を行う工場)、海軍病院、海軍水道などの施設を設け、運営や監督を行う《海軍本拠地》』
黒船来航有史以来、一度も外国と戦争経験のない、いわば”平和ボケ”状態の日本に一変する時が訪れました。ペリー来航浦賀(横須賀市久里浜町)に黒船が来航すると(1853)、国内は一気に慌ただしくなります。江戸幕府は、要求に応じて下田、函館の開港を約束しますが、治外法権や不平等条約を次々と結ばせられます。それは佐幕派や攘夷派の抗争を招き、混乱に乗じて、双方に武器を売る外国人商人も加勢して、京の町は一触即発状態になりました。しかしその一方では、欧米列強と対等の立場で渡り合うには、
フヨウとヒガンバナ、紅白の競演京都・妙蓮寺京都新聞京都市上京区の妙蓮寺でフヨウが白やピンクの花を咲かせ、赤いヒガンバナとの競演で、訪れた参拝者の目を楽しませている。フヨウはアオイ科の落葉低木。天狗信仰の霊山、高尾山ニフティニュース観光地として人気の東京・高尾山は正式名称を「高尾山薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)」といい、天狗信仰の霊山です。國學院大學文学部准教授の飯倉...「昔の学校、生活面白い」着物姿で写真撮影磐田・旧見付学校@S[アットエス]by静岡新聞
英雄たちの選択「小栗上野介」を見ました。小栗又一(1827~1868)旗本の家で生まれた。1859年日米修好通商条約の批准のための使節に入ってアメリカに渡る。そこで銀や銅が蒸気機関によって造られてる様子を見る。(多分、蒸気機関の仕組みやら、ネジの規格の統一など実践的に学んだと思われる)1860年帰国。1860年ロシアが対馬を占拠する事件。(小栗)日本が交渉すべき(幕府の判断)イギリス艦隊を対馬に向かわせて退去させる。幕府の判断通り、ロシアは去った。小栗は軍事力の必
明治維新という過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~(原田伊織著:講談社)は通常の歴史観が引っくり返る衝撃的なタイトルです。私はこの内容を100%肯定するわけではありませんが、基本的には肯定します。何故なら、薩摩と長州だけで明治維新を成し遂げ、近代日本を築き上げたわけではないからです。260年の江戸時代に築き上げられた徳川幕府の遺産が明治時代に適切に引き渡されたからこそ、近代日本が成立したのです。江戸時代は治水・河川改修、灌漑事業が盛んに行われた時代であり、耕地面積、石高が飛躍的に増