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確かに予防医学もひどいものですが、最近患者とコミュニケーションが上手くできずに誤診する医師がやたらに多いように思います。昔は風邪だと言って、適当に薬を出していれば済みましたが、今は薬の種類も多すぎて、患者も副作用など詳しくなっています。また、OSCE〈オスキーという、模擬患者(SimulatedPatient:SP)やシミュレータを用いて、患者さんに接する態度や診察の仕方、基本的な技能の修得度を評価する試験がありますが、医療面接の実習などがまともにできない医師の卵も多いようです。(
一般社団法人日本医療面接訓練評価センター※英文表記:JapanMedicalInterviewTrainingandAssessmentCenter(略称:JaMITAC:ジャミタック)という社団法人があると少し前に知った。JaMITAC<信頼と安心と納得>が通い合う“ありがとうが行き交う医療”をみんなで創る「JaMITAC」―JaMITAC式医療面接訓練士(プロの模擬患者)チームが「医療プロフェッショナルの生涯学習の場」をサポートします。jamitac.
「みんな気づいてると思うけど、社会は怒ったら負けのゲームです。怒った方が損をする事に気づいた方がいい」とツィートしている人がいました。もちろん、たくさんの批判がでてきて、この「怒る」は「感情的になる」という意味だと弁解していました1)。でも、やっぱりこれは“トーン・ポリシング”だと思います。「勝ち組」「余裕のある人間」だから、こんなふうに言えるのです。こんな言い方で、怒っている(感情的になっている)相手を「いなす」ことができ、そして問題のポイントをずらすことができてしまいます。社
ある大学では、模擬患者さんが参加する医療面接演習が毎年行われています。どうしたわけか、昨年の演習では学生たちの態度が、いつもきちんとしている例年とは全く違っていたとのことです。面接をしている後ろで、他の学生たちは雑談したり、黙って部屋を出て行ったり(トイレかもしれませんが)。雑談の声が大きくて、面接で医師役の声が聞こえなかったりしたこともあったとのこと。複数の模擬患者さんから同じような報告があったので、一つの研修室だけのことではなかったようです。指導教員が特に注意しなかったことにも
年末になって忙しくなってきた。こんなに忙しくなるって思ってたかしら?来週12、13、14の研修は早期申し込みで安くなるということで3か月前くらいから申し込んでいたのだが、その時期にOSCEが重なることを予測していたのか?こういうイベントが重なるとビビりな私はたいてい対応できるのかと不安になる。しかし今回は日が近づいてくるにしたがって不安は無くなり、落ち着いた感じになってきた。考えてみたら研修中は仕事が無いし、月曜と金曜を在宅で固めてしまえばかえって体力的な負担は軽いのかもしれない。問題は
2023.9.12(火)ヽ(=´▽`=)ノやったー合格まだ、一次だけだけど💦💦品川まで受験に行った、認定標準模擬患者の認定試験。嬉しいことに、交付日が誕生日🎉タイミング悪く?ゆっくり勉強するために?二次試験は、来年9月🤭還暦受験だ〜。でも今年、米寿受験した方もいるから、まだまだひよっ子(✿^‿^)
「医学教育における模擬患者との「協働」の実態」という論文を読みました(元濱奈穂子:教育社会学研究109、93-114,2022)「かつてSPは、医学生の効率・効果的教育という教育者側のニーズを満たすための教材として位置づけられてきたが、近年は、教員と模擬患者とを立場の異なる対等なパートナーとみなしたうえで、SPの参加を通して生きた「患者視点」を医学教育に反映させる、「協働」というアイデアが提案されている。」その実態を調査した結果「第1に,患者視点は医師の専門性との差異化という条件下
第54回医学教育学会総会での「医療面接模擬患者が身体診察を兼任したPost-CCOSCEの試み」という演題では、模擬患者にアンケートを取ったところ、身体診察を兼任することで「診察の流れが双方にとって自然で良かった」と18名中11名が答えたとのことでした。良かったことは、たかだかこの程度でしかないのでしょうか。もっと深いところで「良かった」ことはなかったのでしょうか。僅差でも多数決で多かったから良かったのでしょうか、7名の人の思いはどんなものだったのでしょうか。第55回の学会では「模擬
私が初めて模擬患者というものの存在を知ったのは、『臨床教育マニュアル』(篠原出版1994)の執筆者打ち合わせの席でしたから、1992年ころだったでしょうか。接遇についての本は既に書いていたのですが(『患者さんとのふれあいハンドブック』照林社1992)、「こんな「手」があったのか」と驚きました。それで、ご縁があって東京SP研究会の模擬患者活動の手伝いを依頼された時には、とても嬉しくなりました。その時(1996年)、これで日本の医療を少しでも市民の手で変えていくことができるのではないかという夢
ある試験を受けに品川へ行ってきましたよー✈とあこさんもお誘いして彼女は熊本から私は福岡から羽田で待ち合わせ🛂なんと幼稚園からの友人と同じ飛行機で羽田入りあちらはプレミアム✨私は普通で😊久方ぶりの再会にしかも二人とも左沢出身なのに福岡空港で会えるなんて🙌オモシロすぎるさて、とあこさんも無事に到着しばらくは今日の試験のことで頭がいっぱい(゚-゚)のせいかどうなのか品川駅の改札から二人とも出られなくなり…京急からJRの連絡改札を抜けたらしくこのまま通るには150円かかり
影絵など伝統芸術の担い手も高齢化しています。人数も減ってきているようです。地域住民に余裕が無くなってきたからでしょうね。定年がどんどん延長されて担い手になる余裕がない。「定年延長」それは楽な話ですよ。部下が上司になる懸念はあるとは言え「そういうものだ」と割り切ればよい。与えられた仕事を定められたとおりにこなしていけばよいのです。予算責任も基本的には無い筈です。そして地域デビューするタイ
救急車🚑がやかましく頻繁に走って、熱中症かな〜?🤔?磨呂さんが熱中症になりかけた時のことを思い出しました、、、もう10年以上も前その頃は今ほど熱中症!熱中症!とは言われなくて、情報も少なかったので知識はありませんでしたが。磨呂さんはSP(模擬患者)模擬患者(SP)とは|名城大学薬学部名城大学薬学部のウェブサイトです。www-yaku.meijo-u.ac.jpをやっていて、専門的までは行かなくても、お医者さんに話は聞いて一般ピープルとしては良く知っている方でしたね。で、
1996年の夏、私は、筑波大学(当時)の大滝純司さん(現・東京医大教授)から、しばらくの間東京SP研究会(現・一般社団法人マイインフォームド・コンセント)の活動の手伝いをしてくれないかと打診されました。それまで研究会を医師として支えておられた大滝さんがアメリカに1年留学している間の代理ということで、私は喜んでお引き受けしました。模擬患者のことは少し前から知っていましたし、これからの医学教育にはぜひ必要だと思っていたことも、その気持ちを後押ししてくれました。その1年前、川崎医大で行われた
COML(ささえあい医療人権センター)の辻本好子さんと出会ったのは、COMLが立ち上げられて間もない1992年初頭のことです。大阪で「中川フォーラム」(中川米造・阪大教授のグループによって開催された)に参加したときに、私の友人の医師から紹介されました。フォーラムから帰ってすぐに、辻本さんが感じられた講演への違和感について、お手紙を戴いたことからお付き合いが始まりました。以後2011年にお亡くなりになるまで親しくさせて戴きました。毎日新聞の訃報欄では、辻本さんは「「賢い患者になりましょう
定年延長があたりまえになりたいていの男性は70歳近くまで同じ事業所で働きます。生活のリズムは崩れませんがそれで終わる可能性が高い。言い直すと70歳から新しいことに挑戦したくても門を閉ざされることもあります。具体的な例をあげましょう。医療系の大学で活動する模擬患者としてボランティア。大学にもよりますが「初心者の方は70歳未満」そう言われます。大学側としてはあたりまえ。様々な事柄を新たに習得してもらわなければなりませ
元の職場仲間と飲みました。自分より若い人達です。ずっと聞き役に回っていました。入って行けなかったからではありません。ほとんど内容が過去の話だったからです。今の話もないわけではありませんがつまらなさそうに話します。将来の夢などほど遠い。少し呆れていました。自分には合唱指導の役割と模擬患者の育成といった使命勝手に役割を担っているとはいえやるべきことがあります。偉そうに言う話でもありませんがそういった
研修医オリエンテーションでの医療面接演習のやり取りの中で、患者役の研修医が「すみません。・・・していませんでした」と言ったので、ディスカッションでさっき「○○さんが「すみません」と答えたでしょう」と言ったら、またその研修医が「すみません」と言ってしまいました。私がこのことを取り上げたのは、実際の面接場面でしばしば患者さんが「すみません」という言葉に続けて医者の質問に答えている、そのことの「おかしさ」「危うさ」に研修医たちに気づいてほしいと思ったからです。日本語で「すみません」は、ど
医学教育が「界」として成り立ったとしても、医学の大河は別のところを流れています。自然科学としてのサイエンスが重視され、インパクトスコアの高い成果が求められ、産学協同が進められる流れが、医学の本流です。現在の医学研究は、遺伝子と分子生物学というごく微小な世界での気の遠くなるような複雑な反応の連鎖の探究に追いまくられているようです。研究に浸かってる生活を続けていて、外来や病棟で患者さんの気持ちにまで心を及ぼすことができない医者がいてもおかしくありません。それは個々の人間性の問題としては捉えきれ
私は国粋主義者ではないと思っているのですが、「欧米はこんなに進んでいるから、日本も追いつかなければ」という言い方が好きにはなれません(最近は、「欧米だけではまずい」と思うためかアジアの国を範とする言葉も増えてきました)。それは医療-医学教育の世界でも同じです。次々と新しい横文字の言葉が入り込んできますし、新しい形が導入されます。リフレクション、アサーション、コーチング、ナラティブ、コンフリクト、SEA、・・・・、BSL、チュートリアルだってそうです。「進んでいる欧米では、模擬患者は身体診察
第48回医学教育学会大会(2016年)のシンポジウム「共用試験OSCE10年を考える」で、「医学生は変わったか」と問われたシンポジストが「挨拶ができるようになったことは確かだ」と答えたことに対して、「それだけなのか」と言いたげな笑いが会場に広がりました。現実には、挨拶するようになっただけでなく、言葉遣いも丁寧になりましたし、「開放型の質問」で相手の話を遮らず聞き、「共感的な言葉」を言い、話をまとめ、患者さんの考えや希望を尋ね、言い残したことがないか確認することが大切であることも知るようになりま
模擬患者は医学教育の「ツール」です。模擬患者のことを「道具なんだから使い勝手が良くなくては」と思う医学教育者がいても、それはそれで「あたりまえ」のことかもしれません(道具は、「使い捨て」のものだと考える人もいます)。医学教育者の「模擬患者さんには、いつも医学教育にご協力いただいて」というような挨拶は、「道具」だという思いの裏返しだと考えるのは穿ち過ぎでしょうか。「模擬患者さんの言葉に、医療者の在り方が問われています」などと言う人にもほとんど出会えません1)2)。それにしても、その「道具
模擬患者は医学教育のツールの一つにすぎません。そのツールをどのように教育に活かすかは教員の仕事です。教員が「演習室・試験場の外でも、模擬患者さんに礼儀正しく接しなさい」と指導すればその思いを受け止める学生・研修医は必ずいます。教員が「模擬患者とは教育上使用・利用するツールに過ぎず、教員の要請とおりに動いてくれさえすればよい」と思っていれば、その雰囲気が必ず学生・研修医に伝わります。どのように活かされるか、模擬患者は「まな板の上の鯉」です。その意味で、模擬患者さんと接する教員・指導者は、
OSCE(客観的臨床能力試験)や医療面接演習の場面では笑顔でとても爽やかにあいさつしていたのに、その学生が演習終了後、室外の廊下で模擬患者さんに会っても挨拶もしないことがあると、しばしば耳にしました。教育が身についていないと言われれば、その通りです。でも、学生の立場になってみれば、演習室・試験室の外で模擬患者さんに会っても、どのように挨拶してよいか少し戸惑っているのかもしれません。つい先ほど、ほんの短い時間会っただけの、もともと知り合いでもない人に挨拶をしてよいものか迷います。若い人で
それでも、OSCEは間違いなく成果を上げています。卒後10年くらいまでの医者が、それまでの医者より挨拶や自己紹介をきちんとするようになったという言葉は、どこの病院でも(大学病院も含めて)必ず聞かれます。そのことは、医者よりも看護師のほうが敏感に感じ取っています。「型か心か」とも言われますが、この国の習いごとでよく言われる「型から入り」、「型に込められた心を知り」、「型を超えていく」という第一段階には到達していると思います。「挨拶」には倫理が生きています。挨拶をきちんとしなければその
OSCE(客観的臨床試験)での医療面接が形骸化しているとよく言われます。型通りの応対ばかり聞かされ続ける模擬患者さんたちはいつも物足らない思いに包まれます。「普通、(患者である自分は)こんなふうに医者と話さないよね」と思います。「もっと話したい」と感じても「もう、話したくない」と感じても、マニュアルに適っていれば次の定められた言葉に移行するしかありません。こんなことで良い医者が育つことに役だっているのだろうかと心もとなくなってしまいます。教員にそのことを言うと、教員も「これは試験だから仕方がな
ある年の医学教育学会での「医療倫理」のセッションで、学会長が「豪雪時にガソリンスタンドで親切にしてもらった」という話をしておられました。予想外の豪雪に困った会長に、そのスタンドではありあわせのチェーンを提供してくれ、それがだめだとわかると近くのホームセンターを案内し、そこで買ったチェーンが付けられないと言うと装着してくれて、お金は受け取らなかったということでした。学会で議論するとなるとプロフェッショナリズムの「定義」から話が始まりがちですが、こうした市井の人の態度から学ぶことでプロフ
OSCEの国家試験への導入を検討する研究班(班長:畑尾正彦先生)に参加させていただいたのは、25年も前のことです。それからずいぶん時間が経って、PostclinicalclerkshipOSCE(臨床実習後OSCE)が国家試験に準じるものとして行われることになりそうです。変化には時間がかかるのです。その時、私が「医療面接演習がめざしている良いコミュニケーションのための教育は、試験とはなじまないのではないですか?」と尋ねたところ、畑尾先生は「日本では試験をしないと、いつまでも変わら
中井久夫さんは、ドレイファス兄弟の提唱する技能習得モデルについて、医者は知らないと「嘆いて」おられました。ドレイファス兄弟は、人工頭脳は第3段階までしかやれないとしているそうです(医学界新聞2001年4月16日)。(1)第1段階(ビギナー):「文脈不要の要素よりなる、文脈不要の規則に従うスキル」である。自動車運転でいえば、アクセルとブレーキ、ギアの入れ換えの規則である。この規則は、文脈(コンテクスト,前後関係)によって変わらない(コンテクスト・フリー)。(2)第2段階(中級者):「状況
2019年の医学教育学会のあるセッションで、「AIが進むと「問診」も「身体診察」も機械がしてくれるから、OSCEの模擬患者は要らなくなる」という意味の発言がありました。「SPさん、ごめんなさい」という上から目線の言葉が付け加わっていて、会場の「笑い」を誘っていました。医療面接を情報収集の手段としか考えられていないのでしょう。このように考えてしまう背景には、臨床実習前(pre-CC)OSCEに加えて、臨床実習後(post-CC)OSCEまで行われるようになるにつれ、模擬患者の活動がOSC
OSCEが始まりだしたころ、お手伝いのために私はずいぶんたくさんの大学に伺いました。そのころには、多くの大学で「模擬患者さんのご意見をうかがって」「模擬患者さんに教えていただいて」というような言葉を耳にしました。でも、このところ模擬患者を、医学教育者に「使用されるもの」と考える人が多くなってきてしまいました。「SPは、日本における医学教育を理解し、各医学部・医科大学の教育理念・教育方針に賛同し、患者のための医療を目指す医師を育てる使命感を持ってボランティアとして協力する」(下線:日下)と