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真っ先に切り込んだ安田喜助は吉田平之助に斬りかかりました。その吉田平之助の証言に「狼藉者三人、頭巾にて面体を隠し、抜刀にて二階に参り、すぐさま私を刺し候」とあって、いきなり刺されそうになったのを右にかわしたとしています。安田は更に斬りかかりましたが、間合いを誤って鍔元で打ち込み、吉田は「抜き合い候間もこれなく」、これを右手で受け止めて、あとは取っ組み合いとなりました。一方、階段に近い場所に座っていた都筑四郎は、階段を駆け上がる足音に振り向いた途端、「面体を隠し白刃の先を相見せ候」黒瀬市
文久二年(1862)十二月十九日の夜五つ過ぎ(午後8時から9時頃)のこと。肥後藩士で福井藩に招かれ政治顧問となっていた横井小楠は、近々江戸を去ることになっていた旧友の肥後藩江戸留守居役吉田平之助に招かれ、同じく肥後藩士の都筑四郎と三人で、江戸は日本橋檜物町の料亭の二階で酒宴を開いていましたが、そこに突然階下から駆け上がってくる者がありました。この夜の襲撃に関しては、幕末に起きた事件にしては珍しく、事件の経過や顛末がとても詳しく分かっています。というのも、この事件は襲撃した方、された方の
さて、少し時間をさかのぼります。横井小楠を討たんと江戸にやって来た堤松左衛門でしたが、先に到着していた長州と土佐の同志たちは襲撃の機会を見出だせずにいたため、松左衛門が自ら小楠と面会し、その席上で斬るということになりました。しかし何度か面会を申し出たものの、小楠は用心したのか決して会おうとしませんでした。そんな時に旧知の肥後藩足軽黒瀬市郎助と安田喜助が江戸藩邸に勤務していることを知った松左衛門は、二人に接触して横井小楠を討とうとしていることを告白すると、もともと同じ尊王攘夷思想の持ち主
文久二年(1862)も年の瀬の十二月十九日のこと。肥後藩士でありながら越前福井藩主松平春嶽の政治顧問となり、幕政改革に向けて数々の提言を行っていた横井平四郎(小楠)は、江戸常盤橋の福井藩邸内に一室を与えられて住居としていましたが、この日、同月二十五日に役替えで江戸を去り、京都に赴くことになった肥後藩江戸留守居役の吉田平之助に招かれて日本橋檜物町(ひものちょう)にやって来ていました。時刻は暮れ七つ過ぎといいますから、今でいうと午後6時から7時ぐらいになります。十二月であったことから、実際にはとっく
明治維新の陰にも暗殺あり決して無血革命だった訳ではない、葬られたエピソードです。
文久二年(1862)、京都ではその後も土佐・長州を中心とした過激攘夷派による天誅騒ぎが相次ぎました。その中には堤松左衛門が関わっている可能性がある事件もいくつかあると思われますが、ここでは触れずにおきます。さて、その文久二年も年の瀬の十二月の、月初めの某日のことです。松左衛門の師である轟武兵衛はこの日京都に到着すると、その夜、「長州藩御用達」の前田孫左衛門という人物に面会するため、松左衛門のもうひとりの師である宮部鼎蔵を連れて前田の家を訪ねました。するとそこに突然現れたのは、
佑実理【つぶやき隊スプリンググリーン】@Yumiribook政治は、万民のためを判断基準とする王道を歩むべきで、権謀術数による覇道を排すべきだ。横井小楠2022年09月22日07:55佑実理【つぶやき隊スプリンググリーン】@Yumiribook(天声人語)レ・ミゼラブル:朝日新聞デジタル#バブルhttps://t.co/Pq3TZ0vWK92022年09月22日07:55佑実理【つぶやき隊スプリンググリーン】@YumiribookFRB、0・75%幅の利上
昔、司馬遼太郎がマイブームになったことがあって幕末にハマった時期があります。一番最初に読んだのは『燃えよ剣』でした。司馬遼太郎が描く幕末の志士たちの志を貫くために命も惜しまない精神に惹かれて『竜馬がゆく』は勿論のこと幕末ものは結構読んだと思います。どの小説に登場したのか忘れたのですが横井小楠(よこいしょうなん)という人物が出てくるんです。(調べてみると『竜馬がゆく』みたいです)勝海舟、吉田松陰らとも交流があった人物なのですがこの人物の私塾があった建物
楽しみは、行動を伴ってうまれる。アラン車の免許持ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう都市の中心部でマイカーを使わないことで、交通や環境、都市生活と車の使い方の問題について考える日。世界の約2000都市で、この日1日都市中心部へのマイカーの通行規制が行われる。1997年(平成9年)9月9日にフランスのラ・ロシェルで行われた社会実験を起源とし、1998年からフランス環境省の呼びかけて
(9/22)おはようございます。1809年の今日、9月22日(文化6年8月13日)に、幕末の儒学者横井小楠が生まれています。今日は、福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍した横井小楠の一言。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【今日の一言2022年9月22日】「人必死の地に入れば、心必ず決す(絶体絶命の状況になれば、必要な決断ができる)(横井小楠1809-1869年幕末の政
お名前を出して良いのか確認していなかったのと、お話を聞かせていただいたあと、ノートに走り書きでメモした話であるため、多少の記憶違いがある可能性があるので、あくまで「京都市内の某所」で「ある人」に聞いた話ということにさせてもらいますが、ちょっと面白いし貴重な逸話でもあると思うので紹介したいと思います。それはタイトルどおり幕末の肥後藩士で儒学者・政治学者であった横井小楠と、同志社大学の創始者でキリスト教の教育者・新島襄の二人に関するエピソードです。※.横井小楠(左)と新島襄(右)
〇昭和17年刊、編者は原田熊雄。男爵、西園寺公望の晩年の個人秘書。「西園寺公とその政局」を編集し東京裁判の対策を立てたということで名を残しています。〇わたしは30代に東京の古書市で原田熊雄が山下亀三郎に宛てた手紙を買いました。悪ふざけしたような内容でおかしな手紙でした。原田は冗談ばかりいう愉快な人であったようです。以来原田と西園寺の関連本を読むようになりました。〇この本は戦後復刻されていますが文庫化はされていないようです。〇西園寺公望1849-1940陶庵は号。明治39年と4
久しぶりに幕末の話をしようと思うのですが、今回の件に関しては人物に焦点を当てるべきか、それとも事件に焦点を当てるべきかで、ずっと悩んでいました。悩み続けて結論が出ないまま、放ったらかしにしていたのです。結局、どっちにするか決められないまま始めることにしました。そのため、一応「人斬り松左衛門」とタイトルをつけてみましたが、事件に関しては主人公にこだわらずに出来るだけ客観的に話を進めようと思っています。また、何しろ調べ始めてからだいぶ時間が経ってしまったので、これから使う写真の中には1,2
横井小楠横井小楠(よこいしょうなん・1809年8月13日~1869年1月5日)<幕末の儒学者>熊本藩の出身で、招かれて福井藩に赴き、藩政の改革に力を発揮しました。近代的で新しい国家や社会のあり方を提示するなど、その才は幕府にも注目されるほどで、維新後は新政府にも登用されました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~≪Shikako(しかこ)☆のおまけ≫
城を観る今回は...(撮影2020/10/28)熊本城〜横井小楠をめぐる維新群像解説板〜維新のッそうなのねッヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/10/28)熊本城〜横井小楠をめぐる維新群像〜勢揃いッだなッヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
はーい水曜日終了してまあす。皆様ありがとうございました😊😊ふー今日ね朝のクラスにいつも通り伺うと、ゲゲゲ。駐車場にだあれもいないっ!私が先週休館日情報をちゃんと得てくるべきところ。。だったので私があかんやん。でした。あまりの駐車場の広さにわらけて来ます今日はお1日なのにねーおかげさまで別の仕事が済んでよかったんですがね。午後のクラス終わって帰り、アーカイブのもうちょっとで終了動画を見て。今回はアンドロゲンでしたがためになりました夕方はいつも通りに歩きます由利公正公と横井コ
われ弱ければ矢嶋楫子伝:作品情報-映画.comわれ弱ければ矢嶋楫子伝の作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。まだ女性がひとりの人間として尊重されることのなかった明治から大正時代にかけて、女子教育や女性解放運動に尽力した矢嶋...eiga.comまだ女性がひとりの人間として尊重されることのなかった明治から大正時代にかけて、女子教育や女性解放運動に尽力した矢嶋楫子(やじまかじこ)の生涯を、日本最高齢の女性監督・山田火砂子が映画化。原作は三浦綾子の同名小説。主人
先日の南禅寺天授庵の記事の中で触れました横井小楠の墓について、ちょっと補足しておいた方がいいかなと思うので、もう一度紹介させてもらいます。お墓見たくない方はスルーして下さい。※.南禅寺天授庵墓地横井小楠の墓この横井小楠の墓は横井家の墓地の中にあります。墓地そのものは拝観コースに入っていないので、特別にお願いして墓参することになるのですが、一般人の墓参に配慮されたのか、お墓の前に直系子孫の方が建てた「横井家三墓所の記」という石碑が建っています。その碑文に曰く
京都東山の名刹・南禅寺の三門の右(南)隣に塔頭・天授庵があります。パンフレットによると、「天授庵は南禅寺開山第一世大明国師無関普門(だいみんこくし・むかんふもん)禅師を奉祀する南禅寺の開山塔であり、山内でもっとも由緒ある寺院」なんだそうです。延元四年(1339)に南禅寺第十五世虎関師錬(こかんしれん)によって創建されました。その後、文安四年(1447)に南禅寺の大火に類焼し、再建する間もなく応仁の乱の戦火に見舞われて、その後130年あまりの間、復興もままならないまま荒
文久3年から元治元年という幕末史が多くの非業の死を伴いながら次の段階に進む第4巻!序盤、「京都留守居役」の重要性と活躍を解説した一節、長州藩の桂小五郎、薩摩藩の大久保一蔵、会津藩の外島機兵衛、一橋藩の渋沢栄一、などがその代表的存在であろう。土佐藩では・・・武市半平太・・・と渋沢栄一が錚々たる面子と肩を並べていたのでした(会津藩の方は知らない)土佐藩は山内容堂が実権を取り返し、勤王党の弾圧が始まります。次々と土佐人たちの見事な切腹。その作法・様(さま)も折々詳しく解説され
現在、日本には、国会という名の議會がある。これは、帝國議會として、戰前からあった。俗に、日本の議會は、明治時代に欧米から伝わってつくられたとされる向きがある。しかし、日本の議會は、西洋の真似などではなく、日本古來の歴史・文化に根差して帝國議會にまで暹化發展してきたものだ。もっとも、幕末から明治にかけて、欧米の議会制度も参考程度に参照されたことまでは否定せぬが。そもそも我が國は、神武天皇による肇國前から、わ、和、環、輪の文化に根差したムラの集まりであっただろう。それは、弥生時代になると、
幕末、江戸を戦火から救った幕臣・勝海舟ついては拙ブログで過去記事で書きました。(↓)『嫌犬』戌年生まれの私は、犬が大好きなんですが・・・今日は、それとは真逆で大の犬嫌いだった有名人の命日にあたります。といっても、かなり昔の方なのですが・・・その人の…ameblo.jpその海舟が自著『氷川清話』の中で、「オレは今まで天下で恐ろしいものを2人見た」と記した人物・・・1人はご存じ西郷隆盛ですが、もう1人の名を聞いてもピンっと来ない方が多いはず。何故ならその人物の名は教科書に載って
BodyVoice加藤ですご訪問いただき、ありがとうございますプロフィールはこちら⇒★push遠い所は確認が取りにくいからダマしやすいんですねhttps://ameblo.jp/matsujyundx/entry-12721674371.html『トンガ噴火はCG??すっかり騙させてしまったー2022/01/16』本日感謝祭のチラシを納品して、商品名ロゴを10点仕上げ(撮影用の仮)さっきヘッダーを仕上げて送ってみた。良く働いたよ私←得意の自画自賛コメント読んでいた
始まってますNEW‼️『日本再洗濯/有道(よき)を成せ』HEAVENESEstyleepisode93(2022.1.16号)『日本再洗濯/有道(よき)を成せ』20:00スタート❗️潮目が変わった米国コロナ事情🇺🇸中国虎視眈々🇨🇳トランプ暗殺か?議事堂襲撃事件1周年ドキュメント2俺はイリノイの知事になるぞ!自由のための戦いだ🇷🇸日曜実話劇場励ましソング座長Marreから重大発表‼️そしてクライマックストーク🇯🇵https...youtu.be横井小楠日本兵が戦地に携行した「寄せ書き日
譲るに益あり奪うに益なし(二宮尊徳)
和本幕末~明治期横井小楠写本「秋声窓小録(学校問答/文武一途之説/兵法問答書/小楠先生遺表)」1冊/古書古文書/手書きです。22丁。半紙本程度。手書き。『データ』【書名】秋声窓小録(学校問答/文武一途之説/兵法問答書/小楠先生遺表)【巻冊】1冊【著者】横井小楠(1809-1869。江戸時代後期の儒者。文化6年8月13日生まれ。肥後熊本藩士。天保10年江戸に遊学。帰藩後は家塾をひらき,実学派の中心となる。安政5年福井藩主松平慶永の藩政顧問となり,藩の富国策を指導。新政府のもと,
『横井小楠』を描きました。こんにちは、肖像画復元師の上野ゆうこです。8月21日土曜日熊本市にて熊本史談会に参加して参りました。『横井小楠』についてお話いただいたのが徳永洋先生著者『横井小楠』https://www.amazon.co.jp/dp/4106101017/ref=cm_sw_r_cp_awdb_imm_NE04NYF0SF1WYW93BECR横井小楠―維新の青写真を描いた男(新潮新書)|徳永洋|本|通販|AmazonAmazonで徳永洋の横井小楠
おはようございます。2021年8月13日(金)今日は月遅れ盆迎え火、左利きの日、函館夜景の日です。http://isshokenmeihajimekun.at.webry.info/201501/article_226.html※月遅れ盆迎え火本来は旧暦7月13日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月13日に行われる。お盆に先祖の霊を迎え入れるため野火をたく。*今日の名言(1)人必死の地に入れば、心必ず決す。横井小楠(よこい・しょうなん。文化6年8月13日<
続編前の再放送を観ました。これはリアルタイムで観て、その後原作マンガも面白く読みました。もう16年も前のこと阿部寛さん、山P、長澤まさみさん以外はすっかり忘れてました小池徹平さんが「青天を衝け」で横井小楠を好演してたのとつながっていいタイミングでした(適塾出身なので阪大やな)「勉強」や「受験」は手段や通過点にしか過ぎない事を教えてくれるいいドラマでした。東大をもてはやす風潮への皮肉や警鐘もなのに昨今エスカレートしているようなま、小難しい事は置いておいて、続編楽し