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『史跡長柄横穴群』古墳時代終わりの横穴墓という墓が集まったところだそう結構狭い倒木(竹だけど)なんかがあって誰も使用していないような道のりを通るから結構な不安のなか到着駐車場と資料館は綺麗車は1台もなくて資料館は誰もいなそうだったから近づかなかった(電話すると来てくれるらしい…)誰もいない静かな所でイノシシ地味に怖い〜が、悪い顔した看板が可愛らしい第2小支群から見学扉が閉まっていても中を覗ける様になっていてもこの静かな中だと結構怖い↑ガラス戸になっている第5号墓は怖くて
古月横穴(ふるつきよこあな)福岡県鞍手郡鞍手町古門古月横穴は大正15(1926)年に発見され、昭和7(1932)年に国指定史跡に指定されました。古墳時代の6世紀後半から7世紀後半に造られた横穴墓は、現在のところ40基が確認されています。これらの墓は硬い岩盤をくりぬいて造られ、墓の内部には赤色の文様や線状に刻まれた文様が施されているものがあります。現在の様子は、平成6(1994)年度から実施した発掘調査をもとに復元したものです。造られた頃北
☆高井田横穴群(高井田横穴公園)河内国大県郡大阪湾柏原市高井田(柏原市立歴史資料館が隣接)(資料館見学と合わせて資料館Pに停めています)生駒山地の最南端、「大和川」の北畔の丘陵地に築かれた横穴群。162基が確認されていますが、実数は200基以上とも。頂にはひときわ大きな高井田山古墳が築かれ、こちらが一族の首長墓とみられます。被葬者として昆支王(コンキオウ)が想定され、古墳群はその子孫である飛鳥戸氏のものと考えられています。横穴公園として整備され、当墓群を含む柏原市全体の遺物を展
先週からの続きでやってきましたのは此処。これに見えるのはぜ〜んぶ古墳❗️いや、冗談抜きに見えているところ、本当にほぼ、ぜ〜んぶ古墳なんですよ❗️崩れているところも古墳ほぼ、跡しか残っていないところも古墳上から落ちてきたのか、石が点在しているのも元は古墳の石…じゃないかなぁ🤣このように穴が空いていて、少し危険な香りがするような気もしますけど、これも古墳。天井が落ちたのか、盗掘で天板を剥がされたのか…そのような古墳も何ヶ所か確認できます。しかし、低いところからパッと見たときは、
こんばんは、mmm(まーママ)です。10月31日(金)磨崖仏に続き、横穴に興味を示したワタシのために、まーパパが見つけてくれました。駐車場はちょっと離れているところにあります。この標識を右へ。この看板から、さらに右へ。民家の横の道を進んで行くと、到着です。古月横穴福岡県鞍手郡鞍手町古門鞍手町古門の丘陵地にある横穴墓(おうけつぼ)です。横穴墓古墳時代の人たちが作ったトンネル状のお墓。古月横穴は、
島の百穴昭和28年7月9日県指定百穴は、古墳時代後期(西暦600年~700年頃)に岩の崖面に横穴を掘り込んで造られた横穴墓で、横穴古墳ともいわれる。横穴は後期古墳に●横穴式石室をまね、玄室(墓室)、羨道、羨門からなる。玄室の平面は長方形や台形で、断面はカマボコ型、ドーム型、屋根型、台形等があり、中には棺座を設けたものもある。通常は羨門を石等で閉鎖しておき、家族墓として使用された。百穴は江戸時代にはすでに知られ「水府志料」によると昔は40~50基くらいあったとされ、居住性のよいことか
Howwearywegrowofourpresentbodies.Thatiswhywelookforwardeagerlytothedaywhenweshallhaveheavenlybodieswhichweshallputonlikenewclothes.(2Corinthians5:2)2025年10月20日(月)同業者の晶子さまと美弥さまが押し寿司やシャインマスカット、たい焼きなどいろいろおいしいもの
吉見百穴(よしみひゃくあな)吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末~7世紀後半)に造られた横穴墓群で、大正12年に国の史跡に指定された。横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものであるが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じである。百穴が分布する一帯は凝灰質砂岩と呼ばれる比較的掘削に適した岩盤が広がっており、当時の人々は掘削するのに適した場所を探して横穴墓を造ったと考えられる。吉見百穴は明治20年に発掘調査が実施されているが、わずかな写真と出土品を残すのみで詳
神奈川県横浜市栄区にある宮ノ前横穴墓群を見学してきました5支群25基からなる横穴墓群だと言われてきましたが、2013年~2014年の調査で、3基追加されて現在28基となりました6〜7世紀の築造✋フェンスで囲まれていて、近くで見ることは出来ないのですが、鎌倉式と呼ばれる特徴をもつ横穴墓があるので、行く価値ありますよまず、JR本郷駅前でレンタサイクルを借り、「鍛冶ヶ谷市民の森」を目指して約10分走りました森の中に横穴墓群が保存されているので、看板近くにある階段から丘陵に上がってみますね
須賀川カブフェス、町洋食ランチを楽しんだあとショッピングtimeショーウインドウには看板猫さまがいらっしゃります昨年は三毛猫店長がいらっしゃいましたが今回は白猫副店長が当番?気持ちよさそうに寝ておりましたガンビー的須賀川土産のイチオシ商品蒸した餅米を天日乾燥し水あめで固めたおこしかみしめる程に米の香りが広がる美味しさなのですょ12個入りの箱&バラで6個ご購入~『須賀川市かみしめ屋さんのかみしめ』福島ツーリングのお土産購入に須賀川市馬町2−5かみしめ屋さんへ~看
加賀の山手にある、古墳時代後期の横穴墓群。斜面上にボコボコと口を開けた穴はちょっと異様。大きさは色々で、大きなものだと立ったまま余裕で入れます。ただ注意が必要。よーく見ると、いるんです、アレが・・。詳しくは→栄谷丸山横穴群
〒355-0155埼玉県比企郡吉見町北吉見327¥300古墳時代の横穴墓太平洋戦争末期に地下軍需工場が造られる売店埋蔵文化財センターの展示物松山城跡の岩室観音
令和7年2月、キック・ザ・ツアーで、鎌倉の佐介〜山ノ内地区へ。瓜ガ谷やぐら群を出た我々は、山道には戻らずに、反対側の舗装された坂道を下る。そして、北鎌倉駅の方へ下る途中の左手の森へ。そこは、地図上では、『西瓜ガ谷やぐら群』となっている。森の周囲を一周したのだが、入れない。怪しい階段の在る場所は、残念ながら、隙間の無い金網で覆われていた。一箇所だけ、僅かに木が伐採されていた所から森の奥を覗き見ると…↓↓↓写真中央、怪しい場所が。↓↓↓拡大してみると…↓↓↓明らかに四角い
令和7年2月、キック・ザ・ツアーで、鎌倉の佐介〜山ノ内地区へ。瓜ガ谷やぐら群、更に隣の小さ目のヤグラへ。こちらは五輪塔が一つ彫られている。その隣の穴は、奥の大きなヤグラと繋がっている。↓↓↓大きなヤグラと繋がる穴の前には、新しい切り口の岩が…どうやら、最近、天井の一部が崩れた模様。↓↓↓隣の大きなヤグラを外から見ると…↓↓↓中央の大きな石仏は、お地蔵さんか?↓↓↓右奥のこの窪みは…石仏か、五輪塔か、或いは遺骨が安置されていたのか??↓↓↓右側奥の壁面には、五輪
令和7年2月、キック・ザ・ツアーで、鎌倉の佐介〜山ノ内地区へ。荒れた道の奥の、瓜ガ谷やぐら群。鎌倉時代の横穴墓『やぐら』。瓜ガ谷やぐら群は全部で5穴なのでが、一番右は、ほぼ埋まっている。右から二番目が、こちら。↓↓↓↑↑↑高さ50cm程で、五輪塔の残骸らしき物が。↓↓↓その左隣へ…↓↓↓こちらは、壁面に五輪塔が彫り込まれている。↓↓↓右側の壁面。↓↓↓右奥の角。↓↓↓こちらは左側の壁面。↓↓↓左奥の角。↓↓↓左の壁面に彫られた五輪塔の前の小さな穴に
神奈川県にある横穴墓巡りの続きです中郡大磯町虫窪にある、たれこ谷戸西横穴群を見てきました古墳時代後期の横穴墓28基が、4段にわたって構築されています。14号墓の天井に、垂木・軒を表すと考えられる浮き彫りがありますので見学してきました※28基中4基には、漆喰と思われるものが塗布されていたり、閉塞石も見られるようですが、そちらはおそらく藪になっていますJR大磯駅からバスで、まず大磯町美化センターを目指しますそこから、丘陵の上に向かって歩くと、説明版がありました説明版を過ぎてから横穴
先週、神奈川県で横穴墓巡りをしてきました中郡大磯町の城山横穴墓群を見てきましたが、ここは城山公園内にあるので訪ねやすく、大磯駅からバスで行けます横穴墓は20基あるとされていますが、以前の記録では32基まであったようで、いくつかは埋没したと考えられています古墳時代後期の築造公園内の東側、黄色の丸をつけたあたりに3段12基の横穴墓があります見たところ12基なかったので、埋没か、私の見た位置が違うのかもしれません張り切って向かいますが、急な階段などもあるので気をつけながら進んだとこ
今後埼玉北西部へと調査を進めるにあたって、荒川以西エリアと秩父について振り返ったのが前回でした。さて、その調査過程でテーマが2つ浮上しましたので軽く触れたいと思います。1)横穴墓の由来2)雷電神社の祭神1)横穴墓の由来横穴墓はWikipediaによれば「5世紀後半の九州北部の豊前地域に始まり、6世紀中葉に山陰・山陽・近畿・東海地方まで盛行し、7世紀初頭までには北陸・関東・東北南部まで分布した。薄葬令(646)前後から爆発的に増加した。一部では奈良時代の8世紀中頃まで造られ終焉し
日本三大古碑の1つ、多賀城碑を堪能したあと、多賀城跡を歩いてみました↑昨日もアップした多賀城政庁南大路跡当時も実際、これくらいの幅だったんですよちなみに奈良時代の官道って幅が10メートルくらい、両側にはちゃんと側溝もあったようです。↑南大路の一番低い箇所に設置されていた排水暗渠施設跡↑排水暗渠施設の解説板↑手前が多賀城創建当初(724~)の南門跡、右奥は藤原朝狩によって修築された頃(762~)の官衙主屋が再現されています。↑こ
6世紀後半~8世紀初め頃に掘られた横穴墓。現場の雰囲気は独特で、どことなーく異様です。驚きなのが穴の美しさで、まるで金属器で削られたかのような精巧さ。シャープなエッジが光りに光る、職人気質の技が見られます。詳しくは→城が平横穴古墳
白石市指定史跡郡山横穴古墳群所在地白石市郡山字穴前十九番地郡山横穴古墳群は、白石盆地を開拓し農耕を営んでいた豪族の墓とみられています。これらは五~七世紀の円墳や前方後円墳を築いた鷹巣古墳群(宮城県指定史跡)に続くものと考えられ、七~八世紀に造営されました。現在六十七基を数えますが、付近には他にも四十基ほどの横穴が確認されています。これらは江戸時代にはすでに開口し「えぞ穴」と呼ばれ、アイヌ人の墓という説などもありました。後人の利用や自然破壊のため原形を損じているものも多く、遺体や副葬品
竹の花横穴古墳この横穴古墳は、約六メートル四方の巨大古墳で、全国的にも例をみない単独墳である。昭和四十五年の発掘調査により、土師器(赤い素焼きの土器)、須恵器(灰青色の土器)、直刀、刀子、閂金具、三個体の人骨など古墳時代や平安時代のものとおもわれる遺物がたくさん発見された。これらの遺物や遺構から、横穴の原形は古墳時代に作られ、その後豪族の共同墓地として長年使用されて、平安時代中期以後になってから左記(遺構平面図)の構造に作りかえられたと推定される。玄室(遺体の安置室)壁巾約6
今月初旬に、東京都町田市三輪にある、下三輪玉田谷戸(ぎょくたやと)横穴墓群を見学してきました7世紀代築造の横穴墓が4基並んでいるのですが、そのうち2基に家構造を模した彫刻があります出土品は、黒色土器、須恵器の壺行き方はいくつかありますが、私は妙福寺前バス停から徒歩で向かいました横穴墓群の入口に標柱あります山道を入り、ちょっと忘れてしまいましたが、この入口からは10分少々くらいで着けたと思います山道を進んだ右手に少し開けた斜面が出てくるのですが、ここに4基並んでいます4基中2基の
令和6年11/3(文化の日)、キック・ザ・ツアーin北鎌倉。鎌倉五山四位・臨済宗円覚寺派浄智寺、仏殿(曇華殿)の裏手へ。山肌には洞窟?↓↓これは山から滲み出る水を摂る為に掘られた「横井戸」。↓↓更に山裾を廻り込んで行くと、中世横穴墓「ヤグラ」が。↓↓こちらもヤグラ。ここは横穴墓と言うよりも、石仏を安置する為に浅く掘られた物かと。↓↓小さめのヤグラも。↓↓更に奥へと進むと、大きなヤグラの中に、新しめの布袋尊。鎌倉七福神の1つでもある。↓↓知って
今週、神奈川県横浜市青葉区の市ヶ尾横穴古墳群を見学してきましたA群12基・B群7基の計19基で構成されている横穴墓群で、6世紀後半~7世紀後半の築造です19基全て同じ構造ではなく、この地域では珍しい複室構造の横穴墓が含まれています。また、前庭部があり祭祀が行われていたと考えられています✨10年くらい前に行ったことがあるのですが、その時は蚊に襲われて退却今回は11月に行っているのに、蚊が多くて参りました東急田園都市線・市が尾駅から徒歩15分くらいで、古墳群に到着整備されていて、横穴
緑いっぱいの丘陵地帯に、ぽっかりと口を開けた無数の穴、、、その光景を見た瞬間、息を呑みました💦マジ、スゴすぎて言葉が出なかったです。神秘的な感じでした、、、パンフレットには、、、「吉見百穴…古墳時代後期の巨大な横穴墓…」マジでぃ???入ってみましてん…「あ~~~~」、、、おお!!声めちゃ響く最後まで登りました。。。。ただ残念なことに、すべての穴に入れるわけじゃなくて、中には、立ち入り禁止になってる場所もありました。ちなみにスタンプラ
先週末、神奈川県川崎市多摩区東生田にある、生田長者穴横穴墓群を見てきました7世紀中頃から後半にかけて築造された横穴墓群で、32基で構成されています小田急小田原線・向ヶ丘遊園駅から徒歩10分少々住宅地すぐそばにあり、見学道もあるので歩きやすいです階段があるので、場所はすぐにわかりました山を上がると桝形山展望台など色々あるのですが、横穴墓群はこの階段のすぐ先なので、1分で着けました山の入口にある感じですね「長者穴」という名称が気になります長者をイメージさせるほどの副葬品があった可能
「東嶋横穴墓」。冨塚小学校北東。東嶋橋そば。(静岡県浜松市中央区(旧中区)富塚町1634)駐車場なし。トイレ・自販機なし。富塚町にはいくつかの横穴式墳墓があったとされていますがそのほとんどが消失しています。そうちの一つがココ。墳丘を持たない墓を横穴(よこあな・おうけつ)と呼び墳丘を持つ墳墓より時代が古いと言われています。この地方だと6世紀中葉でしょうか。伝説では「トミノオビトがこの一帯を治めていた」「トミノオビトの墓がある」とされていま
i神。さん&ゆだぽんと行く光る吉見百穴ツアーおぉ〜あれに見えるはもしや吉見百穴ではありませぬか⁉️ということでいよいよ今回のツアーのメインである吉見百穴を拝観♪『吉見百穴』吉見百穴は古墳時代の後期〜終末期(6世紀末〜7世紀後半)に造られた横穴墓で、国の史跡に指定されています。横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものですが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期に築造された古墳の横穴式石室とほとんど同じです。吉見百穴が分布する丘陵一帯は凝灰質砂岩と呼ばれる掘削に適した岩盤
松岡城では雨降りだったのに移動したら止みました到着時には、良い空となってましたここもお目当ての1つ行ってみよう意外と森の中に入っていきましてねまたしても蜘蛛の巣っまじ嫌だ棒を拾って顔の前に立てて歩く十王前横穴墓群十王前横穴墓群(通称かんぶり穴)は十王川に面する丘陵の西斜面にあり、29基の横穴墓が確認されている。この横穴墓群は、玄室の規模が大きく、奥室が台形で、石を敷きつめた一段高い床面を設けた横穴墓が多数存在するのだが、最大の特色は、玄室の壁面に、三角形や菱形、靫(ゆぎ)