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五月の誕生色は初恋薊だという。薊の花の深い紫色だそうだ。アザミ(薊)は古くから日本人に親しまれてきた。それは北海道から沖縄まで、ありとあらゆるところで花を咲かせてきたことに原因するようだ。アザミ(薊)キク科アザミ属及びそれに類する植物の総称で、日本列島には150種をこえるアザミが生育し、そのうち145種ほどが日本の特産種だと云われている。アザミ(薊)の語源はいろいろあるようだが、「あざむ」という言葉
心の窓にともし灯をザ・ピーナッツ12月になり、歳末たすけあいのお知らせがNHKで流れています。「心の窓にともし灯を」は、昭和34年の歳末助け合いの一環で生まれ、翌年に、NHKテレビ歌謡としてレコード化されたものでした。歌はこちらでyoutu.be/4OAdM4hyApI?si=H2l631TOt9vp3S05心の窓にともし灯を昭和35年(1960年)♪いじわる木枯らし吹きつける古いセーターボロシューズ泣けてくるような夜だけど頬っぺをよせてともしま
今日は昭和歌謡「サマーソング」の講師でした。会場は、横浜の朝日カルチャーセンターです。お足元悪い中、受講していただき、ありがとうございました!!今日喋っていて思いますが、夏の歌、まだまだたくさんありますね~。【たけ平今日の一曲】~伊藤久男「あざみの歌」~あざみという花は、夏から秋にかけて有名な花です。今日の一曲は、昭和26年の作品。ラジオ歌謡です。作詞の横井弘さんが八島湿原を訪れます。八島湿原は、いわゆる高層湿原で、ドーム型になっています
1959年11月にキングレコードから発売された伊東ゆかりさんのシングル「パパの日記」のジャケット写真です。「パパの日記」の編曲はジャズクラリネット奏者として活躍された鈴木章治さんで演奏は鈴木章治とリズム・エースが担当されています。B面の歌手、青山ヨシオさんについては最初分かりませんでしたがネットで調べてみると、このレコードの時はジャズ歌手としての活動だけだったようですが、その後、1969年に青山音楽事務所を設立して世界のエンタテインメントとスポーツビジネスを逸速く日本に導入する傍ら、日
《寸感》横井弘には「川は流れる」(1961年・昭和36年、曲・桜田誠一、歌・仲宗根美樹)、「ネオン川」(1966年・昭和41年、曲・佐伯としお、歌・バーブ佐竹)という名品もあった。この二作は昭和女の哀しみ(うつろい)を前・後編で描いた逸品である。都会に出てきた少女が「ささやかな望み破れて哀しみに染まる」「ある人は心つめたくある人は好きで別れ」た。「人の世の塵にまみれて」も「嘆くまいあすは明るく」生きようとしたのだが・・・。数年後、少女は「いつか知らずに流されて」「泥にまみれた」
なげきの真珠中村晃子女性ビート歌謡の先駆者・中村晃子なげきの真珠昭和43年(1968年)♪青い海のような街角白い風のようなあの人深く愛し合ったことなどまるでうそのような夕ぐれ早く消えて下さい好きだなんて言わずに恋に死んでしまった真珠はそっとひとりだけになりたい作詞・横井弘作曲・小川寛興歌はこちらでyoutu.be/i6A4VazMo4s?si=gKCp_QCxFLuMuiKX♪幸せが住むという「虹色の湖」が大ヒット♪北の渚は涯
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「虹色の湖」とらカラNo.587作詞:横井弘、作曲:小川寛興、唄:中村晃子、カバー:とらじろう昭和42(1967)年10月10日発売。中村晃子の7枚目のシングル。レーベル:キングレコード。中村晃子の初ヒット曲で当時の売上累計80万枚。1968年の第19回NHK紅白歌合戦に初出場。中村晃子(本名は同じ、1945年1月3日生まれ、千葉県習志野市出身、昭和学院高等学校卒業)は、歌手、女優、声優。恥ずかしな
今日は群馬県の沼田にて公演です。前日から沼田入りしています。いつもお世話になっている居酒屋「元禄」さんのご家族と再会!こちらのお店は、何を食べても美味しいです。東京にあったらいいなあ、と、毎度思うお店!そして、2軒目は、お茶漬の店「駒」さん。沼田に仕事で伺うと、このパターンでごちそうになります。「駒」さん、ご夫婦も相変わらずお元気!!お茶漬だけでなく、手巻きや煮込みうどんも美味しいです。昨日は、イクラの手巻きをいただきました。
YouTubeチャンネル「刑部たけ平の昭和の歌声」の最新がアップされました!この番組は、日本史研究者の刑部芳則先生との懐かしの昭和歌謡についての対談番組です。収録風景。↓第9回目の放送になります。今回のテーマは、「伊藤久男」さんです。↓「刑部たけ平の昭和の歌声」第9回「エール」のプリンス伊藤久男★★★チャンネル登録、ぜひともよろしくお願いします!★★★日本史研究者の刑部芳則さんと、落語家の林家たけ平さんが昭和歌謡の魅力を語ります。第9回は、刑部先生が風俗
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「夕焼け雲」とらカラ514作詞:横井弘、作曲:一代のぼる、唄:千昌夫、カバー:とらじろう昭和51(1976)年3月20日発売。レーベル:ミノルフォン→徳間ジャパン昭和58(1983)年の第34回NHK紅白歌合戦出場曲。千昌夫(出生名:阿部健太郎、昭和22年(1947)4月8日生まれ、岩手県陸前高田市出身、水沢第一高等学校中退、元妻はアメリカ人歌手ジョーン・シェパード)は歌手。大ヒットの「北国の春」がミリ
秩父鉄道に乗る機会がありました。嗚呼!懐かしや!東急車輌に、ここで出会えるとは↓各駅の風情も味わいがあります。無人の時間帯があるところも良いですね!武州日野駅。↓続く線路に広がる自然は、道中、全く飽きませんでした。↓【たけ平今日の一曲】~三橋美智也「哀愁列車」~「三橋で明けて三橋で暮れる」といわれた、昭和30年代、三橋美智也さん最盛期のヒット曲です。250万枚のヒット!昭和31年作品です。作詞は、横井弘さん。この歌
★とらカラ全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「心の窓にともし灯を」とらカラ436作詞:横井弘、作曲:中田喜直、唄:ザ・ピーナッツ、カバー:とらじろう昭和34年(1959)発表。1959年12月に「NHK歳末たすけ合い運動」の一環として作成され「歌の広場」で歌唱された。レコードは翌年4月に発売、同年のNHKテレビ歌謡の「今月の歌」にも指定されていた。中学校音楽科の教科書に掲載されていたこともある。=※◎※=気まぐれ写真です=※◎※=
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「さよならはダンスの後に」とらカラ405作詞:横井弘、作曲:小川寛興、唄:倍賞千恵子、カバー:とらじろう昭和40年(1965)3月10日発売。(キングレコード)10ヵ月で150万枚を売り上げ。小川寛興はこの曲で第7回日本レコード大賞・作曲賞を受賞。この曲をモチーフに松竹が同名の歌謡映画を製作。作曲の小川は、アニメ『美少女戦士セーラームーン』の主題歌「ムーンライト伝説」がこの曲と酷似していることに気付き、J
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「裏町のピエロ」とらカラ342作詩:横井弘、作曲:江口夜詩、唄:若原一郎、カバー:とらじろう昭和30年(1955)8月発売。(レーベル:キングレコード)ぺーブ(pavement)とは:舗装道路。この時期にも時々外国語が混じった歌詞を見かけましたね。若原一郎(本名:田野倉仲義、1931/8/1-1990/7/16、58歳没)は、神奈川県横浜市出身の歌手。NHK紅白歌合戦には第7回から5回連続出場。この曲
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「川は流れる」とらカラ314作詞:横井弘、作曲:桜田誠一、唄:仲宗根美樹、カバー:とらじろう昭和36年(1961)発売。同年12月には第3回日本レコード大賞新人奨励賞を受賞。翌1962年のNHK紅白歌合戦に初出場、紅組のトップバッターで歌唱。仲宗根美樹(本名:國場勝子、1944年6月23日生まれ)は東京都出身の歌手。東洋音楽学校卒業。NHK紅白歌合戦には5回出場している。=※◎※=気まぐれ写真です
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「俺と影法師」とらカラ293作詩:横井弘、作曲:鎌多俊与、唄:春日八郎、カバー:とらじろう昭和31年(1956)11月発売。(レーベル:キングレコード)2003年に会津坂下駅(あいずばんげえき)前に春日八郎の銅像を建立。春日八郎(本名:渡部実、1924/10/9-1991/10/22、67歳没)は、福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。旧制会津中学校を中退、エンジニアを志して13歳で上京、東洋音楽学
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「ネオン川」とらカラ203作詞:横井弘、作曲:佐伯としを、唄:バーブ佐竹、カバー:とらじろう昭和41年(1966)7月にシングル発売。バーブ佐竹(本名:佐武豊、1935/2/7-2003/12/5、68歳没)は北海道釧路市出身の演歌歌手。22歳で上京、流しのギター弾き・ナイトクラブの専属歌手などを経て昭和39年に『女心の唄』でデビュー、250万枚を超える大ヒット。独特の低音の歌声は「バーブ節」と呼ばれ、ソ
★全曲リンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「達者でナ」とらカラ103作詞:横井弘、作曲:中野忠晴、唄:三橋美智也、カバー:とらじろう昭和35年(1960)11月にレコード発売。三橋美智也は、美空ひばりと並ぶ戦後最大の歌謡曲歌手。昭和58年(1983)に、日本の歌手としては初めてレコード売り上げ総数が1億枚を突破する大記録を樹立した。三橋美智也は5歳の頃から舞台を踏み、民謡歌手だった母に鍛えられ、小学校生で叔父から追分を習い、9歳の時に全道民謡コンクー
★全曲リンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「下町の太陽」とらカラ088作詞:横井弘、作曲:江口浩司、唄:倍賞千恵子、カバー:とらじろう昭和36年発売。1961年に大ヒットとなったこの曲を主題歌に、1963年に倍賞千恵子主演の映画『下町の太陽』が山田洋次監督の2作目として松竹で制作された。倍賞千恵子(1941年6月29日に西巣鴨で生まれ、東京都北区滝野川に育ち、戦時中は茨城県に疎開)は、女優、歌手、声優。愛称は「チコちゃん」。実妹は倍賞美津子。弟は倍
★全曲リンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「俺ら炭坑夫」とらカラ038作詞:横井弘、作曲:鎌多俊与、唄:三橋美智也、カバー:とらじろう■昭和32年(1967)発売。(レーベル:キングレコード)作曲の鎌多俊与(本名:釜田俊雄)は新潟県佐渡市出身の歌手、作曲家。戦前は近衛八郎の名で作曲。三橋美智也「哀愁列車」、若原一郎「風の吹きよで」、春日八郎「居酒屋」など。大正2年(1913)-平成7年(1995)死去。=※◎※=気まぐれ写真です=※◎※=<
★全曲リンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「あざみの歌」とらカラ029作詞:横井弘、作曲:八洲秀章、唄:伊藤久男、カバー:とらじろう詞は、昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘が、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原でアザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものといわれます。八島高原には、この歌の歌碑が建っています。八洲秀章が作曲した歌がNHKのラジオ歌謡に採用され、昭和24年(1949)8月8日から放送されました。レコード
★全曲リンクリストは←こちら「居酒屋」とらカラ026作詞:横井弘、作曲:鎌多俊与、唄:春日八郎、カバー:とらじろう「居酒屋」と言えば若い?方は、五木ひろしと木の実ナナ。僕はこちらが好きです。昭和33年(1958)発売。(レーベル:キングレコード)春日八郎は大正13年(1924)福島県会津に生まれ敗戦後間もなく歌手を目指して上京。昭和27年(1952)のデビュー作「赤いランプの終列車」が大ヒット、以後「お富さん」「別れの一本杉」「あん時ゃどしゃ降り」「長崎の女」と大ヒットを続出
★全曲リンクリストは←こちら「赤い夕日の故郷」とらカラ016作詞:横井弘、作曲:中野忠晴、唄:三橋美智也、カバー:とらじろう昭和33年(1958年)のリリース。昭和20~30年代には、いくつものふるさと演歌が発表されましたが、これは、そのうちでもとくに多くの人たちに愛好された曲の1つです。↑↑↑(クリック)こちらに参加しています。ご訪問ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。
★全曲リンクリストは←こちら「おさらば東京」とらカラ0013作詞:横井弘、作曲:中野忠晴、唄:三橋美智也、カバー:とらじろう昭和32年(1957)発売。売り上げ:100万枚突破。(レーベル:キングレコード)昭和33年の第9回NHK紅白歌合戦にこの曲で出場。三橋美智也(本名:北沢美智也、1930/11/10-1996/1/8、65歳没)は北海道上磯郡上磯町峨朗(現在の北斗市)生まれで函館市育ちの演歌歌手。多くのミリオンセラーを連発。NHK紅白歌合戦には1956年の「哀愁列車」に始
さよならはダンスの後に倍賞千恵子前回の「若葉のささやき」つながりで、♪夜のささやきって言葉が印象的な、倍賞千恵子「さよならはダンスの後に」です。さよならはダンスの後に昭和40年http://www.youtube.com/watch?v=FWOs1slrUJA作詞・横井弘作曲・小川寛興♪何も言わないでちょうだい黙ってただ踊りましょだってさよならはつらいダンスの後にしてねここはお馴染みのクラブいつものように踊りましょうせめてキャンドルの下で泣くのだけはやめて誰に
赤い夕陽の故郷三橋美智也明治カールCMでお馴染み三橋美智也赤い夕陽の故郷昭和33年(1958年)♪(おーい)呼んでいる呼んでいる赤い夕陽の故郷がうらぶれの旅をゆく渡り鳥を呼んでいる馬鹿な俺だがあの山川の呼ぶ声だけはおーい聞こえるぜ作詞・横井弘作曲・中野忠晴昭和30年代三橋で明けて三橋で暮れると言われたとか「哀愁列車」「達者でナ」「リンゴ村から」「星屑の町」「古城」・・・現在も多くの演歌歌手がリスペクトを持ってカバーしている。
砂の十字架中村晃子あまい囁き中村晃子細川俊之昨日の「甘い十字架」つながりで、中村晃子「砂の十字架」です。1968年(昭和43年)発売で、あの一人GSの名曲・「虹色の湖」に続いてヒットしました。♪北の渚は涯なく青く波はよせても帰らないあなた砂をあつめて思いをこめてひとり作ろう愛の十字架「砂の十字架」中村晃子http://www.youtube.com/watch?v=i25DfiKjPKg作詞・横井弘作曲・小川寛興センチメンタルな歌詞と曲が、これまた一人G
『川は流れる』仲宗根美樹エキゾチックな顔立ちの美人歌手仲宗根美樹の大ヒット曲『川は流れる』川は流れる昭和36年(1961年)病葉(わくらば)を今日も浮かべて街の谷川は流れるささやかな望み破れて哀しみに染まる瞳に黄昏の水のまぶしさ作詞:横井弘作曲:櫻田誠一発売当初は、『雨の花園』がA面、『川は流れる』はB面だったとか『川は流れる』はお経みたいと思っていたそうですが、キャンペーンで歌声喫茶を回り続け、見事にヒットに繋げました。