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直近月の活動予定をお知らせするコーナー。会員向けのニュースレター(毎月発行)では「告知板」として掲載されている情報です。地名研究会主催の行事や勉強会ですが、会員以外の方でも参加できます。予定は変更されることもあり、資料配付等の準備もありますので、会員でない方は事務局にご確認の上お申し込みください。******6月行事日程*******6月14日地名研運営委員会11:00~パレアルーム6月14日勉強会テキスト「続・日本の地名」パレア会議室56月22日例会「中世の南
5月8日(木)熊本市東区沼山津の横井小楠記念館と四時軒「市指定有形文化財」を見学に訪れました。思った通りカタルパの花が見頃でした。熊本市にある徳富記念園にあるカタルパの木を受け継いでいます。参考)徳富記念園のカタルパは蘇峰、盧花の恩師である新島襄がアメリカから持ち帰った種から育てた木の2世3世です。去年は徳富記念園に訪れましたが少し遅すぎるましたが、今回の四時軒のカタルパは最高でした。四時軒肥後芍薬四時軒外観
下記の商品は本日入荷したホンの一部です。大阪駅前第3ビル地下2階・永井古書店店頭でも購入できますがインターネット通販サイト「日本の古本屋」でのご注文が確実です。http://www.kosho.or.jp/「日本の古本屋」で当店の商品がヒットしない場合は売約済みか売り切れです。『横井小楠関係史料(続日本史籍協会叢書復刻版第二期/全2冊揃)』日本史籍協会編、森谷秀亮解題昭和52年、東京大學出版會刊売価25,000円『史籍雑纂(続日本史籍協会叢書復刻版第二
毎年恒例春の「城下町歴史散策」今年も5月6日連休最終日に開催!心配した大雨は降らず、小雨さえも降らずじまいで無事盛況の内に終了しました。参加者からは「通り慣れた道々で歴史や文化を語る碑や標示等の説明を受け、新しい発見が多かった」「今ある通りの名前はそのままだが、昔の通りとは異なるとは驚き・・・」「単に歩いているだけでは見つけられにくい碑も多かったが、説明文もあり、またゆっくり友人とこの資料(当日参加者用に作成した協会の資料)を見ながら歩きたい」と声もありました。今回も参加者約80名、案内ガイド4
井伊直弼安藤信正井上聞多(馨)椋梨藤太横井小楠大村益次郎江藤新平岩倉具視前原一誠西郷隆盛大久保利通大隈重信小村寿太郎伊藤博文寺内正毅原敬浜口雄幸高橋是清犬養毅岸信介安倍晋三岸田文雄加藤勝信2025-APR.-14-MON.-08:45(JST)
4月以降の活動予定をお知らせするコーナー。会員向けのニュースレター(毎月発行)では「告知板」として掲載されている活動予定情報です。ニュースレターのweb版をこのブログでは掲載をしないこととなったため、このカレンダーにて活動予定をお知らせすることとなりました。ご了承ください。******4月・5月行事日程*******4月12日地名研運営委員会11:00~パレア4月12日勉強会「続・日本の地名」谷川健一著13:30~パレア5月6日城下町歴史散策「下通界隈侍町をさる
毎年恒例の「熊本城坪井川園遊会」事業の一つとなっている『城下町歴史散策』は、5月6日に開催されることになりました。今回は、加藤清正によって改修された白川右岸一帯、現在は下通など熊本市の中心市街地を形成している地区である侍町(江戸時代)を歩きます。今年も、当地名研メンバーが中心となって皆様をご案内します。4月6日にはメンバーが入念な下見を行ない、コースの再調整を進めています。また毎回コンパクトで詳しい!と好評の散歩資料(当日配布)も着々と準備中です。ご期待ください。散策コース概要や参加申込等につ
「逃げ上手の若君」の舞台・諏訪大社上社前宮諏訪大社には4つの神社があり、その中で最も古い神社といわれるのが、諏訪大社上社前宮。諏訪大社上社本宮、下社秋宮、下社春宮と、それぞれ成り立ちが違っていて、調べれば調べるほど、なりたちが分からなくなる不思議な神社。日本で最も古い神社の一つではあるものの、この諏訪地方は、縄文時代がもっとも長く存在したといわれ、同時に、稲作文化がもっとも遅く導入された地域といわれている。そのため、弥生時代の文化と少しへだたりがあり、同時にユダヤ文化の混入もうわささ
JamesSetouchi2024.10.1『氷川清話(ひかわせいわ)』勝海舟(かつかいしゅう)講談社文庫ほか*勝海舟(1823~1899)幕末維新時の政治家。江戸の貧しい御家人(ごけにん)の家に生まれた。剣術と蘭学(らんがく)とを修(おさ)めた。幕松の混乱期に実力を認められ、出世。咸臨丸(かんりんまる)艦長としてアメリカにわたる。軍艦奉行並となり神戸海軍操練所を創設。維新軍が江戸に攻めてきた時は、西郷隆盛と談判し江戸無血開城を行った。明治維新後も多少の活躍がある。*
横井時雄(1857年12月3日-1927年9月13日)牧師、同志社総長、編集者、逓信省官僚、衆議院議員、ジャーナリストなど多彩な経歴で波乱万丈の人生。海老名弾正の義兄。略歴熊本藩士で儒学者の横井小楠(よこい・しょうなん)の長男として生まれる。熊本洋学校に学び1876年に「熊本バンド」を結成、同年に上京し開成学校(東京大学の前身の一つ)と同人社(中村正直の私塾)で学び、カナダ・メソジスト教会宣教師カックランから受洗。1877年には同志社英学校に転入。1879年、愛
(1861)どーも、こんにちは!今日はお盆休み最終日です。6日間あっという間。朝から事務仕事で会社に行き、午後からはドライブがてらちょいとお出かけ行っていました。お盆休み中に行きたいところはいくつかありましたが1人でゆっくり見学したいところも。今夏の映画は特に見たいものがなかったので博物館へ。現在福井市郷土歴史博物館では橋本左内さんと熊本の横井小楠さんの特集をしていまして、先日護国神社で学んたこともあり気になっ
寺町通丸太町下るにある横井小楠殉節地碑です。明治2年1月5日、横井小楠が暗殺された地に建つ碑。横井小楠(1809~1869)は幕末の熊本藩士、明治政府の参与。熊本藩士・横井時直の次男。藩校・時習館などで学んだ後、天保14年(1843年)、自宅で私塾・小楠堂を開校。教え子の福井藩士・三寺三作の推挙により、嘉永5年(1852年)、福井藩主・松平慶永(後の春嶽)に「学校問答書」、嘉永6年、「文武一途の書」を提出。安政元年(1855年)、兄時明死去、末期養子として家督相続。安政2年、転居して
していて、見つけた碑・立て看板+α、その25・・・25だけど、もう数字は、どうでもいいかも寺町丸太町、下御霊神社近く幕末の儒学者・横井小楠が暗殺された場所ねそして、同じく寺町通に御存知、百人一首の撰者・藤原定家邸跡そして、その近くの店のシャッターにやるやんさて、本題JS-2の閃光部分に黒煙を付ける先端部分をニッパーで切除して、黒煙の芯を付けるわけだが、差し込むので透明なものの方がいいタミヤの透明パイプがあるが、あれは、軟質素材なので若干の不
【Q20134】17世紀初頭にアンドリアンジャカ王が都市を築き、千人の兵士に守らせたことから「千人の都市」という意味で名付けられた、マダガスカルの首都はどこ?【アンタナナリボ】【Q20135】熊本市と福井市が姉妹都市となった理由の一つとなっている、熊本藩出身で松平春嶽に招かれ福井藩の藩政改革を主導した幕末の思想家で、楠木正成の子・楠木正行(まさつら)の敬称「小楠公(しょうなんこう)」にあやかり「小楠」と号したのは誰?【横井小楠】【Q20136】日本とアジアの国の関係。「日比関係」といえば
吉田松陰は、この事を、金子重之助に黙ったまま、連れて行くのは、やはりできないと思い、金子重之助に告げる事にした。「実はな、金子君、君に言ってない事が、あるんじゃ」、「はい、何でしょうか?」、「驚いて、大きな声を出すじゃないぞ」、「はい、先生のやろうとする事では、もう、いちいち驚きません、言って下さい」、吉田松陰は、声を小さくし、「実はな金子君、ペリーの黒船に乗り込むのに成功したらじゃ、わしは、ペリーを・・・斬り殺すつもりじゃ」、吉田松陰は、ペリーを暗殺するつもりである事を知った金子
「横井小楠という人物」■朝日(20230730)「日曜に想う」というコーナーでは、郷土の横井小楠が大きく取り上げられています。なぜ、本県では、加藤氏や細川氏は取り上げられても、横井氏はとりあげられないのでしょうか、不思議でなりません。トップではないからでしょうか。私が思うには、権力に逆らう人だったからではないかと、考えているところです。記事内で、勝海舟はこう述べたと、紹介されていました。「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲だ」「その思想の高調子
5月発行地名研ニュースレター「熊本乃地名」259号では、激動の維新から明治期の城下を探る「散策」を4月末に開催。地元児童も参加で大盛り上がり!120名超がグループに分かれ、地名研ガイドの案内を聞きながら散策…〈余談〉最近モートン病になり、足裏が痛ーい私(地名研運営委員)は途中離脱を表明していましたが、面白さに惹かれ、結局2時間程歩いて「城彩苑」まで随行。参加した子ども達は城彩苑で同行された校長先生からアイスクリームのご褒美!私は翌週、野球界のスーパースター大谷も使用しているらしい「衝撃波治療」
「「越前福井藩主松平春嶽」安藤優一郎著平凡社新書」明治維新と言えば薩長同盟と思われがちですが、大政奉還までは、薩越同盟とも言える薩摩藩と越前福井藩の連携が牽引したとも言えます。福井藩は、藩主松平春嶽の指揮の下、早くから藩の財政立て直しをするとともに富国強兵路線を推し進めてきました。その中心になったのは、橋本左内、三岡八郎(後の由利公正)、熊本から呼び寄せた横井小楠などです。春嶽は、徳川一門の大名でありながら、公論をキーワードに徳川家独裁の政治体制ではなく、挙国一致の国家造り
憲法記念日の5月3日、東京にて大25回公開憲法フォーラムが開催されました。(共催:民間憲法臨調、美しい日本の憲法をつくる国民の会)今年のテーマは、国難迫る―急げ、憲法に国防条項・緊急事態条項の明記を!有識者、各界・各党からの発表がなされました。基調提言は、ジャーナリストの櫻井よしこ氏がつとめました。その提言の中で、特に印象的だった箇所を以下に引用致します。―――――――――――――――――――――――――――――私はこの頃、先人たち
吉田松陰は、宮部鼎蔵に別れを告げ、熊本を出て長崎へ向かった。吉田松陰が去った後、宮部鼎蔵は、『吉田君、成功しろよ、死ぬなよ』と、心配な思いで、いっぱいになっていた。しかし、長崎に入った吉田松陰は呆然と海を見ていた。「遅かった、アハハハハハ」。長逗留しているはずのロシア艦隊が去って行ってしまった後だった。吉田松陰は悲しみのこもった笑い声を上げている、「どうして、わしのやろうとすることは、こんなにも空回りが多いんじゃ」、浜辺で海を見つめる吉田松陰を風が、強く吹く風が、吉田松陰の結ん
毎春恒例の「城下町歴史散策」を「維新と明治の偉人たちの町をさるく」と題して4月30日に開催しました。総勢約130名(小学生12名含む)は5グループに分かれ、各グループにガイド1名・サブガイド2名(一新まちづくりの会、壺川校区まちづくりの会、熊本地名研究会)が随行して熊本市内坪井・壺川校区周辺を2時間半ほど散策しました。「こんなところにこんな歴史の跡が!知らなかったぁ~」と皆驚きつつ、歩くにはちょうどよい天候の下、皆爽快な気分で散策ポイントを巡りました。コースは、壺川小学校堅山南風像に始まり、
熊本市東区沼山津に所在する市指定有形文化財、市指定史跡の四時軒(しじけん)、四時軒跡です。秋津川の右岸に所在します。説明板によると、幕末の開明思想家として知られた横井小楠の旧居です。安政元年(1854年)兄の時明が亡くなったために家督を継いだ小楠は翌年、城下からこの地に移り住み、四季の眺めを楽しむということから「四時軒」と名付けました。坂本龍馬もこの地を3度訪れたそうです。この旧居も明治時代に客間だけ残して焼失しましたが、諸記録に基づいて再建しました。その後、平成28年熊本地震で全
今春の地名研メンバーが案内する「城下町歴史散策」は『維新と明治の偉人たちの町をさるく」!4月30日(日)に決定。今回も『第19回熊本城坪井川園遊会』との連携行事として行います。9時熊本市立壺川小学校に集合~11時半桜の馬場城彩苑で解散。当日配布の資料準備のため、事前の申込(ハガキ・FAX・地名研運営委員に連絡)をお願いしています。■当日受付は8時40分~参加料:500円(保険・資料含)▶申込先:ハガキ:861-5533熊本市北区和泉町168-18FAX:096-245-5218
NYの街歩きの路上でよくポスターを買った。そんな何枚かが今も残り、デスクの部屋にも吊るしてある。お気に入りの一枚の主役は、イエローキャブ。背景は、ランドマークともいえるタイムズスクエアのノッポビルで、そこにはSUNTORYの広告が。毎日、何度も見ているポスターだが、今日は、このイエローキャブを別の意味で流行らせた女性作家を思い浮かべることになった。乗車拒否無し。誰でも乗せる日本女性をイエローキャブに例え、それを著したひと。日本の留学女性の尻軽
随分前の話になるが、英語圏のお客様と会食をした時のこと場所は丹巌洞という江戸時代の福井藩医の草庵だった料亭松平春嶽や橋本左内、横井小楠らが来ていたという歴史ある建物や庭園だった会食が始まり、しばらくした時のこと英国女性が「ぎゃーっ」と声をあげ一同👀‼️どうしたのかと思ったらσ(^_^;)?「わさび」を口に入れたことがわかった彼女曰く「ginkgo」だと思ったとのこと!つまり、好きな銀杏だと思ってわさびの塊を口に入れてしまったのが理由彼女は初来日だった説明不足を詫
熊本市東区沼山津に所在する横井小楠遺髪墓です。文化財の指定は受けていません。小楠公園の敷地内に所在します。説明板によると、明治2年1月5日に京都で暗殺された横井小楠は、京都南禅寺天授庵に手厚く葬られたそうです。この小楠公園の遺髪墓は、門人の岩男俊貞が持ち帰った遺髪を「飯田山の見える小高い場所に」というかねてからの小楠の言葉によりこの地に葬ったそうです。※写真は2020年9月撮影
↓結城秀康像当時忌み嫌われた双子で生まれた為(もう一人は生後間もなく死亡)、当初は家康から煙たがられたという。秀吉に人質(養子)に出されてから、彼の人生は大きく変わった事だろう。↓結城秀康像_顔拡大お顔拡大。何か、西洋人っぽいんですけど。↓神保悟志さんちょっと違・・・(笑)そんなに似て・・・ないか、ないね↓結城秀康公と福井城_説明関ヶ原の戦い時には、上杉の備えとして宇都宮城を預かった。もし上杉が関東遠征に動いていたら・・・家康にとっての彼は、ある意味捨て駒的に使われた存在だっ
熊本城包囲散策、続きです。行幸橋を渡って加藤清正像を見て、坪井川沿いの長塀通りを東へ。みごとな竹の丸を守る重文の長塀に感動!兵庫・明石城の長塀↓を思い出す。狭間がないのが特徴?、長さ240㍍あるという。右手の平御櫓まで、長塀は続く。平御櫓。厩橋を渡って城内へ、すぐ右手の高橋公園、ここにズラリ銅像が立ち並ぶ。左から、龍馬、勝海舟、中央に横井小楠、そして細川護久、松平春嶽。龍馬は海舟から勧められて横井小楠に会いに熊本へ来た。12代、最後の熊本藩主細川護久は
熊本県熊本市東区小楠公園日本の武士、儒学者。高橋公園、横井小楠記念館に続いて3体目の横井小楠像をみつけたのは、遺髪が埋葬されている小楠公園。銅像の下でたくさんの子どもたちが走り回って遊んでおり、ほんわかした気分になった春の土曜日。小説横井小楠[小島英記]楽天市場3,960円横井小楠幕末・維新人物伝(コミック版日本の歴史)[加来耕三]楽天市場1,100円横井小楠1809-1869(別冊『環』)[源了円]楽天市場3,080円
熊本県熊本市東区横井小楠記念館日本の武士、儒学者。歴史の授業ではあまり取り上げられないけれど、重要な出来事の裏には必ず横井小楠がからんでいる!記念館を訪れて以来、我が家では「よっこいしょういち」ではなく「よっこいしょうなん」と言うようになりました。横井小楠維新の青写真を描いた男(新潮新書)[徳永洋]楽天市場748円横井小楠の人と思想幕末に国家をデザインした男[田口佳史]楽天市場1,650円横井小楠道は用に就くも是ならず/沖田行司【3000円以上送料無料】