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諸般の事情によりAmebaブログの更新を停止し、今後はgooブログテレビが広めたオウム真理教第2部https://blog.goo.ne.jp/mpproject002として記事を更新していくことに致しました。当ブログを読んで下さった皆様には感謝申し上げますと共に今後も時々見て頂ければと思います。皆様誠にありがとうございました!
1994年7月中旬頃、清流精舎のマシニングセンターのチームとNC旋盤のチームが全員集合していた。私(筆者)は部外者のため、そこでどのようなことがあったのかはわからない。しかし結果としてその数日後、清流精舎のサマナの人数が大幅に減ったため、配置替えが行われたのだということがわかった。数人から彼らは第9サティアンに配属されたと聞いた。私(筆者)の認識からすると、技術スキルが高い人が選ばれているのではないかと思うのに十分だった。これらは何を意味するか?当時は新しい工場が出来たので、普段からワー
以下は過去の記事のリブログです。広瀬健一の元部下として思う所を大勢を占める印象や人物像とは異なりますが、敢えてそのまま書いています。タイトルはこの記事の中の一文です。死刑執行から2年経ちましたが当時の記憶は今でも残っています。《リンク》自動小銃密造を一言も明かさなかった広瀬健一地下鉄サリン事件前後の広瀬健一(元死刑囚)の様子清流精舎への強制捜査と最後まで犯行を隠し通した広瀬健一(元死刑囚)との別れ
久しくブログ更新間隔が空いてしまったことをお詫びしたい。実は私(筆者)の母が先月体調を悪化させ、つい最近まで約1ヶ月入院していた。何とか退院したものの自力では歩行困難なため、介護のサービスを受けるための手続きや話し合いなどをしていた。また今後も継続し考えていかなくてはならないが、一応見通しが立ったのでブログを再開できるようになった。私(筆者)はこれまでオウム真理教の信者としての経験や考えを書いてきた。しかし前回までの数回の記事で述べた私(筆者)自身の逮捕を契機として、事件の真相を知り教
《取り調べ初日~3日目》私の予定は大幅に狂ってしまった。宗教弾圧により不当に逮捕され、恫喝や暴行を受けてもそれに屈することなく教団や自分の無実を主張する。拘留期間終了後、自分が生きていればそのようなことを裁判で世の中に訴える、という段取りを考えていたのだが、現実に私(筆者)の目の前で示されたことは、そのような想像とは完全にかけ離れていた。教団は広瀬健一や横山真人が主導して自動小銃密造を本当に行っていた。私が広瀬に指示されて熱処理を行っていた直径約3㎝長さ約30㎝の丸棒は、コスモク
1995年4月4日強制捜査が清流精舎にもやってきた!1995年4月4日ついに清流精舎にも強制捜査が大挙して押し寄せた。私(筆者)らサマナ達はその数日前から広瀬健一をはじめとする上層幹部の指示に従い、書類や備品類を処分して情報戦に備えていた。私(筆者)自身は違法性のあるワークに心当たりはないものの、わざわざ知らせることもないと考えたので、自分の保管していた部品類を装置からは離れた場所に移動させた。強制捜査が始まった。まず最初に、信者達全員が建物の外に出された。すると一斉にテレビ
1995年3月中旬(15日頃だったと思う)ほとんど毎日行われていた広瀬健一からのワークの指示が突然来なくなった。当然あちこちの教団サティアンに連絡してみたが「わかりません」と言われるばかりだった。もちろんワーク以外にも達成しなければならない修行の課題は多かったので手持ちぶさたにはならなかったが、何とも言えない違和感は感じていた。まさにその裏で地下鉄サリン事件が実行されていた訳だが、私(筆者)には到底想像にも及ばなかった。※その事件がオウム真理教が犯したもので
私(筆者)はオウム真理教に出家する直前の約半年間、前述のT君を先輩信者として見習い期間を過ごした後、村井秀夫の指示により広瀬健一の部下として出家生活を始めることになった。当然広瀬は私(筆者)のワークについて指示監督をしていたが、広瀬自身がどのようなワークをしているかについては、私(筆者)に話したことはただの1度もなかった。広瀬の生活の拠点は清流精舎ではなく旧上九一色村の第6サティアンにあったこともそれを分かりにくくさせた。また、広瀬は清流精舎で私(筆者)以外の信者のワークも指示監督し
オウム真理教の出家信者について、どのような立場に置かれるかは、信者の階級(教団内での地位)によって大きく異なる。出家信者の中では当たり前になっていたが、あまり広くは知られていないと思われるので、概略だけでも説明しておきたい。階級は下からサマナ見習い、サマナ、サマナ長、師補(スワミと呼んでいた時期もあった)、師、師長補、師長、正悟師、正大師、(皇子、正報師、猊下)、尊師※皇子(こうし)、正報師(せいほうし)、猊下(げいか)は麻原の娘・息子達のみであり、一般の信者がこの地位になることは
冷酷非情な男広瀬健一(教団名:サンジャヤ正悟師)※前回までの記事を読んで頂いた方々には話が大きく先に進んだことを御容赦頂きたい。前回の続きは次回の記事から書かせて頂く。インターネットや新聞などで広瀬健一(元死刑囚)の記事を読むと、そのほとんどが、好印象をいだかせるものばかりが多く、私(筆者)にとっては同意しかねるものばかりである。そのような言い方をすると、それは広瀬に対するやっかみだろうと思われる方がいると思うので、まず客観的事実に基づいたことを書こう。広瀬健一は地下鉄
野田成人(教団名ヴァジラティクシュナー正悟師)は、地下鉄サリン事件への関与があったにも関わらず、検挙されていない人物である。なぜそう言えるかというと、地下鉄サリン事件発生直後、清流精舎(山梨県富沢町にあった教団施設)において野田は、「誰がやってくれたんか知らんけど」と、一応地下鉄サリン事件の犯人については知らないという立場を示す発言を含んだ説法を行っている。しかしそれは偽装だった可能性が高い。その説法の3日後、教団の富士山総本部道場の玄関口での出来事だった。広瀬健一、横山真人、佐々木
オウム死刑囚のうち7月6日に麻原彰晃ら7人が処刑されたのに続き、今朝2018/07/26、残る6人が処刑されました。処刑されたのは以下の6人です。端本悟(51)*東京拘置所豊田亨(50)*東京拘置所広瀬健一(54)*東京拘置所岡崎(宮前に改姓)一明(57)*名古屋拘置所横山真人(54)*名古屋拘置所林(小池に改姓)泰男(60)*仙台拘置支所)平成の凶悪事件は平成のうちに終了させようとする、当局の強い意思を示したと言えそう。譲位の準備が始まったことからギリギリ