ブログ記事20件
初夏に担当する作品で、技術周りをまとめてるのがHさんという方で、制作会社のP部の方とは会っているのだが、ポスプロ周りの仕事をウチにまとめようとすると、そのHさんという方と話をしないわけには、どうにも進まないので、一度弊社におこし頂き、とりあえず情報の共有と、スタジオを見てもらおうという行動を取る。なんせ初めての完全アウェー感が満載なので、探り探り話を進めてくと、Hさん、今でこそ技術会社で色々と仕切っているのだが、元々はスプリクターさんというのが判明し、理由あって、今の会社の社長してるという話に
初めて来たよ天王台❗️我孫子より先なのね。そういえば、象さんのポットの宮野くんは我孫子の実家から横浜の映画学校に通っていたから、皆んな「アビコ」って呼んでたなぁ……---
桐野安生が映画学校の後輩であることを知ってしまった。まあ本人的には「ウッチャンナンチャンの後輩」と言われたほうが余程嬉しいだろうけど。---
【アイリーン・キャラさん死去63歳「フラッシュダンス」の歌手】1980年末に日本公開された、総合芸術学校を舞台とした映画『フェーム』。翌春に横浜の映画学校入学が決まっていた私は奮い立ったよね♪リロイの「俺……アルビン・エイリーに誘われてるんだ……」という台詞にはむしろビビったけどw☆IreneCara「Fame」(1980)アイリーンによる主題歌「Fame」は何度も繰り返し聴いたっけ。そして時は流れ……スター・チャンネル3で放送された「ガールズ2」日本語吹き替え版の中で、私
高校生の頃、テレビで放映される映画漬けになり、読書も書くことも大好きだったこともあって単純に、映画評論家、というものに憧れを抱いたちょうどその頃、今村昌平監督が開校した映画の専門学校があると知り、進路はそこに決まった専門学校とはいえ、専修学校ではないので映画館の学割もきかず、進学後はひたすらバイトに明け暮れて映画代と生活費を稼いだものだった当時の授業で隔週土曜日に、日本映画と外国映画の特別講義があった潰れたボーリング場が教室で、そのビルの下にある劇場を
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住倉カオス「農家の怪談で思い出したんですが、学生時代[農業実習]というものがありまして。まぁ、映画の学校だったんですけど」ありゃりゃ❓オレの後輩か〜い❗️---
先日仕事でちょっと関わったオズワルド伊藤氏が「白黒アンジャッシュ」(チバテレ)の中で我が同期の名を。そうか〜ちょっと似てるなぁ〜思い出すなぁ〜といつも思っていたけど、そもそも意識していたのか〜象さんのポットをw---
【太田光が日大に受からなかったら?出川哲朗やウンナンが相方の可能性】「太田の進路先に横浜放送映画専門学院が記された」Σ(ʘдʘ)ナヌッ!!「太田は、1984年3月に高校を卒業していますから、もし横浜放送映画専門学院に進学していたならば、ウンナンや出川の一年後輩となりますね」ということは、ワシの三年後輩になっていたかも知れないということか。(`ω´)フムフム...---
血を吐いて死にたい、なんてとんでもないことを口にした友は、しょっちゅう献血に行っていたっけ映画学校時代の同級生で、1歳年上のクミちゃんはちょっと変わった女子だったたぶんちょっとどころではないな、いつも精神的な危うさを漂わせながらも奔放に見える男性関係や自由な発想、そのギャップが一層不思議な魅力を呼ぶお姉さんでもあり仲良くできる希少な女子同級生であったなにしろひとクラス50人くらいの中で女子は1割、どうも女子はつるむより警戒し合う的な面もなきにしもあらずで、
【漫才界の大御所内海桂子さん死去97歳】[漫才コンビ「内海桂子・好江」で人気を集め、漫才界の大御所として活躍してきた内海桂子さんが多臓器不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。97歳でした]横浜の映画学校では演劇科で漫才の授業があり、その講師が内海桂子・好江師匠だった。正直その時点で失礼ながら「さすがにオ●アちゃんだよなぁ〜」と思ったのだが、それから40年。大正、昭和、平成、令和──最早それだけで凄いことだ。2期後輩のウッチャンナンチャンがいきなりバカ売れしたことで、お笑い芸人に
【映画「陽はまた昇る」「半落ち」などで知られる、映画監督の佐々部清(ささべ・きよし)さんが、3月31日に山口県内で亡くなったことが分かった。62歳】※4/1追記心疾患との報ありウソだろ!!!!急すぎるよ……三年前、「八重子のハミング」公開初日の新宿武蔵野館で立ち話をしたのが最後。これから仕事の話を、と思っていたのに。横浜放送映画専門学院七期。今の日本映画大学の前身の日本映画学校のさらに前身。横浜そごうの隣のスカイビル。その最上階の一角を石膏ボードの
前回のブログでチャップリンについて書かせていただきました。チャップリンと言えば映画。そして、私自身が映画の専門学校に通っていた過去があるのと、淀川長治先生の映画友の会にも通っていたのとで、映画=淀川先生といっても過言ではないわけな私なのですよ。という事で、淀川長治さんについても数秘を調べてしまいました。1909年4月10日生まれ亡くなったのは1998年11月11日実は私お葬式にも出席しております。大きな写真が印象的なお葬式。弔辞は双葉十三郎さんと黒柳徹
1889年の今日は、喜劇俳優であったチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれた日だよ。チャーリー・チャップリン言わずと知れた喜劇王!チャップリンというと、私は自動的に映画評論家の淀川長治先生を思い出します。淀川長治さん、って書いてもいいんだけど、私にとっては淀川長治さんは、先生でもあるので、敢えて先生と書かせていただきました!淀川長治先生に最初にお会いしたのは確か中学生の頃淀川先生が主催していた横浜映画友の会でした。映画好きだった私は、その会にほぼ毎月参加
先日12月20日水曜日、大阪のあじろゆきさんのイベントに参加した報告その2です。その1はこちら↓↓↓https://ameblo.jp/grangloria/entry-12338009180.htmlブログネタ満載ツアーでありまして、一度のブログに書くとてんこもり過ぎるので、何度かに分けて書かせていただいております。ほんと、このあじろゆきさんのイベント、ネタがてんこもり!私とここに集う人たちのご縁が深いのでしょうか?!前回のブログでは初めてあったひとみんと仲良くな
ハッピーエイジングまりりんです両親がとっておいてくれた、映画学校時代のパンフレットや、お芝居のチラシを、久しぶりに見た両親が応援してくれた夢を、必ず叶える未だにまだ力が入らないんだけど、力まないくらいが、私にはちょうどいいのかもしれない6年前のさくらマザーのオーディションの時も、「『青空』の映画化の為に、何かのキッカケになればと思い応募しました」と、ハッキリ広言していたし…色々あったし、遠回りも足踏みもしたけど、ゴールへ向かう気持ちはズレていないしかも、精神的に
『八重子のハミング』初日。同期の誉れ(と言われても迷惑だろうがそこは有名税ということで)佐々部清監督の新作初日ということで、初めて新宿武蔵野館へ。ロビーに足を踏み入れた瞬間、舞台挨拶前の佐々部監督とバッタリ!同期とは言え歳上でありまともに話したこともほとんど無いため余所余所しさは否めず、「初日おめでとうございます」の次には奥さんの近況をうかがうという状態wあ、奥さんについては説明を端折ります。襟川クロさんのMCで始まった舞台挨拶では、升毅さんの歯がアレしたとか高橋洋子さんが22年ぶ
日比谷神社⛩に詣でてからオーディション。そこで一緒だった某事務所の女優さん、某劇団の所属でもあるらしい。そういえば主宰のケラさんは横浜の同期なのだが、いまだに会ったことがないwww---
そっかぁ〜成人の日かぁ〜おめでとなぁ〜!斯く云う私は成人式にも出ていない。川崎の新聞店に住み込みで働きながら横浜の映画学校(横浜放送映画専門学院=のちの日本映画学校。現在の日本映画大学)に通っていたあの頃、成人式どころか同級生の呑み会にもまともに出られなかった。それが「新聞奨学生」というやつですよ。あ、アブドーラがIWGP参戦を発表した川崎市体育館には行ったけどw---悪逆無道!極悪ヒール烈伝DVD-BOX[上田馬之助]¥9,210楽天
過日、「じわじわチャップリン」(テレビ東京)で同級生の名前が出てきた。ウッチャン(ウッチャンナンチャン)の口から出てきたその名は「象さんのポット」。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科7期生。ウッチャンナンチャン、出川哲朗といった人たちの2期先輩にあたる。「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」に登場した「父さんのコップ」は、象さんのポットのパロディ。横浜駅東口のスカイビルであいつらと一緒に稽古してから、もう30数年たつんだなぁ〜w☆象さんのポット漫才---【中古】