ブログ記事42件
久々に浮上して来ました。2ヶ月半ぶりくらいでしょうかね~ブログ主はいたって元気に、あちら此方に遊びに行ったり楽しく過ごしてました。そろそろ気合いを入れ直して更新頑張りまーす今日は午前中は仕事。午後から区役所にマイナンバー更新の手続きをしに行ってきました。横浜公園のチューリップ🌷咲き終わってるチューリップも沢山あったけど…白いチューリップだけは今を盛りと咲いていて綺麗でした更新手続きは10分程で終了。また5年後に更新手続きだそうです。娘②と一緒に来てたので、このままお散歩しま
2023年4月神奈川県横浜市保土ヶ谷区岩井町横浜水道幹線路の隧道で、公道と兼用らしいです横浜市認定歴史的建造物土木学会選奨土木遺産1930年竣工ブログ開設前の探索とは言え、あろう事か北側坑門の撮影をしていませんでした南側坑門南側坑門より更に南下した地点にてこの道は水道幹線路も兼ねているから、関連の水道管ですかねここで振り返っていれば、寂れた通学路標識も見ることが出来た(画像はストビュー切取)病院前の電柱萬来軒この隣が駐車場なのですが駐車場になぜか国鉄の境界標があります
日本大通り沿いには、戦前の面影をよく残した建物が多く残る。それらを求めて県庁辺りから、突き当りの横浜公園まで歩いてみた。この時期木々の葉がほぼ落ちて、一番建物が見える。建物を通りの向かいから、横に広く入れてみた。大敵は目の前を通る車!1神奈川県庁「キングの塔」の愛称で親しまれている神奈川県庁本庁舎。国指定重要文化財。通称横浜三塔のキング。竣工:1928年設計者:神奈川県内務部2横浜地方裁判所今もテレビドラマ、実際の裁判のニュースでよく目にする建物。後ろの高層部分は別
先日山手のエリスマン邸の次に訪ねたのは隣のべーリック・ホール。異国調のスパニッシュスタイルが特徴。イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、J.H.モーガンにより1930年に設計された。べーリック・ハウスではなく、ベーリック・ホールと呼ばれるのであるから、いかに内部が広いか想像できよう。訪問はかなりの回数で、いろいろな思い出もある。今回はそんな中から。結婚式が良く行われた。中では歌手がリハーサルをしていた。歌声が気持ちよく外に流れてきた。ここは2000年まで、今は
昨日も晴れて、気温14.7℃サッカー女子、パリ五輪アジア最終予選で日本は2ー1で北朝鮮に勝利旧円通寺の雛飾り2023年3/4のブログ龍華寺つるし飾りはこちら2/28の朝も快晴で、並木~長浜公園散歩後スーパーで買物!2/27、Hiro.が金沢八景権現山公園の旧円通寺客殿の雛飾りを見に行った!旧円通寺客殿の次の間では・・・貝合わせの蛤!「平安時代末期から行われている貝殻を合わせる遊戯。360個のハマグリの貝殻を左貝(出貝、ダ
戦前に建てられ現存する洋館の最初の所有者は外国人、成功した実業家、外交官、医者が大多数を占める。そこに筆者は「日本郵船」を加えたい。戦前の海外の支店長、国際航路の船長は日本円にするとかなりの給料を得ていたと考えて間違いない。戦後は国際線の飛行機の機長が船長に代わり、そうしたポジションであったと言えよう。かつての横浜郵船ビルを改装した「日本郵船歴史博物館」。現在再開発で長期休館中。ここではそうした日本郵船関係者の洋館を見ていく。1先日訪問した広尾の「旧石丸助三郎邸」は1923年
皆さまこんばんは♪ちょいと前のネタですが。先月インボイスの関係で実家に帰った時、ふと思い出し、ある所へ行ってきました。実家近くにある通称長屋門公園。実はこの門ですが、私の曾祖父が施工した物です。一応、横浜市認定歴史的建造物になっています。多分数十年ぶりかな?内部を見学させて頂きました。改めて物弄りが好きな自分の原点を見ているような。普段は公民館的な目的で使用されているようです。実家にもこんなのがあったなぁ。こんな彫り物も実家の玄関にあります。人生100年と言われ。色々
夫と一緒に久しぶりの横浜。お昼はホテルニューグランドでいただきました🎵写真topは何にしようかと迷ったけど…やっぱり“鉄板”のこちら😊💙ザ・カフェでのお昼は、窓際のボックス席に座れてラッキー⤴️💕✨✨夫はオムライス、卵の綺麗な事💛💛私はドリアと迷ったけど、スパゲッティナポリタン。こちらが発祥の伝統の品ですね❤️ソースはトマトケチャップではなく、生のトマトやトマトペーストを使用しているそうで上品なお味。サラダのトマトは綺麗に湯剥きされていました🎵スタッフさんの数も多いですね。
おはようございま~す♪玄関開けたら『観光客』~♪北海道が好き過ぎて千葉県から移住してきたしげちです^^本日の札幌の様子です晴れでございます現在の気温11℃ちょっと冷んやりした風が吹いてますが今日は陽射し&青空が嬉しいですね♡☆悲しい訃報☆ARTROムンビン氏逝去享年25歳ムンビンくん私でも知ってるよー!!私はARTROのファンでは無いけどチャ・ウヌくん見たさにASTROの動画見たりした時ムンビンくんも見てたよーー!!って言う
『エリスマン邸』を後にして道路の反対側にある西洋館へ向かうのでした。気楽に行こうよ俺たちは焦ってみたって同じことのんびり行こうぜ俺たちはなんとかなるぜ世の中は横浜山手西洋館マップ山手234番館何故か人がいっぱいで、一番いいところの玄関が撮影出来なかったので写真お借りしました。<(__)>ベランダの手すりやポーチの円柱がモダンなデザインになていますよね。設計は朝香吉蔵。朝香は1889年(明治22年)生れ。浅野造船所、横浜船渠(現・三菱重工業横浜製作所
横浜日本大通りの情報文化センターの建物は旧横浜商工奨励館で1929年に建てられ、2000年の改修を経て現在に至る。どの位オリジナルの部材などが使われているのかは不明だが、横浜市認定歴史的建造物に認定されている。階段も歴史が感じられる。現在「情報文化センター」と生まれ変わった関連で、2階のカフェは「カフェドゥラプレス」とプレスの名前を付けている。店内もシックで、少し無理をすると窓から県庁の「キングの塔」も見える。こちらも震災後の1928年の建築。背景に溶け込むパスタ。(「孤独
(追加)2023年8月19日の朝日新聞に「さよなら伊勢佐木町の不二家米兵もダンスに興じたビル、建て替えへ」という記事が出ました。近く解体されるそうです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー不二家の発祥は横浜元町である。藤井林右衛門が1910年に洋菓子店を開く。ケーキ食べ放題の日は山手のミッションスクール、セント・ジョセフ・カレッジが多数訪問したという。1923年の関東大震災で焼失した後、伊勢佐木町店、銀座店の
以前から気になっていた山手の133番をようやく訪問した。買い上げて復元したのは横浜でお土産菓子を製造する「三洋物産」で、社長がほれ込んだから実現した。洋館が次々失われる中の快挙だ。以前訪問していた時から異なるのは、塀が取り払われ全体が良く見渡せる。人が実際に住む洋館と違って、見せることを意識した作りだ。壁の色は灰色だったが、今は黄色系で一瞬同じ建物かと疑ったほど。オリジナルの色に戻したのでしょうが、まだ景色にもなじまないというかまさに新築の建物の様。庭の植物を含め、しばらくしたらもっ
最近、横浜市認定歴史的建造物の写真を撮り歩いている。戸塚の矢部町には嬉しい事にふたつもある。ウォーキングの価値ありです。1旧ウィトリッヒ邸。1933年頃の建築でスイス人が住んでいた。戦争中は夫婦で農業を営んでいた。撮影した日はちょうど草を刈った後で、全体がよく見えた。抜けるような青い壁が美しい。僕のお気に入り洋館の一つだ。ウィトリッヒの足跡に興味がある方はこちら。近寄ると、だいぶ傷みが見える。今はだれも住んでいないよう。2伊東医院創業は江戸時代末期(1853年の嘉永6
東横線白楽駅を起点にして2軒の有形文化財、そして1軒の横浜市認定歴史的建造物の建物を、頑張れば1時間くらいで訪問することが出来る。他にも味のある建物がポツリポツリ残っている。この辺りは横浜の中心部に近いが、空襲は受けなかったのかな。1旧市原重治郎邸東横線の車内からも見えるこのお宅は1925年に主屋(洋館付き)が建てられ、右の土蔵は1932年の建築。高い塀と樹木で建物は見にくい。結局駅のホームからが一番見えた。(下の写真で母屋と洋館)右の土蔵は大規模改修中。これまで市原家の家
日吉駅からさほど遠くない中澤高枝邸。1933年の建築。日吉で郊外住宅地の開発が始まった最も早い時期に建てられた個人住宅で、外国航路の客船の高級船員だった人の家だったとか。日本郵船の事であろう。横浜市認定歴史的建造物の木造2階建て。今も普通に暮らしている家で、植木に囲まれて、写真を撮るには苦労が多い。先の中澤邸の近くにきれいに手入れされているが、古そうな家を発見。住民の方に聞くと築80年だそう。そうだよね、自分の目に狂いはない!?個人的にはこちらの方が好きだ。市に認定されるには基本、オ
ジェームス・カーティス・ヘボン(通称ヘボン博士)は、ヘボン式ローマ字の考案者として知られている。幕末に訪日し、横浜で医療活動を行った。また東京では明治学院を創設した。パスタを食べに横浜を訪問した際に、ヘボンの痕跡の写真を撮ってきたので、まとめて紹介する。1859年10月17日(安政6年9月22日)にヘボンは横浜に到着する。そして下の写真の成仏寺(横浜市神奈川区)の本堂を住まいとする。日本開国直後は、米英仏などの領事館は神奈川区に置かれたので、ヘボンらも同じ地区に住んだ。興味深いのは領事館も、
ホテルニューグランド発祥のプリンアラモードう…美しぃ当時宿泊していたアメリカ人将校夫人たちを喜ばせたいという想いからパティシエが考案されたそぅですさぞ貴婦人たちゎ喜ばれたことでしょうホテルニューグランド発祥の伝統料理ゎプリンアラモードのほかに「シーフードドリア」と「ナポリタン」があります今回ゎ本館2Fの不定期でオープンする“幻”のレストランへ開業時はメインダイニングで親しまれていたダイニングルームフェニックスお客さんの殆どが外国人客だったことから桃山調と呼ばれる
ボロボロ「旧ウィトリッヒ邸」昭和8(1933)年先日訪れた戸塚にある「旧ウィトリッヒ邸」の状態の悪さにショックを受け、手厚く守られている山手の方の洋館も見てみよう、と訪れました。「山手資料館」明治42(1909)年「横浜山手西洋館」は横浜の山手に保存されている7つの洋館の総称です。私の中のイメージは、地方から友達が上京すると連れて行く場所。本当の観光地。「横浜市緑の協会」というNPO法人が住宅や庭を徹底的に管理しているようで、どこに出しても恥ずかしくない保存状態の建物が並んでいました。
『【旅ラン】横浜で戦前の建物等を探す①』横浜で戦前の建物等を走って探したときの記録です。桜木町を起点として、横浜で見るべき戦前の建物等の大部分は訪れることが出来たように思います。写真を絞っても4…ameblo.jpの続きです。前回の旧横浜正金銀行本店本館について、日銀にも負けてない感じですね。というコメントをいただきましたので、設計者についてもう少し勉強してみました。妻木頼黄(つまきよりなか)という方は、明治建築界の三大巨匠のお一人。大蔵省営繕の総元締めとして絶大なる権力
横浜日本大通りのカフェ・ドゥ・ラ・プレス。お店の入る情文センターの建物はオリジナル部分は1929年に建てられた横浜市認定歴史的建造物。フレンチのお店だがパスタランチが2種類ある。いずれもショートパスタなのは少し自分的には残念だが、リガトーニ・牛肉のボロネーゼ(1100円税込み)にコーヒー(220円)を注文。サラダと冷製スープ。あまり頼まないタイプのショートパスタだが、横浜の歴史と共にじっくり味わった。^_^紙の下敷きも洒落ている。
kaho*公式HPhttps://kaaaaho.jimdofree.comLiveスケジュールhttps://kaaaaho.jimdofree.com/live/WEBSHOPhttps://kahowebshop.thebase.in・・・おはようございます!結局昨夜最後のブログあげられなかった、、、ツイッターに書いた”目がしょぼしょぼ”の原因は花粉でも泣きわめいたわけでもなく(笑)PC作業のしすぎでした!(笑)切
単身赴任している妹が帰省したので、会いに行ってきました横浜のレトロな構造の建物が並ぶ馬車道ちょっと雰囲気に酔いしれてみましたまずは歴史博物館でーんと佇むこちらの建物横浜のシンボルでもありますね。横浜第二合同庁舎(旧生糸検査所)東京藝術大学旧横浜銀行横浜郵船ビル(日本郵船歴史博物館)横浜ランドマークタワーこちらの方が横浜のシンボルかな財布をくわえた犬跳ね馬(←さすが馬車道だけあるある!)そもそもは映画に行こうというお誘いクリント・イーストウッドさんの監督主演映画「
横浜みなとみらい線馬車道駅から近い北仲通地区は大変革中。高層複合ビルが建てられ、右下は横浜市指定有形文化財である旧帝蚕倉庫事務所。高層ビルの横でかわいく見えるが、復元後イベントスペースとして利用されるようだ。NHKドラマ「いだてん」で金栗四三の盟友として登場した三島弥彦は、1943年2月に横浜正金銀行を退社、帝国蚕糸倉庫監査役に就任している。この事務所に勤務したのであろうか?テレビドラマ「ケイジとケンジ」に出てくる、横浜桜木警察署は右下の旧帝蚕倉庫事務所だ。(2020年2月5日
最近、横浜市認定歴史的建造物の写真を撮り歩いている。戸塚の矢部町には嬉しい事にふたつもある。ウォーキングの価値ありです。1旧ウィトリッヒ邸。1933年頃の建築でスイス人が住んでいた。戦争中は夫婦で農業を営んでいた。ちょうど草を刈った後で、全体がよく見えた。抜けるような青い壁が美しい。ウィトリッヒに興味がある方はこちら。近寄ると、だいぶ傷みが見える。今はだれも住んでいないよう。2伊東医院創業は江戸時代末期(1853年の嘉永6年)創業時は漢方医で吉田大橋際で開業。明治17年
東横線白楽駅を起点にして2軒の有形文化財、そして1軒の横浜市認定歴史的建造物の建物を、頑張れば1時間くらいで訪問することが出来る。他にも味のある建物がポツリポツリ残っている。この辺りは横浜の中心部に近いが、空襲は受けなかったのかな。1旧市原重治郎邸東横線の車内からも見えるこのお宅は1925年に主屋(洋館付き)が建てられ、右の土蔵は1932年の建築。高い塀と樹木で建物は見にくい。結局駅のホームからが一番見えた。(下の写真で母屋と洋館)右の土蔵は大規模改修中。これまで市原家の家族が代々引き
日吉駅からさほど遠くない中澤高枝邸。1933年の建築。日吉で郊外住宅地の開発が始まった最も早い時期に建てられた個人住宅で、外国航路の客船の高級船員だった人の家だったとか。横浜市認定歴史的建造物の木造2階建て。今も普通に暮らしている家で、植木に囲まれて、写真を撮るには苦労が多い。先の中澤邸の近くにきれいに手入れされているが、古そうな家を発見。住民の方に聞くと築80年だそう。そうだよね、自分の目に狂いはない!?個人的にはこちらの方が好きだ。
このサイトへの訪問者が急増した理由が分かりました。FBの「ぶらり横浜」への投稿でした。こちらそれによると、残念ながらここはもう更地になっています。(2025年3月2日)風見鶏が屋根に付いた洋館といえば神戸が有名だ。それが幾つか洋館が残る山手から、ほど遠くないところにあると知り、暑さが厳しくない昨日、出かけてみた。石川町駅から山手の方に登らず、山手隧道と抜ける。手前の桜道橋(1928年建築)と奥の山手隧道(1928年建築)は、共に横浜市認定歴史的建造物。山手隧道は2本あり、1本は
洋館を訪れるのが好きだが、最近とくに良い建物に出会った。1旧ウィトリッヒ邸戸塚の丘の上にある。1933年頃の建築で、スイス人が戦争中暮らした。今モダンな住宅に囲まれ一際異彩を放っている。訪問したのはちょうど草刈りがされた後だった。横浜市認定歴史的建造物2スタンダード石油社宅1929年、アントニン・レーモンドの設計で山手250番に建てられたスタンダード石油の社宅。今はマンション「パークシティ本牧」のクラブハウスとして利用されている。建物の状態はとても綺麗。歴史ある建物を移築して