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思い出のプロ野球選手、今回は「遠藤一彦」投手です1970年代末期からから90年代後半まで、横浜大洋ホエールズの始まりから終わりまで在籍し、まさに横浜大洋で始まり横浜大洋で終わった現役生活でしたが、80年代大洋のエースとして君臨し、現役初めと晩年は抑え投手として活躍した投手です。フォークボールを決め球として勝ち星が見込める投手であり、強くなかったチームの中で常に投手陣の大黒柱であり続けました。【遠藤一彦(えんどう・かずひこ)】生年月日:1955(昭和30)年4月19
思い出のプロ野球選手、今回は「岩下正明」選手です1970年代後半から80年代後半まで主にヤクルトで活躍し、控え外野手として、また左の代打の切り札として、また一時はレギュラーを争うなどもしながら、勝負強いバッティングで魅せた選手です。【岩下正明(いわした・まさあき)】生年月日:1955(昭和30)年1月14日入団:ヤクルト('79・ドラフト4位)経歴:鹿児島商工高-三菱重工横浜-ヤクルト('80~'87)-大洋('88)通算成績:623試合打率.26126
昨年、マツダスタジアムで逆転負けした観戦後は、前日の原さんに続いて、試合で見た両チームの広島と横浜でプレーした長内孝さんの「カープ鳥おさない」に行きました。この日は、長内さんは不在と聞いていたけど行きました。メニューは広島の選手にちなんでいました。衣笠さんが引退記念で長内さんが広島で活躍していた時代のメンバーのサインがありました。ベイスターズ戦でたくさん解説してくれて、連続試合出場が終わる引退する最後の試合が横浜スタジアムになった鉄人・衣笠さんや長内さんに大洋ホエールズは何度も打たれた
古葉竹織1936年4月22日~2021年11月12日熊本県熊本市出身。右投右打、内野手、指導者。古葉は済々黌高校、専修大学を経て、日鉄二瀬で社会人野球を経験した後、1958年に広島カープへ入団。現役時代は広島、晩年は南海ホークスでプレーし、監督としては広島カープの球団史上初優勝を含む4度のリーグ優勝・3度の日本一に導いた。現役時代:俊足巧打の二塁手広島カープでの活躍(1958年~1969年)1958年に広島カープに入団。入団当初は遊撃手としてレギュラーを獲得し、同年8月1
マルハ来年3月に、社名変わってUmiosという社名になるんだよね。マルハニチロは、Umiosへ。|社名変更特設サイト2026年3月、マルハニチロ株式会社は、Umios株式会社へ社名変更いたします。海を起点とした価値創造力で「食」を通じて人も地球も健康にするソリューションカンパニーへ。www.maruha-nichiro.co.jpマルハニトロのときもマルハのロゴ一部の商品に使われていたけど、社名変更でこのロゴ消えるのかな?
山下大輔|週刊ベースボールONLINE山下大輔(やましただいすけ)の野球選手データです。sp.baseball.findfriends.jp山下大輔(横浜大洋ホエールズ)|個人年度別成績日本野球機構(NPB)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。npb.jpDaisukeYamashitaJapanese
広島県府中市にある大洋・横浜、オリックス、大阪近鉄の選手だった堀江賢治さんの「千徳」に行きました。何年も前から行きたかった堀江さんのお店にやっと行けました。堀江さんが着ていたホエールズ、ベイスターズ、オリックスブルーウェーブ、赤い大阪近鉄、独立リーグや、石井琢朗コーチ等の仲良かった選手や広陵高校出身のプロ野球選手のユニフォームが飾ってありました。堀江さんが持ってきてくれたビールで乾杯してから7時代近く飲みました。堀江さんご夫妻が次々と運んできてくれました。ホエールズとベイスターズ時代の
Q.最近よく眠れてる?▼本日限定!ブログスタンプA.ちょくちょく眠気は襲ってくるんですけどね…(笑)睡眠時間が、とにかく少なくて…あとは本文で…☆ランキングに参加しています各ジャンルをクリック👇ポチッとしていただけるとありがたいですその1…その2…10月9日・熟睡の日…(No.8356)→画像はイメージです…(日向坂46・小坂菜緒さん)お疲れ様です放浪し続けるブロガーbobbyです自宅療養生活?日目記念日ブログでございます今日は朝から病院…リウマチ科と呼
思い出のプロ野球選手、今回は「平田薫」選手です1970年代終盤から80年代後半まで、セ・リーグ在京3球団を渡り歩き「代打の切り札」として、特に左投手にはめっぽう強く「左殺し」として重宝され活躍しました。前記事の中畑清選手とは駒大同期で、二宮至選手と共に「駒大三羽烏」と称されました。【平田薫(ひらた・かおる)】生年月日:1954(昭和29)年2月9日入団:巨人('76・ドラフト外)経歴:坂出工高-駒大-巨人('76~'84)-大洋('85~'87)-ヤクルト('88
BBM2008ロッテ40年レオン直筆サインカード・赤版07/75レオン・リーさんにとってNPBでは3種類目の直筆サインカードです。レオン・リーさんの直筆サインカードの初出は『BBM2008横浜30年』の横版および縦版の直筆サインカードになります(未入手)。当ブログ前々回に書きましたがNPBでの登録名『レオン』、レオン・リーさんはリー兄弟の弟さんです。直筆サインがイラスト風で『レオン・リー』とカタカナで書いてありこの『BBM2008ロッテ40年』の直筆サインカードの中で
思い出のプロ野球選手、今回は「田代富雄」選手です。1970年代後半からから90年初頭にかけて大洋一筋19年間在籍し、大洋随一のホームランバッターとして特に昭和50年代を中心にホームラン王争いの常連として活躍した選手です。独特のバットと上半身が「く」の字になり、上半身と下半身がまた逆「く」の字、そして下半身のももと膝が「く」の字になるという身体をピンと張ったスタンスからの大きく描くアーチは芸術的でした。【田代富雄(たしろ・とみお)】生年月日:1954(昭和29)年7月
昨年、たまプラーザにあるヤクルトで活躍して横浜大洋ホエールズで1年プレーした岩下さんの「ステーキハウス岩下正明」に行きました。何回目か分からないくらい行ってます。3人分のステーキを焼いてくれています。ホエールズの雑誌では見ていたけど、試合では見た事が無かった選手が、1年しか在籍しなかったホエールズ時代の話も聞かせてくれます。前に行った時に、大洋時代に打ったヒットは2本で、阪神の背が高い若い投手と広島の北別府から打ったと話していて、現役最後の安打がどちらか覚えていないようでしたが、調べたら
一昨年のシーズン後に、学芸大学にある南海で大活躍して、横浜大洋でもプレーした佐藤道郎さんの「野球小僧」に行きました。学芸大学の駅前でした。南海時代に獲得した新人王、最優秀防御率、セーブ王のレジェンドの偉業を見られます。横浜大洋時代は「申し訳なかった」と言ってましたが、アメリカでのキャンプの写真を見せてくれました。大活躍した現役時代や引退後は、ロッテ、中日、近鉄でもコーチや二軍監督を務めた時の話を聞きながらを焼酎を頂きました。佐藤さんの面白い著書も発売されているけれど、実際の話もかなり面
BBM2008ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30年記念カードP-EN遠藤一彦フォトカード15/25遠藤一彦さんのフォトカードです。当ブログ6月24日投稿の『BBM2008ホークス70周年』の秋山幸二さんのフォトカード同様に12ボックス=1カートンで1枚だったと記憶してます。カード裏面です。『BBM2008横浜移転30年』のフォトカードのリストです。※全9種・各50枚限定※※リストのため敬称略。■P-EN遠藤一彦□P-SK佐々木主浩□P-YD山下大輔
BBM2008ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30年記念カード遠藤―彦縦版・直筆サインカード12/25当ブログ6月28日投稿の横版・直筆サインカードに続き遠藤―彦さんの3種類目となる直筆サインカードです。当ブログ前回の斉藤明夫さん・今回の遠藤一彦さんは80年代の横浜大洋ホエールズの投手陣を支えた二人でしたがセ・リーグ優勝・日本一を味わえず引退したのはかわいそうでしたね。カード裏面です。『BBM2008横浜移転30年遠藤―彦横版・直筆サインカード40/75』BBM20
BBM2008ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30年記念カード斉藤明夫縦版・直筆サインカード05/25斉藤明夫さんの4種類目となる直筆サインカードです。この『BBM2008横浜移転30年』で斉藤明夫さんの枚数の多い横版・75枚の直筆サインカードは未所持です。『BBM2006ドラフト物語』、『BBM2008横浜』での斉藤明夫さんの直筆サインカードは大洋ホエールズ時代の写真を使用してましたがこの『BBM2008横浜移転30年』では横浜大洋ホエールズ時代の写真が使用されてます。
BBM2008ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30年記念カード遠藤―彦横版・直筆サインカード40/75遠藤一彦さんの2種類目となる直筆サインカードです。遠藤一彦さんの直筆サインカードの初出は『BBM20042ndバージョン』になります。下にリンクを貼っておきます。カード裏面です。『BBM20042ndVer.824遠藤一彦直筆サインカード13/50』BBM20042ndバージョン824遠藤一彦直筆サインカード13/50遠藤一彦さん初の直筆サインカ
BBM2008ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30年記念カード須藤豊横版・直筆サインカード44/751990~1992年まで横浜大洋ホエールズの監督を務めた須藤豊さん初の直筆サインカードです。私の須藤さんのイメージは読売ジャイアンツの指導者でしたのでこの『BBM2008横浜移転30年』で直筆サインカードを書いたのは予想外でした。(もちろん横浜大洋ホエールズの監督を務めていたのは知ってましたけど)カード裏面です。
BBM2008ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30年記念カード関根潤三横版・直筆サインカード37/75当ブログ6月20日~25日までの『BBM2008ホークス70周年』に引き続きこれまた長い商品名です。お恥ずかしい話ですが、私はこの商品名をずーっと『30周年』と思い込んでましたが改めて調べたら『30年』が正しい商品名でした。2008年9月下旬に発売された『BBM2008横浜移転30年』の関根潤三さんの直筆サインカードです。この直筆サインカードを関根潤三さん初の直筆
モバイルニュース引用楽天・三木監督併殺取り切れない内野陣に“怒”「もう締まりのない試合」楽天・三木監督「楽天3−6DeNA」(3日、楽天モバイルパーク)楽天・三木監督が厳しい表情で試合を振り返り、言葉には少し怒気もにじんだ。開始が1時間遅れるほどの悪天候という条件で、内野陣が併殺を取りきれないプレーも目立った敗戦になった。指揮官は「もう締まりのない試合」とバッサリ。投手陣では連続の押し出し四球で2点を失うなど、計8四球と制球面も安定せず、「全部においてよくない」と肩を落とした
当時持っていたが使用せずにどこかへいってしまった。1980年頃だったか。そういう想い出の品をつい先日入手。もちろんお金を使わずに。ペラペラのプラスティック製。だけどこれは不思議な使用法がある。この状態で油性ペンで必要事項を記入し、オーブンで一定時間加熱すると縮んでカチカチになって完成。周囲で作っているやつがいたが、1.5㎝×2.5㎝ほど、厚みも1㎜ほどのしっかりしたものになっていたと記憶する。当然書いた文字も小さい。当事の銀色の紐まで付いているのがいい。
Q.暑いのと寒いの、どっちが好き?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようA.断然、寒い方です!(理由は、本文にて…)☆ランキングに参加しています各ジャンルをクリック👇ポチッとしていただけるとありがたいですその1…その2…5月14日・温度計の日…(No.8137)お疲れ様です放浪し続けるブロガーbobbyです自宅療養生活?日目記念日ブログでございます怠い…怠すぎる昨日は、片付けが進まなかったしベイブログも書かなかった…ベイスターズ戦は某ニ
昨年から東海大学で監督を務める長谷川国利氏の大洋から巨人で務めたスカウト仕事を中心にしたフロント仕事を振り返る。それぞれ球団ごとの色の違いから、スカウトの仕事もそれぞれ。学閥などの絡み、戦力補強の方針のあって様々な様相が他の組織にも影響が出る面白さが堪らない。ベイスターズの時代の法政大と東海大との学閥争い的な面白さは、これだけで記事になるだろう。本来の目的と違うものが働くと、組織としておかしな方向に行く事は、どこも同じであるようで、巨人もフロント人事で硬直した面はあるし、野球を知ら
メロディーが中心じゃない音楽のススメ(IDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)編)-ミルクレゥプのカルボナーラの逆襲2112その時、納豆にネギも付いてほくほく以前に書いたロック編や、前回書いたアンビエントテクノ編に続いて、今回はメロディーが中心じゃない音楽「エレクトロニック/テクノ編その2」、「IDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)編」を書いてみます。今回も前回同様にメディアでの評価も高い物という点を踏まえつつ、選択肢を絞るため2000年以降に発表された物に限定して選
どんな旅をしてみたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう何の制限も制約も無い旅中川安奈の出ていない『サンデースポーツ』は、落合博満でも出ていない限り、観る気がしない。杉浦友紀アナか副島萌生アナの復帰まだあ?
愛してヨコハマ/平松政次日本フォノグラム/エルボンBON-1032今年もプロ野球が開幕しました。相変わらず中日ドラゴンズは今年もドベ一直線。今年も最下位一確か?という事で、昨年日本一になった横浜DeNAベイスターズの前身、大洋ホエールズのエース、平松政次のレコード。超若いな。髪の毛もたくさんあるね。現在もプロ野球ニュースなどで解説者としてご活躍中です。シナロケも在籍したエルボンレコードからの一枚。
一昨年、8月に厳しい試合が続いて4位の読売が迫ってきていた頃でした。1983年8月13日に初めてプロ野球を観戦してから40年の個人的に記念日でした。その日は、横浜大洋が平松の好投もあり、中日に勝ちました。○8月13日東京ドーム読売8ー1横浜DeNA東京ドームのベイスターズ戦は、ベイスターズ主催の「東京ドームお借りします」以来2年ぶりの観戦でした。ラグビー元日本代表の福岡が、かつてはシピン、久保、山口俊が着けた読売の11番ユニで始球式しました。1勝1敗で迎えた3位争いの始まりで
保土ケ谷区天王町に行きました。堀井恒雄さんの「又兵衛」に初めて行きました。横浜大洋、ロッテで中継ぎで活躍して、98年のベイスターズ優勝した時の投手コーチだった堀井さんが居ました。お茶を買いました。横浜に移転30年記念のカードにサインしてもらいました。店内に野球の飾り等が無いから、訪れたベイスターズファンでも、凄い選手だと気付かないかもしれません。現役時代に「天王町松原商店街の星・小池正晃」と横浜スタジアムで登場する時にコールされていた小池コーチのお母様の「丸秀園」は4回目でした。抹
BBM2008横浜ベイスターズ斉藤明夫直筆サインカード39/602008年5月下旬に発売された『BBM2008横浜ベイスターズ』の斉藤明夫さんの2種類目となる直筆サインカードです。このカードはヤフーオークションで落札、入手しました。斉藤明夫さんの直筆サインカードの初出は『BBM2006ドラフト物語』になります。当ブログでは2024年6月23日に投稿済みですので興味のある方は下↓のリンクからご覧ください。『BBM2006ドラフト物語』の直筆サインカードも"湘南電車カラー"のユ
横浜に、プロ野球がやって来た。1978年、川崎球場から横浜スタジアムに本拠地を移し、大洋ホエールズから、横浜大洋ホエールズに。思えば、これが横浜スタジアムとの奴隷契約の始まりだったんだなあ。まあ、ネットで知るのはだいぶ先だったけど。南場オーナーには感謝だな。おっと、話がそれたな。1978年だと、プロ野球は巨人中心に動いてたからね。東京住まいは、テレビ・ラジオの野球中継は、巨人戦しか無かったし。その、巨人の長嶋茂雄監督が事実上の解任された時は凄かったなあ。割を食ったのが関根潤三さんだよな。長嶋